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Good Morning America

2023年2月1日 (水) 20:17

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挨拶について考える。「大豆田とわ子と三人の元夫」を観たせいだ。劇中、岡田将生さん演じる中村慎森は「挨拶って要ります?」と発言し、雑談やお土産、花束、など私が社会に身を置き、なるべく円滑に、かつご機嫌に、周囲の人たちとコミュニケーションを取れるように実践しているアレコレについて、揚げ足を取ってくる。とはいえ慎森に「揚げ足を取っている」という自覚は全然ないし、屁理屈を言っているつもりもない。
「挨拶は大事って言う人、挨拶って漢字で書けるのかな」と言うシーンでは毎回、指で手のひらに「挨拶」と書いてしまう。か、書けるぞ、挨拶、書けたわ、よかった。あの漢字両方ほかのとこで使わんよなぁ。

挨拶も雑談もお土産も、まぁ心底本音で必ず必要!と思っているか、と問われたら私はちょっと自信がない。正直めんどくさいと思っている時だってあるもん、雑談とお土産は特に。好きな人とする雑談は楽しいし、好きな人に渡そうと思って選ぶお土産は楽しいけど、時間の隙間を埋めるためだけの雑談は疲れるし、個包装で・あんまり高すぎなくて・持って帰るのに重くなくて、と消去法で選ぶお土産には愛などないからだ。
挨拶は雑談とお土産に比べると圧倒的に時間を取らないので負担に感じることは特に無いけど、そのぶん相手に無視されると小さな嫌悪感や不信感、不快感が溜まる。大きな感情ではないが、確実に溜まっている感じがする。ただの挨拶なのに。めんどくさいね。慎森の言う通り、全部要らないのかもしれない。

「また明日ね」という挨拶は大人になると使わなくなった。今日会って、明日も会う、なんてことがほとんどないからだ。会社の人には明日も会うのに、誰も「また明日」とは言わない。

「さようなら」も長いこと言っていない。お別れの挨拶に「バイバイ」や「またね」は言うけど、「さようなら」はもう誰に対しても言っていないと思う。先生や先輩に別れ際言うのは「さようなら」だったけど、今は上司に「さようなら」とは言わない。別れ際は「お先に失礼します」「お疲れ様でした」だし、取引先のお客さんにだって「さようなら」とは言わない。「ありがとうございました」「失礼いたします」ぐらい。「さようなら」ってもう一生使わないのかもしれん。

この文章に、結論などはない。何も論じていないので当然のことだが。

우리 모두

2023年1月31日 (火) 20:41

uncategorized

金曜日、新しいSNSを始める。かわいい。アバターの服を着替えさせたり、部屋に家具を置いたり、友だちと座り込んでビールを飲めたりする。かわいい。
基本的にはメッセージのやり取りが出来たり、部屋に来た友だちの足跡が付いたり、部屋にメモを残せたり、みたいな、よくある機能が多いけど、SNS上で呼びかけられたら写真で返事をする、という仕様になっている部分があって、ここがおもしろいな、と思う。ここでは撮ってあった写真を使えないので、返事をしたければ「今その場でなんかを撮る」必要があるのだ。見栄えの良いものを撮れる可能性がかなり低いし、これを見る人はたったひとり、というところも良い。全く知らない人に絡みに行くことは出来ないっぽいので、治安悪くなる可能性も低いし。
私は「もう寝る」とか「今日休み」とか「これ食べた」とか「今これ聴いてる」とか、そういう日常のこまごましたなんの特別感もない出来事を人から共有されるのが好きなタイプなのだ。

土曜日、パジャマのまま過ごす。晴れたので洗濯をし、溜まっていたSpotifyのポッドキャスト番組「1983年のバームクーヘン」を聞く。中井と小野と萩野の歌舞伎で一生笑っている。
せめて着替えるか?と思うが、どうせ家から出ないんだからまぁいっか、と思い直す。私の生活を「ていねいな暮らし」呼ばわりする友人たち(※イジられてる)、そんなものは幻想です。
映画を2本観て、鶏としいたけとしめじとかまぼこで炊き込みごはんを作り、炊けた先から飲むように2杯食べた。結局自分で作ったメシがこの世でいちばんうまい。

