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犀の材質
2019年10月7日 (月) 23:16
私はずっと「人見知り」だったのだけど、”人見知り”って結構ずるいよな~と思っていて、なんというか「人見知りなんで、すみません」って言っといたらあとは相手がうまいことやってくれるだろうみたいな、一枚壁作っといて自分は安心したいみたいな、でもそれってちょっと甘えがあるよな~と思っていて、つまり「先に言ったもの勝ち」みたいな感じになってしまうのが、良くないな、直した方がいいな、と思っていて、ようやく去年ぐらいから段々、もう違うかも、人見知り終わったかも、という感じになってきた。
あ、人が言うのは全然気にならん、「人見知りで…」って言われて、甘えてんちゃうぞタココラとは思わない、私が自分で”人見知り”を言う場合のみ。理由は知りません、考えません。
初対面の、知らない人と話すのがそんなに、苦ではなくなってきたよ。そもそも、初対面の見ず知らずの人と話すことなんか限られるでしょう。何がそんなに難しかったのか、もう分からんな、むしろ簡単じゃないか。
「お住まいお近くなんですか?」とか「ここにはよく来られるんですか?」とか、そんな程度でいいし、それ以上を別に求められてない、求めてもないし。何か聞かれた時だけ自分が話せばよくて、そこで私のことを詳しく知ってもらったり、賛同を得たり、よい印象を持ってもらったりしなくて全然いいんだよ、だって大体の場合はそんなん無理やん。何への挑戦か。
誤解されたくないっていう気持ちが強いのかもしれない、多分、「良く思われたい」みたいなのはあんま無いけど、「誤解されたくない」はわりと思ってるな、誤解されることの多い人生やったからかな…
でも誤解されてるなぁ、と気づきながら「いいや、もう、どうでも、どうでもいいっす」みたいにすることが多かったように思う、誤解してる、とちゃんと伝えたり、解こうと言葉を積んだり、そういうのあんまりしてこなかった、深く理解されたい、とかそういうのをちゃんとやんなかった、そういう他者が必要になるやつ、めっちゃ避けてきたわ、分かってくれる人だけでいいです後は要らないです無いのと一緒です、みたいにしてた、そのツケがまわってきてんのか。そうかも。
結局いつもひとりで気楽にやってて、あらゆる感情を、ものごとを、自分で噛み砕いて消化して、また胃から戻して咀嚼して、みたいなやり方しかしてこなかったから、そのツケなんだろうな、と考えると腑に落ちる。
最近「自我が邪魔になって本質がよく見えない」、というケース多すぎるな、とは言え「結局は何事もすべてバランス」みたいな落としどころしか持ち合わせてなくて、落ち着かない。フワッとする。これでいいのか。合ってる、のか。
今圧倒的に”リアル”を感じるの、通帳の残高ぐらいじゃないの、これは全くフワッとしていません。減る速度が速すぎる、ちゃんと仕事してるのに、出ていくお金が多い、入るお金を上回ってる。登記が何かいまいち分かってない。でももう調べない。必要な時に必要なことだけ調べて、あとは分かってる人に任せておく。
動物園行きたいな、ゾウとかカバとかサイとか見て「大きいね」とか「りんご食べてるね」とかだけ言いたい。
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