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23時就寝

2022年6月1日 (水) 21:50

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私自身は結婚もしていないというのに不倫の相談を受けることがあり、毎度不思議だなと思う。年齢的に不倫しやすい年代に差し掛かっている、ということなんだろうか。なんだよ「不倫しやすい年代」って。でも20代のとき、誰も不倫なんかしてなかったと思うけど……

私は不倫は経験がないが、話を聞く限り「家庭はもうとっくに破綻してるから」「妻(夫)のことはもう愛していないから」などの呪文のような常套句によって関係を開始し、そのまま関係を維持しているケースが多いっぽい。恋愛と結婚と生活はどれも人間が人間同士でやることなので、それなりに連携したり連動したりはしているものの、いずれも別物なのだな、と思う。結婚によって恋愛が終わるケースもあるし、恋愛がうまくいく相手と生活もうまくいくかどうかはまた別の話だ。
と、エラそうに達観したようなことを言っているけど私は今現在、前述の3つのうち「生活」しかやってないので、何も知らんけどな!不倫のご相談はご自由にしていただいて構わないが、すべての終着点が「知らんけど」なのを許してほしい。だってまじで知らんもん。つーか不倫自体も当事者だけで完結して誰も傷つかないなら自由にやれば良いんじゃないの、と思うけど「当事者だけで完結して誰も傷つけない不倫」をフィクション・ノンフィクションを問わず見たことがないので、無理なんだと思う。

とはいうものの「30過ぎて白馬の王子様を待つなよ、もう来んから、わかるやろいい加減」と早口で言いながら、あぁこれ自分で自分に言ってるなぁ~と思ったりもしている。深夜の電話はいろんな感情を鋭角に抉るので楽しいけど危険ですね。
私に王子様は来ないし、そのことを嘆くには私は「大丈夫すぎる」気がする。そもそも舞踏会に出かけて行ってガラスの靴を落として帰ってくるようなセンスも技量もないくせに、どうやって見つけてもらおうというのか。無茶言うなよ。嘆くラインに達してないよ。
嘆かないなら屋根裏部屋でただジッとしてるのもアレだし、ガラスの靴は歩きにくそうだし、好きなスニーカー履いて生きるほうが楽しいだろう。カボチャの馬車は用意されないけど、でも自転車は150円で借りられるし電動アシストだって付いているのだ。どこへでも行けるぞ。

Pier No.5

2022年5月30日 (月) 21:09

uncategorized

先日、ミニマル/コンセプチュアル展を観に、県立美術館へ行ってきた。めちゃくちゃおもしろかった。おもしろすぎて、久しぶりに図録を買った。

私はミニマルアート、コンセプチュアルアートのどちらにも明るくないので(いや、私は美術や芸術の素養がほとんどないのでこれらに限った話ではないが)、全然理解できんかもしれん、でもまぁそれならそれでいいや「なんも分からんかった~!うわーん!」つって帰ればいいや、と思っていたが、丁寧で的確なキャプションのおかげで、大いに楽しむことができた。ありがたかった。作品そのものだけでなく、ギャラリーで個展をやるまでに交わした手紙や電報、コンセプトを書いたドローイング、作品の指示書(ミニマルアートは作者本人が作らない場合があるので、現場の人間に向けて作品のレシピのようなものを渡す)、個展の案内(デザインが良い)等も展示されていて、見ごたえがあった。
ちなみにコンセプチュアルアートというのは、めっちゃざっくり言うと「誰が物質的に何を作ったか」という成果物そのものよりも、その元となるコンセプトやアイディアの方がおもろいやん!?そっち重視しようや!みたいな考え方のこと、です。起った時代(今から60年前ぐらい、わりと最近)から考えるとカウンターカルチャーっぽい側面があるよなぁと思うけど、どうなんですかね。詳しくは知りませんすみません。

私は世のすべてのものごとに対して基本的には「分からないものを分からないまま置いておきたい」という気持ちがあるし、「私が分かりたいときに分かるから放っておいてくれませんか」という気持ちもあるが、ことコンセプチュアルアートに限ってはそういうわけにもいかない。分からな過ぎて迷子になるからだ。「これはこうやって見るものなんですよ」と親切に手を引いてもらって、私はようやくその作品を見る角度を理解し、作者の意図を理解し、その思考を辿ることが出来るようになる。
とはいえ「こういうコンセプトなんですよ」の範疇を飛び越えて「ほーら、この作品を見て○○○な感情になったでしょ!それが正しい感情でーす!」みたいなところまでをキャプションでやられると、これにはめちゃくちゃ拒否反応を示してしまう。私の感情は私が決めるし、この感情に名前を付けるかどうかすら私が決めるので、黙っていてくれませんか気持ち悪いので、と思うのだ。もちろん潔癖すぎる気もしているが、それを咎められる筋合いもない。……喧嘩腰すぎるね!わはは!怒ってません!

