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RIDE ON TIME
2022年8月17日 (水) 21:40
2020年は中止、2021年は行かなかったので、2年ぶり、か。
無事に終わりました。
「いつものフジロック」とのことでしたが、やっぱりいつもどおりではないけどな……という感じもある。が、いつもどおりは「いつもどおり」と言うことからしか始められない気もする。「いつもの」と言っていくことからしか、「いつもの」を得ることは出来ないのだ。その上「いつもの」はいつだって少しずつ変化している。
去年もきっとそうだったんだろうと思うけど、場内はいろいろ感染対策がなされていた。運営側がすべきこと・できることは十分にやってくれたんじゃないかと思う。あとは参加する側が個人ですべきこと・考えること・実践することしかないし、こんなのはコロナ禍でなくたってフジロックはいつもそうなのだ。熱中症で倒れないように、突然の雨や夜の寒さに対応できるように、何が要るのか自分で考えて、自分で自分の体調管理をしっかりして、毎年トライ&エラーでやっていくしかない。というかそれを楽しむのがフジロックだとも思う。たくさん日に当たると思ったより体力を消耗すること、朝日が昇ったあとのテントで寝るのはかなり難しいこと(暑すぎる)、疲れていてもお風呂に入って身綺麗にした方が疲れが取れること、靴にはいくらお金をかけてもいいこと、などを学びながら、10数回のフジロックを終えてきた。今年得た学びは「スプレータイプの日焼け止めはSPFが高くても気休めにしかならない」ということ(学びが遅い)。めちゃくちゃ日焼けした。
今年は木曜の夜に仕事終わりで出発し、まずは飛行機で羽田へ、モノレールとJRで移動して東京から新幹線に乗り、越後湯沢に着いたのは23時過ぎ、シャトルバスに乗り込んで苗場に着くころには24時を回っていた。苗場めちゃくちゃ遠い。着いてから何か食べればいいか、と思っていたが東京駅で空腹に限界が来て、発車直前の新幹線から飛び降り、ホームのキオスクでじゃがりことゆでたまごを買って食べた。おにぎりとか買えよ。
棟梁(実姉)はテントの場所をお知らせしてくれないまま寝てしまっていた。無理もない、テントをたてているときは雨だったらしいし、疲れただろう。
空港では十徳ナイフをうっかり機内持ち込みの手荷物に入れてしまい(モバイルバッテリーのポーチに入れてしまってた、モバイルバッテリーは手荷物でしか持ち込めないのでバックパックから移動させたがこれがまずかった)なおかつ刃渡りが6センチ以上あるとのことで警察官も登場し、バタついた。ふーーー焦った。へんな汗かいた。
焦るあまり警察の方の「何に使用するものですか?」という質問に「あの、えっと、桃、桃を剥いたりします」と答えて露骨に怪訝な顔をされた。まぁ事実なんだが(毎年フィールドオブヘブンというステージのエリアにあるお店で桃が売っている、まるごと売られているので皮を剥いてかぶりつくのが定番だが手と口がベッタベタになるので、桃へのモチベーションが高い私は毎回十徳ナイフを持参している)普通に「キャンプに行くので草を刈ったり紐を切ったり、何かと便利なんです」とかを言えばよかった。果物ですらなく「桃」と限定しているのが不審さを際立てている。しかも今年はヘブンで桃を売っているいつものお店が出店していなかったので、桃は食べられずじまい……代わりに(代わりに?)トマトを食べたので、十徳ナイフはそこで活躍しました。
15年間で10回くらい行ったから、あらゆるもの(ああいうのギアって言うんかな、ちょっと恥ずかしくて言えんな)を軽量化していくムーブにそろそろ終わりが見え、今年はかなりパッキングがスムーズに出来た。テントの中で使うものはもう事足りているし、来年は特に買い足したり買い替えたりしなくて良さそう。と言いつつ靴を買い替えようかな~とうっすら考えてもいるので信用ならない。でも、こういうの考えたり調べたり買いに行って店員さんの話を聞いたり使ってみたりするのがすごく楽しい。私は車がちゃんと運転できたらソロキャンプ行くタイプの人間だと思う。
