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345度

2022年2月7日 (月) 21:53

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柊鰯を初めて見たのは18歳のとき、上京し亀有に住んでいたときのことだ。近所をぶらぶら散歩していたら、国道沿いの古い家の戸口にそれが吊るしてあった。鰯の頭だけがついた、見るからに魔除けらしい見た目にギョッとし、何か見てはいけないものだったのではないか、という気分になった。
帰宅して調べ、あれに「柊鰯」という名前がついていることを知り、ほっとした。
私は初めて見るものや初めて知ることに、名前がついていると安心する。物体でも、感情でも、現象でも、とにかく名前がついているということは、私以外の大勢の誰かがそれについて既に知っており、共通のものとして扱っている証拠だからだ。私が知らないことを誰かが知っている、私が知っていることはこれで全部じゃないんだ、まだ他にも、たくさんあるんだ、と思うと安心する。ま、冷静に考えれば「私が知っていること」のほうが圧倒的に少ないでしょうけど。
亀有にはその後も6年ほど住んだが、柊鰯を他の家で見かけることはなかった。あの家だけだ。

ウィキペディアで柊鰯を検索すると「日本各地に広くみられる」と書いてあるが、生まれ育った神戸では見たことがなかった。まぁ私はニュータウン育ちなのでそもそも近所の家はみな団地かマンションか建売の戸建だから、それも関係しているかもしれんが。

「(鰯の)においで鬼を近づけないようにする」ということらしいが、この「においで」というのが日本文化的だな、などと思った。
目に見えず、手に取って確かめられない、でも確かに存在する「におい」というものの扱いは、国や民族や地域や環境によって色濃く違いが出るのではないか。知りたい。参考図書をお願いします。最近あまり本を読んでいない。

そういえば「お世話さま」と言われることも、亀有に住み始めて初めて経験したことだった。当時スーパーでバイトをしていたのだが、レジでお会計を終えた年配の(特に女性が多かったが)お客さんがみな「お世話さま」と言ってくれるのだ。用途は「ありがとう」が近いのだろうと思ったが、それよりは軽く、なぜか下町を感じてうれしかった。イントネーションが柔らかく、私にはうまく真似できないニュアンスがあった。昔、ここはもっと人通りの多いにぎやかな商店街だったんだろう、このおばあちゃんたちは下町育ちのおきゃんな娘さんたちで、八百屋さんや魚屋さんにも、私に言うのと同じように「お世話さま」と言ってきたんだろう、と想像すると、経験していないのに懐かしい気持ちになった。

しかし毎年のことだが節分は正月の余韻とチョコレートへの重課金の狭間で何も起きずに終わっていくな。今年の恵方は「北北西微北」だったらしく、微北て、と笑ってしまった。北北西を向いたあとすこし北を向くんだろうか。想像するとかわいい。

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