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パン・ギャラクティック・ピザ・ポート
2025年8月6日 (水) 20:48
空港で、のたうち回って泣いてる子どもがいた。文字通り「のたうち回って泣いて」いたので、結構ショッキングだった。遠目だと姿ははっきり見えなかったので小さい子だろうと思って保安検査場を通過したら、そこで泣いていたのが小学生4年生ぐらいの男の子だったので驚いた。さすがにもう、「のたうち回って泣く」しか出来ない歳ではないのではないか、と思ったからだ。おそらく彼は迷子だ。
私に子どもはいないので自分が子どもの頃のことしか話すことがないが、我が家は家族とはぐれ、迷子になった時のルールみたいなものが決まっていた。例えばディズニーランドに行くとき、入園して少し歩いたくらいのところで必ず「みんなとはぐれた時の待ち合わせ場所」を決める。お店の前だったり、何かの看板や花壇の前だったり、アトラクションの入り口だったり、とにかく分かりやすい目印になる場所を、父か母が「ここが今日の待ち合わせ場所」と決めるのだ。みんなとはぐれちゃったな~と思ったら、辺りを少し探してみて、それでも見つけられなかったら、その待ち合わせ場所へ行き、そこでじっと待つ、というルールだ。ウロウロすると会えないので、待ち合わせ場所に着いたらそこから離れないように、ただ待つように、と言われていた。
遊園地や広い公園、ショッピングモール、スキー場など、とにかく人が多くて迷子になりやすい場所へ行くときは必ずそうした。当時は携帯電話もなかったし、GPSなんてもちろんのこと、一度はぐれたらそう簡単には見つけられない。子どもが気を取られる楽しいものがたくさんある場所は、迷子になりやすいので、迷子になること前提のルールだったのだと思う。
待ち合わせ場所を覚えていてもたどり着けないんじゃないか、と思うけど、小学校にあがるくらいの年齢になると私たちは「人に道を聞く」ということが出来るようになっていた。道を掃除しているスタッフの人や、家族連れの優しそうな人に自分で声をかけて「宇宙人のいるピザ屋さんに行きたいんですけど、連れてってもらえませんか」などと言うことが出来た。
このルールはなかなか実用的で、私も何度か、その都度決まる待ち合わせ場所で、家族を待った。子どもだったのでどのぐらい待ったのかは覚えてないし、不安だったことに間違いはないが、それでも「来ない」ということはなかったし、何よりそこで待つことには根拠があったのが良かったんじゃないかと思う。これが例えば「迷子になったら、その場から動かない」というルールだったら、きっと、もっと不安だったんじゃないだろうか。ここで待っていて見つけてもらえるという根拠がないから。
こういう家族のルールがあったことを、ブワッと思い出した。大人になって、自分も相手もスマホを持っている状態だと、迷子とは無縁だよな。「迷子」って大人の場合には使わないんだろうか。大人の場合はなんて言うの。「失踪」か……?
件の男の子は警備員さんと空港スタッフの女性がケアしていたが、ほんの数分でお父さんらしき人が戻ってきた。その人は男の子をなだめながら「トイレに行くからここで待っててって、言うたやんか!聞いてたやろ!」と言っていた。たぶん、ほんとに5分ぐらい離れただけなんだろうと思う。5分離れただけであんなに。
この話を姉にした。姉は長いこと保育士で、子どもについては一等詳しい。私が聞きたかったのは「5分離れただけであんなに泣くのは何故か」ということだ。3歳の子なら分かるし、3歳の子を置いてトイレに行くなよ、と思うけど、あの男の子はどう見ても小学生だった。自分で水筒も持っていたし、きちんと帽子を被って、床でのたうち回って泣いてさえいなければ「しっかりしてそうな子だな」と思ったはずだ。それとも、もしお父さんがトイレに行く数分をただ待つのが困難な子なんだとしたら、置いていくなよ。どういう親やねん。
姉は「まぁ信頼関係が築けてないって感じやと思うよ」と言った。「例えばな、小さい約束を何回も破るとか、そういうのを何回も積み重ねると、なんぼ小学生で高学年になってても、そんなふうになるよ、置いてかれてパニックやねんもん」と。
「小さい約束」というのが、この件とどう繋がるのかピンとこなかったので重ねて質問すると「今日一緒にお風呂入ろうとか、ごはんのあとで一緒にゲームしようとか、宿題終わったら一緒におやつ食べようとか、そういうやつ、大人がその場しのぎでする、小さい約束よ、大人ってそういうのすぐ破るやろ、ほんで謝らんやろ、どうせ子どもやから覚えてないと思って」と姉は言った。確かに、と思った。大人はその場を収めるためだけに、小さい約束をする。人前で泣いている子に、今やってほしいことをやらない子に「これと引き換えに」と差し出すアレのことだ。無理もない。大人にはその場をしのぐことが今は何より大事だという時が少なからずあるし、子どもが思うよりも大人はずっと複雑なのだ。親を責める気にはならない。
一方、その小さい約束を頼りにして生きるしかない子どものことを思うと胸が痛い。姉いわく「どうせ覚えてない」と思っているのは大人だけで、実際覚えていないのも大人だけだそうだ。子どもはちゃんと覚えている。覚えているけど、それを指摘したり、責めたりするほどの言葉を持たない、というだけのことらしい。だから一見「どうせ子どもやから覚えてない」と映る。
あの男の子はもしかしたら、これまでずっと小さい約束を守ってもらえなかったのかもしれない。もしそうだとしたら、お父さんが「トイレ行ってくるから、ここで待ってて」と言うその言葉も、まったく信じられないのかもしれない。本当に、空港に置き去りにされたと思って、泣くのも無理はないかもしれない。
人間がやることの不確かさや、目に見えないものを構築することの難しさを思うと気が遠くなる。親子だからといって、テレパシーが使えるわけでも、脳の一部を共有しているわけでもない。不完全な生き物だ。
もちろん私に出来ることは何もなく、彼らの事情や経緯など知る由もなく、なぜこれを書き残すのかは自分でも分からない。彼らは私とは違う搭乗口に並んだようだったので、たぶん沖縄か鹿児島へ行く便に乗ったと思う。きっと夏休みだろうから、旅行か、帰省かな。ふたりとも楽しいといいな。
悲しみに心をまかせちゃだめだよ
2025年7月30日 (水) 21:13
今年もフジロックに行ってきました。18歳のころ「フジロックに行ける会社に勤めたいなぁ」と思ったことがあったな。有給休暇的な意味と、金銭的な意味で、フジロックに行ける会社はそんなには多くない、と思ったのだと思う。願ったとおりになったよ、おめでとうありがとう。
最近そんなに音楽を聴いていない。移動中はラジオを聞くことが多いし(内容というより、話し声を聞きたい)、最近はジンくんのライブで一緒に歌ったり掛け声をしたりするための練習が必要で、ずっとジンくんのライブのプレイリストを繰り返し聴いていたし、だからそんなに音楽を聴いていない。音楽をたくさん聴いている人が行くのがフジロック、というイメージがある。私は該当しないとすら思う。
が、今年気づいたことだが、私には「広い場所で爆音欲」みたいなのがあるみたいだ。リズムとメロディーのあるものを、広い場所で、大きい音で聴きたい、という欲が。ホワイトステージでOK GOを見ているとき、その欲がじわじわと満たされるのを感じた。耳の下の、首すじのあたりがじゅわっと温かくなるような感じ。あぁ気持ち良いな、と思った。広い場所で、山ん中で、大きい音で、音楽を聴きたかった、そうだった。
あ、ジンくんのライブのプレイリストが「音楽じゃない」みたいな書き方になってて超語弊があるな。違います。そうじゃないです。もちろん音楽だし、音楽として聴いているし、音楽的に好きな部分がたくさんあります。ただ私の聴き方として「単に音楽を楽しむために聴いている」というよりも「ジンくんのライブを絶対成功させるために鍛錬する」みたいな意味合いが強かったので……体力づくりみたいな感じがあったと思う。私はお客様などという立場ではなく、ジンくんをお迎えするホスト側の人間であり、ジンくんのライブは一方的に享受するようなものではなく、相互の協力や努力、思いやりや愛によってようやく完成するものだという意識があった。激重ファンなので……
なお、ジンくんは顔面のあまりの美しさゆえにビジュアルを最初に評価されがちなのだけど、音楽的な才能や表現の豊かさや挑戦をもっと、今以上に評価されるべきと思います。
ちなみにバンタンのソロ活動を見ているときに私は「フジロックに出るならどのステージか」を空想したりしたのだが、ジンくんは夕方のグリーン、ナムジュンは夜のヘブン、ユンギは土砂降りのホワイトでトリ、ホビは真っ昼間のホワイト、ジミンは夜中のマーキー、テヒョンは朝ざっと降った雨が止んだあとのグリーン、グクはグリーンのトリ前、を考えています。異論は認めます、対戦お願いします。
ヘブンで初日の夜に見たEZRA COLLECTIVEがめちゃくちゃ良かった。私のフジロック歴でも指折りの楽しさだった。ライブが楽しいとき、本当に他のことを全部忘れる。
ああいう音楽をやるバンドを組みたいのだけど、あれはジャンルとしては何なんだろう。「UKのジャズ・シーンをリードするバンド」と書いてあるから、あれはジャズなのか……わからんけど、あれをやってみたい。本人はアフロビート、と言っていたような気がするけど、ビートと音楽ジャンルは別のものなのか。何もわからんが、あれをやりたいです。
一昨年にマーキーで見たBALMING TIGERを、今年はホワイトで見た。ホワイトが似合うだろうと思ってたよ、超かっこよかった。秋にワンマンに行く、絶対行く。
ところ天国の前の森に荷物を全部置いて、手ぶらでBALMING TIGERを見ていたのだけど、最後の曲に差し掛かるあたりで急に大粒の雨が降り出した。高い金を出して買った雨具を、ところ天国の前の森に置いてきている阿保の私は抗うすべなく全身びしょ濡れになり、靴以外は全部水に浸かった着衣水泳みたいになった。最後の曲のタイトルは『Wash Away』、よく出来た小噺みたいだ。
姉が「これよりひどい雨に何回も遭ってきたのに、雨のあとどうやってリカバリしてきたか何も覚えていない」と言っていて笑った。例えば雨に濡れた服をどうしたか、とか、びしょ濡れのままテントに入ったのか、とか、浸水した靴をそのまま履いたのか、みたいなことを覚えていない、という意味だと思うが、確かにディテールは覚えていない。「なんとかしてきたんじゃない、今ここにおるってことは」としか言いようがなかったのでそう答えておいた。どうにかなるし、どうにかするしかない。
今後のために記憶のあるうちにディテールを記録しておくとするか、未来の私と姉よ、下記のとおりです。ご査収ください。
- この雨は1時間ほどで止むのではないか、という根拠のない楽観的な仮説を立て、天候の回復を待つ
- 一向に止む気配がない
- もともと夕方に風呂に入る予定だったのでいったんテントサイトに引き上げる
- 歩いていると少し小雨に、このまま止むかも、と淡い期待を胸にする
- 浸水具合は姉のほうが比較的マシだったので先にテントへ
- 乾いた服に着替えた姉を風呂へ送り込む
- こんな日に限ってジーパンを履いている阿呆の私は着替え自体が困難
- フジロックでジーパンを履くのは今日が初めて、濡れるとややこしいのでこれまでずっと、10数年避けてきたのに、こんな日に限って……