長靴は重くはないけどバックパックの中では嵩張るうえによほどの雨量にならないと履き替えに戻らないので、より雨に強い靴を導入して長靴を持って行かないようにしたい。「よほどの雨量」は2019年のことを言ってるけど、今年はほぼ雨降らなかったね。靴の候補はKEENです。
去年出演をキャンセルした折坂悠太さんが今年はグリーンステージに出ていて、冒頭のMCで「去年はキャンセルして、今年はグリーンに出ている、でも去年と今年の何が違うのか、と問われたら答えられない」と話していたのが印象的だった。私も去年はキャンセルして、今年は行ったからだ。私だって差は何かと問われたら答えられない。感染者数の増え方からすると、今年もキャンセルすべきだったかも。でも行くことにした。自分で行くと決めた。これでよかったんだろうか。今もまだモヤモヤする。これでよかった、などと思う日は来ないかもしれない。モヤモヤしないために、行くべきじゃなかったのかも。でも生きていれば大抵の時間はモヤモヤすることに費やしているぞ、私の意志とは関係なく。それに、じゃあ何がどうなれば行っていいと思えるんだ。うーん、確実なこと、確信をもって言えることが、手元に何もない。
折坂悠太さんは「この営みを、続けるしかないんだと思う」というようなところに、この話を着地させた。そうですよね、と思ったが、こんなフワフワした話に着地点なんかないよな、とも思う。だって今も「この営み」の真っただ中に私たちは居るのだ。正解だって今も、未だに、ずっと分からないままだ。家から一歩も出ず、誰にも会わず、常にマスクをつけて、手指を消毒液に浸していれば、それが正解なんだろうか。あまりにも極端だし、それは「この営み」からは最も遠い。
ひとつだけ確実なことがあるとすれば、彼の「針の穴」という曲が、いつかの私の苦しさや心許なさを大きな布でくるむようにして支えてくれた、ということだ。音楽はいつだって私を救いも殺しもしないが、ただ背を支え、肩に手を添えてくれる。
演奏はとてもよかった。
3日目の午後、突然降り始めた雨の中、シャトルバスに乗って帰った。まだ半日以上あるのに帰るのか、もったいないなぁ~でも月曜から5日間フル出勤やからなぁ~~~
駅で本屋さんに寄ったらどう考えても帰るまでに1冊しか読み切らないのに、文庫本を2冊買ってしまった。私は出先で本を買って荷物を増やす悪癖がある。
空港で食べた蕎麦がイマイチで悲しい。いつも通り三田製麺所でつけ麺を食べればよかった。私、蕎麦は角が立ったかっこいいやつが好きだ。いつも通り千疋屋でお土産の杏仁プリンを買い、いつも通りラウンジでオレンジジュースを飲んだ。
空港から家まではタクシーに乗るつもりだったけど、思ったより元気があるので普通にポートライナーに乗り、駅からは自転車を借りて帰った。左腕につけたままのリストバンドが、なんとなくさみしい。夏終わったなぁ。
帰りも家が遠い。
中華料理はいけるかい
2022年8月8日 (月) 21:41
先日、家族一同で中華料理を食べに行った。中華料理には思い出がある。祖父が好きだったからだ。
おいしいものを食べ、おしゃべりをして酒を飲むのが好きだった祖父には、いくつか行きつけの店があった。バス道の通り沿いにある中華料理屋はそのうちのひとつだ。
私たち家族がその店に行く日はたいてい土曜か日曜の夜で、誰かの誕生日でも、記念日でも、お祝いでもない日、ただ祖父の「中華料理食べにいこか」という電話によって決まった。店はいつでも混雑していた。店の前のベンチに並んで座り、お腹をすかせて「7名様でお待ちのタナカ様ぁ~」と家族の名前が呼ばれるのを待った。
回転テーブルが乗っかった円卓の席に通され、私たち姉弟は好きなものを何でも食べてよかった。みんなが好きだったメニューはミンチのレタス包み(ひと玉ぶんあるんじゃないかと思うぐらいのレタスの量)、春巻き(皮がたまごのやつ)、五目やきそば(半熟の目玉焼きがのってる)。
最後の一個になった唐揚げを取り合う私たちに、祖父は瓶ビールを飲みながら、いつも「もうひとつ頼んだらええ」と言ってくれた。
祖父との思い出はほとんどが食べものと紐づいている。私が食いしんぼうだからだ、と思っていたが、祖父がみんなでおいしいものを食べるのが好きな人だったからかもしれない。
