タナカノゾミのポートフォリオサイト

blog

Makes us stronger

2020年3月17日 (火) 22:35

uncategorized

ちょっと説明過多かもな、と思い、でもそれがおもしろいってこともあるからな、と思い、特に結論のないまま平日をやっている。結論なんかそう簡単に出るものじゃないからこれで良いんだろう。それにしたって私ちょっと説明多いよなぁ。…いやそうでもないのかな。自分で分かんないな。「誤解されたくない」が強いのかな。
とはいえフィジカルな表現が弱い、うまくできない、という自覚があるので、気を付けるようにはしています。具体的には別れ際に友人をハグする、とかです。

ジャン談(https://osico.me/jandan/)をたまに聞いてるけど、あれ聞いてるとき私はほとんど全部ふたりの言ってることが分からなくて、でも私はジャンプを全然読まないから分かるわけなくて、で、あれはジャンプの話をしようっていうポッドキャストなので、ジャンプ読んでない人に向けて「これはこういう漫画で、主人公はこうで…」みたいな説明をするもんじゃないし、だから私が分からないのは当然で、どっちかっつーと私がジャン談を聞いてるのがおかしいねんけど、でもあれ聞いて「何言ってっかわかんないな~」と思うの、楽しいんだよ。日本語であることは分かるし、おそらくこういう漫画なんだろうな、とか想像することもできるけど、でも根本的なところがさっぱり分かんないの、なんか楽しいんだよ。
まぁジャン談の主旨とはまじで全く違うと思うけどな。私もジャンプを読めばいいんだろうな、とは思うけど、今のところ興味がない、どちらかというと面倒だな、という感じがする。でもジャン談が更新されてると、お、晩御飯たべながら聞こう、と思う、積極的に聞きたい。

ひとりめの甥(もうすぐ2歳)に正月ぶりに会ったら、何かもうほとんど意思のある言葉を使うようになっていて感動した。全く像を結ばない「音」が大半ではあるものの、弟(彼にとっては父親)の写真を指差してはっきりと「パパ」と言い、スプーンに付いたクマの絵を見つけて「かぁい(かわいい)」と言い、何かにつけて「ねいねい(いいね)」と言っていた。もうほとんど喋れてるやん、あとちょっとやん、すごい。
私はあなたがあなたの気持ちを表現するのに、言葉を使い始めることがとてもうれしい。絶対違う、って言われそうな気がするけど、選んでくれたんだな、言葉を使うことを、選んでくれたんだな、と思う。だから「私もそうだよ、私も、言葉を使うことを選んで、それをできる限り大切に、雑に扱わないように、っていう努力を、今もしてる最中だよ、一緒に頑張ろうね」と思う。

従姉妹の娘(4歳)は単語ではなく文章が喋れるようになっている。ジェスチャーをしながら「木の、あの、あれ、あれをつかんで、」と言うので「枝?」と言うと「木の、枝、をつかんで」と言っていた。あぁこの子いま「枝」を覚えたんだな、と思った。覚えたのか、今言えただけでまたすぐ忘れちゃうのかは分からんけど、でもこうやっていっこずつ覚えていくのでしょう?すごいな、おもしろいな。
こわいものが何か聞いたら「サメ」とのこと。「こわい」という感情を理解し、「サメ」が何かを理解し、そのふたつを結び付けているのだ。なんなの、すごい。おばちゃんがこわいのは「台風」だよ。

「分かる」のも「分からない」のも「意味ない」のも「意味ある」のもおもしろいな、どっち派にも属せない。というか「言葉」に必ず「意味がある」とも思えないな、これまで雑に発した何の意味もない言葉の数々を思い返し、私が発した意味のある言葉と、どっちが多いのかな、半々ぐらいかもしれない。あ、でも半々ぐらいがちょうどよさそう、このまま行く。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

archive

latest posts