TANAKA NOZOMI

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あれは、そうね いつだっけ

2022年9月18日 (日) 20:10

きのうみた夢の話

夏になるとよく見る夢がある。部活の夢だ。
中学1年から高校を卒業するまでの6年間、他に何をしていたのか思い出せないほど熱心に部活をしていた。夏と言えば吹奏楽コンクールの季節で、長ければ(つまり勝ち進むことが出来れば)秋が終わるくらいまでコンクールをやっている。100人以上部員がいるのにステージに上がれるのは50人だから、毎年オーディションがあった。曲が決まったあたりで1回、地区大会の直前に1回、県大会の前に1回、みたいな感じでオーディションは何度もある。年功序列的なルールはなく、審査員は受験者の顔が見えないように後ろ向きに座り、全部員が演奏のみで審査される。3年間一度もコンクールに出られない人もいるし、県大会直前で2軍に落とされる人もいる。

楽器をはじめて3年くらいの間は、練習量と演奏技術が比例しているような気がする。練習すればするほど上手くなる。が、これが4年を超えるとだんだん「別の何か」の必要性が見えてくるようになる。やみくもにただ練習量を増やしても、上がれない階段みたいなものが出てくるのだ。というか人間は全員1日24時間しか持たされていないから、単純に練習量はどこかで頭打ちになる。「別の何か」はざっくり「才能」と言っていいのだろうか。いや、耳の良さや勘の良さもあると思う。それもまとめて才能と呼ぶことは出来るかもしれんが、とにかく練習時間を増やしただけでは上手くなれない時期がやってくるのだ。まぁ私の感覚的な話でしかないけど……
音楽は、時間をたくさんお供えしたのに、それではもう満足してくれない神様のようだ。ここから何を捧げるかは、人による。この先の道を思うとき、私は「音楽なんかとまともにやりあったら、人間は狂っちゃうよなぁ」と思う。
とはいえ、基本的な練習量が足りていなければもちろん上手くはならない。才能はあるのに練習が出来ない人もいるし、逆に休むのが下手で上手くなれない人もいるように思う。こういうのも「才能がない」ということになるのかもしれない。

熱心に楽器を触らなくなって、楽譜を持ち歩くことがなくなって、15年くらい経つのに、私はまだ年に数回、部活の夢を見る。たいていは思い出プレイバック的な夢で、実際に経験したことを俯瞰で見るような夢だ。誰かの泣き崩れる背中をさする夢だったり、オーディションを受けるために暗幕を閉めた音楽室に並ぶ夢だったり、ステージの下手側にスネアを持って待機する夢だったりする。
スネアを運ぶとき、下側についているジャミジャミした金属線に絶対に触れてはいけない、とムラタ先輩に教わった。小学生のころは「こだいこ」などと呼んで男子が雑に扱っていたスネアドラムは、思っていたよりずっと繊細な楽器なのだ。
もうスネアを運ぶ機会など無いだろうと思うのに、夢の中でも私はスタンドの黒いゴムの部分を二本指で挟むように持っている。腕の内側に当たるリムの冷たい感触すら、いまだに覚えているのだ。

昨日見た夢の中で、私はマルカートが出来ないトランペットパートのメンバー5人を相手にパート練習をしていた。パートリーダーはマサシなのだから、パート練習は本来マサシが仕切るべきだが、マサシもマルカートが出来ないのだ。勘弁してくれ。マサシは私よりずっとトランペットが上手だし、華のある音色が強みだが、気分のムラがそのまま音に出るタイプだし、細部が粗いせいで悪目立ちすることも多い奏者だった。
私は何度も「もう一回」「よく聞いて」「全然ちがう、出来てない」「それはスタッカート」と口うるさく言いながら5人に向かって吹いたりしゃべったりしていて、忙しなかった。うわぁなつかしい、これ3年の夏にやったな。夢ってこんなリアルに映像が出るものなのか。なつかしいな、と思いながら目が覚めた。

目が覚めると今度は、2年下の後輩が「タイとスラーが出来ないんです、練習見てもらえませんか」と言ってきた時のことを突然思い出した。当時は「楽器やって4年目で今さら何を言っているんだ」と思ったが、演奏を聴いてみると、確かに彼女はタイとスラーが出来ていなかった。というかそもそもタイとスラーを理解していなかった。たぶん誰にも教えてもらえず、特に指摘もされずに、雰囲気でやってきたんだろう。ソロパートでも担当しない限り、こういうことはわりとあるように思う。人数が多いのでタイとスラーが出来ないぐらいのことは紛れてしまうのだ。
私は食堂の外にあるベンチに彼女と横並びで座り、タイはこう、スラーはこう、楽譜がこうなっていたら舌をつくのはこことここ、というように、吹いたりしゃべったり楽譜にペンでマークを入れたりした。彼女は1日では出来るようにならなかったが、少なくとも「違う」かどうかを聞き分けることが出来るようになった。
彼女は別の日にも「チューナーが無いとチューニングが出来ないんです、どうしたらいいですか」と言ってきて、私はまた例のベンチに座り、針ではなく耳でチューニングを合わせる方法を教えた。チューナーから正しい音程を流し片方の耳で聞く、上に外れてるときはこういう聞こえ方をする、下に外れてるときはこういう聞こえ方、ピッチが正確に合っているときはこの音は聞こえなくなる、和音のときは5音ならほんの気持ち高めに、3音ならやや低めに、口だけで合わさないでトリガー管も使ったほうが良い、などと順を追って説明した。

自分は何が出来ないのかを正確に把握することや、教えてくださいと何の衒いもなく発信できることも「才能」なのかもしれなかった。振り返ると私には前者だけがあり、彼女は後者も持っていた。こうなると「才能」って言葉は広義すぎて、ほとんど何も言ってないのと一緒だな、と思う。

ピッチにうるさい人には早めに出会っておいたほうが、後々楽かもしれない。私が中学1年のとき3年生だったコンマスのイシタニ先輩はピッチの鬼で、合奏前にチューニングが合わないと、容赦なく音楽室を追い出された。よく「高いか低いか自分で分かってる?」と聞かれたし「口で合わせてるやろ、管で合わせな意味ないで」と叱られた。今思えばたった2歳しか違わないのに、自分が1年生のときの3年生ってすごい大人に見えたな、あの現象て名前付いてる?

芋づる式に、セクション練習のやり方が気に入らなくて朝練に行くのをやめたことを思い出す。カイちゃんは最後まで「おまえは副部長やねんから朝練ぐらい出てくれ、示しつかんやろ、勝手なことすんな」と言っていたが、私は私で「カイだってあんな練習なんぼやっても意味ないって思ってる癖に正す気ないやん、そういう事なかれ主義を協調性やと思ってるヌルいとこが腹立つねん」などと喧嘩腰で、最後まで譲歩しなかった。今だったら朝練に行くだろうか、と考える。特に答えは出ない。行く、とも言い切れんな……うーん。

私はいくつになるまで部活の夢を見るんだろうか。
夏の思い出ならフジロックの夢だっていいはずなのに。
そちらはまだ、一度も見たことが無い。

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