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ここでいいから
2023年11月21日 (火) 20:55
「大事にする」ってどういうことだろう。ついこないだ「気を付ける」が難しい、と書いたが、同様に「大事にする」も難しい。
下岡晃と安部コウセイのライブを観にいった。終盤、『抱きしめて』を歌うと言った下岡晃にコウセイさんは「俺もちょっと入って良い?」と聞いた。一緒に歌ってもいい?という意味だ。続けて「いや、大事な曲だからさ、一応許可を、と思って、敬意を」と言った。
私は下岡晃ではないしアナログフィッシュでもなく、ただファンであるだけの何者でもない人間なのでこんなことを言うのはおかしいが、確かに『抱きしめて』はとても大事な曲だ。本当は「とても大事」とか言うのもはばかられるくらい。
この曲がどのように生まれ、どのように歌われてきたかを知っているし、どのように大事にされてきたのかを見てきた。10年以上経つ。だから、コウセイさんが引いた一線のような“敬意”をとても嬉しく思ったのだ。大事なものを一緒に大事にしてくれることが嬉しかった。いや私がこんなことを思うのは、全くもっておかしいが。どの立ち位置で言うとんねん。
帰り道「大事にする」について思考を巡らせたが、特に答えは出なかった。日々生活していると答えが出ない問いのほうが圧倒的に多い。大事にするって、どういうことなんだろう。なんかきれいな箱に入れて、きちんと鍵をかけて、家から出さずに仕舞っておくこと?そういう方法もある。あるいはずっと身に付けて、くたびれてきたのを直してまた使って、いろんな人に触れてもらって、欠けたところを継いで、それでもまだ持ったままいるってことかな。そういう方法もある。
『抱きしめて』がどのように大事にされてきたかは、後者が近いと思う。発表された当初は震災直後という時期もあいまって、繊細で、消えてしまいそうな空気感があった。乱暴にすると割れるんじゃないか、みたいな感じ。演奏は何度も繰り返された。CDになるころには健ちゃんが歌うパートが出来たし(最初期はなかったと記憶している)、ライブではお客さんも一緒になって歌ったし、Ryo Hamamotoのギターソロでアウトロを長くやる日もあってあれはすごくかっこいいし、下岡晃はインスタライブでこの曲を数十回演奏してきた。今『抱きしめて』に似合う単語は「繊細」ではなくて「強度」だと思う。素材っぽさやむき出しの雰囲気はずっと変わらないけど、変質した、ように感じる。両手で包むようにしてしか持ち運べないような曲だったのに、今はもたれかかっても大丈夫だと思う、同じ強さで押し返してくれる。
「大事にする」っていうのは、自分がどんなふうに大事にしたいかを、考え続けるってことなのかもしれない。お、なんか答えめいたものが出てきたぞ。
「大事にする」に型はないので、大事にする人とその対象の組み合わせによって無限にその方法があり、無限にあるということはつまり「その大事のしかたは間違ってる」とかは、誰にも言えないってことだ。でも対象に意思がある場合は「その大事のしかたは望んでいない」とか「このように大事にしてほしい」とか言われる場合もある。そういう時は聞き入れて、全部じゃないにしても受け入れて、調整が要るけど、でもまずは自発的に自分がどのように大事にしたいかを考えるところからしか「大事にする」は始まらない。お、なんか答えめいたものが出てきたな。
答えめいたものはただ「めいたもの」でしかなく、決して答えではないので、一旦暫定答えボックスにぶち込み、私は適当な蕎麦屋で蕎麦を食べて帰った。これ以上考えていると、この電車は姫路まで行ってしまう。一番好きな食べ物、蕎麦かもしれんなぁ。
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