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nightdiving

2022年11月25日 (金) 21:09

uncategorized

ドラマ「silent」を観ていたら、ラブストーリーはディスコミュニケーションからしか生まれ得ないのか、とふいに思い、いやでもそれはフィクションの中だけかも、と思い直した。私がノンフィクションのラブストーリーに触れる機会があまりにも減りすぎているから、そんなことを思うのかもしれない。
あと本当に「ラブストーリーはディスコミュニケーションからしか生まれ得ない」のだとしたら、もう私の人生にラブストーリー生まれないんじゃないの…?という気持ちにもなる。だってディスコミュニケーションやなんだもん。……ま、起こったらどうせ抗えないのだから、私が何を考えようが、どのようなスタンスでいようが、全く無意味だけども。

ドラマ「silent」、おもしろいけど結構粗いな~とも思うし、脚本てほんとに難しいものなんだな、と思う。なんか、書きたいこととか言わせたいこととかがたくさんあるんだろうな。脚本家が知らない方だったので、調べてみたら結構若い人だった。頑張ってるんだな、頑張ってほしい。

手話って手話以外では遮れない感じがあって、かっこいいなと思う。声で喋ってるのは、だって、手話で遮れるでしょう。たぶん、私がワーって喋ってて、手話で喋る人がそれを遮ってきたら、私喋れなくなるもんな、手を、見ちゃうと思う。「歌ってる人を撃てない」の感じと似ている気がする。

寒くなってきたし、推しの入隊のニュースが入ってきて心臓が痛い。情緒がグチャグチャだが、これは解決しないものなので、あたたかくしてきちんと食べ、元気に過ごそうと思う。寒くしているのと、おなかが空いているのが一番だめなんだよ、と思いながら年末に実家で食べるための鴨肉を注文した。あたたかくしてきちんと食べ、元気に過ごそうと思う。

was loved

2022年11月16日 (水) 20:34

uncategorized

来年、祖父の10回忌だ。法事の日付が決まったので「空けといてな」と父が言った。
もう10年になるのか。あれからもう10年も。義妹や甥たちは祖父に会ったことがないということも、なんだか不思議な感じする。

祖父が死んだ日のことは覚えているが、記憶は断片的だ。6年住んだ東京を離れ、神戸の実家に戻った年だった。私は市内の会社で働きはじめ、両親と、同じく実家に戻ってきていた弟と暮らしていた。姉は入れ違いで一人暮らしを始めた頃だった。
夜、病院からの電話に出たのは弟だった。私はベッドにいたがまだ起きていたし、この時間に鳴る固定電話が「良い知らせ」を持ってこないことも知っていた。弟の受け答えの様子だけで、誰から、何の連絡かも分かった。
病院に文字通り“駆け付けた”私たちを“待ってくれていた”かのように、祖父は亡くなった。誰かの何かを追体験しているようで、違和感があった。現実に起きていることなのか?とも思った。だって最後に会った日、祖父は歩けたし、話せたし、笑っていたし、家で一緒にお寿司を食べたのだ。

祖母があんなに泣くのを、あの日初めて見たと思う。待合室の床に座り込んだ私のお腹のあたりにしがみつくようにして、祖母は泣いた。私は祖母のあたたかい背中をさすりながら「私の体温が高いの、おばあちゃん譲りなんかも」と、場違いなことを考えていた。

お通夜や葬儀はやることがたくさんあって忙しいものなんだな、と思った。「悲しい」が腹落ちするまではまだ時間が必要だと思うのに、誰も、何も待ってくれない。私は孫だから、何をやるというわけではなかったし、祖母や両親や叔母のほうが慌ただしくしていたが、それでも「こんなに決めること多いんやな」という感じがした。ゆっくり悲しむ暇はなかった。……「ゆっくり悲しむ」ってのもなんか変な言葉やけど…
葬儀場の横の控室でようやく家族だけになったとき、祖父の棺の前で弟がわんわん泣いた。「ずっと泣きたかったのに」と言った。

葬儀には私の知らない人たちがたくさん来てくれた。祖父は友人の多い人だったのだ、知らなかった。祖父の死自体は悲しいが、私の知らない祖父の顔を知っている人たちに会えたことは嬉しかった。カラオケ教室で一緒だというおばあちゃんたちが「お孫さんがいるって聞いてたから、会えてうれしいわ」「泣かないで、気を落とさないでね」と言ってくれた。

もう10年になるのか。あれからもう10年も。
父が「10回忌が済んだら次は20回忌やからな、覚えといてよ。まぁ20年なら父さんもまだおると思うけど……分からんからな、こればっかりは」と言うので、私は「そらそうやな」と言いながらGoogleカレンダーを開き、2033年にリマインダーを埋めた。2033年、私は45歳だ。うーん、あんまり変わってなさそう、と私が言ったら「体力は落ちる」とのこと。なるほど、それはそうでしょうね。……散歩だけではあかんやろなぁ。なんかスポーツ……やったほうが良いけどね。好きじゃなくて。ははは。