- 靴下とパンツ以外の予備服がなく、仕方ないので木曜に着てきた服を着て私も風呂へ
- まったく小雨ではなくなってきている、土砂降り
- とてもじゃないけど並んでられないレベルの風呂待機列で、20分ほど待つも心が折れ、あきらめてテントに戻る
- 姉は風呂に入れたようなのでテント待機、読書
- 18時ごろに雨はやみ、姉は風呂も経て温まり、体力を回復
- 「靴が濡れているので履きたくない、テントサイト用のスリッパでグリーンに行く」と言う姉を「危ないからやめようよ」と説得し、靴を履かせる
- 気持ちはわかるけど雨で足場が悪くなっているのにスリッパは危ない
- 下着まで全部濡れているのに私は靴だけなぜか無事だった、ありがとうKEEN
オアシスでごはんを食べながら漏れ聞いたサンボマスターも良かった。もちろんごはんなんか食べてないで超満員のマーキーに乗り込んでちゃんと聞くべきだったと思うが、私はフジロックの「こういう体験もナシとはしないところ」が気に入っている。
サンボマスターはみんなが知っている曲を惜しみなく披露し、文字どおり「すべての客」を温かく歓迎してくれた。すべての客、というのは老若男女問わず、もちろん国籍だって問わないし、オアシスで焼きそばを食っている私とソーキそばを食っている姉も含まれる。
できっこないをやらなくちゃな、とも思った。サンボマスターが歌う「君」は私のことだ。
私はあんまりベストアクトを決めたりはしないけど(決めて発表するようなもんでもないし、誰が私のベストアクト興味あんねん)、今年は文句なしにVULFPECKとする。今の今まで「バルフペック」だと思ってたけど「ヴルフペック」だそうです。謹んで訂正し、お詫び申し上げます。
私はこういう「わかる/わからない」とか「知ってる/知らない」とかを軽々と超えるようなバンドが好きだ。知らないと楽しめないこともあるし、わかるようになると見え方が変わるものだってあるけど、それはそれで良いけど、でもこうやって「どっちでもいい」と明確に表現されるのが、泣いてしまうぐらい好きだ。楽しかった。毛細血管まで喜びが行き渡るような感じがした。
ダブルアンコールは一部の熱心なファンが起こしたものではなくて、あそこにいた人たちがみんな本当に、心の底から「もっと聞きたい」と思った結果だったと思う。カウベルを鳴らすか鳴らさないかであんなにも客を沸かせたアーティストは他にいなかったんじゃないかな。音楽が好きでよかったなと思った。楽しい夜だった。
DYGLがMCで「あらゆる差別に反対します」と言っていたのが印象的だった。言うまでもないことなので、もしかしたら私は一度も言ったことがないかもしれないな、と聞きながら思った。言うまでもないことも、言わなくていい、とは思えない。むしろ言わなきゃいけないよな。
私も、あらゆる差別に反対します。
友人についていった羊文学も良かった。実は一曲も知らなくて、そのバンド名から「ほわほわ系かな」と思っていたのだけど、本当にまったく違った。こういうオルタナティブなロックバンドが好きだった、と思いだした。聞くまで忘れているのも妙だけど、私めちゃくちゃロックキッズだったんだよ、思い出させてくれてありがとう羊文学。記念にグッズでも買わせてくれや、と思ったら、羊文学のグッズすごくかわいいよ。https://hitsujibungaku-store.jp/
Vampire Weekendはしょっちゅうフジロックで見ていて、2~3年前にも見た気でいたのだが、どんなに調べても直近の出演は2018年だった。どこが2~3年前なんだろう、自分でも怖い。
3日目の夜で普通に疲れているのだけど、友人とテントサイトで2時近くまでおしゃべりして楽しかった。あとは荷造りをしてテントをたたんで帰るだけ、と思って寝たのだけど、6時くらいに目が覚めたらどうしてもシャワーを浴びてから帰りたくなってしまい、1500円出して風呂へ。昔は500円だった風呂が、去年1000円になり、今年は1500円になっていた。人件費もあるし値上げは致し方無いと思うのだけど、思い切って2倍!!さらに1.5倍!!!みたいなヤケクソのぺースなのやめてほしい、笑っちゃう。来年はどうなるんだろう。現地で一番金がかかってるの、風呂かもな~酒の人が多そうだけど。
例年以上に早く終わってしまった感じがする。行く前はめんどくさいのに、終わるとやっぱり寂しいな。とはいえ今年は行きも帰りもヤマト運輸さんに荷物を運んでいただいたので、かなり楽になった。ヤマト運輸さんありがとうございます。
片手できっと 足りるだろうな
2025年7月24日 (木) 15:00
推しのライブを自分なりに記録するのに、ほとんど1週間かかった。もっと書ける気もするし、何を書いても気が収まらないようにも思える。5000字超えの文章を書き終えたら、選挙があり、いやな予感がするなぁと思っていたらわりとその予感通りになった。
これは「私の悪い予感は当たる」というようなクソしょうもない話ではなくて、こうやって「こっちはダメです!引き返して!」みたいなことで話題になることと「こっちがおすすめです!みんなで行きましょう!」みたいなことで話題になることは、ほとんど同じ意味で、もはや表裏ですらないよな、という話だ。単純に「触れる機会が増える」という点では同じ意味だから、というだけの話かもしれないけど。あとは、私が世界/世間/みんなだと思っているものの外側にいつも世界/世間/みんながある、みたいな話か。
この期に及んで絶望したって仕方ないし、自分にできることを引き続きやっていくぞ、と思う。自分にできることが無いなんて思わないし、社会が変わらないとも思わない。ただそんなに大それたことはできなくて、そんなにすぐには変わらない、というだけのことだ。身の程を知ることと自分の限界を勝手に決めないこととは両立できるし、身近な人を大切にすることと物事を大局的に見ることとは両立できると思う。死ぬまでただ世を憂うには、まだ人生は長そうだし。
少なくとも私のタイムラインに「もう日本は終わりだ」などという稚拙なことを言う人はいなかったし、みんな自分ごととしていろんなことを考えたり、発信したりしていて良いなと思った。Xのことはロゴからノリから仕様まで全部嫌いだが、Twitterでフォローしている人たちのことは好きだ。
今週はもうフジロックの週だった。本当に誰が出るのか知らないが、もはやどうでもいい気がしてきた。行きさえすればいいのがフジロックなので……これ毎年言ってるな……そもそも私最近あんまり音楽聞いてないよ。
今年は10キロのバックパックを担いで移動するのをやめて、ヤマト運輸さんにお任せする作戦でいくことにしたが、現地で受け取る時間に自分の到着が間に合わないことが判明して詰んでいる。初日から寝袋なしで寝ることになりそう!!!ま、テントは棟梁(実姉)が建ててくれているので雨風はしのげる。なんとかなるでしょう。
でも寝具類を送れないならヤマト運輸にお願いするほどの荷物にならんのよな~どうしようね、また来年考えます。
久しぶりに実家に帰り、先月ソウルで買ってきたマッコリでサムギョプサルを食べた。母とその友人と私の3人で、秋に韓国旅行に行く話になっている。来週はフジロックやから、と話していると、父が「……いつ働いとるんや」と言っていて笑った。今月は結構仕事忙しくて残業せざるを得ない日も多いぐらいだったのだけど、そういう話は別にしないので、確かに私は遊んでばかりいる人みたいに見える。ふふふ。
春頃に受けた家の取材の記事が公開になった。依頼が来て企画書を読んだときに「あ、これまさに私のことやん、私が受けるべき取材や」と思ったので、取材を受けること自体に迷いとかはなかった。なにせ『プリンセスメゾン』の話が出てきたので……記事内にもあるとおり、漫画『プリンセスメゾン』は私が家を買うきっかけ第一歩の作品だし、それよりも何よりも漫画としてめちゃくちゃおもしろい。家って人生やん、と思った。
家の写真を撮ってもらうのは竣工写真以来で、すごくかわいく撮ってもらえてうれしい。掃除した甲斐があったで。わはは。とはいえ、結構「生活感多め」の仕上がりになったと思う。ほとんど何も隠さなくて、全部そのまま。紙袋にいれてある牛乳パックとか食品トレーとかの資源ごみだけ、除けたのを覚えている。「タオルとか布巾とかは除けましょうか?」と自分で言ったのだけど「いやそのままで、そのまま撮ります」って感じに。カメラマンさんが「特にお気に入りのとこってどこですか?」と聞いてくださって、オレンジのドアを印象的に撮ってもらったのもうれしかった。このドアはもともとこの家にあって、位置もほとんど変えていない。レトロなデザインが気に入って、買うときにはもう「塗装してそのまま使おう」と思っていた。
家の取材を受けるのも初めてのことだった。あまりにもまとまらない話をして、話しながら自分で「すごい脈絡なくしゃべってるな、こんな話すの下手やったんか私」と思っていたので、ライターさんが書いた記事を読んで感動した。プロの仕事って本当にすごい。ここに書いてあることはどれも本当のことだし、脚色されてるとは言えないのに、すごくきれいに、なめらかにまとまってる。プロの仕事はすごい。
何より私は、別に家を買うことを推奨したいわけはないし、財テクとして家を買ったわけではないし、そういう自分のスタンスというか、家を買うことはたくさんある価値観やたくさんある選択肢の中のひとつであり、それ以上でもそれ以下でもない、という気持ちが、取材を受けるにあたって、前提としてあった。だから例えば「若いうちに家を買ったほうがお得、早く買うべき」みたいな記事になったら嫌だったし、「家賃払ってる奴はバカ」みたいな物言いにぜったい加担したくないし、もしくは「家買ってやりましたよ!ドヤ!」みたいな記事になるのも嫌だったのだけど、まっっったくの杞憂でした。客観的に読んでも「この人楽しそうやな、ほんまにこの家が気に入ってるんやろうな」と感じるような、良い記事やと思う。ぜひ読んでみてください。
【物件ファンコラボ企画 彼女がマンションを買った理由 vol.3】「頭金0円で購入、暮らしにぴったりフィットするオーダメイド1LDK」
Run Seokjin Run
2025年7月16日 (水) 20:49
ジンくんのライブに行ってきた。私もうARMYやな、と自覚したのが2021年の6月だったようなので(ブログって自分がいつ何を考えてたか残ってて便利)4年越しに推しに会ったことになる。長かったな。いや短いのか。正直わからん。
ライブ数日前からずっと胃が痛くて、所在ない感じというか、足が浮いてるというか、妙な心境だった。緊張していたんだと思う。初めてスピッツのライブに行った16歳のときも、初めてWeezerのライブに行った19歳のときも、こんなことにはならなかったはずだ。歳とったせいなのか。
仕事が忙しかったこともあって食事量がガクッと減り、2キロぐらい痩せた(うれしい、でもこういうのってどうせすぐ戻るけど)。あ、恋煩いで痩せる人って、もしかしたらこういう感じなんだろうか。
ライブ後は友人と会えたので「一緒にごはんでも食べませんか?おなかすいてます?」と自分で言ったのだが、そう言う自分こそが「おなかすいてんだかすいてないんだかわからん」状態になっていておもしろかった。胸がいっぱいになると、おなかがすいてるかどうか自分でわからなくなる。よく考えたら朝家でパンをひとつ食べ、あとはボンタンアメを何個か食べたぐらいなので「おなかすいてるに決まってる」と思った。お店でだし巻きたまごを食べたら「あぁおなかすいてた」とようやく思い出した。お出汁の力はすごい。