と、いうような思い出を聞いた義妹(弟の妻)は、その話を長らく覚えてくれていた。そして、自分の子供たちにもそんな思い出があるといい、祖父や祖母、家族みんなと中華料理を食べる思い出、回転テーブルをぐるぐるさせて、好きなものを何でも食べていいよ、と言われる思い出が、あるといい、と考えたらしい。
発案があれば話は早い。確かにそれは良い案だな、ということで家族一同、揃って中華料理を食べに行った。
甥たちは4歳と2歳だが、ちゃんと椅子に座り、お店が出してくれたプラスチックのフォークとスプーンを使って食事をしたので私は感動した。甥たちと外食したことがなかったからだ。食後もふたりはご機嫌に歌を披露したり、恐竜のおもちゃを回転テーブルに載せたりして、みんなが食べ終わるまで上手に遊んでいた。えらかったね。
こういう場にあまり顔を出さない叔母が来てくれたのも嬉しかった。何を話すわけでもないけど、1年に1回くらいは、一緒にごはんを食べたい。叔母が注いでくれたビールの泡は細かくあまりにきれいな層になったので、弟が大喜びしていた。
しかし、中華料理ほど大勢で食べるのに適した料理はないんじゃないだろうか。
「えっもう水餃子ないの、私食べてないけど」「麺類いこっか、焼きそば?汁そば?」「もう一個頼みなさいよ」「チャーハン食べる人~?」「お皿もらって」「小籠包入れてあげて」「あれ食べたい海老とたまごのあんかけの、ごはんのあれ」「どっち食べる?どっちも?」などと騒ぎ、円卓から取り分けて食べるのは楽しいし、お酒にもごはんにも合うから子どもも大人も満足する。今後もこうやって、みんなで円卓を囲む機会があるといいと思った。祖父の弔いにもなるかな、と思ったけどそれは傲慢だ、と考えたところで、祖父の大きく口を開けて笑う顔が浮かぶ。へへへ。
Hurry to airport
2022年8月1日 (月) 20:47
場が既にある状態で、自分が臨む姿勢とか、マインドとかにズレがないかどうかを知りたいとき、検索してもどうにもなんないな、ということを急に知った。いや、感覚的には知っていたけど、言語化出来ていなかったと思う。あ、まぁこれも全くもって「言語化」とは言い難いが。
こういうときに欲しいのは情報ではなく対話だからだ。「ホニャララする人は12人くらい居ます」みたいなのだけ知ってもどうもなんない、要るのは数値じゃないからだ。数値はある程度見ておく必要があるが、どこかの一線を越えると(もしくは達せない場合にも)嘘をつき始める。ような気がする。いや、ぜったいにそう。
何かを突然知った(ような気になった)とき、それを文章にして残しておかないとソワソワするのはなぜなんだろうか。数年後か数十年後か知らんが、私がこれを見た時に「あぁあの感じね」と取り出せるかどうかは確信がないが、それでも期待と希望を込めてこれを打っている。諸般の事情により時間がなく、大慌てでこれを打っている。
ほぼ感覚で生きているが、取り出す人が私自身の場合は、今掴んでいる感覚さえ残しておけば、この先いつの私でも、取り出せると思いたい。思いたいが、そう簡単じゃないことは知っている。それでもなお、の意。
迷ったら赤を着なさい
2022年7月27日 (水) 20:49
ギリ着られる…いや嘘、たぶん無理そう、でもかわいいもん、などとブツブツ言いながら買ったワンピースが2日で届き、案の定ギリ着られなかった。なんで買うんだよ。
返品するのが面倒だ。いや、あと2~3キロ痩せたら着られるかも。もしかしたら。
こうやってクローゼットに着ない服が溜まっていく。1着買ったら1着手放すことにしているので、3~4年前に買った赤いワンピースを捨てた。これもあんま着なかったな。私細かい柄物の服、全然似合わないんだよな。なんで買うんだよ。でも無地ばっか着るのもなんか……飽きるんだもん。
着たい服と似合う服は違う。着られる服と着たい服は違う。服たのしい。服めんどくさい。服ほしい。服もう要らない。人の服選ぶのは好き。買い物たのしい。買い物疲れる。
