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I must go punch that baby

2024年2月8日 (木) 19:08

映画のはなし

ヨルゴス・ランティモス監督作品『哀れなるものたち』を観た。
土曜日、朝起きて洗濯して、ゲームをして、うっかり昼寝をしていたら、すっかり日が暮れており、このまま1日が終わるのが惜しくなった。こういう日はレイトショーへ行くのが良い。週末でもレイトショーならあまり混まないし、うっかり昼寝をしたことも「夜映画館へ行くから仮眠をとった」と言い訳がつくし、夜遅くに映画館にいるのはなんとなくワクワクする。

東京に住んでいたころ、終電が出たあとも開いている映画館があることに大変驚いたし、嬉しかった。当時好きだった人と、新宿や錦糸町の映画館で24時過ぎから始まる映画を観て、始発が走るまで喫茶店でおしゃべりし、ずっと散歩したの、良い思い出です。別れ際にいつも「たのしかったね」と言う人で、あれ好きだったな。
思い出の「で」って「出」なのはなんで?実は略語なのか?

『哀れなるものたち』は、赤ちゃんを身ごもったまま自ら命を絶ったが、その赤ちゃんの脳を移植して蘇生した女性、が主人公だ。何そのこわい設定。主人公・ベラは成人女性の形をしているものの脳は0歳なので、行動や言動と姿形がちぐはぐになっている。ベラに母親(であり、自分自身)のころの記憶はない。映画序盤は幼児語で話し、よちよち歩く。脳が0歳でも、身体は成人なのだからよちよち歩きはおかしくない?と思ったけど、足をどう動かせばスムーズか、を知っていて指令を出せるのは脳だから、ってことなんかな。

あらすじを見ると奇抜、と思ったけど、ストーリーはどちらかというと普遍的なものだった。ベラは世界を知りたいと望み、親元(というか脳を移植して蘇生した外科医)を離れて旅をし、人と出会い、本を読んで、知識を、職を得て、格差を知り、絶望し、そして選択する。なぜ世界がこのような形をしているのかを、ベラの目を通してもう一度観ることになり、私は子どもみたいに泣いた。世界は美しく、怖ろしく、実はグニャグニャで、人間は哀れで愚かだ。リスボンで音楽を見つけるシーンがすごく良かった。音楽って世界でいちばん美しいものじゃないですか?

ロケ地を全部調べ上げたくなるほど画面がきれいで(船内のシーンどこで撮ったか知りたい、あれはセットじゃない気がする、あとで調べる)、映画館を出てまず最初に担当したデザイナーが誰かを調べるくらい衣装が良かった。こういう現代劇ではないがフィクションであり、時代設定をそんなに厳密にしていない(していないはず、たぶん)いくらでもファンタジックにできるお話で、登場人物に何を着せるかって結構難しいんじゃないかな。正解がないから。ベラの服、独創的で、でもかわいかった。

映画が終わって外に出たら少しだけ雨が降っていた。手ぶらで来たので傘はないし、タクシーに乗るほどの雨じゃなかったので、自転車で家に帰った。雨が降ると街が全体的に静かになるのが好きだ。
映画が好きなのって、こういう前後とか、気分とか、フワッとしたものを多いに含むよなぁ。ま、全趣味がそうか。

キムナムジュンごっこ

2024年1月31日 (水) 21:06

uncategorized

今年は初夏あたりで韓国に行こうと思っている。ジンくんが除隊になるからだ。2022年12月の入隊から18ヶ月、思ったよりは短かったように感じるけど、でもジンくんにとっては長い18ヶ月だったかも……
本人がどう思っているかは分からないけど、でも私はちょっと休んでから仕事を再開してもいいんじゃないかと思う。まぁ入隊ぎりぎりまで仕事をしていたのを知ってるし、弟たちもみんなそうだったので、多分除隊後もすぐ仕事するんだろうな。もちろん顔を見られる機会が増えるのはありがたいけど。でもちょっと休んで、ゆっくりしてほしい。

除隊になったからといって、別にジンくんに会えるわけではないし、お出迎えイベントとかももちろん無いのだけど、なるべく近いところへ行って「ジンくんおかえりなさい」の気持ちを噛み締めたい、と思っている。あと普通に韓国行きたい。行ったことないねん。とはいえ連休でもなく、レジャーシーズンでもないので、一緒に行ってくれる人が見つからず、結局ひとりで行くことにした。最終手段は母を召喚することだが、母とは秋ごろに台湾に行こうと去年から言っているし、韓国はひとり旅にする。ひとり海外旅行は初めてで不安もあるけど、まぁそれも悪くない。でもひとり旅は何かと割高。とりあえず航空券だけ確保した。行くぜ韓国!

