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23時就寝
2022年6月1日 (水) 21:50
私自身は結婚もしていないというのに不倫の相談を受けることがあり、毎度不思議だなと思う。年齢的に不倫しやすい年代に差し掛かっている、ということなんだろうか。なんだよ「不倫しやすい年代」って。でも20代のとき、誰も不倫なんかしてなかったと思うけど……
私は不倫は経験がないが、話を聞く限り「家庭はもうとっくに破綻してるから」「妻(夫)のことはもう愛していないから」などの呪文のような常套句によって関係を開始し、そのまま関係を維持しているケースが多いっぽい。恋愛と結婚と生活はどれも人間が人間同士でやることなので、それなりに連携したり連動したりはしているものの、いずれも別物なのだな、と思う。結婚によって恋愛が終わるケースもあるし、恋愛がうまくいく相手と生活もうまくいくかどうかはまた別の話だ。
と、エラそうに達観したようなことを言っているけど私は今現在、前述の3つのうち「生活」しかやってないので、何も知らんけどな!不倫のご相談はご自由にしていただいて構わないが、すべての終着点が「知らんけど」なのを許してほしい。だってまじで知らんもん。つーか不倫自体も当事者だけで完結して誰も傷つかないなら自由にやれば良いんじゃないの、と思うけど「当事者だけで完結して誰も傷つけない不倫」をフィクション・ノンフィクションを問わず見たことがないので、無理なんだと思う。
とはいうものの「30過ぎて白馬の王子様を待つなよ、もう来んから、わかるやろいい加減」と早口で言いながら、あぁこれ自分で自分に言ってるなぁ~と思ったりもしている。深夜の電話はいろんな感情を鋭角に抉るので楽しいけど危険ですね。
私に王子様は来ないし、そのことを嘆くには私は「大丈夫すぎる」気がする。そもそも舞踏会に出かけて行ってガラスの靴を落として帰ってくるようなセンスも技量もないくせに、どうやって見つけてもらおうというのか。無茶言うなよ。嘆くラインに達してないよ。
嘆かないなら屋根裏部屋でただジッとしてるのもアレだし、ガラスの靴は歩きにくそうだし、好きなスニーカー履いて生きるほうが楽しいだろう。カボチャの馬車は用意されないけど、でも自転車は150円で借りられるし電動アシストだって付いているのだ。どこへでも行けるぞ。
Pier No.5
2022年5月30日 (月) 21:09
先日、ミニマル/コンセプチュアル展を観に、県立美術館へ行ってきた。めちゃくちゃおもしろかった。おもしろすぎて、久しぶりに図録を買った。
私はミニマルアート、コンセプチュアルアートのどちらにも明るくないので(いや、私は美術や芸術の素養がほとんどないのでこれらに限った話ではないが)、全然理解できんかもしれん、でもまぁそれならそれでいいや「なんも分からんかった~!うわーん!」つって帰ればいいや、と思っていたが、丁寧で的確なキャプションのおかげで、大いに楽しむことができた。ありがたかった。作品そのものだけでなく、ギャラリーで個展をやるまでに交わした手紙や電報、コンセプトを書いたドローイング、作品の指示書(ミニマルアートは作者本人が作らない場合があるので、現場の人間に向けて作品のレシピのようなものを渡す)、個展の案内(デザインが良い)等も展示されていて、見ごたえがあった。
ちなみにコンセプチュアルアートというのは、めっちゃざっくり言うと「誰が物質的に何を作ったか」という成果物そのものよりも、その元となるコンセプトやアイディアの方がおもろいやん!?そっち重視しようや!みたいな考え方のこと、です。起った時代(今から60年前ぐらい、わりと最近)から考えるとカウンターカルチャーっぽい側面があるよなぁと思うけど、どうなんですかね。詳しくは知りませんすみません。
私は世のすべてのものごとに対して基本的には「分からないものを分からないまま置いておきたい」という気持ちがあるし、「私が分かりたいときに分かるから放っておいてくれませんか」という気持ちもあるが、ことコンセプチュアルアートに限ってはそういうわけにもいかない。分からな過ぎて迷子になるからだ。「これはこうやって見るものなんですよ」と親切に手を引いてもらって、私はようやくその作品を見る角度を理解し、作者の意図を理解し、その思考を辿ることが出来るようになる。
とはいえ「こういうコンセプトなんですよ」の範疇を飛び越えて「ほーら、この作品を見て○○○な感情になったでしょ!それが正しい感情でーす!」みたいなところまでをキャプションでやられると、これにはめちゃくちゃ拒否反応を示してしまう。私の感情は私が決めるし、この感情に名前を付けるかどうかすら私が決めるので、黙っていてくれませんか気持ち悪いので、と思うのだ。もちろん潔癖すぎる気もしているが、それを咎められる筋合いもない。……喧嘩腰すぎるね!わはは!怒ってません!
