タナカノゾミのポートフォリオサイト

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catch me if you can

2022年9月6日 (火) 20:14

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占いについて、私はよく知らない。いろんな種類があることは知っているが、正式な名称は知らないし、成り立ちも全然知らない。でもニシーさんに何回か占ってもらっているうちに、なんとなく分かってきたこともある。私の知る限り、占いは一問一答クイズじゃないし、何にでも効く魔法の万能薬じゃない。でもそういうところが、断定的じゃないところが、占いの好きなところだなと思う。

占いに行った話をすると「信じてない」「当たるの?」と言われることが多いが、どちらもあまり本質的ではない気がする。占いは一種の学問のようなものだと私は感じるので、信じるとか信じないとかいう文脈で話すのはちょっと、ズレているように思う。

占いが当たるかどうか、という質問もあまり的を得ていないように思う。自分の性格・性質や基本的な考え方について「当たっている」と思う場合、それは自分自身で認識できていること・自覚していることの肯定になるし、逆に「当たっていない」と思う場合、それは自分自身で認識できていない・無自覚の範疇であるだけの話だ。もしくは認識したくない・気づきたくないと思っていることなのかもしれない。
私はどちらかと言うと「当たっていない」と思うことを言われた時の方が、占いはおもしろいと思う。だって「当たってる」ことだけ言われても、それはもう知ってることなのだし、何なら知ってて直したいと思っていたり、さらには自分の好きじゃない部分だったりすることもあるからだ。

とは言え、自分の嫌だなと思うところ、好きじゃないなと思う部分を、星の巡りや配置のせいにできるなら、それはそれでいいじゃないか、と思う気持ちもある。例えば私は自分のお節介で独りよがりな、恩着せがましいところが嫌いだが、そういう性質はしっかり占い上に出ているらしいのだ。もちろん個性でもあると思うが、だからといってそういう性質を100%好きにはなれない。個性だって多面的だ。良い面しかない個性など無い。
鬱陶しく思われたくないから気をつけよう、と自分なりに意識しているが、それでも反射的に動くときは独りよがりにお節介を焼いてしまうし、感情のままに発言するときはウッカリ恩着せがましくなってしまうし、後からそれに自分で気づいて「あぁまたやってしまった、頼まれもしないのに、うえぇぇ最悪だ、あぁああ」と身悶えたりする。
そういうとき「なんで私はこうなんだ、いつまで経っても、もうやだしんどい、一生誰にも好かれない」とベッドにうずくまって1mmも動けなくなってしまうことがあった。これを「でもそういう星のもとに生まれただけやからな!!!!」で片付けることを手段のひとつとして所持していると、もう少し息がしやすくなる。「私がお節介で独りよがりで恩着せがましいのは、別に私だけのせいじゃない」と思うと「次も気をつけよう、今回はあかんかったけど、でも次こそはいい感じに出来るかもしれん、頑張ろう」と思えるのだ。もちろんそうできない時もあるし、そうしちゃいけない時だってあるけど、でも手段のひとつとして、武器のひとつとして、ポケットに入れておくだけでも、随分気は楽だ。
ま、次は次で「あんなに気を付けようと思ったのにまたやってしまった、なんて学習能力がないんだバカすぎる、ここまで無能なの?もうやだしんどい、一生誰にも好かれない」とベッドにうずくまる日がやってこないこともないけどな。でも人生てこんなもんっしょ、わはは。

占いはひとつのツールであるので、すべてを解決したり、何かを決定したりするようなものではない。私の人生を頑張るのはいつだって私だし、決めるのもいつだって私だ。それでも占いのせいに出来るところは占いのせいにして、いちいち自分を責めないでいいし、これ以上自分を嫌いにならないでいい。占い上良い波が来ているならそれを存分に利用すればいいしさ。
占いは人間ではないので、利用されても気を悪くしたり鬱陶しがったりしないところが良いなぁと思う。やぎ座と土星のせいにして自分の至らなさを一旦保留にしていても、別に土星が私ん家に衝突したりせんもんなぁ。やぎ座がブチギレて長文LINE送ってきたりせんし。

ふとスピッツの「うめぼし」という曲の歌詞に「星占いですべて片付けたい」という一節があることを思い出した。はーーーマジ星占いですべて片付けたいよね、分かるよ、でも「すべて片付けたい」って言ってるってことは、この人は片付かないことを知っている、という意味だろう。それでもなお、の意。
この曲、歌詞はずっと脈絡ないけどそこが良いよね、脳内!って感じして好きだな。脳内ってわりといつでも雑然としていて脈絡はない気がする。

ニシーさんは今回「占いで言えることはここまでです」というキラーワード(キラーワード?)を使っていておもしろかった。占いはただツールであるので、ニシーさんに出来ることはそれを使って私が何者かを紐解こうとすることだけだ。「だけ」と言うと語弊があるが、良い意味で言っているので許してほしい。
一方、受け手である私に出来ることは私自身が何者かを占いを通して知ろうとすることだけで、その後の、諦めずに思考し続けること・固執しないで変化を受け入れること・具体的にどうするかを自分で決めること、に関してはもう占いの範疇ではない。ニシーさんは占いをただツールとしてごく真っ当に、かつ丁寧に真摯に扱い、彼自身や占いそのものを権威的に見せたり、支配的に振る舞ったりすることは絶対にない。そういうところが好きだな、と思って、今もずっと好きだ。