もしくは私が「鋭敏な感性の権化」みたいな人間だったなら、金属の塊を格子状に並べた作品や、数字を羅列してファイリングしてある作品を、ガラスパネル越しにただ見るだけで、何もかもを深く理解することができたんだろうか。もしそういう人間だったら、言葉みたいなツールはとっくに放棄して、もっと人に優しく、穏やかに生きていけたんだろうか。

河原温の作品は「Date painting」を国立国際美術館のコレクションで見たことがあったが、「I Got Up」と「I Am Still Alive」は、今回初めて見た。「Date painting」はその日の日付をその日居た国の言葉で描く、という作品で、「I Got Up」は自分の起床時間をポストカードにスタンプで印字し毎日友人に送る、という作品、「I Am Still Alive」はその名の通り「I Am Still Alive(私はまだ生きている)」と電報を打つ(これも友人宛に)、という作品だ。いずれも制作物自体はスタンプなどの印字された文字であったり、筆跡を消したタッチで描かれているものなので「本人が手で描いた」という観点のみで見れば「価値」はないし、当然あたたかさ・ぬくもりなどは皆無で、そこから感情を読み取るのは難しいし、無機質とも言える。
でも「私はまだ生きている」と、「私は8:04に起きた」と、送らなければならない、もしくは送らずにはいられない感情や、またはそれを送りたいと思い実行するほどの衝動、などを追体験すると、私は胃の底がザワザワとし、奇妙なことだが「いじらしさ」みたいなものを感じて泣いてしまった。古びたポストカードに印字された河原温さんの起床時間を仁王立ちで眺めて泣いている私も、54年後の今をまだ、生きているのだ。
というか「私はまだ生きている」と打った電報が彼の友人に届くまでには時差があり、それが届いた時点でまだ生きているかどうかは分からない、というのもザワザワする。なんなんだよ。なんなんだこのねじれた切迫感は。泣いてる私が頭おかしいのか?うるせぇほっとけ。

美術館を出た後は、埠頭をぐるっと一周して駅へ向かう遠回りのバスに乗り、不味くはないが特別美味くもない蕎麦を食べて家に帰った。
たくさん頭を使って、歩き回ったし、ちょっと泣いたから疲れた。

不思議のシュラフ

2022年5月20日 (金) 21:19

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このブログの記事数が900件になっていて驚いている。そんなに?下書きに入れたままのものや、非公開にしているものを合わせると960件だそうだ。たくさん書いたんだなぁ。
続けようと思ったことないのに、こんなに続けられてるってことは、やっぱりなんか書いてるほうが調子良いってことなんだろうな。ほら、毎日ぜったいに歯磨きをするぞ!とか思ってないけど、しちゃうのとおんなじ感じじゃないんかな。だって歯磨きしたほうが気持ちいいやん。
一方、もうやめよう、これで最後にしよう、と思っていることはいくつかあるのに、こちらはそう簡単にはいかない。最近一番よく思っているのは「もうグミ買うのやめよう」であるが、これがなかなかやめられない。ほとんど無意識で買っている日もあるのだ。自分がこわい。最近好きなグミはノーベル製菓さんのペタグーグミです。

「31歳のとき、当時の家賃と同じ金額のワンピースを買った」と言っていたのはジェーン・スーさんだったと思うが、私もついに件の鞄を買いました。買ってやった。知らねぇ知らねぇ!かわいんだもん、ずっとほしかったんだもん!知らねぇ~~~!!!
一度に使う金額としてはなかなかのものなので胃はちょっとキリキリするけれど、貯金を使い果たすほどのことではないのだし、落ち着いていこう、私。住宅ローンの審査が下りるまでの数日を思い出してほしい、胃はもっと終わってたよ。それから、マンションの手付金を現金で持って行くのが怖くて鞄をお腹のあたりに抱きかかえて不動産屋まで歩いたときのことや、欲しい食器棚が世にひとつも見つからなくて家具屋さんにオーダーしたときのことや、迫りくる増税の日から逃げるように買ったダイニングテーブルのことを思い出すんだ、落ち着いていこう。全部君が自分で稼いだお金で買ったものだよ、怖がらなくていいよ。お金はまた稼げばいいじゃないか、がんばって働こう、かわいい鞄が買えてうれしいね、よかったよかった。