もしくは私が「鋭敏な感性の権化」みたいな人間だったなら、金属の塊を格子状に並べた作品や、数字を羅列してファイリングしてある作品を、ガラスパネル越しにただ見るだけで、何もかもを深く理解することができたんだろうか。もしそういう人間だったら、言葉みたいなツールはとっくに放棄して、もっと人に優しく、穏やかに生きていけたんだろうか。
河原温の作品は「Date painting」を国立国際美術館のコレクションで見たことがあったが、「I Got Up」と「I Am Still Alive」は、今回初めて見た。「Date painting」はその日の日付をその日居た国の言葉で描く、という作品で、「I Got Up」は自分の起床時間をポストカードにスタンプで印字し毎日友人に送る、という作品、「I Am Still Alive」はその名の通り「I Am Still Alive(私はまだ生きている)」と電報を打つ(これも友人宛に)、という作品だ。いずれも制作物自体はスタンプなどの印字された文字であったり、筆跡を消したタッチで描かれているものなので「本人が手で描いた」という観点のみで見れば「価値」はないし、当然あたたかさ・ぬくもりなどは皆無で、そこから感情を読み取るのは難しいし、無機質とも言える。
でも「私はまだ生きている」と、「私は8:04に起きた」と、送らなければならない、もしくは送らずにはいられない感情や、またはそれを送りたいと思い実行するほどの衝動、などを追体験すると、私は胃の底がザワザワとし、奇妙なことだが「いじらしさ」みたいなものを感じて泣いてしまった。古びたポストカードに印字された河原温さんの起床時間を仁王立ちで眺めて泣いている私も、54年後の今をまだ、生きているのだ。
というか「私はまだ生きている」と打った電報が彼の友人に届くまでには時差があり、それが届いた時点でまだ生きているかどうかは分からない、というのもザワザワする。なんなんだよ。なんなんだこのねじれた切迫感は。泣いてる私が頭おかしいのか?うるせぇほっとけ。
美術館を出た後は、埠頭をぐるっと一周して駅へ向かう遠回りのバスに乗り、不味くはないが特別美味くもない蕎麦を食べて家に帰った。
たくさん頭を使って、歩き回ったし、ちょっと泣いたから疲れた。
不思議のシュラフ
2022年5月20日 (金) 21:19
このブログの記事数が900件になっていて驚いている。そんなに?下書きに入れたままのものや、非公開にしているものを合わせると960件だそうだ。たくさん書いたんだなぁ。
続けようと思ったことないのに、こんなに続けられてるってことは、やっぱりなんか書いてるほうが調子良いってことなんだろうな。ほら、毎日ぜったいに歯磨きをするぞ!とか思ってないけど、しちゃうのとおんなじ感じじゃないんかな。だって歯磨きしたほうが気持ちいいやん。
一方、もうやめよう、これで最後にしよう、と思っていることはいくつかあるのに、こちらはそう簡単にはいかない。最近一番よく思っているのは「もうグミ買うのやめよう」であるが、これがなかなかやめられない。ほとんど無意識で買っている日もあるのだ。自分がこわい。最近好きなグミはノーベル製菓さんのペタグーグミです。
「31歳のとき、当時の家賃と同じ金額のワンピースを買った」と言っていたのはジェーン・スーさんだったと思うが、私もついに件の鞄を買いました。買ってやった。知らねぇ知らねぇ!かわいんだもん、ずっとほしかったんだもん!知らねぇ~~~!!!