VIP席が取れたとはいえ、アリーナなので当日まで明確な席がどこかは分からない。何回か「座席配置予想図」みたいなのをTwitterで見かけたけど、直視する勇気(?)が出ないまま当日を迎えてしまった。私の席は花道ステージの先端くらいの位置だった。近い。こわい。メインステージからの距離は、フジロックのグリーンステージからPA卓ぐらい。近い。近いよ。
よくアイドルの現場に行っている友人に「VIP席なら肉眼で見えるね、よかったね!」と言ってもらっていたのを思い出したが、肉眼で推しを見るとどうなるのかも聞いておけばよかった。推しって肉眼で直視して大丈夫なんだろうか。太陽だって直視してはいけないと習ったのに、推しはどうなんだ。こわい。私、今日溶けて消えるんかもしれん。
VIP席だと、特典として20~30分くらいの「サウンドチェック」と称したミニゲネプロみたいなのに参加できる。このときが私がジンくんを生で見た初めてのときなのだけど、残念ながらあんまり記憶がない。無理もない。酸欠っぽくなってたせいな気がする。3曲やってくれたことと「今日男性のお客さん多いね、彼女に連れてこられたの?笑……ちがう?僕のことが好きなの?」みたいなことを言っていたのと、あとものすごい神妙なトーンで「聞きたいことがあったんですけど、あの、みんなアミボムをずっと振ってて、腕は痛くならないんですか?」と聞かれたのを覚えている。あなたは3時間ひとりで歌って踊ってゲームコーナーを進行してステージの端から端まで走りまわってるというのに、しかも昨日もそれをやって今日またそれをやるというのに、我々の腕の心配を……?腕の……?と思ってポカーンとしてしまった。ジンくんはこういう「市井の人々の暮らしを学ぼうとするお姫さま」みたいな物言いをすることがある。自分の特権にいつも意識的で、人の話をよく聞こうとする。自分の足で城から出て、自分の目と耳で民の生活を見る、強くて賢いお姫さまみたいだと思う。
何より、全体的になんか「さっき起きました」みたいなしゃべり方でリラックスしていてかわいかった。あの「気を許してる人の前にいるみたいな態度」をやめてほしい、なんか危ういし、絶対に飼えない猫を手懐けた(と自分だけ思っていて猫にそんな気はさらさらない)ときみたいな気分になる。喉が詰まって息苦しいぐらいかわいい、と思っていたらサウンドチェックが終わった。脱力。
肉眼で見えるどころか、肌質まで見える。目がきらきらしているのも見える。ジンくんは目の水分量が多いのか、常に目がきらきらしている。アイドルが過ぎる。
サウンドチェックを終えたあと、これからライブを見るにあたって、私は自分が使える全ての器官から全力でジンくんを吸収するぞ、と決意した。人生で一回もしたことのない決意で自分でも戸惑うが、どうしても目が先行してしまうので……(あんなに見応えのある顔見たことないから……)席が近いと見るものが増えて忙しい。私は楽器や機材だって興味があるからぜひ見たいのに、本人を見るだけで忙しい。なにせ肉眼で肌質まで見える距離だし、ジンくんは顔面どうこう以前に骨格から美しい。姿勢が良いとかもあるけど、ゆがみがない、ストンと立っている。
ファンがジンくんを美術品にたとえたりするのをよく見かけるし、気持ちは分かるけど、実際に見ると美術品にはたとえられない、ということだけが分かってしまった。美術品には必ず作者がおり、作者の意図や意思をくみ取りたければ手がかりがどこかにあるものだけど、ジンくんはめちゃくちゃ生きている。ジンくんは今この時をめちゃくちゃ生きているので、絶えず変化し、その変化すらも美しい。生命の美しさって切り取れない。
ライブは本当にあっという間に終わってしまったけど、過去のソロ曲まで聴くことができて、ずっと幸せだった。ジンくんの声って鳴りが良くて、倍音がすごい。ピンと張りがあるけど厚みがあり、涼やかでクリアやのに艶っぽい。ちょっと歪みがかかったようなロングトーンなんかは、奥田民生とか草野マサムネとかの声に似たエレキギターっぽさを感じる。歳とるとまた味が出て、人生の滲んだ良い声になるだろうな。
本人のピアノ弾き語りでやった2曲は、うっとりするほど上手かった。推しの贔屓目があることを除いても、これまでの人生で観たピアノ弾き語りの中で一番良かった。弾き語りって技量で押し切ってドヤられると冷め、つたなすぎるとお遊戯会みたいで頼りないし、陶酔しすぎると客が置いてけぼりで、とにかくバランスの要る演奏方法よなぁと思う。こなれてるとかっこいいけど、ちょっとやそっとでその境地に行けるはずもない。音数が少ないので自信なさそうにされるとヒヤヒヤするし……
ジンくんの狙ってんだか天然なんだか分からない弾き語りは(実際のところ半々くらいなんだろうとも思うが)「一生懸命練習したから聞いてね」といういじらしさと、「俺はプロなんだからヘタなものを出すわけにはいかない」というプライドとが折り重なって、とても美しかった。ジンくんのしなやかで健康的なプライドを見ていると、そこが好きだなといつも思う。ピアノのタッチの強弱まで緻密で、センスが良かった。2か月練習した、と言ってたけど、かなり前に公開されたコンテンツでもピアノの練習をしているシーンがあったし、いつか弾きたいと思っていたのかもしれない。声質にもピアノがよく合うので、ぜひまたやってほしい。
蚕室でのライブプレイを見て以降、より解像度が上がり、よく歌詞を読んで、もっと好きになった曲がある。『Rope it』という曲で、馬の嘶きで始まる(なにそれ、と思うけどほんまやねん、ちなみに馬の嘶きで終わります)。ジャンルとしてはカントリーロックになるのかな、詳しくないけど。
Spotifyで聴いてるときは「ジンくんこんなんもできるんや~ライブでやるの楽しそうな曲やな~」程度に思っていたのだけど、実際ライブでパフォーマンスを見ると空気感の作り方がめちゃくちゃに上手くて、「あれ、こんなかっこいい曲やったか」となり、聞き込むようになり、そこでようやく真面目に歌詞を読んだ。人生哲学みたいな歌詞だった。
포기를 아는 건 사는 법 기본이야
선택을 하는 건 마음속 기분이다
という歌詞がある(韓国語ってリズムが良い)。
前半は「諦めを知るのは生き方の基本だ」という意味だ。
ジンくんは背伸びしない。できないことをできるようには見せないし、カマかけて博打を打たない。「足るを知る」と訳してもいいかもしれない。ジンくんが諦めたものって何か、聞いてみたい。「諦め」が持つ印象がネガティブ一辺倒ではないことなんて、長く生きてればみんな分かると思うけど、でも何を「諦め」たのかは人それぞれだと思う。あまりにも興味深い。
後半の歌詞は「選択をするのは心の中の気持ちだ」という意味だ。
確かにジンくんは心のままに選択をしている。旅行にいくバラエティ番組の中でも起き抜けのパジャマに寝ぐせ頭のままで冷蔵庫を開け、氷をつかむようなトングでマンゴーを食べ(絶対にフォークがあるのになぜそれで)、目についたサンドバッグを目についた野球用のバットで殴り、真昼間なのに目についた花火に火をつけていた。意味も理由もなく、ただその時にやりたいことをやっている。
現代特有なのか「みんな意味と理由にものすごく高い価値を置いているんだな」と感じることがある。例えば「伏線を回収できていない」という映画のレビューを見かけると「回収してないならそもそも伏線じゃないんじゃないんか、つーか映画のことパズルゲームやと思ってる?」と思う。つまり創作物には伏線という名の理由付けや根拠が張り巡らされていて、それに気づけるかどうか、という楽しみ方があるんだと思う。そういう楽しみ方をする人がいても別に構わないけど、私はなんか窮屈で好きじゃないし、つくる側からその観方が推奨されるようになったら嫌だ。人生は説明のつかないことがたくさん起こるし、フィクションにだって理由も意味も意図もないシーンがあって良いと思う。ジンくんはそういう、理由も意味も意図もない行動を自分に許すことを、意識的にやっているように見える。身に着けるもの一つすら過剰なほど考察される環境にいるのに、そうしている。
人生観を歌うなんて、下手すると説教くさくて聞いてられないと思うのだけど『Rope it』は軽やかで味わい深くて、良い曲だなと思う。
「목표는 몸이 맡아(目標は体が引き受ける)」とかも、かっこいい歌詞なんだよな。ジンくんが書いた歌詞どこか知りたいな。
せっかくアイドルを推しているのに、いわゆるあの「キャーーーー!」の感じが無い自分に、物足りなさや不完全さのようなものをずっと感じていたけど、そういう気持ちにも一旦区切りがついたように感じた。ジンくんは私なんかが想像できるより遥かに懐深い。ジンくんは「キャーーーー!」を受け入れられるし、ポーズとしての「キャーーーー!」だって受け入れられるし、彼女に連れてこられた人だって全然もちろんウェルカムだった。「今日ここに来てくれた人は僕の恩人です」とまで言ってくれた。なんかすごく「良いもの」になったみたいでこそばゆい。私たちはどのようなスタンスであれ、ジンくんに等しく扱ってもらえる。そのことがどれだけ難しいことか分かるので、ありがたいなと思うし、その信頼に応えたいなと思った。
帰りは友人とジンくんのライブだけでなく、バンタンは本当に最高だという話をたくさんして楽しかった。私は「好き」を自分の腹の中だけで延々煮続けられる性質だし、人と共有することや共感が最優先ではないのだけど、それでも人と共通の好きなことについて話をするのは当たり前に楽しい。
ナムジュンがひとりでアメリカ入りすることになり「みんなの仕事の都合で一緒に行けなくなってしまって……僕一人で先に行きます……不安です……」と迷子みたいな顔をしていたのに、翌日にはユンギ・ジミン・グクが出発していた話をしてめちゃくちゃ笑った。あんな不安な顔をしたナムジュンをたったの1日だけ早く出国させる理由なんやってん。しかもその1日の間にナムジュンはスマホを水没させている。ナムジュンは放っておくとあらゆる物を破壊し、パスポートやAirPodsを紛失し、そんな自分を「僕はまだ一人前になっていないんです」と憂うような人なのだ。かわいそうやけどかわいすぎる。
バンタンは今アメリカでソングキャンプ中らしい。来年の春にアルバムを出すから、みんなで曲作りをする、とのこと。何そのGrateful Deadみたいな……(ちょっとちがうか)最近は一人で楽曲制作をせず、複数人で集まって作る、というのはよく聞くし、ユンギもナムジュンもソロアルバムの制作でソングキャンプをしていたけど、バンタンがメンバー全員揃ってやるのは過去にないと思う。いずれは制作時の様子なんかも見られる日がくるかもしれない。こんな楽しみなことはない。テヒョンもいつのまにか合流したみたいだし(こないだまでパリにいた)、ホビもロラパルーザのヘッドライナー(大仕事~!)を終えて近いうちに合流するはず。ジンくんはまだワールドツアーの真っ最中でこれからアメリカ・ヨーロッパを周るけど合間で参加するらしく、ジンくんのツアー日程に合わせてキャンプそのものも移動するみたい。こんな楽しみな話があるかい。
ジンくんのライブが終わったら楽しみがなくなっちゃう、と思ったけどそんなことは全くなかった。そうだった、生きてると無限に楽しみがあるし、それを真っ当に享受するために私ができることは無限にあるのだった。
推しを肉眼で見ても私は溶けて消えることなどなく、これからも生活は続いていきます!タリョラー!ソクジーーーン!!!