戸も壁もないクローゼットスペースを寝室の壁にくっつけたのは予算の都合上だったけど、今となってはこれで良かったと思う。自分の目がすべてに行き届くからだ。衣替えをしていないことに必ず気づく。所有量が目に見える。長いこと着ていない服が、印をつけたように分かる。あれ最後に着たのいつだ、少なくとも今年は一度も着ていない。
夏って何着ればいいの、と言っている間に今年も夏が終わるに違いない。夏って何着ればいいの。夏も嫌いだし、そういえば私はサンダルも嫌いだった。
COOKING for GEEKS
2022年7月22日 (金) 20:59
もう2022年なのに、未だに年に1度か2度「お知らせテキストが流れるようにしてほしい」「アイコンを点滅させてほしい」「アクセスカウンターを付けてほしい」などの化石のようなご要望がある。すべて「なんで……?」としか言いようがないし単純にダサいのでやりたくないが、どうしても回避できない場合がある。仕方ないので鼻で笑いながら対応する。こういうときに鼻で笑いながらも対応できない性格だったらキツかっただろうな。
つーか全部30年前ぐらいの流行りなんじゃないの……?さすがに30年は経ってないか、20年くらい??Webデザインで20年なんか十分に化石よ。
そういえば「アクアボタン」は全然言われないな、あんなに流行ったのにね。あれなんであんな流行ったんだろう。誰が使ってたの?Appleかな。Appleぽいな。
流行りを追うと古くさく見えるまでの期限が短くなるし、かと言ってWebデザインに「クラシック」みたいな概念はないし、難しいところだな。せいぜい「ベーシック」ぐらいか。あとWebデザインはあんまり、7年で一周する、みたいなのないね。2015年のデザイントレンドを見てみたら引き続きフラットデザインが流行り続けてたし、背景全画面に写真を仕込むとか、パララックスエフェクトが出始めてるとか、まぁ今もやる人はやってる感じで、一周したって感じではないな……フラットデザインなんて、今もう言うまでもなくそうしてるもんなぁ。
料理を「科学」の文脈だけで書いた本読みたい、そういうのある?とTwitterに書いていたら固定ちゃんがわざわざ調べて教えてくれた。なんで調べてくれたんだろう、わからんけど、やさしいね。
料理の「愛情」とか「健康」の話、もともとあんまり興味なかったけど、最近日増しに興味なくなってきて、今は「科学」の話が一番おもしろい。発酵と腐敗の境目の話とか、乳化とか浸透圧とか、メイラード反応とか、そういう話ばっかり書いてある料理の本が読みたい。レシピとかは要らんし「料理上達したい」みたいな気持ちともちょっと軸がズレる。なんというか、極めて冷静かつ無感情にメシの話がしたい、みたいな感じ。
つーか「COOKING for GEEKS」は有名よね、でも私はそこまでじゃないな、ギークじゃないしさ、そもそも全然理系じゃないし…と思っていたら「30度、40〜50度、60度、61度、68度、70度、154度、180度とキーとなる温度帯について、1つの温度帯あたり10ページ以上使って、細かく解説してくれている」本らしく、俄然興味が湧いてきている。温度帯の話、めちゃくちゃ興味あります。
これはガスエビ
2022年7月14日 (木) 21:17
両親と石川県へ行ってきた。我ながらどうかと思うほどたくさんの皿(九谷焼)を買い(しかも醤油皿サイズの小さいやつばっかり、だって結構高いねんもん九谷焼)、仕舞う場所がないな……と途方に暮れている。まぁ買ってきた皿はすべて気に入っているからいいけど。「仕舞う場所がない」というよりは、食器棚の整理が必要だと思う。採寸から始める必要があり、気が重い。
私の家は一人暮らしにしては皿が多いが、趣味のひとつでもあるのでどうしようもない。つーか趣味多すぎんか?しかも金かかるやつばっかり……いや待て、金かからん趣味ってどういうのがある?登山とか?あと趣味ってどうやって減らすんやろ、意図的に可能??ってか食器棚さぁ、冷静に見たらグラス買いすぎじゃない?誰がこんな使うねん。大家族か。
金沢に行ったのは初めてだったが、圧迫感の無い街でよかった。高い建物が多くないせいだと思うが(京都みたいに規制してるんかな、知らんけど)、そもそも土地が広い感じがした。道も結構広い。中心地にたくさん美術館や博物館、工芸館があるのもよかった。