日曜日、マンションの総会に行く。時間を勘違いしていて30分も遅刻した。誰にも何も言われないが、気まずい。すみません。滞りなく完了。2年続いた理事会役員生活がやっと終わったが、今年は大規模修繕があるので修繕委員として残る形になった。ふ、不本意……ではあるが、正直経緯が分からない人たちに丸投げして去ることはリスクでもあるので、ここは潔くすっぱり諦める。
帰宅して洗濯、先週は雪も降ったし(積もったし)洗濯物が溜まっている。ニットをもりもり洗って干した。
バスで出かける。喪服を買いに行くためだ。いい歳だし、もうすぐ祖父の法事があるしで、きちんと喪服を買うべき、と思う。6着ぐらい試着したが、サイズが合うものと、似合うものと、気に入るものと、のバランスがまったく噛み合わず、あえなく撤退。「喪服なんかどれもそんな変わらんっしょ、ぜんぶおんなじ色やし」と思っていたが、甘かった。リボンやフリルの加減ひとつで妙に子どもっぽくなったりする。おなかのまんなかあたりにデカいリボンが付いているやつは着るまでもなく似合わないのでやめておいた。年齢もあるけど、単純に「キャラクター」に合わない、という感じがする。不必要に古くさく見えるのも困る、急に20歳ぐらい老けて見えるし……正解が分からん。お店のおじさんがサイズや丈感を一緒に見てくれてありがたかったが、結局何も買わなかったので申し訳なかった。ま、しゃあないけど。
男ならブラックスーツを1着仕立てておけばそれで冠婚葬祭がぜんぶ済むはずなのに…なんなの……いや、こんなことを言っていても仕方ない。ネットでも探してみることにして、あとは散歩して、おやつを買って帰ることにする。
和菓子屋さんを通りかかると苺大福の張り紙が出ている。い、苺大福…そうか、もうそんな時期か…!目についた和菓子屋さんで次々に苺大福を買ったら3つも買ってしまった。個人的には苺大福の苺にはあまりこだわらなくて良いと思う。高くておいしい苺は、そのまま食べたほうがおいしいと思う。苺大福は大福部分が主演であり、苺は客演だから、大福に身を預ける気持ちで苺には参加してほしい。真顔で書いています。
ハーバーランドまで歩いて、スーパーに寄ってから自転車で帰宅。友だちが誕生日にくれたお茶をいれて、苺大福を食べた。お茶ってなんぼあってもうれしい。
夜はなんとなく「大豆田とわ子と三人の元夫」を観返した。かごめちゃんを見ていると寂しくて泣いてしまう。かごめちゃんがもういない、ということが寂しい。私の友だちじゃないのに、私も友だちみたいな気持ちになるのだ。この気持ちの名前は「感情移入」でいいんだろうか。ちょっと違う気もする。

週末は爆速で過ぎる。1月終わっちゃったね。

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2023年1月26日 (木) 20:56

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ヨウリーが「行けたら午前中はリ・ウファンの回顧展に行く」と言うので、私も一緒に行くことにした。美術館に行くのは圧倒的に午前中が良いが、これはつまり「早起きしてきちんと用意して出かけないといけない」ということなので、自分ひとりだけで達成するのは地味に難しい。「いっか別に今日はもう…」と思いがちだからだ。

私は仕事に行くのと同じ時間にかけた目覚ましできちんと起きて、洗濯をしてから自転車で出かけた。海を右側に見ながら自転車で走っていると、遠足か何かで列になって歩いている小学生の列に遭遇した。信号待ちの間、男の子がひとり「おはようございまーす」と私に向かって言うので「おはようございます」と返事をしたら、列の後ろの子たちが次々に「おはようございます!」と続け、結果数十人の小学生たちに延々挨拶をすることになってしまって大変だった。ふざけているのかと思ったが、誰ひとり笑っていなかったし、少し会釈をする丁寧な子もいて動揺した。大の大人が挨拶されたぐらいで動揺しているのも変な話だ。
海側に下りすぎるルートにしてしまい通常より時間がかかったが、約束の力は偉大なもので、私もヨウリーも開館とほぼ同時に入場することが出来た。

リ・ウファン展はすごく良かった。作品のサイズは大きくなればなるほどどこかに隙が生まれ、緊迫感は薄まるものだと思うのだが、リ・ウファンの作品は全く逆で、場や観客も飲み込むほどの大きなうねりがあり、その場に居られることそのものが幸福だった。グルーヴがある、としか言いようがないので感想を言うのが難しいが、とにかく居心地が良かった。何をどのように鑑賞しても「関係」について考えることになるので感覚的に気分が落ち着く場所を探したり、視覚的に収まりの良い場所へ自分で自分を動かそうとする気持ちになったりするのも楽しかった。