同時に、両親と過ごせるのだって、もうあと何十年も残ってはいないのだな、と思う。今はふたりとも大きな病気もせず元気でいてくれているけど、一緒にごはんを食べてお酒を飲んだり、旅行にいったり出来る時間は、もうそんなに多く残されてはいないだろう。私がひとつ年を取るのと全く同じ分だけ、父も母も年を取るのだ。
こんなこと言うてても仕方ないけどね。でも嫌やな。はーーー嫌。来年家族全員でキャンプ行きたいな、お姉ちゃんと計画しよう。

どれ

2022年11月8日 (火) 20:58

音楽のはなし

渋谷すばるさんのライブへ行ってきた。友人が関ジャニデビュー前からのファンで、その付き添いだ。
とは言え友人も関ジャニデビュー直後くらいまでの期間を熱心に追っていて、近年の活動については詳しくないらしい。当時は握手会に行ったりもしていたそうだ。「渋谷すばる、今ライブやってるみたいやねんけど、ひとりで行くの嫌やしさぁ〜」と言うので、じゃあ一緒に行こうよ、と言ってチケットを買った。私は基本的に誰のライブも観たい。
ひとりでライブ行くのが嫌でライブに行けない人、ぜひ私を誘ってください。私は基本的に誰のライブでも観たいし、自分のチケット代は自分で払います。

ライブに来ている渋谷すばるさんのファンは、若くても20代後半ぐらいから大体40代ぐらいまでの女性がメインの客層で、夫婦やカップルで来ている人も多い感じがした。男性も思ったよりは多かった。
私は予習として2~3枚ぐらいアルバムを聴いてからライブに行ったので、知っている曲もたくさんやってくれたし、キーボードと渋谷すばる/ギターと渋谷すばる/ベースと渋谷すばる/ドラムと渋谷すばるとギター、みたいな2人ずつで演奏するアレンジがされている楽曲もあったりして興味深かった。私が単に音数が少ないバンドが好みってこともあるけど、ドラムとギターボーカルでふたりの編成とかおもしろいよね。全然関係ないけど初期ストレイテナー(ホリエ中山期)のことを思い出して懐かしい気持ちにもなった。
何より私は「味園ユニバース」を観ていたし、当時「古い日記」を歌う彼を見てギョッとしたのを覚えている。こ、この人こんな、ノーガード戦法みたいな歌をうたう人なの?と思ったし感動した。歌をうたっている人だけが纏うヴェールみたいなものが見えた。

渋谷すばるさんは彼が好きな音楽・影響を受けた音楽を、本人に聞かずとも7~8個スラスラぐらい挙げられるぐらいには音楽性が明瞭だった。華美でなく硬派なデザインのステージセットや、本人の立ち姿から、十二分にそれが伝わった。なるほど、これがやりたかったのね。そうかそうか。それで今、2年目なのね。そうか、なるほどな。
……これは関ジャニにいたままで、出来なかったんだろうか。そんな単純な話じゃないだろうか……でも、私は関ジャニをそんなに熱心に追ってはいないけど、でもさ、関ジャムで見る限り、関ジャニは良いバンドだなぁと思うけど、うーーーーん。土俵を変えたかった、ということなんだろうか。うーーーん、分からんな。

今はグループで活動する人を応援しているファンの気持ちが少なからず分かるので、私もファンとしてのいろんな感情が理解できる気がする。ずっとメンバーみんな一緒にいてほしくて、変わらない関係性でいてほしくて、ずっと仲良しでいてほしいが、当たり前に全員別の人間だから、うまくいかないときがあって、だんだん気持ちが同じ方を向かなくなるときがあって、努力や譲歩がいつでもうまく機能するわけではなくて、その末に別離があることもあるのだ。それでも舞台に上がってくれるなら応援したいし、好きなことを好きなようにやって、それを見せてくれたら嬉しいし、でも本当はそんなこと全部どうだってよくて、あなたが幸せで健康でいてさえくれれば、あとはどうだっていいよ、と思うでしょう。わかる、わかるよ……!!!(大号泣)

帰り道、キムナムジュンが言った「アイドルというシステムは人間を成長させない」という言葉とその意味について考えた。私は彼の言う「アイドルというシステム」を経験していないので実態は当然分からないが、それでも10代から20代までの自分自身がどのように生きてきたかは自分で知っているので、なんとなくその差異は分かる気がする。例えば「学校というシステム」が人間を成長させるかどうかは甚だ疑問ではあるが、自分にかけられる時間の量で言えば「アイドルというシステム」より遥かに多いんじゃないかと思う。「行かない」という選択肢だって、あるにはあるもんな、学校は。アイドルにそういう選択肢はないだろう、だって仕事だから。
大小さまざまな選択肢の多さは、精神的な身軽さにも繋がると思う。成長とは何かを端的に言うのは難しいが、少なくとも身軽であることは必要なんじゃないか。挑戦したり、失敗したりして、それでもまだ挽回できる、やり直せる、と思える程度の精神的身軽さは、成長に必要だろうと思う。

つーかその渦中にいてなお「アイドルというシステムは人間を成長させない」と言語化できるの、並大抵のことじゃないなと思うけどね。それほどまでに聡明なナムジュンが「成長できない」と感じているんだとしたら、なるほどそれは由々しき事態ですね、とも思う。

ま、渋谷すばるさんのことに私みたいな門外漢が口を出せるようなことなど何もないのだが、でもどうか幸せでいてほしいな。あんなにも「ただ音楽が好きなだけの人」が、幸せに生きられる世であってほしい。