絶対にハノク(韓屋)に泊まりたいので、熱心に調べているが、これも結構高い。でもホテルも特別安いわけでもなさそう……最近国内でも結構ホテル高いもんね。数年前はただのビジネスホテルに素泊まりなら5000円ぐらいでいけたけど、最近は1万円くらい出しても「こんな部屋か……」みたいな感じじゃない?とはいえ日数的にゲストハウスは厳しい。一泊ならいいけどな。
あと、ひとり旅の場合、結構家で過ごす時間が長くなるので、ビジネスホテルみたいなところじゃつまらないから、出来れば建築的に興味のあるところに泊まりたい。
友だちと行くなら遅い時間まで外にいたり、ホテルでもおしゃべりしたりして過ごすから部屋は清潔で治安的に安心ならそれで良いけど、でもひとりなら夕方くらいには家に着いて、簡単な料理をしたり、ゆっくり本を読んだり、お茶を飲んだりしたい。エアビーで延々探してるけど、安いとこ全然ないわ。どうしたもんかな。まぁあと数日悩みます。

行きたいところは概ね美術館と工芸館、それから食器屋さんと雑貨屋さんで、私は全世界どこに行っても結局私でしかないな、と当たり前のことを思う。韓国、パン屋さんも良さそうなとこいっぱいあってうれしいな、楽しみ。推しの聖地巡りとかももちろんしてみたいけど、でもそれは友だちと行きたいし……ひとりで行ってもいいけど、絶対友だちと行ったほうが楽しいもんな。あとはタルンイに乗って川沿いを走ったりもしたいです。
現代アートのギャラリーもいっぱいあるな~と思って検索するとだいたいナムジュンが行ってる。韓国旅行ってキムナムジュンごっこのことなのかもしれん。

And the banker never wears a mac

2024年1月26日 (金) 21:02

uncategorized

週末から劇的に体調が悪く、月曜はお休みをもらって1日布団で過ごした。原因がはっきりしない微熱、久しぶりで怖かった。大学の教室みたいなところで「マティスのどこが好きか」について講演のようなものをさせられる悪夢を見て、ストレスがすごかった。いやマティスは好きやけど、なんで私が解説せなあかんねん。ぜったい私ちゃうやろ。私の「マティスの好きさ」は、解説するタイプのものではないと感じている。が、夢のなかではそういう私の感情についてはまったく無視されていて「好きなんやろ?ほなしゃべれるやろ?しゃべれや、好きって証明せえや」みたいな圧力で押し通され、しんどい思いをした。感情について証明を求められることほど、しんどいことはない。もっとええ夢見せてくれや、ジンくんといっしょに餃子をつつむ夢とかを見せてくれや。
目が覚めてからも「ぜったい人に感情を証明しろと詰め寄らないようにしよう」と心に誓った。感情をどのように取り扱うかについて、引き続き考えていきたい。自分の感情はもちろん、人の感情も同じように。

友人とZoomで話していたら、小1時間で用件は済んで、そのあと日付が変わるまで「ゲームオブスローンズ」の話をした。私がシーズン8を観終わったのは2020年のことなので、正直ほとんど詳細を覚えていないが、オブラディズムラジオでゲームオブスローンズ回をやったことや、そのあとヨウリーとtanayouradioを始めたことなど、思い出深い。もう1回観たいね、と言いつつ、全72話をもう一回観るの無理すぎるな……という気持ちもある。友人は「そのラジオ聞きたかったわ、たぶん私一人でめちゃくちゃコメントしたと思う」と言ってくれたので、ハウスオブザドラゴンを観るよう勧めておいた。シーズン2そろそろじゃない?と思って調べたら、2024年初夏、とのこと。そろそろやん……!!!

ピンクのスウェットがほしい、と思いユニクロへ行った。一応試着してみたら、全然似合わない。色がどうとか以前に、形が似合ってない。袖か?袖かも。生地感のせいか?いや、サイズ感かもしれん、服はサイズ感がすべて、と思って1つ小さいサイズも試したけど、やっぱり似合わない。似合わない服を買ってもどうせ着ないので、結局何も買わなかった。家に帰り、もともと持っているラグランスリーブのスウェットを着てみると、これはそんなに悪くない、はず。やっぱ袖か……?と思うものの、確証はない。
20代半ばくらいまでは、着られるサイズで・気に入っていて・買える値段の服ならなんでもいい、と思っていたし、実際そういう服の買い方をしていた。最近は襟の形ひとつで「あれ、なんか似合わんな、なんでや、この襟がかわいいのに、でも似合ってないな」みたいなことがかなり増え、しかも「いやでも、かわいいし、安いもん、買う買う」みたいなことが、ほとんどなくなってきた。
というか人と一緒に服を買う、という機会がほとんどなく、母か姉くらいしか一緒に買い物に行かないので「似合うかどうか」の判定が私ひとりに委ねられており、これはこれで不安がある。でも友だちと服買いに行くの嫌いやねんよな……いや、友だちが買う服を一緒に選びに出かけて「こっちのほうが似合うんちゃう?着てみて!」とか言うのは大好きやし行きたいから誘ってほしいねんけど、逆がほんまに苦手やわ。あっ、あぶない、この穴を掘ると埋めておいたコンプレックスをつついて、噴き出したドロドロにやられて寝込むぞ。あぶね。