写真を撮っても良いことになっていたので展示室を歩くヨウリーと作品とを一緒に写真に収め、キム・ナムジュン(※BTSのRMさんのこと、彼は美術に大変造詣が深く、しょっちゅう美術館に行き、同行者が撮影したらしい彼自身の写真をインスタで見せてくれる)気分を味わい、さらに無料で提供されていた音声ガイドも一緒に楽しんだ。
私は写真を撮っていいことになっている展示会が心底嫌いだが、この日は音声ガイドを聞くためにイヤフォンをしていたので他人のシャッター音があまり気にならなかったし、ヨウリーと一緒だったこともあって楽しめた。今後写真を撮っていいことになっている展示会に行くときはイヤフォンで何か音楽を聴くとかしてしのごうと思う。……でもシーンとした中に靴音と息遣いだけがあるような空間で観たい作品もあるよ、結局どうすればいいの。うわーん。

近年のキャンバスに描かれた作品は、キャンバスの側面に「L.UFan ’22 ↑」とサインがあってかわいかった。この「↑」はおそらく「こっちが上です」の意だ。
上下を逆にかけられて75年間そのままだった、モンドリアンの作品のことを思い出す。モネも逆さまに展示されてた作品があった気がする。

午後は姉(友人)も合流し、ヨウリーと3人でひょうたんへ行き、餃子とビールで乾杯した。姉と顔を合わせるのは去年の夏以来だ。元気そうでよかった。2年前の夏まではお互いに知り合っていなかったし、知り合った直後はしばらく距離感の詰め方が分からずに、私は敬語とタメ口の間をフワフワしているLINEを送っていたというのに、もう家に遊びに来てくれるような距離感になっている。なんかすごいな。人と仲良くなるのが上手な人なんだろうと思う。

地元に友だちが来てくれるのは楽しい。私は神戸で生まれて育ったが、一度出て、戻ってからのほうがより土地への愛着が湧いた気がする。遊びに来てくれた人が気に入ってくれると嬉しいし、おいしいものを食べて良い体験をして良い思いをしてほしいし、良さが分かってもらえるように一生懸命プレゼンしたいような気持ちになる。

餃子を食べたあとは3人でケーキを買って家に帰り、お茶を入れ、推しの写真集を眺めて過ごし、夕方からは姉に絞りだしクッキーを習った。クッキーは、というかすべての焼菓子は、温度にきちんと気を配る必要があることを改めて学んだし、同じレシピを繰り返し作ってオーブンの癖を把握し、自分の手で感覚を覚えるしかないのだな、と思った。なにごとにも楽勝裏ワザみたいなものは無いのだ、当たり前のことだけど。
とはいえ「絞り袋を使う時は口金に袋部分を詰めておくと生地を入れた先からこぼれ出ない」という裏ワザを教えてもらって嬉しかった。シュークリーム作るとき、これなんとかならんのかい!と思ってたから……案外単純な事ではあるけど、でもどの本にも載ってなかったよ。

私の手が温かすぎて全ての料理が向いていない話をしたら、姉は「パンは良いんじゃない?パンは手が温かい人のほうが向いてるよ」と言っていた。そうなのか……パンやってみるか……
が、バターを折り込んでいく工程があるクロワッサンやデニッシュ系のパンは向いていないと思う。確信がある。

マヒシュマティ

2023年1月23日 (月) 21:38

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久しぶりの友人に会った。「めっちゃ久しぶり、2年ぶりとかやんな!」と言い合っていたが、正確には2年と4ヶ月ぶりだったようだ。いつもおいしいものを食べるためにふたりで会い、おなかいっぱいになって別れる。これまで燻製、焼肉、餃子、タイ料理などを一緒に食べた。お互いに食べたいものや行ってみたいお店を出し合って決める。最後に会った日はサムギョプサルを食べた日だった。あれからあっという間に2年も過ぎたのだ。信じられん。
再会はインド料理・ネパール料理にした。ビリヤニが食べたい、と私が言ったからだ。初めて食べるビリヤニはとてもおいしかった。長い米おいしい。ビリヤニはお祝いの席なんかで食べるものらしい。炊き込みごはんに似た感じがあるが、スパイスがまだらになっていて味が均一ではないところが炊き込みごはんには似ていない。炊き込みごはんはどこを食べても味が一定やもんね、具はばらつきがあるけど。炊き込みごはんて書きすぎて炊き込みごはん食べたくなってきたな……私はカレーを食べるのもいつぶりか分からんぐらいだが、おいしかった。
友人とはなんの話をしたのかほとんど覚えていないが、これは楽しかった証拠だと思う。彼女は相変わらず顔色ひとつ変えずにビールをごびごび飲み、朗らかに笑っていて嬉しかった。私を変に持ち上げたり、不必要に貶めたりしないところが彼女の好きなところだ。普通に接してくれる友だちがいて嬉しい。“普通”って難しいからね。