つーかベッド先に買ったほうがよかったけどね、まぁいっか。
私、家具めっちゃ好きやのにベッドぜんぜんテンション上がらんのなんなん?と思ったけど、たぶんデザイン的につまらんからやろうな……ベッドがかわいいのって本体じゃなくてベッドリネンの問題やねんよな。
いや、もちろんかわいくて素敵なデザインのベッドもいっぱいあるよ、知ってる、けど私の寝室にそういうベッドは入らへんねん。あと、そういうベッドは下にオフシーズンの服を入れたり、圧縮袋に入れた毛布を収納したり、コールマンのシュラフを隠したりできんねん。
もういっそ壊れるまで使おうかな。

Basic Nails no.11

2022年5月17日 (火) 20:31

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手と足、合計20個の爪に、常にマニキュアを塗っている。10年以上、塗っている。「常に」はざっくりとした単位なので、もちろん1週間くらい素爪のときもあります。

マニキュアを塗る理由は、ただひとつ、「爪がかわいいと自分がご機嫌になるから」だ。私は身体的コンプレックスが売るほどあるので、自分の手も指も基本的にはすべて嫌いだが、それでも爪をかわいい色にしていると「お、爪かわいいぞ~!」と思うことができ、ご機嫌に生きていける。

マニキュアを塗っていると、他人はいろいろ言ってくる。「爪が呼吸できなくて良くないらしいよ」だの「あんまり派手な色は男ウケ悪い」だの、あとは「似合ってない」とかね、老若男女問わず、いろいろ。が、そもそも私の爪はみなさんにご提供しているおもしろコンテンツではないので、何を言われても全部クソどうでもいい。私は、いや私もあなたも、そしてあの子も、爪だけじゃなく、人間はみな「供されたコンテンツ」じゃないんだよバーカバーカ。
「バーカ」は言い過ぎましたね、はいはいすみませんでした。

先日、去年ぐらいから広告でよく見かけていた「ohora」を買ってみた。シール状に固めたジェルネイルを爪に貼り、LEDランプで硬化する、というものだ。ジェルネイルは未経験だが、一度くらいネイルサロンに行ってみたいな、と思っていて、でもどのサロンも大体4~5,000円くらいはするから、どうかな…と思っていたところだった。とはいえ4~5,000円が高いとは思っていない。かかる時間と技術、接客にかかるコスト、などを考えると妥当なんじゃないか。あとは私が「自分の爪に4~5,000円かけられるかどうか」というだけの話だ。

ohoraはLEDランプとシール2種類がセットになったものが3,500円だったので、それぐらいなら一度試してみてもいいか、という気になり、日曜にとどいたのでアベンジャーズ(エンドゲーム)を見ながら貼ってみた。微妙なサイズ違いが30枚入っているので、自分の爪のサイズに近いのを選んで貼る。はみ出た部分は爪切りで切っておく。
LEDランプはボタンひとつで点灯→45秒経つと自然に消える、という仕様で、プラスチックの脚がちゃっちいけど、まぁ使う分には何も問題ないし、実質無料でもらっているので文句ないです。
硬化するとシールを貼っているときの突っ張ったような違和感はなくなり、仕上りも本物っぽい。わ、わるくない気がする…!かわいい!わーい!

マニキュアと違ってお皿を洗ったりお風呂に入ったりしても欠けたりしないし、乾くのを待つ時間もないので良い気がする。あとは2週間くらいもってくれれば最高なんですけど、どうかな、よろしくお願いします。

ドレミファ

2022年5月10日 (火) 20:56

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豆花を作ってみることにした。
私は3年くらい前に井の頭公園の近くにある台湾茶のカフェみたいなところで初めて豆花を食べ、大変気に入り、以来あちこちで食べ続けている。と言っても豆花が食べられる店はそこまで多くはなくて、神戸市内だと5軒くらいしかない。最近では旅先でも、豆花が食べられる店がないか必ず検索している。