市内ではうまい寿司(のどぐろ超うまい)と、水蜜桃のパフェと、ご当地グルメらしいハントンライス(オムライスの上にフライが載っている)を食べた。
あと滋賀から向こうの県に行くと、街中で得られる情報としての「松尾芭蕉エピソード」が圧倒的に増える気がする。超引越し多い人じゃなかった?と思ったけど、それは葛飾北斎でしたね。松尾芭蕉は単に、長距離移動系俳人だっただけか。
初日は九谷青窯(くたにせいよう、と読む)の工房へ行き、 そのあとは九谷陶芸村という協同組合が運営する九谷焼の専門店がたくさんあるところへ行った。九谷焼には陶器も磁器もあるらしい。磁器に5色で上絵を付けるのが九谷焼の定義だと思っていたけど、違うねんな。無地のもあったよ。
九谷陶芸村にはすごいサイズですごい金額のものもたくさんあり、目が慣れてくると不思議なことに値段が大体分かるようになった。人間の手がかかるものにはお金がかかるし、人によって値段が上がることはあるけど、ある一定のラインから下がることは無い。なんの業種・職種でも一緒ですね。健全だな、とも思う。
21世紀美術館では「ムン・キョンウォン&チョン・ジュンホ:どこにもない場所のこと」という展覧会を観た。何の前情報もなく、ただ行ったから観ただけだが、これがめちゃくちゃおもしろかった。
ムン・キョンウォンさんとチョン・ジュンホさんは「News from Nowhere」というプロジェクトをやっているユニットらしい。展示物はほとんどが映像作品で、ちょっと難しくもあった。しっかり頭を使わないと何も得られないな、と思うが、いつだってそうなんだよな。頭使って考えて、理解しようと努力しないと、いつだって、何からも、何も得られない。ま、バカでかい油彩画などを頭空っぽにして浴びるのもかなり良いからな、自分のテンションとか、モードによりけりですね。
「News from Nowhere」はウィリアム・モリスが書いた小説のタイトルだが、このプロジェクト名はそこから名付けたらしい。ほーん。
私はデザイン史の授業でその名を知った時からモリスが好きだ。作ったものも好きだし、アーツアンドクラフツも好きだし、思想も好きだ。よく名言として取り上げられる「役に立たないもの、美しいと思わないものを家に置いてはならない」も超好き。私は名言の類はほとんど全部うるっせぇな~と思ってムカつくけど、これは全然ムカつかない、同意同意~!と思う。
好きなものが次に繋がるときって、急に来るな……そして図らず来る。
いや「News from Nowhere」読んでないけどな。つーか読めるのか?と思って調べたらやっぱり原文しかないやん。いや待てタイトルが違うんか?あぁ「ユートピア便り」で岩波から出てるわ。読むか……読むか……?
お寿司屋の突き出しで食べた加賀太きゅうりの煮物(冷やしてある)がおいしかったので、市場に行ったら3本で200円で売っていて、母が買って帰ろうと言ったのを1本分けてもらった。調べたら浅漬けも良いらしいので、塩・酢・出汁醤油で適当に漬けてみたらおいしかった。暑くて料理をする気は起きないし、食欲も落ち気味だが、浅漬けと冷やした煮物は食べられる。
帰りは車でほとんど寝ていた。甘やかされてる。
SS
2022年7月13日 (水) 21:18
1
「赤の他人」の「赤」って何なんだろう、とベランダでぼんやりする。なんの色?いや、すぐ調べればいいのに。今スマホ持ってるでしょう。でも色の話じゃないような気がする。いやだから、調べなよ。
ベランダで過ごす夜はまだ日によっては涼しいが、時間の問題だろうな、と思う。夏が来ている。というかもう始まっている。夏、嫌いなんだよな、暑くて。暑い以外言うことなくなってくる感じ、頭悪くて、やなんだよな。馬鹿みたいで。しかし「むしろその感じが良いじゃないか」というご意見の方もいるらしい。ほほーん、なるほど。でも同意はできない。
2
画像が背景に指定されているかどうかも分からない奴が、技術者なわけないだろうが。2クリックでそこへたどり着けるし、あとは読めば分かる。分からないのは技術者じゃないからだ。こいつ、どういう履歴書書いて、面接でなんて言ったの?そんでなんの職種で採用されたの?