秋ごろにジャケットを描いたマーくんの楽曲、「愛模様」がリリースされた。マーくんのサイトは私が作り、長年管理もしているけど、こういう「楽曲のジャケットデザインをする」仕事を依頼されるとは思っていなかったので、結構びっくりした。ちょっと説明が難しいけど「え、マーくん私のことそういう目で見てたんや」みたいな気持ち。……なんか語弊があるな。「Webデザインをやるのとジャケットデザインをやるのとでは、使う筋肉がまったく違う」と言うと伝わりますか。だから「あ、そっちの筋肉のこと知ってたんや……私もちょっと忘れてたわ、動くかな……」みたいな感じ。
ラフが通ってから、色案でちょっと手こずったけど、出来上がったものは気に入っています。色案はマーくんに見せてないやつも含めたら100案くらい作った。
自分で描くものに100案も色パターンを試すことは今までなかった。というか、だいたいのものは描くときに色が決まってる。なんなら色から先に決まる。だから「もうちょっと青みが強い赤にしよう」ぐらいの微調整で済む。気分によって明度と彩度は触るけど、色相は全くと言っていいほど触らない。触りようがない、って感じ。決まってるから。でも今回みたいにクライアントがいて、しかも音楽がある場合は、共感覚の探り合い、みたいなことが起きる。良い勉強になりました。マーくんは「青っぽい感じ」と依頼をくれて、ただ私は初めて聞いたとき「音がベージュ寄りのピンクや」と思ったので、その間を埋める、みたいな作業をしたように思う。初案はもっと彩度が高くて、バキッとした色合いでした。
作ってみてそれを見ながら曲を聴いて「これは強すぎる、曲より強くなってしまってる」とか「これは繊細すぎる、頼りなさが出てしまってる、そういう曲じゃない」とかをひとりで延々やった。こういうのって100回ぐらいやると「いやもう何が良くないか自分では分からんわ」みたいなことになりがちやと思うけど、不思議とそれはなかった。
そして今回「っぽく作らねば」みたいな気持ちにならず、ぜんぜん力まずに作れたのがよかったな、と思う。マーくんは私が何ができるかを知ってくれている、知った上で依頼してくれてる、というある種の信頼があったおかげかもしれん。私自身も、自分がやってきたことと、自分ができることに、ようやく折り合いがついたように思う。もう何者にもなれないし、ならなくていいし、そもそもなろうともしなくていいな、と思う。
自分ができないことに向き合ったり、それと戦ったりする時間、必要やと思うし、要るときもあるけど、一方で、自分ができることを頑張って、楽しく取り組んだほうが良くないすか?と思う気持ちが強くなってきた。これって怠惰かな……
でも、35年も生きてきたら自分にはできないことがあるって自分で知ってることとか、それができる人への敬意とかのほうが「克服する!!!!」みたいなのより大事な気がする。いや35歳で「克服する!!!!」って血眼で思えてることは、たぶん克服できるから、引き続き頑張ったらいいと思うねんけど、そうじゃなくて、「私はこれができない……役立たずで惨め……」ってベソベソしてる時間のほうはさ、もう要らんのちゃうかな。ここ、もう畳んどいていい?まだ早い?あと10年ぐらいは苦しむべきなんか?こういうの誰に聞いたらええんや。ニシーさんか?

仕事で提出したデザイン案について「エンドクライアントの意向としては〇〇〇なのでこの部分は修正してほしいけど、でもこの案もかわいいので2案にして送ることにしましょう」と言われて、率直に嬉しかった。私がデザインについて思う「かわいさ」というのは複数の意味があり、今回のは言い換えれば「親しみやすさ」や「愛嬌」や「取っ掛かりやすさ」のようなものであり、要はフックなのだが、うまく伝わらない場合が多い。伝わらないこと自体は私の力量不足だし、そもそも人によって好みが違うので、ぜんぜん気にしていない。でも今回は「そう!このデザイン案のかわいいポイントはまさにそこ!」という部分について「かわいい」と言ってもらえたのが嬉しかった。しかもエンドクライアントの意向だけを私に投げてこないで、意向は教えてくれた上で「でもこっちもかわいいからエンドクライアントに見せたい」と言ってくれたのが嬉しい。私の仕事はこういう地味で些細な嬉しさを拾い集めながら続いていくが、そこが気に入ってもいる。
ただし、エンドクライアントがそのかわいいポイントを正確に理解してくれるかどうか、さらに「ほんまやかわいい、うちの意向とは違うけど、こっちのほうがいいね」と言ってくれるかどうかは全くの未知数。私の仕事は「さてどうなる!!?次週へつづく~!」みたいなのが日々続いていく。私は私の仕事が気に入っています。

今週は以上です。みなさんよい週末を。

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