親知らずを抜いた。2~3年前から「虫歯がある」と言われていた左下の親知らずだ。特に痛くはなかったが隣の歯にうつる危険性が出てきた、ということだったので抜くことにした。歯に限らず、専門的なことはお医者に頼り、任せることにしている。
抜く前に色々と説明を受け、同意書にサインをするが、なんとなくクレーマー対策っぽい雰囲気がヒリヒリしていて逆に怖い。同意書を書かせるんだからもちろん丁寧な説明は必要だろうと理解は出来るものの、あんまり重ねて言われると「へ、下手な先生なの……?」と不安になる。
が、抜歯自体はものの数分で終わったし、腫れたり膿んだりすることもなく良好。麻酔も効いたので痛くなかったし、麻酔自体の注射も痛くなくて、ホッとした。先生、あんましゃべらん方が抜かれる側は安心かもよ、まぁ好みの問題かもしれんけど、でもあんましゃべると、自信ない人に見えるよ、と思ったが、言わなかった。
大きなお世話すぎるな……

途方

2023年1月17日 (火) 20:21

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今年はたくさん映画を観ることに決めた。200本は観たい。特に理由はない。
映画が観られるサブスクを4つ所有しているので、あまり映画館に行けなかったとしても、家でかなりの本数が観られるはずと思う。特にUnextは作品数も多いし、金額も高いので、積極的に活用していきたい。
1年で200本観るとなると、週に大体4本程度観れば達成できる。思ったより少ない気もする。が、私は自分の意志とはあまり関係なく「映画とか別に観たくない」モードになる日があるし、週末予定が詰まってきて仕事も忙しくなってきたりすることもあるので、油断はできない。せっかくなので、200本に届きたい。

1月に入り、早速映画を観る日々を送っているが、既に懸念事項が生まれてしまった。……200本も観たいと思える映画があるんだろうか。私は小学生のころから映画が好きだったし、少なくとも中学生になるころには自分で観たい映画を選んでいたし、それ以降はTSUTAYAさんと映画館と名画座とをぐるぐるして映画を観てきたのだ。観たい映画はすぐ観ている。200本もストックが無い気がする。
サブスクは「あなたへのおすすめ作品」を次々出してくれるから、それを数珠つなぎで観ていけばいいか、ラクやし、と思っていたが、数日で挫折した。なんか、狭い、狭まってる感じする。気持ち悪い。なにこれ。なんか気味悪いな。アルゴリズムで導き出された「私が好きそうな映画」を素直に観つづける行為自体も気味悪いし、そういうなんか狭いところに自ら潜り込もうとしていることもなんか気味が悪い。感覚的に「なんかキモイな~」と思っていることを生活に取り入れるわけにはいかない。アルゴリズムに抗わなければならない。

アルゴリズムに抗う方法として「友だちの好きな映画を教えてもらい、それを観る」を思いついたので、これを実践してみることにした。好きな映画が何かを聞き、観たことない映画を挙げてくれたらそれを観るだけ。シンプルだ。始めは「えー私に聞かんといてよ、のんのほうが映画詳しいやろ」とか言って渋られるが、私が知りたいのは「私がこれまで見ようと思わなかった映画」と「私が気に入りそうだとアルゴリズムが判断できない映画」なのだ。これまでに何本観たかはぜんぜん関係ない。「私有名なのしか見てないから」とも言われるけど、むしろ私は有名なのをあまり見ていない。……生来のひねくれものなので……てへへ……
私が自分の意志で選べば選ぶほど、アルゴリズムは精度を上げて追いついてくるのだ。絶対に逃げたい。強い意志で逃げる。他者の意志を入れることで、回避できると思う。

古典も積極的に掘っていく必要がある。「実は観たことないねんよな」系の映画も観ていこうと思う。『ゴッドファーザー』とか。『007』とか。邦画の古いのもほぼ手付かずやねんよな、どのへんを観ようかな、小津とかかな。そういえば北野作品も観たことないやついっぱいあるな。先週、初めて五社英雄の『陽暉楼』を観てみたらバカみたいにかっこよかった。役者が全員「腹の決まった顔」をしているし、画がかっこよくて好きだった。画がかっこいい映画が好きなんだよな。
日本語・英語・フランス語以外の映画はほとんど観ないので、外国語の映画も観ていきたい。アニメも。

友だちだけじゃなくて、歳が離れた人の好きな映画も聞いて観てみたい。アルゴリズムに抗うためには年代や国籍や人種も、私から離れたところから映画を選ぶほうが良いと思う。
節操なく観るぞ!おー!