出来ないのを取り繕っていることがありありと伝わる文面に「取り繕うって取り繕えてないときに使う言葉だな」と思いながら、「知らんがな、自分で調べろや」と返信しておいた。敬語で。
3
プラスチックのストローを作っていた会社は、大丈夫なんだろうか。大丈夫っていうか、最近ほとんどプラスチック素材のストローを見ていないから、その、やっていけてるんか。大きなお世話でしょうけど。その工場で、紙のストローも作れるの?そういうもの?全然違う技術なんじゃないの?大丈夫なんだろうか。
私?私はもともと、ストローをあまり使わない。
4
歌詞に合わせてチャンネルを左右に振るの、安直な手口(手口?)だな、と思ったが、MVを見ながら聞くと新鮮に、いや、すごく純粋な手法に感じる。ピュアだなぁ、ピュアってかわいいよね。私はピュアだったことが人生で5年くらいしかない気がする。ピュアってもう取りに戻れないアイテムだと思う。「アイテム」って言うてるところがもう全然ピュアじゃないし。
5
推しとおそろいのパジャマを注文してから約半年が経ち、ようやく届いたので、暑いのに長袖のしっかりした生地のパジャマで寝ている。暑い。しかもサイズがデカい、ミスった。レディースサイズなんだろうと思ってたけど違ったみたいです。でも交換返品とかは出来んねん、とっくに完売してるし。この時期の長袖パジャマ、普通に暑いな、暑いけど、でもせっかく届いたから着たい。毎日「変な柄やな」と思いながら着ている。変な柄。なにこれ。うはは!(褒めています)
朝、自分が脱いだパジャマを見て「ジ、ジンくんが…家におる…!」と思う(おらん、落ち着け、おらんて)。14,000円でこんだけ楽しめるならよかったよ。縫製もしっかりしている。実質無料です。
6
家でほとんどコーヒーを飲まなくなった。豆を買いに行って、ミルで挽いて、ペーパードリップして、とやっていたのに。理由はよく分からないし、人が淹れてくれたコーヒーや、もらったコーヒーはすごくおいしい。ただ「コーヒー飲みたいな」と思わないのだ。変なの。
そんななのに、道を歩いていて、あぁいいにおい、と思うのはたいていコーヒーのにおい。ねぇ、お店の人が夕方ごろ焙煎してるのって、帰り道で「あぁいいにおい、豆買って帰ろかな」と思わせるため?別に関係ない?
7
どんなに久しぶりでも、近くに行くけど会える?と友人が連絡をくれるのはうれしい。それが電車で1時間ちょっとの距離でも、ヘルシンキで乗り換えて22時間の距離でも、私が会いたいなぁ~元気にしてるかな~と思うのと、一緒なんだろう。健康で、幸せでいてください。
8
私は漫才を生で見たことがない、と思い立ち、なんばグランド花月へ行ってきた。コンサートも、ミュージカルも、演劇も、落語も、舞台でやってるものは基本的に舞台で見るべきだな、と思った。行ったことないけど、たぶん歌舞伎も能も、同じなんだろう。舞台にサンパチマイクがスッと立ってるの、かっこよかったなぁ。
金属バットが好きなんですけど、出てきて名乗ってネタ入るまでのちょっとの時間(あの時間のことなんていうの?落語やとあそこは枕ですけど、呼びかた一緒??)に「何おもろいこと言うねやろ」という目で見つめながら、みんなでニヤニヤへらへらするの、楽しかった。あと友保さんの「ちがうで」の言い方が好き。
A job that slowly kills you
2022年7月5日 (火) 21:54
土砂降りの雨の中でレディオヘッドを聞いていたら順調に絶望してきて最高だ。私も一酸化炭素と握手して、静かな人生を送ろうっと。なぜ明確で明瞭な絶望はいつも希望の色をしているのか、とよく考えるけど、でもこれはきっと私が恵まれた、幸せな人間だからだろうな。絶望は絶望の色しかしていない、という局面に居合わせたことがないからだと思う。「探せばけっこう希望はあるよ」と歌いながら生きてきたからな。探せばけっこう希望はあるし、この世のあらゆる邪悪なものを取り除いたら、そこには希望が残っていたと言うじゃないですか。よう知らんけどギリシャ神話。
つーか雨の日にトム・ヨークの絶望をなぞりにいってる時点で私は能天気ハッピー楽観主義野郎。
ようやくベッドを買い替える算段を付けた、ようやくです。従姉妹が無印良品で働いているので、何もかもを無印良品で揃えることにした。散々騒いだあげく結局は無印良品に収まる感じ、ウケる。ウケるし、何より「無印良品とは何か」を分かりやすく体現しているような気持ちになる。やぶさかではないです!