豆花は中国、台湾、香港あたりで食べられている豆腐プリンのような食べ物で、甘く煮たピーナツ・小豆・緑豆などの豆類やハトムギ、白きくらげや、甘草ゼリー、あとはサツマイモとかタロイモの餅を載せ、うす甘いシロップをひたひたにかけて食べる。が、台湾に行ったことないから現地でどうなってるんかは知らん。中国では甘いのじゃなくて、塩味のとか、辛いのがあるらしい。
店によってトッピングの種類はいろいろで、4種類くらい好きなのを選ばせてくれる店や、かき氷を入れる店、などもある。冬はあたたかい豆花を出す店もある。

いくつか食べていると徐々に、理屈というか、構造が分かってくるし、自分の好みが定まってくる。私は豆花の食感がよく、あまり柔らかすぎない方が良い。なおかつ豆の味がわりとしっかりしていてほしい。トッピングにピーナツは欠かせないが、これはめちゃくちゃ柔らかい方が良い。形状は保っていてほしいけど、歯を立てないぐらいのかたさが良い。あとはモチモチ食感がおいしいから、餅類があるとなお良い。湯圓か芋圓、芋圓が良いですね。シロップは濃すぎず、どちらかというと少し甘さは控えめが良い。のどごしが良いように、さらりとしていてほしい。ソースではなくてシロップなのも重要だと思う、シロップごと大きめのスプーンですくって食べるのがおいしい。

ここまで好みが定まれば作れるぞ……と思い、生の落花生とキャッサバ澱粉を富澤商店で買った。富澤商店、なんでもあるな~助かるな~
落花生は薄皮を剥くために一晩水に浸ける。「水の中でやさしく握るようにすればまとめて皮が取れる」という情報を得たので「お、そうなん、楽やな!」と思っていたが実際はそんなうまくいかず、ひと粒ずつ剥かなければならなかった。「話が違うんやけど…」と思いつつ、BTSがゲーム制作の会議をする動画を見ながらもくもくと作業した。弊推し、なんか文句言うてるとき、ずっと首がすわってなくて超かわいいな。あとなんか文句言うてるとき、唇がとんがってて超かわいい。あと早口でなんか文句言うてるとき、ずっとほっぺたがもにもにしてて、それも超超かわいい。
皮を剥いたら次はこれを煮ていく。エグめの灰汁が出たのでせっせとすくい、30分くらい煮たらあとは炊飯器へ。参考にしたレシピは「3合設定の炊飯器でそのまま炊飯」と書いてあるが、そもそも豆を半分以下の量にしたので加減が分からない。ま、とりあえず弱火でコトコト煮ればいいのでしょ?ということで90分程度加熱。……ぜんぜんやわらかくならん。さらに30分追加で加熱。ぜんぜんやわらかくならん。えーなにもう、どんだけ煮るんよ。もう寝たいねんけど。氷砂糖を入れ、さらに90分追加し、ほっくりしたいいにおいの中で就寝。
翌朝、味見してみるとまだかたい。えーーーーまだ?まだ煮るの?今日は出かけるねんけど……とりあえず90分追加して外出。
帰宅後、即味見。……うそでしょ、まだかたい。いやかたいっつーか、でも惜しい感じする。食べられるけど、お店で食べるあれとは違う。え、やわらかくならん豆なん?そんな豆ない?こんなことならお店の人に作り方を聞いてみればよかった……とりあえずあと60分だけやろ、これで変わらんかったらもうあきらめるわ。
結局ぜんぶで何分煮たのかよく分からないが、とにかく長時間煮る、が正解だったっぽい。一度透き通ったあと、白っぽい色に戻ったし、食感もほっこりむっちりになった!じょ、じょうずにできたやん…!ただこれもう再現できるかどうかわからんな。つーかもしかして最初から圧力鍋で煮ればよかったんか?わからん。

豆花と芋圓は材料を混ぜたり捏ねたり冷やしたりするだけなので何も難しくなかった。豆花はなかしましほさんのレシピを参考に、ややゼラチンの量を減らした。芋圓はキューピーのホームページに載ってたレシピを見て作ったけど、もうちょっとモチモチ感があるのが好みかな、粉の配分か?わからん、要調整。あと単純にもっとおいしくて甘いサツマイモを使った方が良いし、濾す工程を入れたほうが食感が好みな気がする。
それからもう少し「それっぽい」皿が欲しい。大体お茶碗と麺鉢の間くらいのサイズのお皿が、平皿か小さいお盆の上に載ってて、レンゲか大き目のスプーンを付けて出すお店が多いから真似したい、けど、家は北欧の皿が多くて……台湾雑貨の店とかないんかな。

