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ちょっとずつでも年金はろときや

2018年6月18日 (月) 23:57

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週末、意を決してドラマ「火花」の9話、10話を観たけど、案の定メッタ刺しにされて、
でも救いがあるというか、まだずっと続くというか、
終わりじゃない、そう簡単に終わらせてはくれないけど、
そのことに確かに絶望だけじゃなくて希望があるなぁ、と思える10話の最後だったので、
もちろん泣いたのは泣いたけど、
もう一回、1話から観たい、と思えました。
結果ブルーレイ買っといてよかった。
一時はどうなることかと思いましたが、やっぱり買ってよかった。
すごいドラマでした。”人生”やん。こんなん。人生やで。

舞台挨拶で「ぜひ10話まで一気に観てください!」と言っていたけど
ぜんぜん無理です。何かが枯渇します。
これ1~10話を一気に観れる人おるの?精神的に、行けます?
そりゃ肉体的には可能やと思うけど、精神的に、厳しない?
…私、主観性が強すぎるのかもしれん。

徳永が神谷を見る、その目つきは1話と10話で大分違っていて、
でもそのどちらにも尊敬とか愛情とかがあって、
この人たちの10年には絶対に意味があるのだ、と言い切りたい。
私の10年にだって、誰の10年にだって、同じく意味はあった。
絶対にそう。絶対にそう。

10話の冒頭らへんで、あの最後の舞台あたりでスパッと話が終わってたら、
”終わり”としてはもっと、”キレイ”やったかもしれんけど
そうしない、そうはできない泥臭さというか、
血がかよった人間がつくった、という表情があってかっこよかった。
…感動した。感動した!

しかしまぁ50分×10話を存分に活かしきった映像作品に仕上がっていて
これテレビじゃ絶対に無理やし、まず絶対にCMはさんで欲しくないから民放はあり得んし
映画はまだ見てないけどどうやってんのかな。どこ切ってどこ出すんか気になってる。
1話の熱海にまた2人が戻って、おんなじ階段が出てきたり
居酒屋で神谷さんが徳永の頭をガッとつかむシーンとか、
あれも1話のリフレインであるわけで(場所も座り位置もまったく一緒)、
そもそもあのインコのネタなんてこっちは1話からずっと観てきてて
(だから百合枝があのネタを覚えてしまってるのも当然理解できるし、だからこそ一緒に泣く)
劇中では10年が経ってて、徳永はずっとおんなじマグカップを使ってるし
山下はずっとおんなじ自転車に乗ってるし、
緒方さんがまだ若くてチャラくて加藤鷹の話ばっかしてる頃を知ってるからこそ
あの事務所の下の、階段のシーンで泣ける。

なんか音楽に近い作りになってる気がしてきたな。
同じモチーフを丁寧に扱う、繰り返す作り。

やっぱり丁寧に作ってるもんって分かるんやな、観てる人には。
丁寧にやろ、どうせ誰も分からんやんけ、とか思わずに、ちゃんと、いっこずつ丁寧にやろ。
あ、最後のは私の、私の仕事の話です。

本編を観終わったあと、特典に入ってた公開時の舞台挨拶を観ていたら
又吉が「たまたま僕が文章にしただけで、
漫才師じゃなくても、みんなにこういう時間があって、だから火花はみんなのもの」という旨の発言をしていて
またベッロベロに泣いた。
それを、他の誰でもない、あなたが言ってくれるんですね…という涙。
ありがとうございます。

つーかさっきナタリー読んでたら
ロケ地めぐりバスツアーとかやってたやん、行きたかった…もう2年も前やけど…
「犬ヶ島」のフィギュア付き前売券も、知った時にはとっくに販売終了してるし
最近こんなんばっかか。何やってんだ。
というわけで対策としてアプリ版ナタリーをダウンロードし、
もろもろの俳優・映画監督・バンド・劇団などを登録し、通知が来るようにした。
これでイケる。はず。
頼むぞナタリー!

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