있었어

2022年11月1日 (火) 21:29

uncategorized

歩きながら考えごとをしていると私の意志と関係なく急に思考がまとまり始め(いやまとまってはいない、かたまって、というか)、そこで家に着いたから一気に書いたのが前記事なのだが、後から誤字脱字衍字を直したりしていたら、さらに補足したり整えたりしたくなって、そうすると当然どんどん長くなり、読み返すと一気に書いたやつの方が良かったので、結局全部元に戻した。書いたのも私なら「一気に書いたやつの方が良かった」も私の感覚だが、私以外の視点や意見が入る余地がないことがこの場の良いところなんじゃないか、という気もする。私はあまり時間をかけずにワーッと一気に書いたものの方が、好きなのかもしれない。思い切りの足りない性格だからなぁ。「どっかで終わりにせんと」と意識せん限り、ずっと同じのをこね続けてるもんなぁ。もはや「何を書くか」よりも「何を書かないか」に目を向けて意識的に書くほうがおもしろそう、と思ってもいる。全部書くほうがラクで、終わらせないほうがラクだからだ。ラクをしているといずれ楽しくなくなってくる。
もしくは1週間か1ヶ月、一度も終わらない文章を書くのも良いかもしれない。

風邪を引いたり腰を痛めたりしていたので部屋の掃除ができず、これがかなりストレスになっていたと、終わってから気づいた。家中を掃除し、ベランダに溜まった落ち葉を掃き、窓と網戸を拭き、夏用の上掛けと冬用のひざ掛けをちょっと良い柔軟剤で洗い、はぁ疲れた、と床に横になったら、驚くほど精神的にすっきりした。なおかつ、私が暮らす家は「半日かければ大体すっきり掃除できるサイズ」で留めておく必要があるな、とも思った。これ以上のサイズになると厳しいんじゃないか、と思う。
観葉植物もまとめて手入れし、水やりをした。ベランダにはもう少し植物を増やしたい気持ちもあるけど、どうせ来年はマンションの修繕工事があるし、それが終わってからの方が良いだろう。

10月28日に公開されたジンくんのソロ曲にまつわるコンテンツのすべてが涙腺を刺激し、もう何がどうなって泣いているのか自分でも分からない。曲を聴いては泣き、MVを観ては泣き、アルゼンチンでのパフォーマンスを観ては泣き、月を見ては泣いている。ジンくんがかっこよくて、かわいくて、美しくて、誇らしいし、最高だし、どこにも行ってほしくないし、元気で待ってるから元気で行ってきてほしいし、長いこと振り回されてきてかわいそうだし、そんな目に遭わなければならなかったのが気の毒だし、リアルタイムで一緒に怒ってあげたかったし、何の支えにもなれなかったのが悔しいし、情けないし、こんなこと言ってるのは傲慢で恥ずかしいし、伝わっているか不安だし、理解できているか不安だし、全部が本当の気持ちだし、ぐちゃぐちゃだ。でもジンくんが最後まで泣かなかったのに、「いいところだけ見せたい」と言ってくれたのに、実際にそうしてくれたのに、だから私が泣くのは違うだろうと思うのに、写真1枚見るだけで涙が出て来る。ヴォルデモートのようだった兵役の話(上手い言い回しだな、と思う)に散々振り回されて、あげく寒いのが何より苦手なのに、彼は冬に発つのだそうだ。もううんざりだよ、これっきりだ、と言われてもおかしくないとずっと覚悟していたのに、最後に「and I love you」と歌って、ピンクのマイクをキラリとさせて、彼はステージを降りた。2年グループを離れるから、しばしお別れの曲なんだそうだ。ありがとうジンくん、だいすきだよ。
会ったことも直接見たことすらない人をこんなに好きになり、その人にこんなに「愛されてる」と思うのは初めてのことだと思う。泣くようなことは何も起きていない、私たちはファンで在る限り愛されているし、怒っていたことも悲しかったことも言いにくいことも、なぜもっと早く言えなかったかも、ジンくんは全部話してくれた、うれしくてホッとしているのに、ただひたすら涙が出る。涙って感情が高まると出るものなんだったな~ワッハッハ!と思いながら、もうそのままにしている。悲しいんじゃなくて、好きだから泣いているだけだ。2025年までどうせ時間はあるのだし、泣けるだけ泣いとけばいいや。

アイラブロックンロール

2022年10月31日 (月) 21:18

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9月に出ていたらしいweezerの秋盤を聴きながら「おばさんになったなぁ、私」と思った。叔母さんではない、歳を取ったな、という意味の「おばさん」だ。
今さら何を言っているのか、と我ながら思う。30歳を過ぎてまもなく4年になるのだ、しっかりおばさんだよ。そういう話じゃなくてさ、weezer聴いて安心してるこの感じがよ、おばさんになったんだなって……

ボカロ文脈の音楽に心底心酔できない。ボカロ文化そのものの黎明期に、世代的にはしっかり居合わせたのに、隣の村の祭りを見るように過ごしたのが原因だ。後悔などはないものの、もしあの祭りに身体ごと参加していたら、私はもっと、例えば米津玄師の良さを、身体ごと理解できただろう。