ふたり

2023年1月16日 (月) 21:39

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秋から延々調べていた貧血の原因について、婦人科系⇒胃⇒大腸まで調べ終わった。何も見つからなかった。なんか悔しい。いや、何もなくてよかった。何もない気がしてたけど、でも確定したから、これでよかったんだよ。引き続き鉄剤を飲んでだましだましやっていくのかな、ようわからんけど、あとはお医者が考えることだし、私が何を考えてもどうにもならん。最近は目まいや立ちくらみもないし元気です。
大腸カメラはほとんど寝落ちた状態で行われたので、思ったより気がラクだった。先月胃カメラを入れた時と同じ看護師さんとお医者さんだったこともあり、なんとなく安心感がある。「ちょっとぼーっとする薬を入れるからね~」と言うので「眠くなったら寝てもいいんですか?」と聞いたら「いいよいいよ、寝ちゃえそうなら寝ちゃって」とのこと。案の定すぐに眠くなったので、抗わずに寝た。なんとなく声やしゃべっている内容は聞こえているものの、目を開けるほどの覚醒感は無いので、結局終わるまでずっと寝ていた。終わった後のほうがお腹が張って痛い。が、前日の夜・当日の朝・当日の昼、まで固形物を食べていないので超おなかが空き、小籠包6個を飲むように食べた。

ほとんど家で仕事をしている友人がコロナにかかったとLINEをくれたので、電話したら「や、やさしい~……」と言って泣いていた。私は「泣くほどのことか」と言って笑ったが、身体が弱っているときは大抵ネガティブな思考になることを知っているし、そういうときに人の声を聞くのは結構効くものだというのはわかる気がする。
友人だけが罹患し、彼女と一緒に住んでいる夫は陰性だったようだ。不幸中の幸い、と言えなくもないが、2人ともかかっちゃったほうがむしろラクなのか……?家はいっこなわけやし……いやでも、誰も外に出られんよりはいいか。
発熱した時点でふたりとも家から出ず、マスクをしてお互いに接触を避け、まずは病院に電話して指示に従ったと言うので「えらいやん、なんの予告もなく病院いったり救急車呼んだりせんと、かしこかったな」と言ったら「えー普通やん」と言っていた。まぁ普通っちゃ普通やけどな、でも“普通”ってなかなか難しいと思うけどな。彼女はよく「あたし馬鹿やからさぁ~」と言うのだが、そのたびに私は“馬鹿”の定義について考えてしまい、ぼーっとする。“普通”も“馬鹿”もなかなか難しい。

つーか「鹿を見て馬と言った人」は“無知”じゃないのか……?

にちゃにちゃ

2023年1月7日 (土) 13:49

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大バタバタの年末年始が終わった。無事に年が明けました。ようこそ2023年。

年末、立川談春の「芝浜」を聴きに行った。「談春、芝浜を変えます」と大きめのお題目に呼ばれて出かけていったら、本当にめちゃくちゃ変えていておもしろかった。これは賛否両論あるだろうなぁと思うが、私の感想としては賛寄りの賛。古典落語が好きなので噺を変えることに抵抗がないことはないが、でも談春がこれまでどんなふうに芝浜を演じてきて、どんな経緯で芝浜を変えるぞ、という思いに至ったかは分かるような気がしたし、その末にあの話が出来たんだとしたら、それに否とか言えないよ。
やや説明過多な感じが気にはなったけど、まだ2回しかやってないっぽいのでそのせいだと思う。というか、談春さんはわりと説明が多いタイプというか、客がぽかんとしている・あまり分かってないな、と感じると本筋からあまり逸れない形で説明をしてくれる人なのだ。あれ、やり方が下手だったりすると一気に冷めるし、やり過ぎたりすると客側は馬鹿だと思われてる感じがしてきて居心地が悪いし、すごく緻密な技だと思う。舞台上で学ぶしかなさそうだし、天性の勘かも。なぜあんなことをするのかは聞いていないので分からないが「ぜったい誰も置いてけぼりにしない」という意志があるのか、もしくは「伝わるはずのことが伝わらないのが嫌い」なのかもしれない。
この日は「芝浜」のほかに「除夜の雪」と「かぜうどん」を聴いたのでうどんが食べたくなり、肉うどんを食べて帰った。

