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スピノザにLINEする

2020年3月12日 (木) 00:28

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自分で「幸せです」と言ってから、「あ、そうなの、へぇそうすか」みたいになることがある。幸せだから幸せだと言うんじゃなくて、先に「幸せです」と言ったからそうなる、みたいなこと。

休日の夜、友人が泊まりに来てくれて(たのしかったよ)、なんか食べて飲んでしゃべってってしながらたまにTwitterをしていて、そしたらちょっとそういう話に、お前は幸せなのか、幸せってなんだ、みたいな、そういう話になって、私はだんだん、よく考えないと返事ができない感じになっていって、あれ、どう考えても酔っ払いが深夜2時にする話じゃなかった。

そもそも「幸せ」って何なんだよ、全く分からないってわけじゃないけどふわっとしすぎてない?まともに定義した人おるの?と思ってGoogleで検索したら「幸せのパンケーキ 神戸店」の地図が一番上に出てきて気が抜けた。私はパンケーキにさほど興味がない、ホットケーキの方が好き。あ、でもbillsのパンケーキは好き。

「幸せ」が何か分からないのに、なんとなく”それ”にならなきゃいけない空気だけがあるの、困った話だな。美容師になる方法も、バスの運転手になる方法も、母親になる方法も、大体ぜんぶ分かるのに、手順も想像がつくのに、幸せになる方法ってしっくりとは分からんね。
でもそれは「幸せ」が何なのか分からないのと、人によって違うんだよなってことに気づいてるからであって、だから「幸せっていうのはこういうもののことです」と定義されても、よしじゃあそれを目指しますね、ってことにはならない、そう単純じゃない。
つーかなんで幸せにならなきゃいけないのかな、でもなんかそういう空気あるやん、生まれたからか?生まれたら幸せにならなきゃいけないの?でも生まれたのは私の意思とは無関係の出来事でしょう。

私は幸せだ。家族と友達にたっぷり愛されてる。家が欲しいな~と思っていて、去年本腰入れてやってみたら買えた。自分でつくったきんぴらごぼうがおいしい。マーくんとこずえちゃんとハヤシさんとりゅうくんがおもしろいって言ってた古いドラマを昨日Huluで見始めたらほんとだ、おもしろい。思ったよりスムーズに案件が片付いてる。印刷物のデザインは久しぶりで楽しい。初めて書いたコードがちゃんと動いた。バスでいい席に座れた、空いてるので気兼ねなくゆったり座れた。ミニブタが散歩してるところに遭遇した。大好物のサラダほうれん草が安かった。食後の紅茶がおいしく淹れられた。私はとっても幸せだ。

私は幸せじゃない。たった一人の人として愛されたことがない。好きな人に好かれたくてでもその方法が分からない。向こうから誘われたいけどそんなこと言ってるとこのまま一生会えない。ゼロの数を数えただけで怖くて泣けるぐらいローン残高がある。これを何十年もかけてひとりで払わなきゃいけない。無神経のバカに「家買ったんすか?じゃあもう結婚とかあきらめたんですね~猫とか飼っちゃう感じ?」と言われる。毎日残業で遅くなるから料理をしてる暇がなくて、残りものを食べるしかない。やってもやっても終わらない量の仕事がある。寝不足で肩こりがひどい。私はぜんぜん幸せじゃない。

全部ほんとのことなんだけど、幸せはどれもケチをつけて簡単に無くしてしまえるし、逆もまた然りだな。ちょっとやってみるか、ひっくり返してみましょうね。

まじで6~7年ぐらい誰のことも好きにならなくて、もう私恋愛とかそういうの終わっちゃったんだ、あれで終わりなんだ、このままずっとこのまま、死ぬまでずっと、悲しいな、とか思っていたので、好きな人がいる、というだけのことが今はとっても幸せだ。来月は会える、と思うだけで、幸せだ。
ローンの件は本当に怖いのでひっくり返すのはやや難しいけど、銀行が貸したってことは「こいつはこの額なら返せる」と認めてくれたってことだ、どういう審査なのか詳細は知らんけど、返済能力があると判断されたってことだ、頑張って働いてきてよかった、私は幸せだ。
無神経のバカには「死ぬほど遺産が入ったので、現金一括で買いました」と真顔で返すことに決めている、無神経のバカに生まれなくてよかった、私は幸せだ。
仕事はどんなに量があって難しくてややこしくてキツくても、とにかく手を動かせばいつかは終わる、社会人になって10年ちょっと経ったけど、これまで終わらない仕事なんてひとつもなかった、全部やれば終わる、そのことを経験として知っている、私は幸せだ。

よし、完全に幸せになったな、私は幸せだ。おめでとう、ありがとう。
ここまで書いたら「え、幸せって数えるものなの?」と言い出す私が居る、頭の左上あたりに居る。うるさいな、そうやってなんにでもケチをつけるんじゃないよ。

ま、完全に幸せになることなんて絶対ないんだよな、心は球体になっていて、こっちに見えるほうは幸せ一色に見えていても、裏も隅も、こっちからは見えないところが必ずあるんだよ。
私の「甥が誕生して家族が増えて嬉しい、義妹が無事で安心する気持ち」と、「死んでしまったからもう会えない祖父母や友人を思う悲しい気持ち」とは、同じ私の心として共存できるでしょう。どっちかいっこに決めなくていいでしょう。

あ、私はこうやってなんでもかんでも「結局すべてはバランスでしかない」みたいなところに落とし込む妖怪です、こんばんは、まだ水曜だったね、どうにか今週を終えよう、おやすみなさい。

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