ヒップホップ文脈の音楽にも、心底心酔できない。私がヒップホップを認識したのは「8mile」のエミネム辺りだし、アメリカだけじゃなくて日本にもストリート(物理的な意味でなく)があると芯から理解できたのはそのもっと後、2008年頃のことだ。遅い。

日本のポップス文化にはご縁がなかった。単にご縁がなかった。いつも何故か「みんな」に私が含まれていない、物理的に村を追放されたり田舎に追いやられたりはしていないのに、私はいつだって「みんな」の外に居る、なんかおかしい、なにが原因だ?なぜ私は「みんな」に入れないのだ、なぜ「みんな」の居る方を私は選べないのだ、などとグチャグチャ考えているうちに、ポップス文化に肩まで浸かる機会を逃してしまった。そのころ私はカール・オルフやプロコフィエフ、マスカーニやホルストと毎日を過ごしたが、あれはあれで、必要な音楽体験だったと思う。

結局私が貪るようにその肉を喰らい、骨をしゃぶって血を啜った音楽は、ロックだけだったのだ。ロックは私を「みんな」に入れてはくれなかったが、「みんな」の外にいるのは別にお前だけじゃないと教えてくれた。
私が思うほど「みんな」って無いんだな、と気づくのはもっと後のことだ。「みんな」に見えたものが、今はもう見えない。なんで在るように見えたんだろう。幻覚だったのかな。今も在るんだろうか。私に見えないだけだろうか。

ロックはもう、流行らないだろう。今後もどんどん懐メロみたいなにおいを発して、次第に古典になるはずだ。そのことを嘆く気持ちはない。ただ事実として、そう思う。

Spotifyを開き、右手でスクロールしながら、一生かけても聞ききれないほどある音楽の束を思う。そのことのありがたさと、同量の絶望とを感じる。何聴いて生きようかな。たくさんあってうれしいよ。

調味料の代替不可能性についての個人的見解

2022年10月27日 (木) 20:40

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友人から「酒、醤油、みりん、砂糖ってめんつゆで代用できる?」というDMが届き、数分思案した。代用……つまり代わりに用いることが可能か?という質問だ。一瞬「なぜDMで聞いてくるのか」と頭をよぎったが、いや、今そこはいい。別にDMでいいし。

酒、醤油、みりん、砂糖を麺つゆで代用できるだろうか。一旦「大体できる」と返信し、めんつゆの味について考えた。私はここ2年くらいは広島県竹原にある阿波村醤油の醤油・めんつゆ(ほんとうにおいしいが買える場所が無いので勧めにくい)しか使っていないので、直近の市販めんつゆ事情についてはあまり詳しく知らないが、それ以前はスーパーでヤマキやごんべんのめんつゆを買っていた。原材料を熟読した記憶はない。何が入ってるんだろう。

とは言え酒とみりんが入っていないことは確実だ。めんつゆに限らず「料理酒」は「酒」ではないし、スーパーに並んでいるほとんどは「みりん」ではなく「みりん風調味料」だ。めんつゆにだけ律儀に酒とみりんが入っているはずがない。入っていたとしても酒税がかからない程度のアルコールしか入っていない。酒・みりんは14~15%程度はあるから酒税がかかる。

ちなみに私が使っているみりんはスーパーの調味料売場にはなく、酒屋さんにしか売っていない。ある日「一回試しにちゃんと焼酎で仕込んだみりんを買ってみようかな、大して味が分からんかったら本みりんに戻ればいいや」と思い立ち気軽に買ってみたら、案の定戻れなくなったのだ。お吸い物みたいな、シンプルな味付けのものを作ると違いが如実に出てしまう。まぁ値段は、高いけど、でもそんなにドバドバ使うもんでもないしさ……と誰に対してか分からない言い訳しながら、使っている。
私にはこうやって、開けなくてもいいようなパンドラの箱を次々と開けていく悪癖があり、結果どんどん「こだわりのある人」みたいになっていってしまっている。だから家に味噌が7種類、砂糖が9種類もあるのだ。狂人じみている。33歳でこの感じだと、60歳ぐらいの時にはどうなっているんだろう。考え出すと怖くて眠れなくなる。大らかで朗らかなおばあちゃんになりたいのに、全くなれそうにない。

めんつゆに話を戻す。
醤油は確実に入っているはずだ、ベースになる味なんだから。砂糖も確実に入っている。砂糖が入っていないにしても、ぶどう糖果糖液糖とか、そういう系の甘味料が何か入っているはずだ。あとは塩と、かつおか昆布か、とにかく「出汁」になるものを入れるだろう。さすがに醤油を甘く味付けしただけのものをめんつゆとして売るとは考えにくい。自分で作るにしても出汁になるものは必ず入れるもんな……魚介出汁じゃないにしても、椎茸とか、鶏とか鴨とか。あ、鴨出汁のお蕎麦食べたいな。