一度に使う金額としてはなかなかのものなので胃はちょっとキリキリするけれど、貯金を使い果たすほどのことではないのだし、落ち着いていこう、私。住宅ローンの審査が下りるまでの数日を思い出してほしい、胃はもっと終わってたよ。それから、マンションの手付金を現金で持って行くのが怖くて鞄をお腹のあたりに抱きかかえて不動産屋まで歩いたときのことや、欲しい食器棚が世にひとつも見つからなくて家具屋さんにオーダーしたときのことや、迫りくる増税の日から逃げるように買ったダイニングテーブルのことを思い出すんだ、落ち着いていこう。全部君が自分で稼いだお金で買ったものだよ、怖がらなくていいよ。お金はまた稼げばいいじゃないか、がんばって働こう、かわいい鞄が買えてうれしいね、よかったよかった。
つーかベッド先に買ったほうがよかったけどね、まぁいっか。
私、家具めっちゃ好きやのにベッドぜんぜんテンション上がらんのなんなん?と思ったけど、たぶんデザイン的につまらんからやろうな……ベッドがかわいいのって本体じゃなくてベッドリネンの問題やねんよな。
いや、もちろんかわいくて素敵なデザインのベッドもいっぱいあるよ、知ってる、けど私の寝室にそういうベッドは入らへんねん。あと、そういうベッドは下にオフシーズンの服を入れたり、圧縮袋に入れた毛布を収納したり、コールマンのシュラフを隠したりできんねん。
もういっそ壊れるまで使おうかな。
assemble
2022年5月18日 (水) 21:31
昨年末からマーベル作品の履修を開始し、先日ようやく「アベンジャーズ/エンドゲーム」を観終えた。現在は「ドクターストレンジ」の新作が劇場公開されている最中だし、おそらくエンドゲーム後もヒーローの皆さんのお仕事は続いていくのだろうが、私としては一旦履修完了としたい。
「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」ではすげえ強い敵(サノス)にボッコボコにやられてしまい、弊推し(アイアンマン)は心身ともにペッチャンコになり「おいおいおいどないすんねんこれまじかおい」しか言うことがなくなったが、リアルタイム劇場鑑賞スタイルのみなさんはここから「アベンジャーズ/エンドゲーム」が公開されるまで1年待たされたのかと思うと「なんか、大変でしたね、大丈夫でした?なんか飲む?」と声をかけたくなる。大丈夫でしたか?
どうでもいいけどサノスの顎、紅茶花伝のペットボトルの下半分にすごい似てない?映画観る前からずっと思っててんけど、さっき試しにTwitterで検索してみたら結構言われてた。既出でしたか。あと紅茶花伝のボトルもうこの形じゃなくなってる。
もしマーベル作品を履修したいな~とお思いの方は、私のもっちゃん(私のもっちゃんとは)が作成してくれた履修表を置いておきますので長押しで保存するなどして参考にしてください。
個人的に、推しはアイアンマン、仲良くなりたいのはアントマン、仲間に入りたいのはガーディアンズ・オブ・ギャラクシー、住みたいのはワカンダ(ブラックパンサー)、保護したいのはスパイダーマン、もっちゃんの推しはキャプテン・アメリカです。

図書館は荷ほどきのあとで
2022年5月17日 (火) 21:32
久しぶりに長い夢を見た。海外旅行に行く夢だった。いかにも夢みたいな夢だ。海外旅行、行きたい。もはや行き先はどこでも良いから海外に行きたい。夢の中の旅行先は最後までどこの国か分からなかったが、少なくとも英語圏ではないようだった。
空港を出てUBERに乗りホテルに着くと、今はオスロにいるはずの友人が私を待ってくれていて、そのままレストランに入った。一緒に食事をするのかと思いきや、友人は私を座らせたあと店を出て行って戻ってこない。
私はウェイターに朝食セットのようなものを注文し(私は現地のものらしき言葉を話せるらしい、俯瞰でそれを見ている方の私が驚いている、夢はこのように、大体が都合の良い設定で進むのでズルい)そのあとは何か書きものをしている。まわりの人たちはビュッフェスタイルで朝食を取っており、レストランの中央には食べ物が並んでいた。私も自分で取りに行くのか?と思いながら、誰かに聞けばいいのに、長々ぼんやりとしている。
しばらくすると私の向かいの席に初老の男性が座り、たまご料理らしきものを小さいフォークでちまちま食べている。それ、果物とかを食べるフォークじゃないの?フォークというより、ピックに近い。食べにくいでしょう。
ふいに「食べ終えたら図書館に行かないか?」と聞かれる。……え?なに、図書館?図書館か、いいね、いいけど、むしろ行きたいけど、あなたは誰ですか。
夢の中の私は「いいですね、でも荷ほどきをするからその間少し待ってくれますか?」と男性に聞き、彼は「もちろん良いよ、私は全部の服をハンガーにかける派だよ」と言った。気が合うね、私もホテルに着いたらすぐに全部の服をスーツケースから出してハンガーにかけたい。スーツケースを開けっ放しにして、クローゼットみたいに使うのが、やなの。気が合うね。気が合うけど、あなたは誰ですか。
そこへ、先ほどのウェイターが私の朝食セットを運んできてくれる。四角い大きな白いお皿に、少しずついろんな料理がきれいに盛り付けされている。料理はどれもビュッフェ用に並んでいるものと同じに見える。なぜ私は自分で取らないの?なにこれ、どういうルール?