そういえば昔、フライヤーかなんか作ってるときクライアントのおじさんに「もっとシンプルに出来ないかなぁ~何もしないでいいの、デザインとか要らなくて、無印良品みたいにやってほしいんだよね」と言われて殴り掛かりそうになったことがある。人を殴ったことがないのでやり方が分からないし、私はあまり衝動的な人間ではないので「はぁ、そうですか」とかなんとか言って持っていたノートに「無印良品」とメモし、事なきを得たけど「いま普通に手ぇ出そうやったな、人殴るときってこういう感じなんやな」と思った。まぁ今思えば「そない怒らんでもええやん」ぐらいのことですが。
おじさん、デザインは要るとか要らないとかじゃないんですよ、常に在るものなんです、デザインが無いものなんて、世にひとつもありません、デザイナーの名前が出るものと出ないものはあります、調べても分からない場合もありますが、それでもデザインは常に在ります。そのことが分からないのなら黙っていた方がいいし、あまつさえ無印良品を引き合いに出すなんて、あまりにも愚かです。とはいえ、おじさんに「無印良品はデザインしていない」と思わせられていること自体が、無印良品はすごいですね。
友人の誕生日プレゼントにクッキー缶を作るのはどうだろう、と思い立ち、あまりにも名案じゃない!?と大盛り上がりした(ひとりで)が、そもそも私はクッキーをほとんど焼いたことがないし、あと普通に全然時間がない。まぁ当日に届かなくても良いとは思うけど、4種類くらいは入れたいな、どうしようか…と本屋さんへ行き、焼菓子のレシピ本を見ていた。段取りうまくすればやれそうな気もするし、週末の予定をカレンダーで見ていると「そんな時間どこにあんねん」という気もする。あとは勢いだけが要るな……
うまくいったら作ったのを贈って、ぜんぜんダメだったら良いクッキー缶を買って送ろうかな。
言ってね、直すから
2022年7月4日 (月) 21:48
夏にパーティー(概念)をやることになったので、みんなに渡すソンムル(プレゼント)を作ろうと思って休日にチマチマ進めている。渡す、というより押し付ける、が近いが。合間に友人に使ってもらうバナー(っぽいもの)を作ったりもしている。サイトに載せるわけじゃない、単体で使うバナー作るの久しぶりすぎて、勘が鈍っている感じがする。こんな下手やったっけ、いやもうちょいやれたはず、なんか素人っぽいな、こんなはずでは。開けていない引き出しは開けるのに苦労するし、開けていなさすぎてそこに引き出しがあることも忘れている。たまに使わないと、でも仕事でこの引き出し使うことほぼないよ。なんかちがう、これじゃない、これもイマイチ、あぁかわいくない、と延々やってたらトータル20時間ぐらいかかった。自己満足は時間を食う。
平日はパソコンを触らない日などないので(そういう職種なので)休みの日は出来ればパソコンを触らないでいたいが、こうやって「何か作りたい欲」が出てくると抗えない。結果、時間の感覚がなくなり、あれ?ちょっと低血糖っぽいぞ、ヤバいかも、と気づくまで、ごはんも食べないで机に向かってしまう。慌てて豚肉といんげんを炒め、醤油とレモンをジュワっとやったのを食べた。お、おいしい。ごはんおいしい。
しかし、ソンムル(プレゼント)を作ったら今度はランダムトレカを封入したくなってきたな……トレカ、集めたい気持ちは全然ないけど、作るのは絶対超絶楽しい間違いない。ああいうのどうやって作るんやろ、ちょっと光沢があるほうがそれっぽくていいんちゃうか、あ、ラミネートして切ればいいんか?キンコーズにラミネーターあった気がする。あと角丸パンチで四角を丸めたら結構それっぽくなりそうやな、あぁめっちゃ楽しい……
夜はマーライオンくんのお兄さんである深田隆之さんが監督した映画「ある惑星の散文」を観に十三へ。ねぇ十三って兵庫県なの?大阪府なの?駅から映画館に着くまでの5分くらいの短い間に、道端に寝転がっている人を4人見て、さすがに笑ってしまった。十三なんやねん。
マーくんのお兄さんが映像関係の仕事をしていること(マー曲のMVも監督されている)や、本作が海外の映画祭で上映されたことは聞いていたし、日本で公開されたらぜひ観たいと思っていた。映画は神奈川県横浜市の本牧というエリアで全編撮影されたものらしく、場所や土地が連れてくる物語ってあるよなぁ、と思った。まちが、よそよそしくない。植田陽貴さんが、自身の作品に使う油絵具について「道具に描かされてる、って思う時ある」と言っていたことを、ぼんやり思い出した。