問題は「酒、醤油、みりん、砂糖を麺つゆで代用できる」と言い切れるかどうか、という点だ。単に味付けという点であれば、代用できると言ってしまって差し支えないと思う。最近のめんつゆは良く出来ているし、不自然に甘かったり、しょっぱすぎたりすることもなく、うどんやそうめんを食べる本来の用途以外にも煮物やおひたしに使える。炊き込みごはんに使っても良いし、加熱しなくても使えるからサーモンや鮪を漬けたり、ゆで卵を漬けてもいい。万能調味料だと思う。
が、酒とみりんの代わりができるか、と問われたら、これは「できる」とは言い切れない。酒とみりんの仕事は味だけじゃないからだ。
酒・みりんはどちらも米をベースにし、麹で発酵させて作る。どちらも材料、もしくは発酵の過程で発生するアルコールが含まれるので、食材に味が浸透しやすい、肉を柔らかくする、臭みを消す、煮崩れを防ぐ、照りを出す、などの良い効果がたくさんある。味で言うと酒にもみりんにも塩味・甘味があるが、それだけでなくアミノ酸が含まれている。これはうま味、という扱いになると思う。うま味を補う何かはめんつゆにも入れてあるはずだが、アルコールが含まれていない以上「完全に代用できる」とは言い切れない。

ここまできちんと順を追って説明すべきか、と悩んだが、たぶん、求められていない気がする。友人の質問は単に「塩胡椒で肉に味付けする以外の調味料は何かないのか?」ぐらいの温度感だし「酒、醤油、みりん、砂糖をぜんぶ買うのは少し面倒だな」と思っている段階なのだ。ここで酒とみりんの効果について長々と説明することに、なんの意味があるだろう。「なんか知らんけどうるっせぇーな」と思われるだけだ。やめとこう。
私は「めんつゆはメーカーによって味もかなり違うから、好みのを探してみてね」と言うに留め、酒・みりんの長々とした蘊蓄は自分の胸に仕舞った。

ってか自炊しない人の家って醤油と砂糖もないの?酒とみりんは無いだろうと思うけど、醤油と砂糖もない???少なくとも醤油はあると思っていた。逆にマヨネーズ・ケチャップ・ソース、の方がある?自炊しない人、家にある調味料を教えてほしい。とっても気になる。

牛乳を注ぐ

2022年10月26日 (水) 20:39

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7月から、またシルクスクリーンをやっている。先月久しぶりに総柄・2色刷りをやったらたいした枚数刷ってないのに、11時に開始して18時までかかった。14時頃におにぎりをひとつ食べたとき以外はずっと立っていたので脚・腰・肩が順に死んだ。夜は友人と焼肉を食べたが「いま酒を飲んだらブッ倒れるかもしれん」という危機感が生まれ、烏龍茶に留めた。焼肉はおいしい。

総柄はしんどい。位置合わせもしんどいが、2色刷りにした場合、1枚の布に計8回刷ることになるので、ミスが怖い。7回目までうまくいっていても、8回目でミスれば全部が台無しになるからだ。今回は布で総柄・2色刷りだったので位置合わせもかなり難しかった。紙に比べて布は引っ張れば伸びるし、緩めたまま刷ることだって出来る。1版目がずれたり歪んだりした場合、2版目はどうやったって合わない。版ズレは個人的にはかわいいと思うしシルクスクリーンの魅力のひとつだけど、限度がある。

作業場がもう少し家から近いと良いのに。工房があると言えばあるけど、そこは半日しか使えないし、料金形態がいまいち分からない。製版の費用も含まれてるならこっちの方が安いし、大きいサイズのものを作りやすいけどなぁ……予約が電話でしか出来ないのと、版下を自分で作らないといけないのもまぁまぁハードルが高い。版下は家で刷れん。キンコーズでやったらええんかな。まぁ一回やってみてもいいか。

数年ぶりにオンラインショップも開けた。売れるとは思っていないし売れても利益は出ないが「刷ったものをどうするか問題」がずっとあって、まぁ売るのが一番、なんというか素直なルートだからだ。私は私の作っているものが本当にかわいいと思っているし、自分でかわいいと思えるように作っているんだから当たり前なんだが、これを「人が買うもの」だとは基本的に思っていない。欲しいと思ってくれる人はいるけど「欲しい」と「買う」は別ものだと思う。というか「かわいい」と「欲しい」と「買う」はどれも全然イコールじゃないと思う。「かわいくて欲しいけど買わないもの」は街に溢れかえっているし「かわいくないし欲しくないけど買ったもの」なんか家に山ほどある。
が、こういうことを言うと卑屈になっている・卑下している、みたいな感じになってしまって、それも違う。こういうの書かんかったらええんやろな。ま、えっかどうでも。

と言っている間に、件の総柄・2色刷りスカーフは残り1点になった。商品を増やさないとなぁ。次はくまちゃん柄の半てぬぐいを作りたい。

2022年10月17日 (月) 20:28

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甥2はいまだに私に会うと「のんちゃんいや!」「あっちいって!」「いや!」と騒ぐのだが、1時間ほどすると慣れ、平気な顔をして近づいてくるし、膝に乗ってくるし、「のんちゃん、あのさぁ」と親し気に話しかけてくる。最初の拒絶なんやねん。嫌なんちゃうんかい。
甥1も3歳くらいの頃はまだ私に対して人見知りしていたけど、こんなふうにハッキリ「あっちいって!」とは言わなかった。物理的に距離を取り、こちらの様子を伺う程度で、口に出して拒絶することはなかった。
別にどちらが良いとかいうものでもなく、単純に性質の問題なんだろうな、と思う。これから20~30年かけて性格が形成されるとは言え、性質はまた別のものなんだ、と何度も気づく。おもしろいね。
甥たちは従兄弟の子たちや友人の子たちに比べて、めちゃくちゃ関西弁でしゃべるので、それもおもしろい。アニメや動画サイトの影響なのか、最近は標準語で話す子どもが増えたように思うけど、甥たちは私が笑ってしまうくらいゴリゴリの関西弁だ。「こんなんあかんわ」とか言うし。かわいい。