トマトと煮込んだ豆の料理がおいしいが、私は入っている肉が何の肉か分からない。牛豚鶏でないことだけは確かだが、おいしいのでどうでもよかった。ジュースは4種類あり、テキーラを飲むときみたいな小さいグラスに入っている。4種類あって、色も違うのに全部まったく同じ味がして楽しかった。嘘つけよ、そんなわけないやん、と思うが、ひと口で飲み干してしまう量なので、もう一度飲んで確かめることができない。全部おんなじ味なの?なんで??
先に朝食を済ませた男性は特に何も言わずに私に会釈をして席を立ち、私は四角い大きな白いお皿に並んだ料理を左上から順に食べた。なぜ左上から順に食べるの?そういう決まりなのか?
このあと、私は荷ほどきをして、部屋のベッドから足を床につけて上半身だけが横になるような体勢で40分ほど仮眠をとったり、友人の友人に紹介されてその人のおばあちゃんの家(すごく古くてとても立派な家だった、私はそのおばあちゃんが訝しがるほど大量に写真を撮った)を見学させてもらったり、件の男性と歩いて図書館に行ったり(男性はもともとここで司書をしていて、今は大学生だと言っていた、うらやましい)、その帰りに花屋さんに寄ったり、そこで買ったパンとパテとワインを川沿いで食べたりして、夢は長く続いた。
よく考えると花屋さんでパンとパテとワインを買うのは変だし(花も売っていたが私は買わなかったしそもそも買う気がないようだった、パテはすごくおいしかった、たぶん豚のレバーパテ)、夢の中で仮眠を取っているのもめずらしい(たまにこういう2段階の夢見るけどね)。
無事に起きられてよかった。超超超旅行いきたい。
Basic Nails no.11
2022年5月17日 (火) 20:31
手と足、合計20個の爪に、常にマニキュアを塗っている。10年以上、塗っている。「常に」はざっくりとした単位なので、もちろん1週間くらい素爪のときもあります。
マニキュアを塗る理由は、ただひとつ、「爪がかわいいと自分がご機嫌になるから」だ。私は身体的コンプレックスが売るほどあるので、自分の手も指も基本的にはすべて嫌いだが、それでも爪をかわいい色にしていると「お、爪かわいいぞ~!」と思うことができ、ご機嫌に生きていける。
マニキュアを塗っていると、他人はいろいろ言ってくる。「爪が呼吸できなくて良くないらしいよ」だの「あんまり派手な色は男ウケ悪い」だの、あとは「似合ってない」とかね、老若男女問わず、いろいろ。が、そもそも私の爪はみなさんにご提供しているおもしろコンテンツではないので、何を言われても全部クソどうでもいい。私は、いや私もあなたも、そしてあの子も、爪だけじゃなく、人間はみな「供されたコンテンツ」じゃないんだよバーカバーカ。
「バーカ」は言い過ぎましたね、はいはいすみませんでした。
先日、去年ぐらいから広告でよく見かけていた「ohora」を買ってみた。シール状に固めたジェルネイルを爪に貼り、LEDランプで硬化する、というものだ。ジェルネイルは未経験だが、一度くらいネイルサロンに行ってみたいな、と思っていて、でもどのサロンも大体4~5,000円くらいはするから、どうかな…と思っていたところだった。とはいえ4~5,000円が高いとは思っていない。かかる時間と技術、接客にかかるコスト、などを考えると妥当なんじゃないか。あとは私が「自分の爪に4~5,000円かけられるかどうか」というだけの話だ。
ohoraはLEDランプとシール2種類がセットになったものが3,500円だったので、それぐらいなら一度試してみてもいいか、という気になり、日曜にとどいたのでアベンジャーズ(エンドゲーム)を見ながら貼ってみた。微妙なサイズ違いが30枚入っているので、自分の爪のサイズに近いのを選んで貼る。はみ出た部分は爪切りで切っておく。
LEDランプはボタンひとつで点灯→45秒経つと自然に消える、という仕様で、プラスチックの脚がちゃっちいけど、まぁ使う分には何も問題ないし、実質無料でもらっているので文句ないです。
硬化するとシールを貼っているときの突っ張ったような違和感はなくなり、仕上りも本物っぽい。わ、わるくない気がする…!かわいい!わーい!