映画はまちを写すシーン、朗読のシーン、ストーリーがあるドラマシーンが交差する構造になっており、主要な登場人物は4人、うち2人は「あぁこれはもう、だめだな、かなしいね、でももうたぶんだめだよ、自分で気づいてるでしょうけど」という関係性、うち2人は「まだ間に合うよ、対話と理解と譲歩でまだやっていけるよ」という関係性、うち2人は「必ず出会う、出会うし、なにかやることがあるはず、ふたりで」という確信めいた関係性だった、くっついたり離れたり、文字通り惑星のようだ。ロマンチックでもあるが、自分の感情や意思の及ばない領域があることが、怖ろしくもある。
音も良かった。音楽はあるがメロディーらしいメロディーはなく、注意深く配置されてるんだろうな、と感じた。バイクが走り去る音、水道の蛇口を閉める音、子どもが遊ぶ声、団地のドアのきしむ音(金属のドアって音良いよね)。椅子を取り払って人がいなくなると映画館はあんな音がするのか、木の音がする、思ったより「舞台」っぽい造りになっているのかもしれない。
上映後は監督と出演者の方の舞台挨拶も観ることができてうれしかった。舞台挨拶とかお芝居のアフタートークとか、おもしろいよね。
帰り道、めちゃくちゃつけ麺が食べたくなるが、知っているつけ麺屋が全然ないし、探すのも面倒になったのでセブンイレブンに寄り、小さいどん兵衛とおにぎりを買った。小さいどん兵衛にはお花の形のかまぼこが入っていてかわいい。
Ma City
2022年6月28日 (火) 21:40
駅前を中心に、再開発が続いている。あちこちで工事の音がして、私はこれによって生まれているであろう雇用について考える。そこで動く金銭について考える。私は「まち」について考える。考えながら、八百屋さんで山芋を買い、パン屋さんでチョココロネとたまごサンドを買う。薔薇が10本で500円か、買ってもいいけどな、でもあんまり元気そうじゃない薔薇だな。
それから、駅前にたくさんできた飲食店について考える。どこも普通においしいけど、基本的にしょっぱいんだよな、全部、まぁでもああいうとこは、お酒を飲ませないといけないからな。
私が「まち」と呼んでいるものの、サイズ感・規模感について考える。それは多分「丁」や「町」よりはだいぶ大きい。「区」よりも少し大きい。が、「市」よりは小さい。「市」は全く手に負えない感じがする、でかすぎて手に余る。つまり、「区」と「市」の間ぐらいのものを、私は「まち」と呼んでいるようだ。
あの大通りの向こうって何があるんですかね。何が、っつーかまぁ家とかビルとかあるんやろうけど。行ったことあるか?ないかも、あぁ美術館はたまに行くよ、だから美術館だけブツ切り。あのへんの海も良いよね、工業の海ね。わかる?工業の海、あとはビーチの海とか、漁業の海とか、輸出入の海とかあるやん。あ、でも神戸は工場の海はないかも。川崎みたいなやつ、ああいうのはないかも。
私が言う「まち」には北に山と南に海があり、好きな飲食店が十数件、実家と弟家族の家、友人の家、それから私のかわいい家と、会社がある。どこに何があり、そこへ行くのにどのくらいの時間がかかるかを知っている。電車は4本(いや5本あるか、でもあれはほとんど使わない)あり、間をバスが通る。自転車が走りやすい道はここ、歩くのが気持ちいい道はこっち。ボルゾイが2匹、夕方に散歩する道はあっち。
再開発を間近で見ていると、この「まち」がグネグネした、やわらかいものに見える。いつも使っていた道が使えない。こっちは通り抜けできなくなってる。文房具屋が移転してる、そっかこのビル取り壊すんだっけ。建物を壊したり、建てたり、道を作ったりしているんだから、そんなにすぐには終わらない。作業は大勢の手で、少しずつ進んでいる。お店だって一斉には閉店しない。少しずつ、閉まっていく。そっかこのビル取り壊すんだっけ。あっちを塞いだらこっちを空けて、人はこっちを通ってください、すみませんトラック通ります、ご協力ありがとうございます。
「まち」は今日もグニャグニャしている。生き物なんだな、と分かる。
数年後、ツルツルピカピカした建材が「まち」に溢れるのかと思うと、少し憂鬱な気持ちになる。私は「新しいものが良いものだ」とは思えない。新築マンションのデザインが気に入ったことは一度もないし、平屋の家が並ぶ古い町並みが好きだ、安いものを買って次々と買い替える生活は苦手だ。息が詰まる。昔はそうでもなかったのに、最近どんどん苦手になっている。理由とか根拠とかは全然ないから、単にそういう性格で、そういう好みなんだろう。でも私の好みや、気分とは関係なく、「まち」は変わっていく。そういうものなんだ、たぶん。私だってちょっとずつ変わってきた、変わらない部分もあるけど、でも変わったところもたくさんある。「まち」も同じなんだ、きっと。
でも今はここに住んでいるから、「まち」がどのように変わるのかを、私は見ることができる。グニャグニャグネグネしながら、「まち」は今日も少しずつ変わっている。そのことを、見ていようと思う。
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