急に寒くなってしまって困っている。布団が無いからだ。ベッドを買い替えたときにシングルサイズの布団はもう要らないので、実家に引き取ってもらったが(つーか元々実家から持ってきた布団だった、私は自分で布団を買ったことが無い)、夏だったので布団を買うのは後回しにしていた。こんな急に寒くなると思ってなかった。今は夏掛けのワッフルケットの上に毛布を重ねて寝ている。毎晩「なにこのへんな寝具」と思うので、早く布団を買ったほうが良い。

ドライヤーも買い替えないといけない。風力が弱まっているからだ。いつ買ったか覚えてないけど、たぶん引越しの時に買ったはずだから、まだ3年くらいしか使ってないはずなのに。風力が弱まっているわりに温度がめちゃくちゃ上がるのはどういう理屈なんだろう。でも安かったしなぁ……次はもうちょっと良いやつを買って10年くらい使いたい。

「水星でも逆行しとんか?」と思うほど、懐かしい友人から立て続けに連絡が来て嬉しい。水星が逆行すると復縁したり、旧友と偶然会ったり、そういう「過去に戻るようなこと」が起きがちらしい。今調べたら今は特に逆行してないようです。ははは、水星のせいにしようと思ったけど違った。
私は高校生のときから携帯電話の番号を一度も変えていないし、SNSもすべて本名でやっているから、比較的見つけやすく連絡を取りやすい生き物だと自覚しているけど、それにしたって10数年会っていない私に不意に連絡をくれるのはありがたいことだ。私は「元気かなぁ~元気にしてるといいなぁ~」と思うのが関の山で、距離的に会うのが難しい人に対しては「まぁまたいつか、縁があれば会えるだろう」ぐらいの感じでやっていて、会える距離にいる人は「ごはん食べん?」とLINEするぐらいの感じでやっている。
友人は私が昔好きだった男がカラオケに行くとよく「熱帯夜(リップスライム)」を歌っていた話をしてくれて、全方位のなつかしさで泣いている。

おやすみマーフィー

2022年10月3日 (月) 20:56

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21時前だというのに気絶するほど眠い。昨日あまり深く寝られなかったからだろうか。夢を見たせいだ。夢の中で、私はなぜか社会人オーケストラみたいなところに所属しており、なぜかソロパートのオーディションみたいなことをさせられていた。夢なので楽譜は初見だし、そもそも楽器を持つのだって数年ぶりだ。オケのメンバーは知らない人ばかりだったが全員悪意に満ちており、私の拙い演奏にクスクス笑い、聞こえる声量で「ヘタじゃない?」「わきまえろよ」と口々に意地悪を言った。悔しくて泣きながら目が覚めた。そりゃヘタやろうよ、練習してないもん、音出しぐらいさせてくれても良くない?あと楽譜が初見やねんけど、ってか何あの曲、全然知らん曲やし、転調が多すぎるし、私ソロやりたいなんて言うてへんし、っつーか「わきまえろ」てなんやねん、誰やあいつ、もっぺん言うてみろや。ゆ、夢か……何いまの夢……つらかった……

京都でライブの時は1時間半の距離を帰るのが億劫で、いつも泊まりにしている。時間も遅くなるし寝るだけだから、大抵はカプセルホテルに泊まるけど、たまにはちょっと良いところに泊まろうかと思い、3倍くらいの値段のところを予約した。朝ごはんも付いている。3倍と言ってもカプセルホテルの3倍だし、朝ごはんが付いているのだから全然高くはないけども……ベッドはキングサイズで横幅は200cmもあった。しかもJBLのスピーカーが置いてある。うれしくてCSSの「Music Is My Hot Hot Sex」を爆音でかけた。ミュージックイズマイキングサイズベッド。さすがに爆音すぎるかと思ったけど、元々設定してあったボリュームがこれなんだから、たぶん大丈夫なんだろう。苦情があればフロントから連絡が来るだろうし。
広いベッドがうれしくて、斜めに寝転がって眠くなるまで本を読んだ。今読んでいる本は胸糞悪い感じの小説なので、情緒が無茶苦茶になる。

朝ごはんは離れにある古民家で、まずはお出汁を飲むような和朝食を食べた。羽釜で炊いたごはんがおいしい。おかずは小松菜のもみじ和えに梨が入っていたのがおいしかった。「もみじ和えて何やろ」と思っていたが、たぶんにんじんをすったやつと胡麻をすったやつで和えてあった。梨は食感も良いし、ほんのりした甘さも合うし、季節感もあって良いなぁ。
ただ、だし巻きたまごは姉が作ったやつの方がおいしいと思う。というか私は姉が作っただし巻きたまごが好きすぎるのだ。姉は焼酎バーで働いていたときにマスターに教わっていて、だし巻きたまごがめちゃくちゃおいしい。私はどこでだし巻きたまごを食べても「いや、姉が作ったやつの方がおいしいな」と思っている。もちろん口には出さないが。
京都でだし巻きたまごなら、丸太町の十二段家がおいしい。……姉のと同じくらい。

