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マニュアル読んでから来い

2022年6月15日 (水) 22:16

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新宿末廣亭が経営難だ、とのことでクラウドファンディングのお知らせを見たので入金した。いつから出てたんやろ、気づかんかった、悪いことしたな。
少額で申し訳ないとは思うが「お前の生活が回らなくなっても構わないから有り金を全部出してくれ」と末廣亭が言うとも思えないから、これで良いのだ。もし今後、有り金全部出すぞ!という気持ちになったら、もちろんその時はそうすればいいとは思っている。

私には、年に何度か「私には何もできない、誰も幸せにできないし誰も救えない」と気分が落ち込み、ベッドやソファーから動けなくなるという、持病(?)がある。いや、厳密には「あった」。最近はほとんど出ないし、出そうな時がなんとなく分かるようになってきて、多少の対策が打てることが増えた。30年生きてようやくこんな感じかよ~と思うけど、まぁでも今世はこの感じで行くんやろうな~しゃあない人生初めてやし、とも思う。

どうしようもなく落ち込むとき、何か原因になる出来事がある場合も、何も無い場合もある。何も無い場合の方が厄介だ。少し風邪と似ている。風邪も原因はかなり曖昧じゃないですか……?
罹ったらあとはあたたかくして、消化のいいものを食べ、安静にする。咳や鼻水が出るようなら、それは悪いものなので出し尽くした方が良いし、人にうつるかもしれないので、可能ならひとりで完治させた方が良い。寝不足だったり仕事が忙しかったりすると免疫力が落ちてかかりやすいところも、風邪に似ている。

原因になる出来事は、多くが「私の手に及ばない(及ぶはずもない)こと」だ。たとえば天災とか。
とはいえ私が1日中涙を流しても地震は起きるし、泣きすぎて鼻から鉄のにおいがしていても津波は来るし、カーテンを開けられない部屋でうずくまっていても戦争は終わらない。もう知っている。

クラウドファンディングという手段が選択肢として世の中に浸透したことは、私の病いに少なからず良い影響を与えていると思う。好きな映画監督が撮りたい映画にいくらかかるのか足りない金額を教えてくれて、そのうち(ほんの少しの割合いでしかないにせよ)いくらかのお金を私が支払うことが出来るのは、精神衛生上とても良い。他にも、好きな映画館が「経営が厳しい」と言ってくれたり、好きな建築物が「改修の費用が捻出できそうにない」と言ってくれたりする。その状況自体はとても悲しいが、でもいつのまにか閉館してしまっているよりは、ずっと良い。閉館を考える原因はお金だけで、運営をしていきたいという気持ちがあるのなら、それは解決できることだと思えるからだ。天災も戦争もクラウドファンディングではどうにもできないが、どうにかできることだって存在する。その方法が、私や私と似た考えの人たちがお金を出す、というものなら、それで解決すればいいのだ。私はいつだって大した額が出せないが、それでも「あの映画館がつぶれちゃった、好きだったのに」とか「あの建物が取り壊されちゃう、もう二度と行けない」とか思う途方もない無力感からは解放される。

が、例えば震災の義援金を振り込んでいるときの、あの「金だけ振り込んどけばいいと思ってんのか?」と言ってくる脳内人格(?)は今もまだずっと居て、すぐ意地悪なことを言う。あいつ何なの、なんであんな嫌なヤツなの、といつも思う。どうにか殺せるんじゃないかと考える日もあったが、難しいだろう。理由はすごく簡単だ、肉体的にひとつだから。うーん、それは、ちょっと、私には出来ないな。
殺せないなら共に生きるしかないので、私は「そうは思ってないよ、ただ出来る範囲の出来ることを出来るときにやろうと思うだけだよ」となるべく穏やかに言い返す。脳内人格は性悪の意地悪なので「へぇそう、ぜんっぜん、何の解決にもなってないけど、いいの?分かってるよね?え、もしかして分かってないの!?」としつこいが、こういうのは相手にしないに限る。私は「ほなお前には何が分かんねん」とわめきたくなるのをグッとこらえる。ふふん、毎度その手に乗ると思うなよ。そして「うん、いいのいいの、解決はまた、別の話やねん」と言い、これ以上あなたと話すつもりはありませんよ、の意志を込めて一瞥し、この話を終わりにする。あとはもう、それとは一切目を合わさず「晩ごはん何しようかなぁ~茄子と豚肉をポン酢でジュワワと炒めたやつ食べたいな、ビールも飲もうっと!はー今日もよく働いたな~えらかった~」などと言っていればよい。

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