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厚み

2021年11月25日 (木) 21:43

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愛しのキム・ナムジュンが「明日グラミーのノミネートだよ、一緒に見ようね」と言うので、私は祝日だというのに酒も飲まずに20時半ごろ布団に入り、深夜2時に起きるための目覚ましをかけた。ロスは朝の9時らしい。時差よ。

グラミー賞がどういう仕組みなのか、そもそも誰が選んだり決めたりしているのか、当事者がどれほど名誉に感じるものなのか、正直なところ私は何も知らないし分からないのだが、それでもあなたたちが「欲しい」と言うなら「じゃああげてよ」と思うし、「一緒に見ようね」と言われれば深夜2時にモソモソ起きてYoutubeのリアルタイム配信を見るよ。あなたたちが、好きだからです。

賞レースについて、何か思うことを書こうと思ったけど、けっこう難しいな。「どうでもいい」もわりと本音だし、でも自分の気持ちや感情とはまたどこか別の部分で「金賞がほしい、勝ちたい」を夏も冬もやり続けた6年間を私も持っているから、いや、まぁ規模が全く違うので比較にならないけど、でもだから、「欲しい」も分かる。もらったからどうってことでもないし、もらえなかったからどうってことでもないんだよな、そこはそんなに本質的ではなくて、でも「欲しい」の、分かるよ。

初めて見るグラミーのノミネート発表はなんだか機械的で、淡々としていて、思ったより事務作業っぽさがあった。祭典という感じではないし、かと言って厳かな感じもしない。これを毎年やってる?のね?
BTSが関係してなかったら見ることなかったなぁ。国連の総会とかもさ、今まで知らなかったこと、機会がなかったこと、見ようと思わなかったものを、この半年、たくさん見せてくれたね。ありがとうね。おかげさまで毎日楽しいです。

ふいに「まずは何かの賞を取って、売れて、有名になることが一番重要だ、売れればそれが正義になるんだから」と言う人に、さんざん反論した夜のことを、思い出した。私は「無冠だろうが、無名だろうが、自分がやりたいことだけを追求すべきだ、商業的成功なんか知ったこっちゃない、何かの賞?そんなものの威を借りようとする行為自体がダサい」というようなことをまくし立て、話はずっと平行線だった。

あの頃の私は、彼がそう遠くない将来、きっと何者かになれる人だと信じていて、もしかしたら彼以上に深くそれを信じていた。しかも、私だけじゃない、より大勢の人がそのことに気づくだろう、まもなく、と思っていたし、だから「何かの賞ってなんやねん、ダサいこと言うな、お前の好きなロートレックも無冠やん」と本気で思っていた。
「私が好いている」という事実は、あなたを満たすには足りなかっただろう。無理もないな、だって、あなただけでなく、私も何者でもなかったし、今もずっと、何者でもないままだからだ。
あなたは何者かになれましたか。何者にもなれなくても、毎日楽しく暮らしてるといいな、好きなものがあって、おいしいもの食べて、よく寝て、健康だといいな。

……いや嘘、ウソウソ、私は本当は、あなたの健康や幸せなんか、クソどうだっていいの、知ーらん知らん、わはは、だってもう済んだことだから。済んだ日々のことはもういいの。

翌朝起きたら、愛しのキム・ナムジュンがサカナクションの「忘れられないの」を再生している画面キャプチャをweverseにアップしており、萌えのあまり卒倒しそうになった。たまにこういうことをされると、距離感が掴めなくなる。
この萌えの主成分が何なのかは自分でも分からないが、どうにか言語化すると、お慕いしている「誠実さとやさしさとセンスと聡明さと胸板」のおナムが、一方で「サカナクションを聴いている27歳の男の子」でもあるのだ、という“ギャップ萌え”のようなものだと思う。うおぉ~!萌える!ぎゃー!
おナム、「エイリアンズ」をプレイリストに入れてたから、サカナクションにたどり着いててもなんら不思議ではないが、もしかしてスピッツも好きじゃないかな、90年代後期あたりのスピッツが好きそうだなと思う、どうですか。よかったら聴いてみてください。

なんだろうこの絶対に届かない私信。いや、いつものことか。

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