ライブはアナログフィッシュの企画ライブ「ジョントポール」で、これはボーカルが2人いるアナログフィッシュならではのおもしろい企画だ。通常は2人の曲を合わせてセットリストを構成するところを「ジョントポール」では下岡回・佐々木回に分けて演奏する。下岡回のライブでは下岡晃の曲だけを、佐々木回のライブでは佐々木健太郎の曲だけを演奏するのだ。通し券も売っている。
嘘みたいな話だが「ジョントポール」は16年ぶりらしい。16年。
ライブは下岡バンド・佐々木バンドともに、とても良かった。下岡回は3曲も新曲をやってくれて、うれしくてソワソワした。新曲が出来ていることもうれしいし、それを聴けることもうれしいし、私が初めてこの曲を聴いたのが今なんだ、と思うのもうれしい。州ちゃんがメインボーカルをやってくれる曲もあって、とにかく贅沢な時間だった。佐々木回は終盤に「パワーーーー!!!!」みたいな楽曲を畳み掛けるような構成になっていて、かっこよすぎて笑ってしまった。かっこよすぎると笑ってしまう。
Ryo Hamamotoは演奏中、私にはよく分からないタイミングで膝をつく(膝をつく、って意味わからんけど、他になんて表現したらええねん、膝を折る?)のだけど、あれがよく分からないけどすごくかっこいい。真似したい(出来ない)。

翌日、想定したより気温が高くて暑いし、もう帰ろうかな、と思ったものの、しっかり朝ごはんを食べたから元気が出てきて、アンディ・ウォーホル展を見に行くことにした。
美術館は想定の5倍混んでいて、しかも写真を撮っていいことになっていたから絶えずスマホのシャッター音がしていた。困ったことになった。まず、私は混んでいる美術館が心底嫌いだ。次点で写真を撮っていいことになっている美術館が本当に嫌いだ。昔は美術館で写真を撮るなんて、無かったと思う、いつからこんなことになったんだろう。最悪だ。2200円も払ったのに、もう帰りたい。
とりあえず入場を時間制で分けているようだったし、さして会場も広くないようだったので、ある程度人が捌けるのを待つことにした。とはいえ再入場は出来ないから、館内で待つしかない。どデカい迷彩柄の作品の前にベンチが置いてあったので、そこに座って20分くらいどデカい迷彩柄の作品を眺めた。でかい。どうやって刷ったんだろう。どデカい迷彩柄の作品は、後で確認したら高さが2m、幅が10mだった。でかい。どこで制作したんだろう。ウォーホルは人をたくさん雇ってたみたいだから、本人は刷ってないかもしれない。
ある程度人が捌けたら、空いている作品群を飛び石のように見た。ウォーホルの作品はMoMAで見た以来で久しぶりだ。写真の作品がかわいくて良かった。ドローイングをもっとたくさん見たかったな、というか作品点数が少なかった気がする。プレスリーのはMoMAで見たやつと同じなんだろうか。シルクスクリーン作品だから、同じに見えるけど違うやつかもしれない。
ウォーホルの作品は版さえ上手く似せれば、私もほぼ同じものを作れる(私だけでなく、全人類が作れる)が、それはもう出来ない、というところがウォーホルのすごいところだ。発明だからだ。ウォーホルは「ウォーホルっぽさ」を発明したから、後からこれをやるとみんな「ウォーホルっぽい」ものしか作れない。
ウォーホルは色彩感覚が陰キャっぽくて好きだ。ポップで明るい雰囲気のものを作る人が、ポップで明るい人なわけがない、と思う。

阪急電車に乗って梅田で降り、豆花を食べてから帰宅、帰宅後はオンラインショップの受注分を梱包して発送した。梱包、もうすこし効率よく、見た目よくやりたい。ギフト対応もできるようにしたらいいんじゃないかな、箱探そう。
数年ぶりにオンラインショップを開けましたので、よかったらどうぞ。とは言え今は1商品しかなくて、その在庫も無くなりかけています。が、増やす気でいます。https://tanakanozomi.stores.jp/

ただかわいいだけ

2022年9月30日 (金) 21:27

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かわいくて、めちゃくちゃ欲しくて、とは言え生活に必ず要るものでない場合、簡単には買えない。値段が高ければなおのことだ。

アレッシィ(というイタリアのブランド)のケトルを何かのインテリア雑誌で見かけたとき、あまりのかわいさに、ページを千切って持って帰ろうかと思った。場所は通っていた高校から一番近い本屋で、雑誌は売り物だったので、もちろん千切りはしなかった。その時の私は高校生で、雑誌を買うお金すらないのに、インテリア雑誌に載っているケトルなんか、買えるはずもなかった。
数年後、そのケトルのことをふいに思いだし、すぐデザイナーを調べた。デザイナーはアルド・ロッシ、建築家だった。日本にもいくつか設計した建物があるようだ。
雑誌の中ではわりと高齢の女性の家のキッチンに置かれており、長く使い込んだような経年変化も含めて素敵だった。私は基本的に、デザインが良くて丈夫な物・質の良い物を長く使うのが好きだ。ただし「機能的でなくてもべつに良い」とも思っていて、自分ではそのあたりに、私らしさを感じたりもする。理由はわからないが。

