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明度

2018.5.1 23:02

uncategorized

横尾忠則現代美術館にて、
「横尾忠則の冥土旅行」を見てきた。
毎度のごとく、横尾忠則の作品群を見ると
胸がわるくなり、喉の奥がせまくなり、帰り道はやや気分が落ち込む。
悪口ではない。
断じて悪口ではないし、第一、私は横尾忠則が好きである。

毎日平凡に、淡々と、ごく「普通」に生きている、生きていると思っている、けど
この町が焼夷弾で焼かれて火の海になったのはまだほんの70年ほど前のことでしかなく、
私が平凡だ、普通だ、と感じているのはほんの偶然の、ある狭間の出来事でしかないのだと
もっと言うと、私が「生きている」ことと、「死」とは、真裏のことなんかではなく、
ごく近くにあって、何ならほぼ同じこと・同じ意味・同じ状態であるのだと、
そういうことをぐるぐると思い出す羽目になり、
「死」を近くに感じすぎることによって今度は「生」が自分に近くなりすぎてしまい、
その結果、胃がむかむかとし、息がしづらくなり、
その末に、あぁ、横尾忠則が好きだな、と思うのである。
誰にも理解されなくていい。

横尾忠則現代美術館は見た目のわりに小さく、
2フロア+8畳間くらいのスペースしかないので、かなり短時間で見られます。
ゴールデンウィーク後半もさほど混雑してないと思います。おすすめです。

でも子どもにはおすすめできない。と私は思う。
子どもは王子動物園でパンダやフラミンゴやカバなどを見て、
昼には持ってきたおにぎりを食べ、ふれあいパークでモルモットなどを触りちゃんこにしておればよい。
横尾忠則を見て胃が痛くなるのはまだもっと後の、20年くらい後でよい。

4階には資料室があって、少し座れるところと本棚1つ分くらいの作品集が置いてあるので、
3冊くらい取って、パラパラ見るのがいい。
横尾忠則の作品集(広告とか装丁とかの方)を見ると
圧倒的に数が多くて怖くなる(絵画もめっちゃくちゃ作品数は多い)。
え、おひとりですよね?チームなの?となる。
作品集はページをめくってもめくっても、一切、横尾忠則度が下がることなく、
金太郎飴的に、どこをどう切っても横尾忠則が居るという
さらにだんだん横尾忠則の真似をしている横尾忠則が居てそれこそが横尾忠則なのでは、みたいな感覚が芽生えてきて
横尾忠則はマトリョーシカ的な、入れ子状になった存在であるような気もしてくる。こわい。

デザインの仕事では80年にアートディレクションをやってた「流行通信」が好きで
欲しいなーと思うけど、たぶんたっかいんでしょうね。
買えないよね。
この、表紙のバーコードはおしゃれで付けただけで、
このときは特に普及していなくて、実用性はなかったらしい。そういうの良いよね。

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