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ダニエルとサイモン

2019年9月21日 (土) 12:28

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人間という生き物は「平和な状態を保つこと」の方が、「争うこと」よりも圧倒的にストレスがかかるのだそうだ、という話を聞き、あぁ、めちゃくちゃ自覚があるわ、実感としてそうだと分かる、と思った。
私たちが別の人間であること、どんなに共感を得て、血の色が同じだとしても、個体としてまったくの別物であること、違う心と身体を持ち、それぞれの信念や正義があることを、手をつないで、抱きしめあっても、本当の意味での同じにはなれないことを、互いに理解し、認め合い、尊重し合うことは、さぞかしストレスのかかることだろう、よく分かるよ。人間キツイね。
でもそのことを放棄して、行きつく先はどこなの、それはもう人間とは言えないんじゃなかろうか。

先日、2周目の「デトロイトビカムヒューマン」を終えたので、人間とか尊厳とか戦争とかに想いを馳せすぎて、生活がままならない。作中は冬で結構な雪が降っていたので、窓を開けて寝ている自分の部屋でついぼーっとしてしまう。だいぶ涼しなってきたなぁ。

2周目は意図的にコナーとしてクロエを撃ち(まじで嫌だったけど決めてたので、目をつぶって撃った、見なければ撃てるなんて、まじでゾッとする、最悪)、意図的にマーカスとして反乱を選んだので前回とはかなり違いのあるエンディングを迎えたのだけど、なんかずっと後悔があるよ。どの道を選んでも仲間を死なせてしまうことや、自分が生きることと、誰かが死ぬこととが対になっていることについて、ずっと考えてしまう。答えは出ない。
でも結局、自分で選択して、その選択に向けて自分でよく考えて、その末の選択を誰のせいにもしない、っていうことしかできないんだよな。

なにこれ、人生やん、人生の話やん。
最近なんの話してても結局全部が人生の話になるわ、これが老いか。

デトロイト、初めてやる人のを横で見てたいので、これからやる人は連絡ください、横で見てたいです。おとなしくしてますので…

それにしても「デトロイトビカムヒューマン」まじで分岐が多すぎて、2回やったぐらいでは全く全貌が見えない、すごいなぁ、最近のゲームってみんなこんな感じなの?チャートを見てると気が遠くなる。

アナログフィッシュの「バタフライ」という曲の歌詞に

例えば君が遅れてきたことが 小さな未来を変えてたなんてな
ちっとも考えてみたこともなかった
君に限った 話じゃないけどさ

ってのがあって、好きなんだけど、あのフローチャートを見ながら、思い出していた。

あと、私がやっている以上、とっさの選択は偏る傾向があるので、何回やってもそんなに大きな差は無いような気がする。結局何をやっても、何を言っても、私は私の脳しか使えず、自分から逃げることは出来ないのだな、と思った。
もう少し自我と距離を取りたい、何らかの方法があるはず、と最近ずっと考えているけど、これは「そんなこと無理」っていう結論になってしまうのかもしれない。良し悪しは不明。

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