マニキュアと違ってお皿を洗ったりお風呂に入ったりしても欠けたりしないし、乾くのを待つ時間もないので良い気がする。あとは2週間くらいもってくれれば最高なんですけど、どうかな、よろしくお願いします。
ギターはアンドロジナス
2022年5月13日 (金) 20:41
スピッツが好きだ。父が好きだったので、そもそもバンドとは何なのかを知るよりもっと前から、私はスピッツが好きだった。なおかつ「スピッツが好きじゃない人なんかおらんやろ、老若男女全員全曲歌えるはず」と思いこんで生きてきたから、大人になると意外にも「チェリーと空も飛べるはずしか知らない」みたいな人が多くてびっくりしている。よく考えたら活動期間30年越えで一度も休止せず、オリジナルアルバムを16枚も出しているバンドの曲を、老若男女全員全曲歌えるはずがなかった。そりゃそうだ。
私が初めて聞いたスピッツの曲は、多くの人と同じように「ロビンソン」だったと思う。「チェリー」はジャケットが切手をたくさん貼ったみたいなカラフルなビジュアルで、カップリングが「バニーガール」だったことも、よく覚えている。「運命の人」が好きだった。
Mステに出演したとき、初めて写真ではない、動いて話し、演奏するスピッツを観た。テッちゃんはツノのついたバイキングみたいな帽子をかぶって、サングラスをかけていた。私は全体的に「なにこれ」と思った記憶がある。なんか「これ、人間がやってたんか」みたいな感じ。いや人間がやってるがな、そらそうやろ。このときの感覚・記憶について、未だにうまく言語化できない。同じ手触りの感情を、以来一度も感じていないので、似た感情についても話せない。
小学5年生のころ、ベストアルバム(RECYCLE Greatest Hits of SPITZ)が発売され、父が買ってきたそれを、繰り返し聞いた。のちに、このベストアルバムはレコード会社が勝手に発売を決めた「実質非公式盤」であることを知るが、今思うとこれに「リサイクル」と名付けるセンス、いいよね。ふふふ、てなるね。タイトルは本人たちが付けたんでしょ?違うんかな。
中学3年生のころ、秋に部活を引退すると、私は人生で初めて「めっちゃくちゃ暇」になり、毎日吐くほど退屈で、手持無沙汰で、教室にいるとそんな自分の異質さが際立つようで(そういう自意識過剰さも嫌だったし)、いつも所在なかった。友だちがいなかったわけでも、いじめられていたわけでもないのに、あのころの「無」といったらなかった。たった半年ほどのことだったのに、今思い返してもゾッとするほど長かった。退屈で空虚で、何もすることがなく、すべきことも、したいこともないのに、毎日学校に行くことだけは決まっているのが不可解で、かと言ってサボるほどの理由も見つけられず、ずっと気が狂いそうだった。
私は、近所のレンタルビデオ屋(ビデオ合衆国、という名の店、今はもうない)でスピッツのアルバムを片っ端から借り、それを聴くことと、衛星放送を録画した映画「アメリ」を繰り返し観ること、それから学校の図書室で借りた「13歳の黙示録(宗田理 著)」を繰り返し読むことによってどうにか正気を保っていた。いや、正気を保てていたかどうかは自信がない、全然余裕で狂ってた気もする。ははは。
借りてきたアルバムはどれもMDに録音し、制服の袖から出した片耳分のイヤフォンで何度も何度も聴き、歌詞は手書きでノートに写した。レンタル期間が終わるまでの1週間は毎日ブックレットを持ち歩き、学校にいる間ずっとそれをA6サイズのノートに書き写して過ごした。コンビニに行けばコピー機くらい使えたし、家のファックスには印刷機能もあったのに、なぜ手書きで写す必要があったのか。わけわからんな~ほんまに暇やってんな~!などと思っていたけど、最近ようやくわかった。あれは、信仰だったのだ。吐くほど退屈で所在なかったあの頃の私が、どうにか息をしていられたのはスピッツがいたからだ。スピッツはあのとき間違いなく私の神様で、ブックレットに並ぶ歌詞は教典そのものだった。教徒が教典をコンビニでコピーするはずないよ、自分の手で書き写すに決まってるやん。
スピッツは神様のくせに、私に何かを説いたり、答えを提示したり、発明を声高に発表したりしないところが好きで、そこが今もずっと好きだ。