ま、総合すると初めてにしては上出来!開店!て感じ。
しかし手間かかるな~分かってはいたけど。

born daughter

2022年5月9日 (月) 21:56

uncategorized

私の両親はいつまでも私の両親だが、いつのまにか「甥たちの祖父母」であることの比重が大きくなっていくのは不思議なことだな、と思う。孫たちと過ごす時間の頻度や密度を考えると、当然のことなんだろうけど。
日に数百回「ばぁば!」と呼びかける甥の声を聴きながら、私は私の祖父母のことを考え「お世辞にも私は良い孫とは言い難いな」などと思った。

実家に帰ると、別に誰にもなんにも言われてないのに「なぜお前は“普通に”結婚して子どもを産まないのか」という、いかにもありがちな言葉が脳をかすめ、慌てて「いや誰も何も言うてへんやん」と自分で自分を訂正するようなことが何度か起こる。こんなことを思うのは、どこか後ろめたい気持ちがあるからだろうと思う。が、同じだけ「なぜそんなことを後ろめたく思わなければならないのだろう」とも思う。この感情には名前がある、これは、罪悪感、と思いかけてすぐに打ち消す。やめてやめて、なんの罪だよ、なんにも悪いことしてない。
でも私は3人きょうだいで、父はよく「3人とも結婚して、3人ずつ子どもが生まれたら、父さんは孫が9人できるなぁ、楽しみやなぁ」と言っていた。そのことを思い出すと、申し訳なくて泣けてくる。甥たちだって、従兄弟がいたら、きっと楽しいだろう。

とは言え、そう、とは言えよ、本当に心の底から私が申し訳ないと思っていて、両親に孫の顔を見せてあげたいと、それが自分の何よりの望みだと思っているのだとしたら、私はこんなとこにグダグダ長文を書いてないで何らか行動を起こしている。私は私が、本当に欲しいものや、どうしてもやりたいことがあるとき、それを我慢することなんてできない人間だと知っている。思いつきで瞬時に行動できる性格ではないけど、でも本当に欲しければ、時間をかけて、段取りを考えて、絶対手を伸ばす。だから、そうしてない、ってことは、そう思ってない、ってことだ。今は別にどっちとも決めてないし、決めなくてもいいし、決める時が来たら決めるだろう、一生決めないままかもしれないし、それはそれで構わない。どっちに転んでも良いように、精神的に身軽にしておくぐらいで、あとは特にやることない。ないんだよ。
この程度のシンプルなことを、こねくり回して複雑にするとしんどいぞ、あと「誰も何も言ってないこと」について考えるのも、程々にしておいたほうがいい。

私がウジウジしていることの大半は「誰も何も言っていないこと」について考えすぎているケースな気がする。そういう性格なんだろうな~~~ま、そういうところが馬鹿みたいで味があるとも思うし、だからゼロにすれば良いってもんでもなさそう。バランスのいいところで折り合いを付けようね。

fear

2022年5月2日 (月) 20:00

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デザインの初校を出すときは、わずかに緊張する。緊張、といっても、指先が冷たくなったり、耳の後ろがぞわぞわしたり、胃がキリキリと痛んだり、足の感覚がなくなったり、息がしづらくなったりするほどのものではなくて、もう少し軽度な、うーん、表現が難しい。親指を内側にして拳をぎゅっと握ったり、まぶたをぎゅっと閉じたりする程度の緊張。……ぎゅっとしてばっかだな。

なぜ「わずかに緊張する」のかというと「これを気に入ってくれたらうれしい」と、思っているからだ。つまり「好かれたい」と思っていて、だから緊張する。少なくとも初校の段階では、私自身が好きだと思うものを作っていて、だから「あなたも好きだといいな」と思っている。だからそれを「どうですか?」と相手に見せるとき、わずかに緊張する。
とはいえ「いや、ぜんぜん好きじゃないです」と言われたとしても、傷ついたりはしない。「あ、そう?気が合わないね」ぐらいのことで、そのあとはどんなに「それはナイわ」と思う意見が返ってきたとしても「そうか、そういうのが好みなのか、なるほどね」と対応する。同意できなくても、いちいち言ったりしない。一般的なルールからあまりにも外れていたり、ユーザーにとって誤解を生みそうな場合やそれでお客様が不利益を被りそうな場合はもちろん指摘するけど「ダサいと思います」みたいなことは言わない。仕事だからだ。