実家に帰り、さらに母方の実家とを行き来する。毎年のことだが、年末年始は延々食事の用意をしてそれを片付けていたら終わっていく。半端じゃない人数の食事を用意し、給食センターみたいなサイズの鍋を洗うので、肩こりがひどい。肩だけでは終わらず、二の腕の前あたりや胸まで筋肉痛になり「なんかもう身体がおしまいの感じするねんけど……年越せんのかこれ……?いや腰が終わってないだけまだマシか……」などと思っていたが、従兄弟の奥さんが買ってきてくれたピップエレキバンと移動中に爆音で聞いたSTANで超回復した。いつどこで誰に助けてもらうかなんて、自分でも分からないよなぁ。
疲労困憊すぎて、こんなん休みって言えんわ、もはや仕事してるほうが遥かにラクや、給料も貰えるし、と毎年思うが、祖母も母もずっとこうやって年末年始を過ごしてきたのだと思うと、私だけ知らん顔をしているわけにはいかないとも思う。こんなの大したことじゃない、ただ私がそういう家に生まれただけのことだ、誰かが喜んでいるならそれでいい、と思うことにしている。この程度のことにこまごま反発していたら自分がしんどいだけだ。

大晦日は母が作ってくれたたくさんの副菜(母は副菜の鬼)と姉が買ってきてくれた蒲鉾(蒲鉾は値段の差が味に直結している)を前菜に食べ、姉が焼いただし巻きたまごを食べ、父が揚げた天ぷらを食べ、叔父が打った蕎麦を食べ、私が山形県から取り寄せた鴨を食べた。なんぼほど食うねん。お風呂に入っているうちに年が明けており、その後は義妹が買ってきてくれたケーキを食べた。ケーキにはロウソクを付けてくれたので、せっかくだから火をともし、おねがいごとをした。脳内で「ジンくんが無事に帰ってきますように」と願った。うーん、ちょっとジンくんが好きすぎるな……あとどんなに願っても今年はまだ帰ってこないし。

甥スカイウォーカーたちは相変わらずご機嫌にたのしく過ごしていて癒しだった。しかも、去年のお正月は誰か大人が一人は付いて見ていないといけなかったのに、今年は甥たち二人だけで遊べるようになっていて、大人はみんな席について、お雑煮とおせちを食べることができた。えらいな。すごいね。来年のお正月はきっと、甥1が今よりもっと上手にお箸を使えるようになって、一緒にお雑煮を食べられるようになるんだろう。うれしいし、楽しみだし、でもすこし寂しい。甥1はもう私に上着のチャックを閉めて、と頼んでくれなくなったし、膝にのせて靴下を履かせなくなっても良くなった。彼が自分で出来るからだ。自分で出来ることは自分でやったほうが良いし、それが増えることは幸せなことだと知っているからすごくうれしいのに、でもやっぱり少し寂しい。
あっという間に字が読めるようになるだろう。そうしたら、重たい図鑑を抱えてやってきて、私に「読んで」とは言ってくれなくなるだろう。字が読めるようになることは素晴らしいことなのに、そんな日が来るのは寂しい。この時間を忘れないでいたい、と思いながら、一緒に布団に寝転がって恐竜図鑑を読んだ。このまえ会った時も同じ図鑑を同じように読んだけど、初めてみたいに読んだ。
甥2は「えーーーちょっといやなきもちになってきたけど」と言うことで自分の不快な感情を事前に回避する術を身につけていて感動した。これによって甥1との小競り合いや両親からの怒られ(怒られ)を避けているようなのだ。自分の気持ちをちゃんと理解して、それを口に出せるなんてえらいぞ。

年明けは30年近く前に住んでいた団地の幼馴染たちに会って、一緒にごはんを食べた。私がみんなに会うのは20年ぐらいぶりなんじゃないだろうか。3~4年前くらいだったら、私は呼ばれても行かなかったかもしれない。ものごとにはすべてタイミングがあるのだと思う。
毎日一緒にいたときは私も含めてみんな小学生だったので、さすがに変わっているだろうと思ったのに、全員何も変わっていなくて笑った。ありちゃんは昔からずっとこんなふうにおしゃべりで、我が道を行く人だし、りょうちゃんは子どものころからこうやって私とゆりなを実の妹を見るような目で見て、にこにこしていたし、たけが妙に冷静なツッコミを入れる感じとか、ちょっと上を向いて笑う癖とか、本当に誰も何も変わっていない。けいくんは相変わらず面食いで、調子がよくて明るくて、ゆりなはまるで、ランドセルを背負って通学路を歩くみたいに私の手を握るのだ。「のんちゃん」と呼ぶ声も記憶のままだ。そんな訳ないもう30年近く経つんだから、と思うのに、でも本当に変わらなくて笑ってしまった。
みんな身体的に成長したことと、社会的立場が変化したこと以外は何も変わらなかった。私はみんなに会っていない期間が長いから、間が抜けている分、よけいに面影が追えるのかもしれない。
私は深夜2時ごろには酔いが全く進まなくなり、このままいるとただ眠くなりそうだったので先に帰った。生田新道に出るとわりとタクシーが停まってたけど、あんまり寒くないしダラダラ歩いて家についた。終電とか始発とか気にしなくて良いのって、最高。