歌詞は意味が分かりそうで分からない。考察して楽しむ人も多いようだが、私は「何言うてるか全然分からんな~」とか「分かる気がするけどやっぱりわからんな~」とか言ってそのまま置いておくのが好きだ。分からないことを考えるのは楽しいし、分からないのに好きなのはもっと楽しいことだ。恋に似ている。何も分からない私も、ムエタイの女の子みたいな蹴りを食らったり、羊の夜をビールで洗ったり、日曜日はバスの揺れ方で人生の意味が分かったりするし、愛はコンビニでも買えるけどもう少し探す。社会はきまじめで少しサディスティックだが、その手を振りほどいて王様は裸です!と叫びたい夜もある。
マサムネは情緒ある魅力的な声で、歌だってもちろん上手だけど、ドヤ顔で歌い上げたりはしないし、歌唱力を見せつけるようなことには全然興味がなさそうだ。
「14歳の時に聴いていたものを、人は生涯聴き続けるんじゃないか、当時俺が聴いてたのは奥田民生」と言ったのは後藤正文だが、確かに私は生涯スピッツを聴き続けるような気がしている。
なぜ今日急にスピッツの話をしているかというと、例年通りのペースなら今年はアルバムが出る年だからだ。12枚目のアルバム「さざなみCD」以降、スピッツは3年に一度のペースで、フルアルバムをリリースしている。たのしみだな。
まぁ今のところ何の発表もないので「たのしみだな」はおかしいが。
つーか3年(実質2年くらいなのか?)でフルアルバム出せるだけの曲が十数曲作れるのすごいなあ。
ドレミファ
2022年5月10日 (火) 20:56
豆花を作ってみることにした。
私は3年くらい前に井の頭公園の近くにある台湾茶のカフェみたいなところで初めて豆花を食べ、大変気に入り、以来あちこちで食べ続けている。と言っても豆花が食べられる店はそこまで多くはなくて、神戸市内だと5軒くらいしかない。最近では旅先でも、豆花が食べられる店がないか必ず検索している。
豆花は中国、台湾、香港あたりで食べられている豆腐プリンのような食べ物で、甘く煮たピーナツ・小豆・緑豆などの豆類やハトムギ、白きくらげや、甘草ゼリー、あとはサツマイモとかタロイモの餅を載せ、うす甘いシロップをひたひたにかけて食べる。が、台湾に行ったことないから現地でどうなってるんかは知らん。中国では甘いのじゃなくて、塩味のとか、辛いのがあるらしい。
店によってトッピングの種類はいろいろで、4種類くらい好きなのを選ばせてくれる店や、かき氷を入れる店、などもある。冬はあたたかい豆花を出す店もある。
いくつか食べていると徐々に、理屈というか、構造が分かってくるし、自分の好みが定まってくる。私は豆花の食感がよく、あまり柔らかすぎない方が良い。なおかつ豆の味がわりとしっかりしていてほしい。トッピングにピーナツは欠かせないが、これはめちゃくちゃ柔らかい方が良い。形状は保っていてほしいけど、歯を立てないぐらいのかたさが良い。あとはモチモチ食感がおいしいから、餅類があるとなお良い。湯圓か芋圓、芋圓が良いですね。シロップは濃すぎず、どちらかというと少し甘さは控えめが良い。のどごしが良いように、さらりとしていてほしい。ソースではなくてシロップなのも重要だと思う、シロップごと大きめのスプーンですくって食べるのがおいしい。
ここまで好みが定まれば作れるぞ……と思い、生の落花生とキャッサバ澱粉を富澤商店で買った。富澤商店、なんでもあるな~助かるな~
落花生は薄皮を剥くために一晩水に浸ける。「水の中でやさしく握るようにすればまとめて皮が取れる」という情報を得たので「お、そうなん、楽やな!」と思っていたが実際はそんなうまくいかず、ひと粒ずつ剥かなければならなかった。「話が違うんやけど…」と思いつつ、BTSがゲーム制作の会議をする動画を見ながらもくもくと作業した。弊推し、なんか文句言うてるとき、ずっと首がすわってなくて超かわいいな。あとなんか文句言うてるとき、唇がとんがってて超かわいい。あと早口でなんか文句言うてるとき、ずっとほっぺたがもにもにしてて、それも超超かわいい。
皮を剥いたら次はこれを煮ていく。エグめの灰汁が出たのでせっせとすくい、30分くらい煮たらあとは炊飯器へ。参考にしたレシピは「3合設定の炊飯器でそのまま炊飯」と書いてあるが、そもそも豆を半分以下の量にしたので加減が分からない。ま、とりあえず弱火でコトコト煮ればいいのでしょ?ということで90分程度加熱。……ぜんぜんやわらかくならん。さらに30分追加で加熱。ぜんぜんやわらかくならん。えーなにもう、どんだけ煮るんよ。もう寝たいねんけど。氷砂糖を入れ、さらに90分追加し、ほっくりしたいいにおいの中で就寝。
