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2020年5月11日 (月) 22:13

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1991年の台湾映画「牯嶺街少年殺人事件」を観る。
数年前にデジタルリマスター版が出て話題になってたと思うけど、236分(4時間!)が怖くてまごまごしていたらあっという間に劇場公開が終了してしまい、あーぁ…と思っていたのだった。映画館に行けなくなってしまった今となっては、観たい映画が行ける映画館でかかっていることの有難みが身に染みる。映画館で見ておけばよかったね。

タイトルで「殺人事件」と言ってしまっている上に、序盤から「少年」がわんさか登場するので、いわば完全ネタバレ状態、この中の誰かが誰かを殺すんだろな、たぶん主人公の子かな、と思いながら観ていて、実際に事件が起こるのは終盤も終盤で、だからこれがおもしろいのすごい感動的なことだと思った。
あと経緯を3時間以上かけて見せるのに、誰の心情にも肩入れさせないようになっていて、劇伴も全然ないし、めちゃくちゃ硬派な映画だった。結果、品がよく、感情を操作されないことの正しさ・自由を感じ、読後感がよかった。何を観て何を感じ、それに涙を流すかどうかは私が決める、「3回泣けます」とか言ってそれがキャッチコピーになり得ると思ってる奴はグーで殴っていく。

殺人事件の映画を観て「読後感がよかった」って言うの憚られるけど、でもまぁ、嘘ついてもしょうがないか…とは言え死を軽んじたり、殺人を肯定したりするような映画では一切ない、人命を弄んだりするようなことはない。アマゾンプライムで観られますのでよかったら観てください。誰に言うてるんか知らんけど。

ドア枠越しの画が印象的でかっこいいのも良かった。私は画面に何を配置し、どのように収めるかが、監督が何を見せたいのか、ということと繋がっているものだと思っていて、だからこんなふうに作りこんだ、毛細血管が見えるような、血が通っているような画を、ずっと見せられると、メロメロになってしまう。

デジタルリマスター版はマーティン・スコセッシが立ち上げたプロジェクト?会社?で制作されたものらしく、成功した人が業界や社会に貢献する様はかっこええものやね…と思った。私も超成功してどえらい資金力があったら医療機関に寄付をしたり、マスクを製造したり、飲食店に給付金を配ったりしたいもん。
実際はそんなこと全然できないので、内閣がやろうとしているなぜ今そんなことをやるの…というあれこれをいちいち胃に喰らい、それに対して自分の意志を表明する人たちのごく真っ当と思える発言を読み、さらにそれを揶揄する人、「興味ない」と一蹴する(というかできてないけど)人、「どうせ変わらない」と真顔(顔は見てないけど)で言う人の発言を読み、それらすべてを胃に喰らい、絶望し、ベッドから起き上がれなくなったりしている。「何もできない」ことは「何もしない」ことの理由になるのだろうか。戦場にいるならまだしも、私は誰にも傷つけられず、気温すら思いどおりにできる私の家にいて、私は健康で、SNSとニュースページをいくつか読んだだけでなぜこんなに暗い気持ちに、つーか私は総理大臣が好きでも嫌いでもないし右翼でも左翼でもないわ(みんなどっちかに振り分けられると思ってるの?)、人が改めて考えたり、気付いたり、時には影響されたりすることの何が悪いんだ、でもキッチンに昨日買ったおいしい食パンがあって、あぁおなかすいてるな、と思って、だから食パンにもらった希望で生きた。バカみたいだな、と思いながら切った食パンを焼いて、目玉焼きを作って食べた。もうパン屋に納税する。

映画を観るモードにギアが入ったのでいくらでも観られるけど脳を使うやつばっか観て疲れたので、最終的に「ブリジット・ジョーンズの日記」を観て緩和した。ありのままの私を愛されることの是非を問うのはまた今度にする。

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