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野菜天ざる

2021年12月21日 (火) 21:27

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自分で「敬意と敬語は別にイコールじゃないからな!字が一緒なだけで!!」と言ったあと「いやそれは年上とか目上とかの人が下の人に言うことであって、下から上に向かって言うようなことではないな、無礼すぎるやろ」と思い、めちゃくちゃ座りの悪い気持ちになった。やさしい人たちは「そうやね」「わかる」と言ってくれて、誰もツッコまなかったのでそのまま場は流れたが、私はまだずっと座りが悪い。どうかみんなが気にしていませんように。翌日には忘れてくれていますように。

私は敬語が苦手だ。というか苦手ってことではないけど、なんだろうな、自然体で使えていない。使わないから馴染まないんままなんだろうな、とも思うが「他人行儀やな」とか「自分らしくないな」とか思いながら話すことはなかなかの苦痛だ。丈の合わない服を無理やり着ているような苦痛。耐えられないほどではないが、出来れば着ていたくない。

以前、3~4つくらい年下の友人が出来て「敬語でしゃべらんといてほしい、これ以上は仲良くなられへんて言われてるみたいで寂しいから」と言ったら、「自分にとって自然に話せるタメ口は方言で、でもそれはあなたの使う方言とは違うし、かと言って標準語のタメ口で話すのは不自然なことで嫌だ、結果敬語が一番楽に話せる」というようなことを言われ、ぐうの音も出なかったことを思い出した。彼の言うことは完全に理解できるし同意もできるが、私の寂しさを「言語」はどうにもしてくれないのだな、と思った。育った土地が違うことと、どちらが先に生まれたか、だけのことを「言語」は越えないのか。「感情」と「言葉」は近いようで遠い。日本語はなぜこうも複雑なんだ。

とはいえ、今勉強している韓国語にも敬語はあるし、日本語と同じように敬意レベルみたいなのが2~3段階くらいある(たぶん)。語尾を変えればいい、というだけの簡単なものから、そうでないものもある。わりと複雑だ。ゴリゴリに方言もあるし、イントネーションの違いだってある。複雑なのは日本語だけじゃなかった。

人間同士が円滑にコミュニケーションをとるためのツールが、とりあえずは「言語」のみなのウケるな。あまりにも不完全な武器やな。
目線や表情、体温、などもまぁツールとして使えることは使えるけど、でも例えば初対面の人の心拍数を測ったり、取引先の偉い人をハグしながらしゃべったりとかはできないでしょう。使える武器「言語」だけなのウケる。

とは言え私は言語化を諦めて生きるのはまだ嫌だし、でも言語化できないものを「無いもの」として扱うのも嫌だ。どっちも嫌だから、仕方がないので、間にある線を踏みしめて歩く。どっちにも傾かないように、どっちかを正としないように。でも線は面ではないのでわりとぐらぐらである。この線はいつか面になるのだろうか。私がするのか?線を面に?ほほーん。
出来た人いるのかな。いたら返事してください。

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