翌朝、味見してみるとまだかたい。えーーーーまだ?まだ煮るの?今日は出かけるねんけど……とりあえず90分追加して外出。
帰宅後、即味見。……うそでしょ、まだかたい。いやかたいっつーか、でも惜しい感じする。食べられるけど、お店で食べるあれとは違う。え、やわらかくならん豆なん?そんな豆ない?こんなことならお店の人に作り方を聞いてみればよかった……とりあえずあと60分だけやろ、これで変わらんかったらもうあきらめるわ。
結局ぜんぶで何分煮たのかよく分からないが、とにかく長時間煮る、が正解だったっぽい。一度透き通ったあと、白っぽい色に戻ったし、食感もほっこりむっちりになった!じょ、じょうずにできたやん…!ただこれもう再現できるかどうかわからんな。つーかもしかして最初から圧力鍋で煮ればよかったんか?わからん。
豆花と芋圓は材料を混ぜたり捏ねたり冷やしたりするだけなので何も難しくなかった。豆花はなかしましほさんのレシピを参考に、ややゼラチンの量を減らした。芋圓はキューピーのホームページに載ってたレシピを見て作ったけど、もうちょっとモチモチ感があるのが好みかな、粉の配分か?わからん、要調整。あと単純にもっとおいしくて甘いサツマイモを使った方が良いし、濾す工程を入れたほうが食感が好みな気がする。
それからもう少し「それっぽい」皿が欲しい。大体お茶碗と麺鉢の間くらいのサイズのお皿が、平皿か小さいお盆の上に載ってて、レンゲか大き目のスプーンを付けて出すお店が多いから真似したい、けど、家は北欧の皿が多くて……台湾雑貨の店とかないんかな。
ま、総合すると初めてにしては上出来!開店!て感じ。
しかし手間かかるな~分かってはいたけど。
born daughter
2022年5月9日 (月) 21:56
私の両親はいつまでも私の両親だが、いつのまにか「甥たちの祖父母」であることの比重が大きくなっていくのは不思議なことだな、と思う。孫たちと過ごす時間の頻度や密度を考えると、当然のことなんだろうけど。
日に数百回「ばぁば!」と呼びかける甥の声を聴きながら、私は私の祖父母のことを考え「お世辞にも私は良い孫とは言い難いな」などと思った。
実家に帰ると、別に誰にもなんにも言われてないのに「なぜお前は“普通に”結婚して子どもを産まないのか」という、いかにもありがちな言葉が脳をかすめ、慌てて「いや誰も何も言うてへんやん」と自分で自分を訂正するようなことが何度か起こる。こんなことを思うのは、どこか後ろめたい気持ちがあるからだろうと思う。が、同じだけ「なぜそんなことを後ろめたく思わなければならないのだろう」とも思う。この感情には名前がある、これは、罪悪感、と思いかけてすぐに打ち消す。やめてやめて、なんの罪だよ、なんにも悪いことしてない。
でも私は3人きょうだいで、父はよく「3人とも結婚して、3人ずつ子どもが生まれたら、父さんは孫が9人できるなぁ、楽しみやなぁ」と言っていた。そのことを思い出すと、申し訳なくて泣けてくる。甥たちだって、従兄弟がいたら、きっと楽しいだろう。
とは言え、そう、とは言えよ、本当に心の底から私が申し訳ないと思っていて、両親に孫の顔を見せてあげたいと、それが自分の何よりの望みだと思っているのだとしたら、私はこんなとこにグダグダ長文を書いてないで何らか行動を起こしている。私は私が、本当に欲しいものや、どうしてもやりたいことがあるとき、それを我慢することなんてできない人間だと知っている。思いつきで瞬時に行動できる性格ではないけど、でも本当に欲しければ、時間をかけて、段取りを考えて、絶対手を伸ばす。だから、そうしてない、ってことは、そう思ってない、ってことだ。今は別にどっちとも決めてないし、決めなくてもいいし、決める時が来たら決めるだろう、一生決めないままかもしれないし、それはそれで構わない。どっちに転んでも良いように、精神的に身軽にしておくぐらいで、あとは特にやることない。ないんだよ。
この程度のシンプルなことを、こねくり回して複雑にするとしんどいぞ、あと「誰も何も言ってないこと」について考えるのも、程々にしておいたほうがいい。
私がウジウジしていることの大半は「誰も何も言っていないこと」について考えすぎているケースな気がする。そういう性格なんだろうな~~~ま、そういうところが馬鹿みたいで味があるとも思うし、だからゼロにすれば良いってもんでもなさそう。バランスのいいところで折り合いを付けようね。
fear