同業の友人が「自分がデザインしたものを否定されたとき、自分自身が否定されたような気持ちになって傷ついてしまう人には、この仕事は向かないね」というようなことを言っていたのを思い出す。確かに、そういう人はキツいだろうな。
私も「すいませーん今日会長に見せたんですけど、気に入らんって言うてましてね、やりなおしてもらえますか?はい全部、全部です、全部やりなおし、お願いします」みたいなことを言われた日は「こんなん何等かのハラスメントに該当するはず、もう弁護士としか話したくない弁護士を通してください」と思いもするし、素人に「デザインの勉強?とかってしてるんですよね?www」と電話口で言われた日は「殺すぞ」以外のワードが浮かばず、口ごもったりしたこともあった。が、自分自身を否定された・拒絶された、とまでは感じていない。
私が作ったものを、お客様が気にいらなかろうが、ド素人の馬鹿に理解できなかろうが、それが私そのものを、人格を否定する言葉だとは思わない。あくまでデザインはデザインだし、私は私だ、一部でもなければ分身でもない。

そもそもデザインは、誰でも出来る。特殊能力ではない。老若男女問わず、誰でもデザインは出来る。そういうところが好きになって、今もずっと好きだ。私はその、誰でも出来ることを仕事にしようと選んだだけのことで、誰でも出来ることなので差別化しないと金にならないから、人よりちょっとは上手に出来るように、勉強したり工夫したりしているだけのことだ。
つーか世の仕事は誰でも出来ることがほとんどだし、だからこそ苦労が分かり合えたり、少しの差を「すごいね、私にはできない」と思えたり、キツすぎたら代わってあげたりできるんじゃないのか。

そういえば私は、自分がデザインしたものを否定されたときよりも、全OKで何もかもがトントン進んでいくときのほうがよほど怖い。「どうですか?」の初校に対して「すごく気に入りました」と返事が届き「ありがとうございます、じゃあこれで進めますね」と返すまでは良いが、そのあとずっと「良いですね」「気に入っています」「とっても良いです」みたいなのが続くと、だんだん怖くなってくる。

恐怖の理由はふたつあり、ひとつは「このあと理事長だの会長だの取締役会だのが急に登場し、全部をひっくり返して台無しにするのではないか?」という経験に基づく恐怖、もうひとつは「私なんかが作ったものをこんなに気に入ってもらえるはずがない、絶対にどこかひとつぐらいは好きじゃないところがあるはずなのに、なぜ言ってくれないのか?」という私の自信のなさや捻くれた性格から来る恐怖である。ふたつの恐怖は案件が終わるまでうっすらと続く。前者は探りを入れる術があるが、後者はやや対処が難しい、根本的に相手ではなく私の問題だからだ。

今進めている案件は「全OKで何もかもがトントン進んでいく」ほうの案件で、私は怯えながら仕事をしている。杞憂に終わりますように。

トロピカリーナ

2022年4月27日 (水) 21:19

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今ほしい鞄が、ざっくり家賃くらいの値段で、思い切りがつかず、カートに入れたりまた出したりしている。土曜日にほとんど買う勢いになったが、ショッピングカートのシステムエラーらしきものが発生して萎え、そのあとは緩やかに気持ちが落ち着いてきている。今はこのまま萎えてほしい気持ちと、1年以上「ほしいな~かわいいな~」つってんねんからもう買えや!の気持ちが半々くらいです。半額なら迷わず買うけどな~でも別にセールとかになるやつじゃないしな~ううう。

メルカリで買えるならそれでもいい、中古でも別にいい、と思っているが、メルカリはコピー品が多すぎる。1~2枚目にアップされている写真は公式のものだが、たいていは後ろのほうに現物のものらしき写真が載っていて、おそらく送られてくるのはそっちだろう。ロゴが……違うねんよな、どう見ても。
さらに大体の場合「並行輸入品なので品質は劣ります」との記載があるが、そういう問題とちゃうやろ、っつーか並行輸入品やとしてもロゴは変わらんやろ。
あとは縫い目をじっとり見たりしているうちに、だんだん確信に変わる。これは、ぜったいコピー品だ、いくらなんでも、ここまで安くなるわけない。