が、ケトルは3万円だった。3万円。湯を沸かすだけの道具が。高い。ヤカンに水を入れてコンロにかけ、湯を沸かしてる人間なんて、もはや少数派なんじゃないのか。いまどき電気ケトルだって3万もせずに買えるはずだ。でもかわいい。欲しい。もう高校生じゃないから3万円は「払える金額」だ。でもケトルだぞ、「3万円が払えるかどうか」は今あまり関係ない。
円錐形のすっきりしたデザインは、建築家が設計した建築物と同様に、整然としているように見えるが、全体のバランスや注ぎ口の角度、取っ手の大胆さは感性的でもある。うわーん、超かわいい。超欲しい。私の家のキッチンに、あのケトルを置くさまを想像してみる。リンナイのビルトインコンロにも似合うだろう。欲しい。
でも湯を沸かすだけなら鍋でも良いのだ。「今持っているのが少し小さくてちょっとだけ不便」は、3万円のケトルを買う理由として弱すぎる。一人暮らしを始めるときに母が買ってくれたこの琺瑯のケトルひとつで、もう10年近くやってきたのだから、普通に考えたら今後もこれひとつあればやっていけるはずだ。そもそも3万円あればケトルだけでなく家中の鍋とフライパンを全部買い替えられる。

こうなると毎月「ケトル用貯金」として紙封筒にちまちまと貯金し、数か月経ってもまだ欲しければ買っても良い、という独自ルールを発動するしかない。お店の近くを通ったから、賞与が出たから、などの衝動的な理由で買うことを禁止し、一時的に上がりやすい物欲の、鎮火を待つ作戦だ。ちょっと高いな……と思うものを買うときは大体いつもこの作戦でやってきた。もし鎮火したら「いつもより多く貯金ができたな」で済むし、鎮火しなかった場合は堂々と胸を張って買えばいいのだ、そのために貯金したんだから。

それから4ヶ月ほどの「ケトル用貯金」を経たが、結局ケトル欲は鎮火しなかった。私はにこにこの顔で堂々と胸を張り、梅田へ行った。アレッシィは阪急の7階にある。お目当てのケトルは商品棚のだいぶ上の方にひとつだけ置かれていた。いかにも「意を決してこれを買いに来ました」という雰囲気が溢れ出ていた自覚があり恥ずかしかったが、意を決してこれを買いに来たのは事実なのだから仕方がない。店員さんが「何かお探しですか?」と声をかけてくれるよりも先に「あれをください」と指をさした。

そのときの店員さんは「こちらはアルド・ロッシのデザインでして……いや、ご存じですよね、失礼いたしました」と言っていて、私の「意を決してこれを買いに来ました」感を、何も言わずとも理解してくれているようだった。私は「ずっと欲しかったんです、うれしいです」と答えておいた。私の言う「ずっと」がまさか10年越えとは思っていないだろうけど、店員さんは「そうでしたか、どうもありがとうございます」と言って箱から出したケトルに指紋が付いたりしないよう、白い手袋をはめて丁寧に梱包してくれた。水を入れて火にかける鉄なんだから指紋なんか気にしないで良いし、すぐ使うから箱はどうせ捨てるのに、と思う一方、「意を決してこれを買いに来ました」の身としては、丁寧に応対されるとうれしい。

そこから2年経った。アルド・ロッシのイルコニコケトルは、今日も私の家のキッチンでかわいい顔をしている。冬はストーブの上に乗っているが、飽きずに今もずっとかわいい。私は「良い物を買ったなぁ」と、にこにこの顔をしている。

先日、家に遊びに来た友人が「おしゃれなヤカンやなぁ~」と言ってくれたので「そうやねん、めっちゃ高かった、3万もした」と答えたら「えー!めっちゃ高い!でも、やっぱ良いん?すぐ沸くとか?」と聞いてきておもしろかった。確かに、ただ湯を沸かすだけのものが3万円もするんだから「かわいい」だけでは済まされない。「異常に早く沸く」とか「お茶が劇的においしくなる」とか、付加価値的な要素が無いと、その値段はおかしい。そういう考え方もある。
残念ながら(?)このケトルは全部がステンレス製で、火にかけると全体が素手で触れないほど熱くなるのでミトンなしでは使えないし、蓋の部分が小さくて手が入らないので洗うのが面倒だし、茶渋が付いたらきちんと洗い落とせないかもしれないと思うと不安でお湯しか沸かせない。サイズもわりと大きいから置き場所を取る。お湯が沸く速度はあまり気にしていないので正確なことは分からないが、CMでやっているティファールの電気ケトルの方が絶対に早いだろう。すぐ沸く?と聞いてくれる友人の期待には沿えるほどの速度ではないと思う。

私は友人に「ううん、ただかわいいだけ」と答え、話題は別のことに移った。
ただかわいいだけのケトルで、私は今日もただ湯を沸かし、良い物を買ったなぁと、にこにこの顔をしている。

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