footmarks
2025年7月6日 (日) 20:48
はじめに
韓国に行ってきた。4月に5泊6日してきたばかりなので「次は秋ごろか、冬ぐらいかな」と思っていたのだけど、推しの事情によって急遽……今を生きる推しは今しか見られないので、私は行けるところにはどこにでも行く、のスタンスで生きている。年々フッ軽になる私を、父は「見た目からは想像もつかんフットワークの軽さ」と評した。褒める前にディスっているのでプラマイゼロ。
飛行機
- 21時半発の飛行機、空いてるし静かでよかった
- が、8時間働いたあとなので普通にめっちゃ疲れているし、眠すぎる
- 道が混んでて空港までのバスがやや遅れたけど、離陸2時間前には着けた
- AeroK航空初めて乗ったけど、なんか全体的にデザインが良かった
- 添乗員さんたちの靴かわいいなーと思ったら機内販売で売ってる、ほしい
- AeroK×MG crew sneaker とのこと、MOTHER GROUNDていうブランドとコラボしてるみたいなことらしい
- 夜中やしイミグレの窓口が少ないかと思ったけどそうでもない、15分ぐらいでサササと終わった
- 帰りの空港ではかぼちゃのお茶とコンブチャを買ったのだけど、箱はその場で捨てて中身だけキャリーのポケットにミチミチに詰めた、お茶の箱はかわいいので畳んで持って帰ります
- 小さいキャリーで来たけどどうにかなったな……酒2本買ったのに収まった
- 大きいキャリーは空の状態でも7キロあるので預け荷物は15キロ制限やのに無駄が多い
- 今後も嵩張るもの買わんときは小さいキャリーでやっていこ
- ただ「嵩張るもの買わん」かどうかは行くまで分からんねよなーーー
空港泊
- 仁川空港着が23時を過ぎるので、ソウル市内に移動する手段がない
- タクシー乗っても良いけど夜中にひとりでタクシー乗るの怖い、昼間だってタクシー乗ったことないのに
- 空港内にカプセルホテルがあるので、これを利用することにした、これなら空港から出ずに済む
- 着陸してから40分後にはシャワー浴びてるの良い
- 予想より良い部屋でうれしい
- チェックアウト時間はチェックイン時間から8時間後、ていうルールらしい、これありがたい
- 24時間営業やからできるんかな
- 空港の中にコンテナ的に部屋が設置してある
- エスカレーターが動く音や自動案内の音声なんかが遠くに聞こえる
- 思った以上に「空港に泊まってる感」がある、良いね
- 空港が好きやねん
- 空港のベンチとかで寝ることにせんでほんまに良かった、寝られるわけないよ
移動
- 忘れてたけど電車めっちゃくちゃ寒い、冷房ガンガン
- 去年も6月なかばに来て「電車ぜんぶめっちゃ寒い容赦ない」と思ったのだった
- 去年はまだ梅雨入り前だったのか、そこまでではなかったのに、今年は超蒸し暑かった、私はパンぐらい湿度に弱いのでふにゃふにゃのベショベショになった
- パタゴニアの上着持ってきたのにキャリーに入れたままや……室内で羽織るために持ち歩く必要があります
- 結局AREX(空港快速電車みたいなの)に一回も乗ったことない、あれいつ乗るんやろ
- どうせどっかで乗り換えるし、運賃も高いねんよな、あれに乗るメリットが分からん……
- が、帰りの空港まではまったく座れなかったので「確実に座りたいときに乗る」が正解な気がする
家
- 漢江の北側にしか泊まったことないので今回は南側に家を借りた
- 近くにいくつか幼稚園があって穏やかな住宅地エリア、子どもの韓国語かわいいね
- 子どもの日本語もかわいいもんな、子どもがしゃべってるのを聞くの好き
- ソウルの幼児たちの中でキックボードが流行ってるぽい、通園時に乗っており、園の前に山ほど停めてある、かわいい
- 泊まるとこは住宅街っぽい感じのほうが好みやわ、果物屋さんとか見たいし、買わんけど
- ソウルにはバラ売りの果物が全然ない、リンゴ1個だけ買いたい人とかはどうするんやろ
- ごま油を搾って売ってるお店あってめちゃくちゃ興味深かったけど勇気が出んくて入れんかった、情けない
- 家は「はよ着くから荷物だけでも置かせてくれたらうれしい」と伝えておいたら朝7時に「掃除終わってるからもう入っていいよ!」とのこと、ありがとう助かった、早起きやな〜
- 借りた家は例えるなら「年下の彼氏が一人暮らししてるアパート」みたいな部屋やった
- 整頓はされてるし要るものも揃ってるし私のぶんの良い枕まで買ってくれて嬉しいけど、掃除の詰めがあまいのが気になる(主に水まわり)、掃除道具はあるから休みの日に掃除したいけど嫌がるかな、嫌がりそう、「自分で出来るのに」って言いそう、うーん困ったな、ご機嫌を損ねたくはないし別にこの部屋が「汚い」わけでもない、みたいな部屋(分かる?)
- 私は人の「清潔」のレベル感を見るのがおもしろいのでエアビーに泊まり続けてるんかもしれん、まじでおもしろい
- 「整頓」のレベル感にそこまでズレはないのに、「清潔」はあまりにも多種多様、理由もわからん、めっちゃおもろい、なんでなんや
- あと韓国の家いまんとこ全部コーキングが雑、自分の家の施工ならやり直してもらうレベル、もしくは自分でやるレベル
- 私が泊まってる家の価格帯のせいなんかな、でも今後もこの価格帯の家に泊まると思う
美術館
ソウル市立美術館
- こちらは裁判所だったとこを美術館にした建物らしい、オフィス街なので周辺にはランチ終わりの会社員の人たちが大勢いた、おつかれさまです
- 玄関の造りが東京都庭園美術館に似てる気がする、同じ時代やろか
- 調べたらこちらは1920年代、庭園美術館は1929年に取り掛かったらしいので、同じ年代と言っても良さそう
- とても良い展示をやっててお金を払いたかった、ここは市立だからか無料
- 無料のおかげか、若い人が多いように感じた
- 熱心にワークショップに参加する男の子たちがかわいかった、ハイティーンくらいの歳の男の子がこういう「感覚を絵にしましょう」みたいな、ともすると気恥ずかしいようなワークショップに友達と進んで参加できるというのは、涙が出るほど素晴らしいことだと思ってしまう、冷笑にまみれた現代では特に
- 作者の作品メモみたいなのが木箱に入れてワサッと置いてあってんけど、あれもしかして持ち帰って良かったんかもしれん(今さら)
- 多分触っていい作品とかもあってんけど、怖くて何も出来んかった、作者がおらんとこで作品に触るのすごい抵抗ある
- 作品メモは翻訳かけて読んだけど、どれもみな詩やった
- ソウルにはいつも詩がある
- キャプションを読みたいのでPapagoの画像翻訳に頼りっきり、スマホがある時代に生まれてよかったーーー!