1週間も休んだ気が全くしないが、これも毎年のことなので気にしない。喉も痛くなってないし、元気です。また1年、よろしくお願いします。

chocolate cheeks and chocolate wings

2022年12月28日 (水) 19:45

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友人が言われたという「(女性は)結婚や出産によって犠牲にするものが多くて大変ですね」という言葉が、まだ痛む。私が言われたわけでもないのに。切れ味の悪い刃物で切った鈍い傷のように、切り口がザリザリしている。どうせ切るならもっとよく砥いだ刃物でひと思いにスパンと切ってくれよ。こちらが切られたかどうか分からないぐらいに、美しい、鮮烈な切り傷をくれよ。出来ないなら切るな。

結婚や出産によって(限った話ではないが)、私の友人には何ひとつだって犠牲になんかさせない。してほしくない。むしろ逆だよ、他の何を犠牲にしたとしても、彼女には彼女の心をまず第一に守ってほしい。
私はあなたの顔も名前も知らないが、でもあなただって、何も犠牲になんかすることなく生きていくべきなんじゃないの。
自分にはそれだけの覚悟がある、という意思表明なのだとしても「犠牲にする」は言葉が悪いんじゃないか。もっと適切で、あたたかく、相手の気持ちに寄り添うための優しい言葉が何かあるはずだ。……今パッと思いつかんけどさ。ごめんな!でも考えろよ、私も考えるから。

友人には「そんなにナムさんのこと好きやった?写真集買うぐらい??」と聞かれ、私は「うん、付き合いたいからね」と答えた。なにをアホなことを言っているんだろう。友人は優しいので「そっか」とだけ言った。
私の人生ですか?たのしいですよ。

ミルクガラスボーイ

2022年12月26日 (月) 21:58

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フレデリック・ワイズマンの274分もある映画を、家で観る気がしない。観たいのは観たい、でも274分もあるのだ。ソファーに座って274分。途中でおトイレに行ったり、お茶を入れたりして、274分。なっげぇーーーーな。映画館で観とけばよかった、ほんとうに。でも上映期間が結構短くてさ、気づいたら終わっててん。だからしゃあないねん。年始あたりで観るか……いやそんな時間ないか……年末年始てなんか知らんけど超バタバタするね。

来年、意図的に映画を観る本数を増やしてみようと思っている。観た映画を記録しているので年に何本観たかを数えようと思えば数えられるのだが、だいたい「今年はなんかいっぱい映画観たな」と思う時で100本ぐらい、「今年はBTSばっか観てたから全然映画みてないわ」という時で50本ぐらいで、だからまぁ平均すると70本ぐらいになる。意図的に「たくさん観るぞ」と思ったらどれぐらいの本数になるのか知りたい。200はいかない、と予測している。

日曜日、年賀状を書いていたら、この人と最後に会ったのって春か、随分前の事みたい、この子コロナかかったって言うてたな、もう大丈夫かな、みたいな感じになって、思ったよりずっと時間がかかった。去年は家の近くの喫茶店で書いたけど、今年は家で書いた。バナナブレッドをオーブンに入れていたからだ、
でも1枚ずつ切手を貼ったり、こんな地名あるんや、この漢字難しいな、と思いながら住所を書いたりするのは楽しい。変なあだ名で呼んでいるあの子の本名が実は美しいことや、結婚して変わったあの子の名字にまだ慣れないことなんかも楽しい。みんな風邪とかひかないで元気に年を越せますように。

