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暴力

2024年5月14日 (火) 21:38

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土曜、友人と会ってタコスを食べ、お茶を買いに大阪まで出て、ラーメンを食べて帰った。友人は午前中美容院に行ってきた帰りで「美容師さんに、このあとどっか行くんですか?って聞かれてな、友だちに会いますって言うたら、何の話するんですか?って聞かれたわ、仕事の話とかかなって答えたけど、みんな友だちとなんの話するんやろな」と言っていた。確かに、友だちと会ったら何の話をするものなんだろうか。
ラーメン屋を出て別れたあとの帰り道、私たち今日なんの話してたかな、と考えたけど、まとめると「価値観のすり合わせ」をしてた、と思い至った。確かに仕事の話もした。私と友人は比較的近い業種で、比較的近い職種であるので、当然仕事の話はする。最近こういう仕事をした、こういう案件があってこういうソフトを使う機会があった、こういうクライアントがいる、みたいな話だ。でもこれって別に「業務報告」ではないから、だから話していることの根っことしては「価値観のすり合わせ」だなと思う。「すり合わせ」ってところがポイントな気がする。私も友人も「価値観を合わせたい」みたいな意識は無いし、20年近い付き合いなので、この期に及んで「価値観の違いで離別」なんてことは起きないし(まぁ起きるかもしれんけど、でもそうそう起きない、もし起きるとしたら離別の前にもっと複雑に段階を踏むはず)、「価値観が違うから嫌いになる」なんて幼稚な展開にはならない。ならないと分かっていてなお「価値観のすり合わせ」をしているということはつまり「私、なんか変なこと言ってないかな」とか、「私らしからぬことを言ってないかな」とか、そういう「チューニング」をしているんじゃないか。「20年前を知ってるあなたから見て、私はどっか変わったかな」、「変わるのは良いけどこれは良い変化かな、どう見える?」「今こういう経験をしてるけど、同じ経験がある?あったらどんな感じか聞きたい」っていう、これは「チューニング」なんじゃないのか。
「自己紹介」が済んでいる場合、友人と話すことなんて「価値観のすり合わせ」以外に何があるだろう。………「自己紹介」が済んでいる場合って意味わかる?わからない??わからないってことは、あなたと私はまだ「自己紹介」が済んでいないのかもしれない。

日曜、母と立川談春アニさんの独演会へ。私が「アニさん」などと呼んでいいはずがないことはもちろん分かっているけど、でも「アニさん」と呼びたくなる。
今年は芸歴40周年らしい。そんなに長いの?と思ったけど、落語家は入門したところから数えることになっていて、二つ目でも真打でもなく、つまり談志に高座名をもらったところから40年、ということだそうだ。なるほどな。ご本人は「でもお金いただけるようになってからは20年くらいです」とおっしゃっていた。うーん、それって長いのか短いのか全然わからん。
根多は「慶安太平記」と「居残り佐平次」、小春志さんの「千早ふる」でした。小春志さんは去年真打に昇進されて、元の名前は「こはる」さんだったのだけど、志の字をつけて「こしゅんじ」さんになったようだ。志はもちろん立川談志の志(のはず)。かっこいい名前~!
慶安太平記って初めて聞いたけど、講談も聴いたほうがよさそう。そもそも慶安の変ってどっかで聞いたことあるか?全くない気がする。日本史?日本史なの?聞いたことないと思う。こういうときって結構「あぁ私には教養がない」と思い、まるっきり馬鹿みたいな気持ちになるのだけど、その都度「落語っていうのは、人間の業の肯定だ」と言った立川談志のことを思い出して眉間から皺が消える。そうだったそうだった、慶安の変くらい、知らないなら調べればいいよ。私は全く、この程度のことで、なーにを深刻な顔をしとるんだ。ははは。
「居残り佐平次」は遊郭に居残って(お金を払えなくて帰れないことを居残り、と言います)最終的には勝手に小遣い稼ぎをし始めて、店の旦那も、これもうどうにもならんな~ってなって、佐平次は結局着物とかまでもらってタダで帰っていくっていう噺なんですけど、談春アニさんは「何百年経ってもおんなじなの、今だってホテル泊まって10時か11時かで出てくださいねって言われるでしょ?でももうちょっと寝かせてくれよって言ったらさ、良いよ、良いけどお金もらうよ、って言われるでしょ?そんで15時過ぎちゃったら次の日の分もお金ももらうよってなるでしょ?200年ぐらい前でもおんなじなんです」と言っていた。落語を聞いてると江戸時代ってぜんぜん最近のことみたいに感じるというか、装飾が違うけど基本にしてる型は同じもの、みたいな感じがする。
古典が好きなのはこういうところだ。どんなに長い時間が経っても、人間はどうせ人間でしかなく、私はそのうちのただひとりに過ぎないのだ、と思うと、ふっと凪いだような気がする。大きい川を見ている時の気持ちに似ている。

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