- 何かの基金を募っている団体の人(多分)が美術館内にいて、話しかけられたのだけど「ごめんなさい韓国語が分かりません」としか言えなくて申し訳なかった、もし美術館運営の基金とかなんだったら私だってお金を払いたいのに
- 旅行回数を重ねるごとに、言葉が分からないことがしんどくなってきている気がする、私はもっと勉強を、もっとしなくてはならない
国立現代美術館 徳寿宮館
- こちらは安国にある現代美術館の分館、という立ち位置になる様子、全部で4つの館がある
- 入り口がわからんすぎて無駄に一周した、最初に通り過ぎたとこが入り口やった
- 来た道を引き返すのが極端に嫌いなせいで、間違ってるな〜と思いながらも延々歩く羽目になる
- 徳寿宮の中に美術館があるのでまずその入場チケットを買い、美術館は美術館でチケットを買うのが正解でした
- 美術館の入り口で何を言えば良いか分からん、日本語なら「大人一枚お願いします」やけど韓国はどうすればええんやろ、調べよ
- 毎回ヘラヘラしながら「ください」だけ言うてる、これで良いはずがない
- 超現実主義の展示だったので疲れた、シンプルに目が疲れ、脳も疲れる(悪口じゃないです)
- シュルレアリスム、特段嫌いというわけじゃないねんけど一向に見方を心得られへん
- なんやろ、視座が定まらん感じがする
- お前は何者なんや、どこから来た、どこ見てんねや、こっち見ろ、と矢継ぎ早に話しかけられているような気持ちになる、待ってよ、待って
- ずっと脳の感覚の鈍いところを爪楊枝でカリカリカリカリされてる感じ?刺しもせんけど止めてもくれん、みたいな感じ(悪口じゃないです)
- なんかまだ元気やしまだ行けるな、安国そない遠ないし本館も行こかなと思って調べたけどまだ前に見た展示が会期中やった
- そらそうか、前回来たのが4月やもんな、ごめん何回も来て、怖がらんといて、わざととちゃうねん
アモーレパシフィック美術館
- こちらは龍山にあるアモーレパシフィックの本社ビルの地下にある美術館、創始者が収集した美術品を展示するためにスタートした様子
- アモーレパシフィックは韓国の化粧品メーカー、いつもお世話になっております
- リウムもここも、韓国の大手企業はなぜこうもセンスの良い美術館を作ることが出来るんだろうか
- 日本にもあるはずやけど、私が知らなさすぎる、積極的に行ってみる必要がある
- 前回リウム美術館で「予約してる?」と聞かれてヒヤッとしたので、念のため予約した、予約できる美術館はぜんぶ予約しようと思う
- 前日(というかもう当日)に予約したけど、必要やったかどうかは謎
- 19世紀〜20世紀ごろの朝鮮民画の展示だったのだけどすごいかわいくて大満足
- 民画の定義は分からんのだけど(絶対どっかで解説されてたけど読み落としてる)たぶん屏風や掛け軸、引き戸みたいな実用品に描いてあって、単に装飾品としてのものもあれば、お祝いごとだったり、開運祈願だったり、そういうお祈りを込めたようなものもある
- サイト見てる時はイマイチわからんかってんけど、実物見てキャプション読んだらめちゃくちゃ楽しめた
- 名画のドヤ!感を楽しむのも好きやけど、こういう親しみやすい展示も大好き
- ソウルの美術館、どこも見せ方がすごい上手やと思う、キャプションだっておもしろいし
- 民画展は展示室自体は真っ暗にしてあって、作品とキャプションのとこだけきっちり長方形にライティングしてあった
- なるほど線が細くてタッチが細かい作品が多いので、壁が白いと見づらいはず
- 2階にはアモーレパシフィックの製品全部置き!みたいなショップがあった、ラネージュもイニスフリーもHERAもエチュードもみーんなアモーレパシフィック
- セレクトショップもめちゃくちゃ良い感じやったのに閉まってて、ガラス越しに凝視してしまった、次回また来ます
- 美術品て「単純にめっちゃ古い」か「有名な人が描いた」かでだいたい価値が決まってるように思うけど、現代美術はまだそのどちらでもないし、そのぶん解釈もいろいろで価値観は観る人にお任せされてるのが楽しいね、現代アート楽しい大好き
- もちろん作品と作者への敬意は根底にあるしあるべきやけど、単純に好みかどうかだけで好いても良いのよ、という空気があるように思う
- 有名な作家を有名たらしめているのも時間やったりするし、あとは文脈
- 文脈って大きいのと細かいのとが混み入ってるやん、大きい文脈を読むのは時間がかかるし
- 本展は「3作なのか連作なのかはまだ分かっていない」みたいなキャプションもわりと多くて、楽しい気持ちになった
- そう私たちはまだ、何も分かっていない、今はずっと過程
食べもの
- 美術館を2軒まわったらお昼にクッパ食べようと思ってたのに行きたかったお店のランチタイムが終わって閉まっちゃった、何か食べたい
- 韓国来るとき毎回「おいしいもの食べるぞ〜!」と思って来るのに、毎回美術館に夢中になっちゃってまともなごはんが食べられへん
- ひとりやから余計やねんよな、ごはんだけ一緒に食べる旅行だれか、頼む、美術館は付き合わんで良いから
- 朝駅で買っておいたホドゥカジャでしのぐ、ホドゥカジャは冷めても美味しい、思ってる3倍あんこ入ってるし
- ホドゥカジャ売ってたおばあちゃん、ご機嫌でかわいかったな〜
- 14時過ぎになると選択肢がファストフードかカフェか、みたいになる、粉食屋さんは開いてるけど、お腹空いてるときに店選びを外したくない
- こうなると何も食えない、自分の食いしん坊が憎い、お腹空いてるねんからなんでもええから食べろや
- そこそこにおいしい、ブレイクタイムなしの、店舗数の多い粉食屋さんとかないんかな、あるやろうなぁ
- 結局GS25のおにぎりでどうにかした
- そういえば韓国でおにぎり初めて食べる、大きいし具が多い、おいしいです
- 夜はキョチョンチキンを食べることに決めてる(出国前から決めてた)
- が、店が混んでる、そうかなるほど金曜日
- 「お持ち帰りで」「1時間かかるで、ええか?」「まじか、早いメニューもある?」「ない、ごめんけど、見ての通り混んでんねん」「ウワァァアー……(でも今日ぜったいチキン食べたいもん今から他の店探すのもしんどいしどうせどこも混んどるやんな)オケ」
- 絶対に「オケ」なわけないが、もう待つことにしちゃった、1時間もチキンを
- ぜんぜんオケじゃないよ、でもオケ言うてもた
- まぁ待ちさえすれば作ってくれるねんし家すぐそこやしいっか、と思いNetflix観ながら待ってたら45分で来た、早い!
- さっきの店員さんがめいっぱい「ジャジャーン!お待たせ!あなたのチキンだよ!」みたいな感じで持ってきてくれてかわいかった、忙しいのにありがとう、やさしいね
- 10分で帰宅してもりもり食べた、デカいボックスにしたので残して次の日も食べる予定やったけどいけた、いけるなよ、とは思った
- キョチョンチキンはにんにく醤油のあまからいタレがかかってるのに衣がカリカリのままで摩訶不思議、しつこくないし、すごくおいしい
- 韓国に来るたびに「なんて揚げものの上手な国……」と思う
- 付け合わせの酸っぱい大根も好き、缶のペプシもくれるけどこれは飲まんので毎回泊まった家の冷蔵庫に入れて帰ってる、次に泊まる誰かか、家主かが飲んでくれてると信じてる
- 箱入りのホドゥカジャを日本に持って帰りたくて蒸し暑い中お店に行ったのに閉まってて絶望した
- 定休日は明日て書いてあるのに……なんでや……
- 翌日べつのお店で買いました、専門店のホドゥカジャ初めて、おいしいといいな!
おみやげ
- GS25にイモカセさんのポテチ売ってる!
- イモカセさんは私ともっちゃんが一緒に観てるNetflixの番組『白と黒のスプーン』に出てるシェフ
- ごま油とえごま油のポテチらしい、おいしそう、2+1なので3個買った
- イモカセ海苔もあるらしいので手当たり次第GS25を回ったけど全く売ってない、どこにおるんや
- 帰り際の空港でようやくふりかけタイプのイモカセ海苔を見つけたので嬉しくて2個買った
- ジンくんのお酒、ことIGINも買えた
- ジンくんがどこまで事業に携わってるんか知らんねんけど、缶入りトニックはおいしかったし、デザインまわりもセンスが良いので応援している
- IGINはりんごの蒸留酒だそうです、クラフトジンてことやと思う(ごめんあんまり分かってない)
- IGINのポップアップに行く途中でボクスンドカのポップアップも見つけて嬉しかった
- ボクスンドカはマッコリのメーカー
- このあとボクスンドカを買いにソウル駅まで行く予定やったのに、梨泰院で全部済んだ、ラッキー
- 未成年じゃないん?てくらい若い男の子が接客してくれた、未成年なわけないと思うけど
- 雑貨屋さんにちょっと寄ったぐらいで、今回ほとんど買い物せんかった
- あとはオリヤンで少し、メイク落としシートとかぼちゃのお茶、コンブチャ、あと歯磨き粉なくなりそうやからひとつ
- 今回ほとんど買い物せんかったけど、これぐらいのバランスで体験と消費がやれるとベストやと思った
- 消費が過剰やと、なんか精神的に負担がかかるので……
#RUNSEOKJIN_EP.TOUR in GOYANG_LIVE PLAY
- 何時に着けばいいんか分からず、でもとりあえず本があれば時間つぶせるから、と思って蚕室に14時着
- ファンクラブ特典の引換、ぜんぜん混んでなかった、紙もののプレゼントをくれた
- kpopたちは紙もののプレゼントいっぱいくれる、たまに紙もののグッズを買ってもらえるプレゼントも紙ものやったりしておもしろい
- グッズ売り場もほとんど並んでない、ネットで買ったし何も買う気はなかったけどせっかく空いてるからシールとか買った
- こんなに早く入場せんでも良かったな!!!
