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テケレッツのパー
2022年3月3日 (木) 21:57
2年ぶりに、立川談春の独演会へ行った。立川談春は私が一番好きな落語家で、談春の何が好きかというと、おじさんがひとり座布団に座ってただしゃべっているだけなのに、めちゃくちゃグルーヴィーなところだ。
この日の根多は「死神」と「らくだ」、どちらも死にまつわる古典落語の演目である。
根多に入る前、彼は死について、そして今この2つの根多をかけることについて、こう言った。「人間の死亡率って100%でしょ?生まれたから、全員死ぬの、これは決まってるの。なのにさ、今って、死を遠ざけるでしょ?あれが、どうもね、気に食わねえんですよ」と。
古典落語というのは、だいたい江戸時代から、明治、大正くらいまでに作られた落語の演目のことを指す。江戸時代はざっと400年くらい前のことなのだ。400年前、というと、そう遠い昔のことではないような気がしてくる。
このころ、死はもっと身近なものだっただろうと想像する。江戸時代の平均寿命を調べると31.7歳だと出てくるから、これはつまり、生まれて、無事に大きくなることが、とても困難だった、お産が本当に大変なことだった(今も本当に大変なことだと思うが)、ということなんだと思う。死因など分からず、調べようもないまま、人は死んでいったのだろう。
400年前に比べると死が少し遠くなった現代において、死は恐ろしく、日常から乖離した、忌み嫌うべきものである、という価値観が、確かに存在するかもしれない。そのわりに「死にたい」は発言としてカジュアルに扱われている気もする。
とはいえ私は死が、生の真裏にあるものだとは思っていない。相反するもの、生から一番遠いところにあるものだと、どうしても思えない。死は遠くなんかない、歳が若かろうが深刻な持病がなかろうが国が平和だろうが、死はいつだってすぐ傍にいて、なにか妙に、甘美な顔をしているときがある。と思う。
談春の「死神」を聴きながら、私はドラマ「アンナチュラル」で野木亜紀子さんが書いた台詞を思い出していた。交通事故で亡くなった妻の遺骨を引き取ることができないでいるヤシキさんが「バチがあたったんだ、俺がロクな亭主じゃなかったから、神様が取り上げたんだよ」と、自分を責めるシーンだ。
松重豊演じる神倉さんは「バチなんかじゃない、人が死ぬのに良い人も悪い人もない。たまたま命を落とすんです。そして私たちは、たまたま生きている。たまたま生きている私たちは、死を忌まわしいものにしてはいけないんです」と返す。たまたま生きている。そうだ、私がいま生きているのはたまたまだ。私が良い人だからでも、前世で徳を積んだからでも、なんでもない、ただ「たまたま生きている」のだ。
ドラマ「アンナチュラル」は法医解剖医の物語だったから、談春の言う死の話とは、また別のものであると理解しているが、それでも、人がどのように死を捉え、扱っているのかが垣間見えるような気がした。
談春の「死神」は、主人公が洞窟を自力で出て、噺は死神と出会った冒頭の橋のシーンに戻る、というサゲだった。おお…ループしている…と思い、読後感が良かった。
私がループするものに惹かれるのはどうしてだろう、もしかして、ロックンロールが好きだからですか?
一方の「らくだ」、これは演目のタイトルであるとともに人のあだ名で、らくだはこの噺の登場人物ではあるが、本人はひと言も話さない。死んでいるからだ。らくだは河豚にあたって自宅で死に、それを見つけた彼の兄貴分と、通りがかった屑屋の男とをメインに噺が進む。主要キャストが既に死んでて出てこない根多って、他にあるんだろうか。落語以外だと「ゴドーを待ちわびて」、「リリィ・シュシュのすべて」、映画「桐島、部活やめるってよ」が同じ構造(タイトルになっている人物が最後まで出てこない)だと思っているけど、他にもあったら知りたい。
あ、ねぇ「マシマロ」も該当する?奥田民生の。でも一応歌詞には出てくるからな……
談春の「らくだ」は、登場人物のコントラストとその関係性や感情の移り変わりがあまりに鮮やかでそれが美しく、全くもって不謹慎な噺なのにたくさん笑った。すべてのものごとにはあらゆる側面があるが、死もまた例外ではなく、あらゆる側面があるのだと思った。
談春は今年の暮れに、また「芝浜」をやりに来てくれるらしい。
5年ぶりかな。うれしい。楽しみ。
と、ここまで書いて下書きに置いていたら、ここ数日間でいろんなことがあった。「死」はまたその手触りを変え、想像で扱う部分と実情を知ることで扱う部分とがそもそも別なんだろうな、などと思った。真正面から向き合うととても正気ではいられないし、自分で「真正面から向き合っている」と思うのも怖い。
「普通にしなきゃ、いつもどおりにしなきゃ」と一歩ずつ踏みしめているのに「普通にしなきゃ、と思ってる時点で全然いつもどおりじゃないよ」という穴が現れる。
こういう時は寒くしているのと、おなかが空いているのが特に良くない、あたたかいものを食べ、好きな人たちのことだけ考え、やわらかい布団に首まで埋まって寝る。どうかみんなもそうしてください。
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