もっちゃんの誕生日プレゼントを熱心に探しているが、今年はなかなか良いのが見つからない。もっちゃんはお茶が好きなので、ティーカップとソーサーを毎年一客ずつプレゼントしているのだ。私はもっちゃんの家を「好きなカップを選ばせてくれる喫茶店」みたいにしようと目論んでいる。……人の家を「好きなカップを選ばせてくれる喫茶店」みたいにしようと目論むことの是非についてはあまり考えないようにしている。まぁ15年来の友人なので「さすがにもう置くとこないしこれ以上要らんで」となったら、はっきりそう言ってくれるはず。
値段の高いやつならいくらでも買いたいのがあるけど、例えば2万越えのティーカップを友人に贈るのはどうかと思う。本人が欲しがっているならまだしも、そうでないならちょっと怖い域の金額な気がする。私は「お返しが欲しい・もらえる」という概念で人に物を贈ることは一切無いが、それでも逆に気をつかわせるケースが多いのも気にかかる。しかも私自身は「何をあげたら喜ぶか全く分からない」と言われて久しいし、病的にこだわりが強く、十分自覚もあるので心苦しい。もう誰にも何ももらえなくて構わないし、そのことを恨んだりしないと誓うから許してほしい。

もっちゃんへのティーカップは「そろそろアンティークものも視野に入れるか」と思い乙仲通りを歩き回ったが目ぼしいものが見つからなかった。そもそもアンティークものを贈るのってどうなんだろう。私はアンティークショップもヴィンテージショップも古物商も大好きだし、何なら新品の現行品よりも古い物のほうが好きなくらいだけど、プレゼントには相応しくないのかもしれん。まぁ食器は特に、ヒビたり欠けたりしてるものも多いしね…でも1800年代の皿がヒビひとつ入らずに残ってる、みたいなことって滅多にないしな。
もっちゃんの誕生日はとっくに過ぎたが、せっかくこれまで私も気に入ったものばかりを贈ってきたのに、妥協したくない。あとは梅田まで行って探すか……根気よくやるぞ。

SS-4

2022年12月15日 (木) 21:39

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私が“かわいいもの”にやけに執着する感じ、“かわいい”を探求せずにはいられないこの感じ、どう考えても“自分自身がかわいくないことへのカウンター”だと思うんだが、だからといってどうにも出来ないしなぁ。みたいな。あと「どうにかすべき」って感じでもなくない?みたいな。


「N.G.S」を急に聴きたくなり、Spotifyで再生してみると記憶よりテンポが遅い。キーとか、音色とかが記憶とズレることはそんなにないのに、テンポが実際とズレて記憶されていることが多い気がする。なんか理由があるんだろうか。
「N.G.S」は「ナンバーガールシンドローム」と読むが、これは「実はナンバーガールシンドロームの略で…」みたいなことじゃなくて、普通に読みがそうなんだけど、たまに同世代で「エヌジーエス」と読む人がいて不安になる。読みが「ナンバーガールシンドローム」なんですよ、え、だって本人が、後藤正文が、ラジオでかけるとき自分で言ったよ、言ったと思う、言ったはずだよ、でも私の記憶がおかしいのか…?確かめようがないな……
「ナンバーガール」はあのナンバーガールです。あのナンバーガール。解散しちゃったね。


寒い。冬がやる気をだしはじめている。そんなイキらんと……ほどほどにしときや……
羽毛布団1枚だと寒くなってきたので毛布を出した。布団はダブルサイズなのに毛布はまだ買ってなくてシングルサイズなので、横幅が足りない。寝るには特に問題ないが、見た目が悪い。ま、そのうち買う。


本革でカチカチで重い鞄欲しいな、と思い始めて数ヶ月、まぁまぁの値段だったが気に入った鞄が見つかったので買った。何も入れていなくても重いし、カチカチなので当たると痛いが、気に入っている。あまり似合っていない気もするけど、でも気に入っている。似合うものを身に着けるのは良いことだと思うけど、気に入ってるものを身に着けることも同じくらい良いことだと思う。
……と書きながら、好きな男の子に「煙草なんかやめなよ、似合ってないよ」と言ってしまったことを思い出して暗い気持ちになる。ごめんね。あんなこと言わなきゃよかったよ、ほんとにごめん。「身体を大事にしてね、心配だよ、君が好きだからだよ」と言えばよかった。


ジンくんの所属する部隊でどんな食事が提供されているか、そのメニューを毎日ツイッターで見かけるようになった。軍の活動状況を公開するサイトみたいなところに、普通に載っているらしい。私が「ジンくんもうおひる食べたかな、今日何食べたんかな」などと思うことは今までも確かにあったが、もちろん本人に問いかけたり、事務所に問い合わせたりするようなものではない。だから今、それを知ることが出来るようになったのは不思議な気持ちだ。嬉しい、ともなんかちょっと違うし、安心、て感じでもないし……なんだろうなこれ。まぁ自分の子なら安心、と感じるのかも。人の家の冷蔵庫に、給食の献立表が貼ってあるのを見るときの気持ちと近い気もする。近いか?うーんわからん。
ま、しっかり食べて元気でいてほしい。

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