- まぁ遅刻するよりずっと良いね
- 湿度すごくて暑すぎる、着替えたい
- じっとしてればそんなに暑くはない、読書が捗った
- 持ってきたソンムル(お菓子とかフォトカードとか詰め合わせて近くの席の人に配る、たぶんkpopファンが始めた文化)を入場前と開演前、終演後にぜんぶで10個配り終えた
- ジンくんのファンであるということ以外何も知らん初対面の人に話しかけて物を渡すてどういう…そんなこと出来るんかな……と思ったけど私人見知りじゃなくなったんやった、ぜんっぜん渡せる、余裕
- 飴ちゃん配るおばちゃんの感じめっちゃ出てるぞ、まじ順調
- ジンくんのコンサートは予想よりはるかに仕上げてきてて、貫禄すらあった
- 場を読む力が尋常じゃないねんよな、どう見られてるか、何を期待されてるか、どの程度の間(ま)なら待たせて良いか、人がどこで緊張してどこで弛むか、何もかも全部分かってて、まじで手のひらの上
- しかもそれが不愉快じゃない、愉快で快適で幸せな手のひらの上、ずっとその手のひらの上におらせてくれ
- 想像した以上に双方向のライブやった、客がジンくんを見ているときジンくんもまた客を見ている
- もちろん用意したものを見せてくれたと思うし、いっぱい練習してリハやってトレーニングもしたと思うけど、ステージに乗ったあとやというのに「どうとでも出来る」って顔をしてたの、かっこよかったな
- 腹決まってる人の顔ってかっこいいねんよな
- 隠すこととかなくて、緊張はしてるけど怖いものとかはない、の顔
- 過剰にエモに振らへんとこも好きやねんよな、ジンくんてどんなにエモい曲をやってて、どんなにエモい状況になっても、離したらあかん足場だけ絶対に踏んでるというか、エモなるのは客であって決して自分ではない、ていう基盤みたいなのがあって、あれめちゃくちゃかっこいいねん
- もちろん経験も実績もあるし当たり前かもしれんけど、これを7人でやるのと1人でやるのは全然違う
- 「ここまで出来るんか、こんなに出来るんか」と何回も思った、もちろん見くびってた訳じゃないのに超えてくるから……
- オープニングからコンセプトがしっかりしてたのも良かった、推しがアイデアバンクすぎます
- 初日を絶対見逃したくなくてライブプレイに来たけどほんまに来てよかったな、周囲の人のリアクション込みで見たのも良かった
- 2週間ネタバレを避けるのも不可能やったと思うし、何より私だけが私の感じるジンくんを分かると思うからな(何を言うてるか分かりますか)
- 今後も行けるとこにはどこでも全部行こう、私には自分の足を使って得る経験と体感がもっともっと要ると思う
輝度
2025年6月25日 (水) 21:18
姪っ子、ではないか、えーと、私の従姉妹の娘は、私からすると呼びかたは何ですか。ちょっと調べてきます。
従姪(じゅうてつ)だそうです。耳慣れないですね。読みは「いとこめい」でも良いそうです。ほんまか……?今度図書館で調べておきます。
従姪と話しているとき、あんまりハマらなかった映画の話になった。彼女が言うには「妹が観たいって言うから一緒に観たけどイマイチで」とのこと。「イマイチってどんなところが?」と聞くと「そんなに深く考えんかった」と言う。
その話の前に、彼女は「何事にも深くのめり込むようなことがなくて、これといった趣味もないのが悩み」というようなことを言っていたので、私は「自分が何が好きかと同じぐらい、何が嫌いかをちゃんと考えて知っていかんから、逆に何も好きになれんくて、深くのめり込めんのとちゃう?」と話した。私は逆で、いろんなものにのめり込みやすいタイプなので、金もかかるしいつでも時間は足りないし、あらゆる趣味に同じだけの熱量を注ぐことの難しさに苦しんだりしているような人間だから、反射的に「趣味なんかなくたって別にええやん」と思ったが、それは言わないでおいた。趣味がない人の気持ちを、根本的に理解していないので、迂闊なことは言えない。
「試しにその映画の何がイマイチやったか話してみてよ」と促すと「話の先が読めてしまって、しかもその通りになったから、嫌いとまではいかんけど、でも楽しめなかった」とのこと。「でも“お約束”とか“ベタ”とか、いわゆるお決まりの展開ってのは映画にもドラマにも付き物やし、必ずしも“先が読めること”は弱点ではなくない?」と私は言ったが、従姪は「確かにそうや、楽しめるベタもある、でも違いがわからん」と言っていた。「もう少し深堀して考えてみたらおもしろいかもね」と言い置いて、この話は終わった。
後日、私の両親にこの話をしたら「普通はおもしろくないとか好みじゃないと思ったものについて、そんなに時間かけて考えたりせんやろ、お前はめんどくさいな」とのこと。私は生まれつきこういうめんどくさい人間やないか今さら何を、と思ったけど、加齢によって加速している自覚もある。ふはは。あなたたちが生み育てたモンスターですよ!!!と言いたいけど、両親のことは「私が成人するまで衣食住の世話をしてくれた心優しい人たち」としか思っていないので、私のめんどくささに両親がどの程度関与しているのかは全然わからない。正直、まったく関係ないようにも思う。
そもそも「好き」とか「よかった」とかについて話したり考えたりすることは「良いこと」とされていて、「おもしろくない」とか「好みじゃない」とかは蔑ろにするの、何なんや。同等に扱ってもええやん。「好き」と同じくらい「嫌い」について考えたほうが「好き」だって強化されるやんか。
まぁ私は嫌いな映画の何が嫌いかを言語化してまとめるためにもう一度観るような人間なので、評としては「めんどくさい」で合っていると思う。
興味が湧いたので、従姪が「イマイチ」と評した映画も観てみた。確かに「話の先は読めてしまった」。が、どう考えてもこれは子どもをメインターゲットにした映画なので「そらそうやろ」とは思った。私は子ども相手の創作物に、思いも付かない着地点とか、壮大な裏切り、とかは必要ないと思っている。よかったよかっためでたしめでたし、で終わっていい。
一方、SNSで見る限りは大人の評価も高いようだったので、気にかかり、何が理由か考えてみたけど、おそらくは原作アニメを子どもと一緒に観ている(というか、ながら見している、子どもと暮らすと自然にそうなる)ので、ある程度キャラクターについての前知識があるんだと思う。もしくは自分が子どものころに観ていた原作アニメの記憶がちゃんと残っている。
キャラクターたちそれぞれの性格や役どころ、経緯なんかをある程度把握している人は、劇中では特に何も説明されないキャラクターの行動や、細かい言動をきちんと理解できる。そういう基礎知識のない人は大筋のストーリーしか追えるものがなく、なおかつこの大筋のストーリーは「話の先が読めてしまう」くらい分かりやすいので、そら感想としては「イマイチ」になっちゃうね、と思った。
“イマイチ映画”としては分解しやすかった。なおかつ作り手や映画そのものではなく、どちらかというと「私はターゲットではない」という意味で、むしろこちらに非があるように感じた。
でも、序盤から何度も挟まれる台詞のないシーンは印象的で良かったな。「戦をすると何が起こるのか」ということを、子どもに伝えるのに、過不足ないシーンだったと思う。みんなが「かっこいい」「おもしろい」と言って見ている「たたかい」はアニメの中だけで起きているわけではないことが、直接的ではないにせよ伝わったんじゃないか。子どもに向けて物をつくる人たちのスタンスとして、かっこいいと思った。
先日観たある映画については、まだ自分の中で処理が終わっていないが、SNSを見ると「最高」「よすぎた」「すごすぎた」と絶賛コメントが流れてくるので、なんとなく焦る。良かった映画の処理に比べると、イマイチ乗れなかった映画の処理のほうが時間がかかるのだ。1回しか観ていない映画の記憶などもちろん日に日に薄れていくのに、どこがどう刺さらなかったのか、腹落ちさせられるまで熱心に考え続けるなんて、普通に疲れる。別に楽しくもない。何の時間なんだ。「好き」を考えるより「嫌い」を考えるほうが大変だ。疲れるけど、あきらめるのも癪に障る。「私はターゲットではない」のだったら話が早いのに、年齢層や趣味嗜好、監督の過去作からの流入客である点など、どう考えてもメインターゲットなのでよけいにしんどい。
とりあえず「ずっとダイジェストみたいだったのでアツくなれなかった」ということと「キャプションはないほうが良い、出したほうが親切だし、知ってほしくなる気持ちも分かる、でもキャプションはないほうが良い」、それから「対比させるなら他方の書き込みが甘いんじゃないか」ということ、さらに「感情表現をあまりにも役者の演技頼みにしすぎじゃないか」と思ったことは、ここに記録しておく。
you don’t know me
2025年6月23日 (月) 20:12
『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』を観てきた。数か月前に映画館で予告編を観ていて、楽しみにしていた映画だ。公開されたと思ったらすでに早朝の回1回しか上映がなくなっており、慌てて朝8時半の映画館に駆け込んだ。めちゃくちゃ良い映画だった。
小説が原作らしいので読もうと思う。
原題は『대도시의 사랑법』、대도시(大都市)의(の)사랑법(愛し方)とのこと。「ジェヒ」の章を映画化したもの、とあるので、オムニバス形式の小説なのかもしれない。本屋さんに寄って帰ろう。
映画は大抵の場合「原題のほうが良いなぁ」と思うことが多くて、でも「じゃあお前が邦題考えろよって言われてもむずいなぁーーーー」と思うことばかりなのだけど、今作の邦題はなかなか良いのを付けたんだな、と思った。翻訳によって失うものもあれば、得るものだってある。まぁLOVE IN THE BIG CITYなので邦題と言っていいかは分からないけど。『ラブ・イン・ザ・ビッグシティ』ね、ビッグシティはソウルのことを指すが、ラブのほうは特定のどれかを指してはおらず、友愛・恋愛・性愛・家族愛・親愛などをまとめて全部包括していると思う。
私は愛について考えることが日増しに増えており(原因は不明)、考えれば考えるほどその定義の不可能性や、箱としての膨大さに取り込まれてしまってぼーっとする。愛は行動でもあるし、感情でもあるし、体験でもあるし、意志でもあるでしょう。愛ってなんなんでしょう、必ず最後に勝つらしいけど。勝つって何にだろう。
恋は、もう少しコンパクトな感じがする。懐で温められるサイズ。恋はふくらはぎに触れるワンピースの裾。恋は玄関でしゃがみ込む夜。恋はベッドで蹴る布団。「恋は迷わずに 飲む不幸の薬」と歌ったのは草野マサムネ(天才)。
劇中だと「愛は分からないけど“会いたい”は分かる」みたいな台詞があって、あれも良かったな。たしかに愛は茫洋だが、“会いたい”の輪郭はめちゃくちゃくっきりハッキリしている。他の行為でも、他の相手でも、取って代わることがない。“愛”とも“恋”とも違う強度が“会いたい”にはあるね。ほんとにそうだわ。