デザインが同じなら、パッと見で分からなければ、コピー品でも構わん、安いし、という考えもあるのだろう。でもやっぱり買う気にはならない。その鞄を持って出かけるとき「はーかわいい、良い買い物したな」とだけ思いたいからだ。同時に「……でも偽物やねんよな」と思うのが嫌だ。

うーーーん、毎月1万円ずつ封筒に貯金していって、貯まったときまだ欲しかったら買うことにしようか。そういえばストラトキャスターもUten.Siloもそうやって買った。でも夏に使うデザインの鞄やねんよな、秋になっちまうなぁ……

ずいぶん大人になったのに、高いものの買い方が変わらないの、すげぇ本質的でおもしろいな。桁が変わるぐらい稼ぐようになったら、このへんは変わるんだろうか。それとも本質は文字通り本質だから、ずっとこのままなんだろうか。
知りたいが、どうやれば桁が変わるぐらい稼げるようになるのかはさっぱり見当がつかない。

he makes me wonder

2022年4月23日 (土) 22:18

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なんか美術展を観に行くか、と思ったが家から近いのはミイラ展とミニマルコンセプチュアル展だった。

ミイラ展は私が自分でも不可解なほど興味のないジャンルだ。ニューヨークでメトロポリタンに行った時も、エジプトのコーナーは全無視した。もしミイラの良さを語れる人がこれを読んでいたら絶対に連絡してほしい、あんなに人気があるんだから、きっと夢やロマンやエモーションに溢れたものなんだろうと思うのに、心底興味がない。でも、できれば良さを分かりたい。あ、良さを分かりたい人が行くべきなのか?ミイラ展。そうかもしれんな。

ミニマルコンセプチュアル展は大いに興味があり、ぜひ行きたいが「今日ではない」という感じがする。こういう「感じ」には素直に従ったほうがいい。自分の意志とどこか別の部分から湧いてくるようなそれらを無視し続けたら、意志しかない人間になるのだ。意志しかない人間なんて……え、だめかな、意志しかない人間だめ?なんで。なんでなんで。

なんかないのか、なんか、晴れた日の午前に適当な美術展は。ふと「チョコレートミュージアム」が開業したことを思い出す。あぁそれぐらいのがいいわ、適当です。予約制だというのでWeb予約をしてから眠った。

朝起きて自転車に乗り、10分ほど坂をくだると海に出る。裏手が山の家から10分自転車に乗れば海に出るなんて、神戸のいちばんいいところは立地だ、絶対にそう。

海、というと砂浜を思い浮かべる人と、港を思い浮かべる人がいるんじゃないか。私は後者だ。神戸の海は西へ行けば漁港と砂浜が、東へ行けばカップルが手を繋いでデートをする港と輸出入を行う港がある。それぞれに良さがある。

輸出入を行う港を眺めながら、のんびりできるウッドデッキが出来ている。知らんかったなぁ、こんなふうになってたんかここ、ええやん。今日天気ええな。
足を投げ出して座り、音楽を聴いた。天候とロケーションに合った曲をかけようと悩みすぎて、めちゃくちゃ時間がかかった。何のこだわりなんだ。そういえば私サーフミュージック的なのあんまり聴いたことないな……
結局くるりの「ばらの花」をかけた。合ってないこともないが、よく合うというわけでもなかった。

チョコレートミュージアムは入り口でカカオのにおいを楽しめるインスタレーションがあり、そこがハイライト、というくらいめちゃくちゃこじんまりしていた。施設規模が小さいので仕方ないが、もっと歴史的な部分とか成り立ち、食べ物として踏み込んだ博物館のようなものを期待したので残念だった。でも「ミュージアム」って言うてるやん……
パッケージをたくさん見られるのはおもしろかったけど、チョコレートの魅力がパッケージだけだとは思わないし、パッケージを見せるなら中身を見せないと片手落ちじゃない?中身ありきなんやから。いやまぁ権利関係とか厳しいか……うーん。
チョコレートは例えばコーヒーと同じくらい、作る工程だっておもしろいし、歴史だっておもしろいし、産地を紹介したり、カカオについて紹介したり、なぜおいしいのかを科学的に分析してみるのもおもしろそうだし、なんか、もうちょっとやりようなかったか。
とはいえGoogleマップのレビューを読んだら、上記に書いたようなことはすべて既出でした。はいはい、私が悪うございました。