2022年5月2日 (月) 20:00
デザインの初校を出すときは、わずかに緊張する。緊張、といっても、指先が冷たくなったり、耳の後ろがぞわぞわしたり、胃がキリキリと痛んだり、足の感覚がなくなったり、息がしづらくなったりするほどのものではなくて、もう少し軽度な、うーん、表現が難しい。親指を内側にして拳をぎゅっと握ったり、まぶたをぎゅっと閉じたりする程度の緊張。……ぎゅっとしてばっかだな。
なぜ「わずかに緊張する」のかというと「これを気に入ってくれたらうれしい」と、思っているからだ。つまり「好かれたい」と思っていて、だから緊張する。少なくとも初校の段階では、私自身が好きだと思うものを作っていて、だから「あなたも好きだといいな」と思っている。だからそれを「どうですか?」と相手に見せるとき、わずかに緊張する。
とはいえ「いや、ぜんぜん好きじゃないです」と言われたとしても、傷ついたりはしない。「あ、そう?気が合わないね」ぐらいのことで、そのあとはどんなに「それはナイわ」と思う意見が返ってきたとしても「そうか、そういうのが好みなのか、なるほどね」と対応する。同意できなくても、いちいち言ったりしない。一般的なルールからあまりにも外れていたり、ユーザーにとって誤解を生みそうな場合やそれでお客様が不利益を被りそうな場合はもちろん指摘するけど「ダサいと思います」みたいなことは言わない。仕事だからだ。
同業の友人が「自分がデザインしたものを否定されたとき、自分自身が否定されたような気持ちになって傷ついてしまう人には、この仕事は向かないね」というようなことを言っていたのを思い出す。確かに、そういう人はキツいだろうな。
私も「すいませーん今日会長に見せたんですけど、気に入らんって言うてましてね、やりなおしてもらえますか?はい全部、全部です、全部やりなおし、お願いします」みたいなことを言われた日は「こんなん何等かのハラスメントに該当するはず、もう弁護士としか話したくない弁護士を通してください」と思いもするし、素人に「デザインの勉強?とかってしてるんですよね?www」と電話口で言われた日は「殺すぞ」以外のワードが浮かばず、口ごもったりしたこともあった。が、自分自身を否定された・拒絶された、とまでは感じていない。
私が作ったものを、お客様が気にいらなかろうが、ド素人の馬鹿に理解できなかろうが、それが私そのものを、人格を否定する言葉だとは思わない。あくまでデザインはデザインだし、私は私だ、一部でもなければ分身でもない。
そもそもデザインは、誰でも出来る。特殊能力ではない。老若男女問わず、誰でもデザインは出来る。そういうところが好きになって、今もずっと好きだ。私はその、誰でも出来ることを仕事にしようと選んだだけのことで、誰でも出来ることなので差別化しないと金にならないから、人よりちょっとは上手に出来るように、勉強したり工夫したりしているだけのことだ。
つーか世の仕事は誰でも出来ることがほとんどだし、だからこそ苦労が分かり合えたり、少しの差を「すごいね、私にはできない」と思えたり、キツすぎたら代わってあげたりできるんじゃないのか。
そういえば私は、自分がデザインしたものを否定されたときよりも、全OKで何もかもがトントン進んでいくときのほうがよほど怖い。「どうですか?」の初校に対して「すごく気に入りました」と返事が届き「ありがとうございます、じゃあこれで進めますね」と返すまでは良いが、そのあとずっと「良いですね」「気に入っています」「とっても良いです」みたいなのが続くと、だんだん怖くなってくる。
恐怖の理由はふたつあり、ひとつは「このあと理事長だの会長だの取締役会だのが急に登場し、全部をひっくり返して台無しにするのではないか?」という経験に基づく恐怖、もうひとつは「私なんかが作ったものをこんなに気に入ってもらえるはずがない、絶対にどこかひとつぐらいは好きじゃないところがあるはずなのに、なぜ言ってくれないのか?」という私の自信のなさや捻くれた性格から来る恐怖である。ふたつの恐怖は案件が終わるまでうっすらと続く。前者は探りを入れる術があるが、後者はやや対処が難しい、根本的に相手ではなく私の問題だからだ。
今進めている案件は「全OKで何もかもがトントン進んでいく」ほうの案件で、私は怯えながら仕事をしている。杞憂に終わりますように。
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