フンスとジェヒが一緒に暮らし始める(直前だったか、暮らし始めたあとだったかは忘れた)頃にテレビで流れていたmiss Aの『Bad Girl, Good Girl』を最後にもう一度持ってくるところや、劇中のニュースでかかっていた映画『Call me by your name』をフンスのお母さんが観に行くところなど、細かい描写が丁寧なところも良かった。あのときテレビでかかってた曲、あのころ流行った映画、みたいな、象徴的なパーツがあると、生活が見える。生活が見えると、人生が見え、人生が見えるとキャラクターの立ち上がり方が全然違って見える。
ジェヒの元カレのお母さんに借りた服が引っ越しのときに出てくるシーンもよかったね。恋愛にも友愛にも歴史がある。
フンスのお母さんは『Call me by your name』を観て、何を思ったんだろう。息子にゲイだと打ち明けられて観る映画として適切かどうかは分からないけど、息子のことを知りたい・理解したいと思う一心だったことだけは十分に伝わるシーンだったと思う。こういう「多くは語らないけど伝えたいことだけは的確に伝える」のって、作る人の技量でしかないな、という感じがしてかっこいい。
しかし「木いちご?」て字幕出てるとこ、すごい翻訳難しいやろうな、と思った。血だと思ったら宝海(ボヘ)の覆盆子(ボクブンジャ)を吐いただけだった、という緩急のあるシーンで、そのあと覆盆子の瓶が2本ぐらい写るのでそこまでくれば分かるけど、でも覆盆子(言われてみれば結構血液っぽい粘度の酒、真っ赤)が何かを知らなければ、結構「???」なシーンじゃないのか。フンスが気づいて緩むまでの時間と、観客が緩むまでの時間に、時差があるというか。数秒とはいえ。私は韓国語がほんのすこしでも分かるようになったことで、どう翻訳するかを見る楽しみもできたと思う。うれしい。
miss Aのことはグループ名はなんとなく聞いたことはあるような気がする程度で『Bad Girl, Good Girl』も知らなかったのだけど、すごく良い曲だと思った。歌詞もキャッチ―でかわいいのだけど、メロディーがちょっと、ほんのちょっと切なくて、とっても良かった。J.Y. Parkさんてもしかして、つんくさんみたいな感じの方なのか……?つんくさんの曲ってちょっと切ない感じというか、ちゃんと湿度があるやん、あの感じ好きやねんよな。
ジェヒが産婦人科で泣くシーンもすごく良かった。思い出しても胸が痛い、悲しいシーンだったが、不可欠なシーンだったと思う。生まれたときから勝手に体内にあるものを神聖だとか神殿だとか言われるのってすごく不気味なことだ。私と私の身体とは、本当に同一のものなんだろうか、と思うことがある。だって身体が私の意思なんか汲んでくれたことはないし、私がこの身体の中にきちんと収まっていたことなんか一度もないように感じる。私が根本的に「身体が利かない」人間である、というだけのことなのか、そういうわけでもないのか、どうなんだろう。みなさんはどうですか。
結局持って帰ることになった子宮の模型をジェヒが捨てるわけでもなく、デスクの上に置き、引っ越しの日に持っていくわけでも、そのタイミングで捨てるわけでもなく、フンスはそのデスクで小説を書くことになる。その傍らにも子宮の模型が置いたままになっている。なんか、なんだろうな、全然言語化できない、あの感じ、めちゃくちゃ良いけど、何がどう良いのか全然。私も子宮から生まれて、腹の中に子宮を持っているのにな。
結構明確にパンチライン!な台詞がたくさんあるのも良かったな。「あんたらしさが弱みになるはずない」とか、「執着が愛でないなら、僕は愛したことがない」とかね。私は結構「ウワァパンチラインドヤ!の感じ、しゃらくせぇな~~~」と思うタイプのひねくれ拗れ人間なのに、しっかりどっしり効いている。前者は映画全体のコンセプトでありキャッチコピーでありメッセージだし、後者は言う人・言われる人・言うタイミングなどがバッチバチにきまっており、短針と長針と秒針が重なるときみたいに美しかった。
「今だけを生きるジェヒ」も良かったね、ミンジュンありがとう。「社会に・会社に馴染もうとして見失ってしまったジェヒの比喩であるところのハイヒール(だと私は解釈した)」を探してくれるミンジュンよ……ジェヒはハイヒールの片方は自分で見つけているところも良い。靴に関する描写はベージュのペタンコパンプス→ハイヒール→赤いコンバース、まで、映画後半を繋ぐキーアイテムでもあるな。こういうところも丁寧。丁寧な仕事。
「女性がひとりで夜道を歩くと危ないから」という文脈で出た「(じゃあ)男が先に帰れば良い」も良かったな。なんて美しいカウンターパンチだ、軌道が見えるようです。
映画館を出たら同じ映画の同じ回を観たらしい友人に偶然会い「今年一番の最高に良い映画~!!!」と言い合ったが、冷静に考えたら『リアル・ペイン』も『ウィキッド』も今年だった。「今年一番の最高」が乱立している。良い年ですね。
夜は濃紺
2025年6月12日 (木) 21:48
また愛激重3000字ブログを書いてしまってるな……(前記事を読み返して遠い目)
私は言語化の悪魔なので、言語化できると感じたことは何もかもすべて言語化しておかないと気が済まない。今の感情を言語化できるのは今だけだし、私の感情を言語化できるのは私ただひとりだけだからだ。
ただこれは「すべてを言語化できると思ってやってる」のとは全く違う。これだけ熱心に言語化しても、全部は出来ない、どんなに努力しても言語化できないという部分・範囲・領域があることを、深く思い知るためにやってる、と言うほうが近い。単に文字にして記録するだけのことだって、ぜんぜん全部は出来ないよ。
職業病でもあると思う。言語化を怠けて雑にやっていると、雑なデザインしか出来ない。「フィーリングで!パパっとね!」とか言うデザイナー見たことあるやろ?そいつ、ロクなもん作られへんねん。
今はFESTA(デビュー周年イベント)期間であることと除隊ラッシュが重なり、ジンくんのソロ活動も並行しているので、本当に他のことが何も手につかないぐらいずっとバンタンのことばかり考えている。
今年は先に兵役を終えたジンくんとホビがFESTA担当メンバーみたいになっていて、すごくたくさんコンテンツを用意してくれている。デュオグループみたいで新鮮だし、ふたりの似てるところや違うところをコンセプトにしたりしていて見ごたえがある。よく考えたらユニットでここまでしっかりコンテンツが作られることって過去になかったのでは……?アルバムによってはユニット曲があったりするけど、コンセプトフォトまでは撮らないもんな。誰も何も計っていないからこそ得られた貴重な機会だなと、ありがたく思う。一方「ホビは年単位であらゆることを計画済である」という話を聞いたりもするので、これを見越して入隊時期をお決めになったんですかジェイホープさん……という気にもなる。
ホビは基本的にはジンくんを自由に、のびのびぽかぽかさせてるけど、たまに主導権を握ってやや無茶振りして、かつ「やればできるね~」とか言って褒めてくれて、急に「踊ってるヒョンも踊ってないヒョンもかっこいいよ」などとベタ甘のセリフをテレもなく真顔で言ってくれたりするので、私はジンくん本人の気持ちになってしまい、耳から首まで真っ赤です。ホビって優しいけど身びいきして甘やかすタイプの人ではないから、ホビに褒められるのってうれしいだろうな、と思う。
見るものが多いので夜更かししがちと思いきや、ぜんぜん22時半とかには寝てて、睡眠には支障が出ていないので、大丈夫、です。睡眠に支障が出始めると危険、という認識。バンタンを好きになりたてのころは全然寝てなくて、普通に体調が悪くなって、お医者に「夜は、寝てください」と言われて笑ってたな……でもお医者の言うことは正しいよ。夜は、寝ないといけません。
70時間一睡も出来なくなって睡眠薬を飲むようになった、と言うナムジュンのことを思うとつらい。夜寝られることも、3食ごはんを食べられることも、生活をまわせるということは全然当たり前のことではないね。
昨日はナムちゃんがぐっすり眠れますように、足を伸ばして寝られますように、とお祈りしながら就寝した。なんの助けにもならないと思うけど、せずにはいられないよ、ナムジュンが好きだからだよ。
睡眠についての悩みごとは多いだろうと思う。私は若いころの方が睡眠が上手く出来なかった。体力的なこともあるのだろうけど、2~3時間眠れば動けたし、寝ないことに慣れて「深夜3時までに寝つけなかったらもう寝ないことにする、それだったら寝ないほうがマシ」みたいな持論があった。窓の、カーテンのフチのあたりが、だんだん緑がかった青色に変わっていくのを見ながら、考え事が止まらない日もあった。眠れないのに布団に横になっている時間は所在なくて、環七通りを延々歩いている日もあった。寝られない理由のほとんどは精神的なことだったと思う。身体は疲れているのに、脳が寝てくれない感じ、寝なきゃ寝なきゃと思うと余計に寝られない感じも分かる。どんな精神状態であっても、どんな環境にいても、「夜ちゃんと寝られる」というのは強みなんだろうな。
つらかった、しんどかった、と言わない強さ・優しさもあるし、逆に言う強さ・優しさもあるよな。どちらも尊く、得難いものだと思う。何よりどちらにせよそれを共有してもらえる立場にあることが、光栄だと思う。推し、みんな健康で長生きしてくれ……
天国と全国とジョングクが似てる
2025年6月11日 (水) 20:10
防弾少年団の除隊ラッシュで、連日うれし泣きしている。帰ってきてくれてありがとう。みんな元気そうでうれしい。おつかれさまでした。よく休んでほしい、ほんとうに。今日はジミン(モチモチ)とググ(きゅるきゅる)も帰ってきたし、あとはみんなでユンギを待つだけだ。ユンギがどんな気持ちでいるか、昨夏から本当にずっと気がかり。
ナムジュンはこの1年半のあいだにテナーサックスが吹けるようになっており、演奏シーンは毎度笑ってしまうけど(突飛なので)、冷静なことを言うと「1年前よりかなり上達していた」。リードミスはあったけど、ピッチが前よりずっと安定している。
ナムジュンは、兵役に行く前も最中も行ったあとも、ずっと正直に生きているさまを見せてくれたと思う。休みの日には写真を送ってくれて、時折長い手紙を送ってくれた。たぶん、自分を自分のままにしておくことがすごく難しい環境だっただろう。weverseライブでも話してくれたけど、しんどかったし、つらかったと思う。後を引きそうなことも気にかかる。まじでゆっくり休んでほしい。休むことが解決につながるかは分からんけど、でも時間が解決するとまずは信じたい。よく寝て、よく食べ、安心して暮らしてほしい。そのこととステージに立つことが両立できないんだったら、もう立たなくていいとすら思ってしまう。でも信じてくれ、と言われたので、信じて待つよ。