無料なら全然ええけど、わりとしっかりお金とってるしなぁ……とひとりモヤモヤし、そのあとはブッラータを食べ、白ワインを飲んだ。暑くなってきたのでよく冷えた白ワインがおいしい。が、お昼に2,000円以上出して分かりやすくごちそうっぽいたんぱく質もないし、炭水化物もないごはんを食べてしまいボーっとする。合ってるのか……?私のお昼ごはん、これで合ってる?合ってるも何も、全部自分で選んでるし、自分の金だし、合ってるだろうけども。はーぁ、鰆の西京焼き食べたい、あと白いごはんに豆腐とわかめの赤出汁、小松菜の煮びたしときゅうりと穴子の酢の物とか、そういうの食べたい。

適当に散歩をして、夕方には家に帰り、夜はご所望の通り小松菜の煮びたしときゅうりの浅漬け、白いごはんに豆腐とわかめの赤出汁(巻き麩入り)を作って食べた。今日も一日、望んだとおりの人生だったね、おめでとうおめでとう。

態度でなんとなくわかるよ

2022年4月22日 (金) 22:31

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「書を捨てよ、町へ出よう」と言ったのは寺山修司だったが、そういえば読んだことがない。あの本にはどんなことが書いてあるんだろう。私は書も捨てないし町へも出るし、何なら書を持ったまま町へ出るが、もしかしたらあの本は、そもそもがそういう話じゃないのかもしれない。

特に買うものがないのに入った本屋さんで文庫本の棚をうろついていたら「ティファニーで朝食を」が置いてあった。「訳は春樹かぁ」と思ったが、その瞬間「カポーティ」と目に入り愕然とした。私の目はまんまるになっていたと思う。
……カポーティ?え、カポーティって?あのカポーティ?あの、っていうかカポーティはひとりでしょう、カポーティと言えばトルーマン・カポーティやん、え、待って待って「ティファニーで朝食を」ってカポーティなの?あれカポーティが書いたの?「ティファニーで朝食を」をカポーティが?うそでしょ。うそだよ。おいおいまじか。
手に取って見ても、表紙に、扉に、奥付にも、全部書いてある、トルーマン・カポーティ。えええ、「ティファニーで朝食を」ってカポーティなの……知らんかった……えええ……
じゃあ誰が作者だと思っていたのか聞かれたらそれには答えられないが、カポーティだけは信じられない。じゃあ誰が作者なら納得なのかと聞かれたらそれにも答えられないが、カポーティだけは納得いかない。まぁ私が信じようが信じまいが納得いこうがいこまいが事実は事実で「ティファニーで朝食を」を書いたのはカポーティなのだが。こんなふうに思うのは「冷血」しか読んでいないせいかもしれない。

待て「ティファニーで朝食を」ってどんな話だっけ。映画は見たことあるはず、と思ったが、ストーリーは浮かばないし、浮かぶ画は全部スチール写真だ。これはあやしい。酔っぱらって観たか、半分寝ながら観たかのどちらかだろう。

ポッドキャストを聞いていたら、堀井美香さんが「老人と海」の話をしていた。「老人と海」ね、それは分かるよ、ヘミングウェイでしょ、アーネスト・ヘミングウェイ。昔好きだった男がよく詩集をポケットに入れていたから、ヘミングウェイなら私も読んだことがある。

いや待て「老人と海」ってどんな話だっけ。読んだことあるはずだよ、えーっと、そんなに長くなくてさ。ほら、老人と、海の話だよ、と思ったが、これはあやしい。ほんとに読んだんだろうか。「老人と海のはなしだよ」って、そんなひどい紹介があるか。何も言ってないのとおんなじだ。

観たはずなのに、読んだはずなのに、内容を覚えていないのはもったいないことだと思う。なぜ忘れてしまうんだろう、とも思うが、脳が勝手にやっているから抗いようがない。きっとその時は何か、感じたり、感じたことを言葉にしたりもしたのだろう。でもそれも覚えていない。
ま、いつか機会があれば「老人と海」を読めばいいよね、と思うが、今でないならいつがその機会なんだ。うーん、でも今は「老人と海」を読むより「ブレイキング・バッド」を観たいしデーモン・アルバーンのアルバムが聴きたい。

デーモン・アルバーン去年アルバム出てたの、まったく知らんかったけど、なんで誰も教えてくれんかったん。
でも私も自分がデーモン・アルバーンが好きだということを忘れ去っていた。すまん。

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