「信じてくれ」って言われるの、嬉しいものなんだな。言われるまでもないことなので、言わなくても別に何も変わらないと思っていたけど、でも言われると嬉しかった。思ってること、伝わってるとしても、口に出して言ったほうが良いね。最近ずっとそう思う。それからRPWPは本当に最高のアルバムだし、君が後悔していると言ったスッピンの坊主頭も、私はとっても大好きだよキムナムジュン。
テヒョンはなんかめちゃくちゃでっかくなっている。行く前に「でっかくなりたいんだぁ~」と話していたので、テヒョンがなりたい自分になれたのなら何よりうれしい。よかったねテヒョン、頼もしいなぁ。テヒョンがどんどん大人になるの、まじで超ワクワクする。何より、テヒョンが自分の心を、きれいな心を、ちゃんと自分で守ることが出来る子だということがとてもうれしい。逞しいな。
バンタンの何が好きって、顔でもビジュアルでも音楽でもダンスでもなく、生き様でした。生き様が好きだ。
兵役の是非など、韓国国民ですらない私が口を出すべきではないことは承知の上だし、何にどう口を出したって関与できないのは当然としても、こうやって何を感じたか、どう過ごしたかを好きな人たちが話してくれている以上、何も考えないでいるのは嫌だし無理だなと思った。兵役で奪われるものが単に時間だけではないことを知った今、「弊推しの兵役は終わりましたので後のことは別に知りません」とも思えない。テヒョンが言った「僕はほんとうにおそろしいところに行ってきたんですよ」も「僕は殺人兵器になりました」も、全然笑えない。テヒョンがそんなつもりで言ってないことはもちろん分かるけど、でも兵役はスポーツ合宿でもないしキッザニアでもない、ショートコントでもない、現実だ。ナムジュンは先輩たちに「自分自身が誰なのかどんな人間なのか忘れろ」、「自我を捨てろ」と言われたらしい。言った人たちの気持ちはよく分かる、そのほうが結果としてラクだから、そうアドバイスするしかないだろうと思う。でもキムナムジュンという人は、自分が何者なのかを自分に問い続けて、答えを出し続けて、それを生業にしてきた人なのに。すごく悲しい。これも時間が解決してくれるだろうか。してくれると信じる以外、私に何かできることがあればいいのにと思う。でも、ずっと「私に何かできることがあるはず」と思ってシャキシャキ生きるしかないよな。何事も。
先日、嵐の相葉くんとジンくんが一緒に出演したテレビ番組のことを思い出す。メンバーはどんな存在か、と聞かれたジンくんは「もし病気なら腎臓をひとつあげられるほど大切な存在」と答えていた。大げさでも、感動的なニュアンスでもなく、どちらかというと淡々と、そう答えた。腎臓をあげられる、か。途方もない。考えたこともなかった。私は自分の腎臓を、誰かにあげられるだろうか。私、そんな器じゃないな。そんなに、誰かに、強く思い入れを持ったこともない。私は、誰にも腎臓をあげられないかも。「くれ」と言われたらあげられるかもしれないけど、誰も私に腎臓をくれとは言ってくれないのではないか。
以来、どのメンバーを見ていても「この子はジンくんに腎臓をもらえる子なんだ」と思ってしまい、名前の分からない感情で気が遠くなる。「畏怖」が近いかもしれない。そんなふうに思える人たちに出会えたジンくんはすごいし、その関係性でいられるジンくんはすごいし、ジンくんにそんなふうに思ってもらえる6人はすごい。
ジンくんは結構飄々としていて、なんというか、例えば「大恋愛に陥らなそうなタイプ」だと思っていた。ロマンチストだけどリアリストだと思うし、お別れの時になっても追い縋って泣いてくれなさそうな人だと思っていたし、こちらが追い縋って泣いても一度見切りをつけたら二度と振り向いてくれなさそうな人だと思っていたのだ。
兵役について以降、私はジンくんのイメージがだいぶ変わった。「やさしい」とか「ファン想い」とかのレベルを、とうに超えている気がする。あまりにも献身的で、ちょっと心配になるくらい自己犠牲的なところもある。前からそういう人だったようにも思うし、ここ数年で少し変わったようにも思う。ほんとのところは分からない。もともと「出来ないことは言わない人」という認識だったし、だから誠実に仕事をする人だとは思っていたけど、でもここまでとは思ってなかったな。何度も「ここまでしてくれるんか」と思った。転役してからは本当に、片時も離れないで一緒にいてくれたと思う。
「戻ったら家に帰るより先に会いにいくからね」と1年前に約束をくれて「こんなことでも言えて嬉しい」とかわいいことを言ってくれた。転役したその日の配信を見返してみたら、ただ「僕は軍隊で人気者でした」とだけ言って、どんな後輩がいたか話してくれて、先輩たちがどれだけ良くしてくださったか話してくれて、つらかったとか嫌だったとか行きたくなかったとか寒かったとかなんにも言わなかった。そのことの凄さを、分かってるつもりで、あんまり分かってなかったかもしれない。1年経った今、もっとすごいことだったと思う。むしろ私は「泣きごとを言ってはくれないんだな」みたいな気持ちでいた部分もあって、だから深く反省した。
ジンくんは除隊したその日の夜中にレコーディングをして、翌日には1000人とハグイベントをして、夜はコンサートをしていた。待っててくれたファンにそうしてあげたい気持ちがあったとして、そう出来る体力や気力があるかどうかはまた別じゃないかな。よく考えたらそのあとはバラエティーコンテンツを撮るために山登ってたよ。笑っちゃうぐらいアイドルだなジンくん。まじでアイドルの天才だと思う。天職だよジンくん。
まぁ私がどんな「イメージ」を持っていようが、それが変わろうが、ジンくんが「イメージ」の域を出ることなんか今後もないけどな!!!(大声)実際に会おうが、手を握りあおうが、3秒目が合おうが、私はジンくんの何も知ることはできないし、ジンくんを理解できるなんて思いあがりも甚だしい。これからも言動と行動のすべてを都合よく解釈し、愛されていると豪語し、自作の偶像を崇め、大いに誤解し、それでもあなたに救われたと咽び泣いて生きるぞ!!!(大声)
恵みの雨だ
2025年6月9日 (月) 20:46
「傷ついた」ということを受け止めるのって、めっちゃ傷つく。すでに傷ついているのに、その傷をきちんと視認して、もう一度自分でいじくりまわさないといけないのだから、そりゃ傷つくに決まっている。でも傷を傷のままそっとしておけるケースなんて、そんなに多くない。だから、その場では「なんかモヤモヤするなぁ」ぐらいで留めておいて、あとから「あれはなんだったのか」の反芻の波が襲ってきて夜眠れなくなり、深夜にひとり布団の中で「あぁ私は傷ついたんだ」と腹に落とすことで、もう一度傷つく。そのころにはもう相手は目の前にいないので、その人に「あのとき傷ついた、つらかった」という話をすることはない。もしするとしたら、その人のことが心底好きで、これからもその人のことを心底好きでいたい場合だけだ。
物理的な傷の話はしていません。物理的・肉体的な傷の話で言うと、こないだマーチンで下山したときに踵を広範囲ベロっとやってしまったんですが、キズパワーパッドでとってもきれいに治りました。あれすごいね。
あ、物理的な傷も、自分の目でどうなってるかちゃんと見たときに痛みが増すね。「ワァめっちゃ血でてたな」と思うとき、靴はいてるときより痛く感じる。あれどういう理屈なんやろ。
友人が「夜ねむれなかった話」をするのを聞いていた。具体的には書かないが、まぁ人間関係の話だ。人の悩みや苦しみのほとんど全ては人間関係のことだと思うので、言うまでもないことだけど。
人間は悩みや苦しみを次々と自分たち自身で作りだし、それを喰らいながら生きている、本当に愚かな生き物だと思う。どうもこんにちは、愚かな生き物こと人間です。
人は自分を機能として扱われると傷つく。属性や数値で自分を測られると傷つく。分類されると傷つく。憶測で断定され、話を聞いてもらえないと傷つく。軽んじられている、と傷つく。
が、自分もこれを人にしている。「私はしていない」なんて、私は口が裂けても言えない。絶対にしている。
「だからお互いを許し合いましょう」とも言えない。そんなこと言えるはずがない。「あなたは私を傷つけていて、私もあなたを傷つけているのだから、プラマイゼロで、お互いなかったことにしましょう」とは言えない。そんな都合の良い話があるか。あなたが傷ついた話と、私が傷ついた話は別の話だ。絶対に同じではない。
みんな幸せになりたいだけなのにな、なかなかうまいこといきませんね。
あ、この話、結論とかないです。私は解決策も持ってない。おいしいもの食べて風呂入って寝ような、ぐらい。でも傷ついてるときって目が冴えて寝られないし、おいしいものを食べようという気力すらも沸かないね。そういうとき風呂なんか入れないよな。自分を労わる理由が無くなるもん。分かるよ。入れるとき入ればいいよ。
『サピエンス全史』の中に「農業革命以降、人間は未来のことを心配するようになった」というようなことが書いてあった。狩猟採集民だったころ、人間は明日のことを心配したりはしなかったらしい。理由は簡単で、そんなことを心配したってどうにもならないからだ。「明日は鹿を狩れるだろうか」と考えたって、そもそも明日鹿に遭遇するかすら分からない。いつどこに魚群が現れるかなど探知しようがないのに「明日鯖を食べられるかな」と思い悩んだって仕方ない。その日採れたものを食べるだけだ、腐らないうちに。
農業革命後、人間は畑を持ち、畑を守るためにその近くに定住するようになった。畑があるせいで、「明日晴れるかな」「ちゃんと雨が降るかな」と心配せざるを得ない。農業革命によって、人間は未来のことを考えるようになったらしい。「なってしまった」と言っても良いような気がするけど、どうだろう。
そういえば、登山家の人の話だったと思うけど「遭難したときに未来の話をしてはいけない」というのがあった。どこで読んだのか覚えていないので正確ではないと思うけど、大体こういう話だった。
雪山で遭難すると、寝ると死ぬのでどうにかして起きておく必要がある。こういうとき、人間は未来のことを考えてしまう。この吹雪がおさまったら、視界がもう少し開けたら、道を見つけられたら、もし救助がきたら、無事に下山できたら、帰国したら、家族に会ったら、と未来のことを考える。でも未来のことは大体そこまでで考え終わってしまう。確かにそうかもしれない、考えうる未来のことなんて、そんなにバリエーションがない。考え終わると、話終わると、そこで眠ってしまう。だから、遭難したときに未来の話をしてはいけないのだそうだ。
あ、ここから得られる教訓とかはないです。
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