ニシーさんと話していると、落語家が使う扇子のことが頭に浮かぶ。落語家は高座(舞台)に上がると自分の前に閉じた扇子を横位置で置く。これを「結界」と言い、扇子はお客と演者とを分ける一線なのだそうだ。ただ扇子が横向きに置いてあるだけなので、空間的には何の区切りにもなっていないし、物理的に越えようと思えばいくらでも越えられる。でもあの扇子の向こうにいる人は芸をする人で、扇子のこちら側にいる私は芸を見る人だと、線引きがある。扇子の向こうとこちらは別の立場なのだ。礼儀でもあるし、けじめでもある、何より尊重があるだろう。
ニシーさんと話していると、この人は無遠慮にその結界を越えては来ない、という信頼感と安心感がある。壁がある感じはないし、親しみやすくフレンドリーに話すのに。
不思議なことだな、と思いながら私は脳内でエア扇子を生成し、それをお互いの真ん中に置いてみる。私の脳内でエア扇子を合成されていることなど知るよしもないニシーさんは「相手がAを求めているときにAよりもーっとすごいゴールデンAを出そうとしてしまうタナノゾの性格」について話してくれた。うーーーん、めっちゃ分かる自覚ある、ゴールデンAのほうがええやん!だってゴールデンやで!?ドヤ!!!をやってしまうわ。超やってしまうね。

ほんとうは去年の年末に占いをしてもらおうと思っていたのに、ずいぶん過ぎてしまった。でもニシーさん年末年始めちゃくちゃ忙しそうやったし……ま、占いはいつやっても良いですからね!
ニシーさん毎度ありがとうございます、またお願いします。今回カラオケでやってもらったし、強火ジミンペンも同席していたのにBTSの1曲すら歌わなかったので、いつかまたカラオケ行きましょうね。ニシーさんカラオケ行ったら何歌うの?私は「翳りゆく部屋」と「大宮サンセット」を歌います、でもジンくんのソロ曲を歌えるようになりたいから練習しとくね。

では最後にインフォメーションです。みなさんどうぞ #占う男 をご贔屓に。
#占う男 の活動がまとめてあるサイト
#占う男 ことニシーさんのTwitter
占いの料金とか詳細(明朗会計です)

甘酒いっこしかなかった

2022年9月2日 (金) 21:50

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なんとなく入りにくい店、というものがある。どんなに事前にネットで調べ、インスタで商品を見ていても、間口が狭すぎたり、中の様子が一切見えなかったり、薄暗かったり、どう見ても人がいなかったりする店。値段が全くわからない寿司屋も入りにくいし、ギャラリーみたいな骨董品屋も入りにくい。

フランスに旅行したとき、どんな店でも、どんな人でも、入るとき「ボンジュール」と挨拶をする文化があると知り、好きだな、と思った。コインランドリーに入ってくる寝ぐせ頭のお兄さんも、ハイブランドのジュエリーショップみたいな高級ショコラティエの店員さんも、みな同じように挨拶をするのだ。「こんにちは」も「いらっしゃい」も「邪魔するぜ」も「ちょっと見せてね」も「ボンジュール」に内包しているんだと思う。便利だ。

フランス旅行以来、なんとなく入りにくいな~と思う店に入るとき、日本でも「こんにちは~」と言うようにしている。店なのか倉庫なのか分からないような店に入るとき、看板は出ているのに重い木の扉がある店に入るとき、とにかく先に入り口で挨拶しておく。無視されることも時々あるけど、大抵は返事があるし、何か作業をしていても顔を上げてくれたりする。特にほしいものがなくて何も買わずに店を出る場合も、先に挨拶している分、少し気が楽だ。

先日、母がテレビか何かで知ったという味噌屋さんへ行ったら、店なのか蔵なのか分からない店構えをしていて、どうにも入りにくかった。人の気配もない。とは言え味噌のいいにおいがしているし、地図で見る限り場所は間違ってはいないようだ。奥に向かって「こんにちは~!」と挨拶してみると、背中の方から返事があった。振り返ると、通りを挟んだ反対側のおうちが、味噌屋さんの家だったらしい。想像より遥かに若い味噌屋さんは「ごめんなさいね分かりにくくて、改装で工事中なんです」と言いながら、私たちを6つの樽が並んだ味噌蔵に案内し、仕込みが終わったばかりでこれから発酵するという樽の中も見せてくれた。

味噌を仕込むのに使う樽は、元は日本酒を作っていた樽なのだそうだ。酒は水分量が多いので、木製の樽はそう長くは使えない。酒蔵で使えなくなった樽はつぎに醤油屋さんに渡り、さらに古くなったものを最後に味噌屋さんが使うらしい。トータル150年ぐらい。最近では木樽で仕込む酒蔵がかなり減っており、その流れで味噌屋さんに回ってくる木樽も減っているらしい。とは言え、酒と醤油を作った後の木樽で仕込む味噌と、新品の木樽で仕込む味噌とでは、全く味が別ものだそうだ。そらそうでしょうね、こればっかりは。困りましたね。

樽は上部と下部を数か所、竹の箍(たが)で締めてあるのだが、胴のあたりは締めておらず、側板が広めに見えている。側板は木なので水分を含むと徐々に膨張し、その胴のあたりが割れ、味噌が漏れ出てくるらしいのだ。じゃあ胴のあたりも箍を締めとけばいいんじゃないの、と思いきや、なんとそこは「ここは締めずに空けておいたほうが格好いい」という理由で空けているらしいのだ。そ、そんな理由??と笑ったが、すごく日本人らしい気もする。この粋か野暮かでものごとを決定する感じ、落語を聞いているとよく出て来る。7対3の割合いで側板が見えるのがかっこいいらしい。うーん、なるほど、でも分かる気がする。

樽おもしろいな、と思って少し調べたら、側板の横の面(となりの側板との接地面)のことを「正直(しょうじき)」と呼ぶらしい。この正直面を角度を付けて削ることで、つないだ時に円形にすることが出来るのだそうだ。また、正直面は組んだ後は見えなくなるため、落書きをすることが多いらしい。100年前の樽や桶を解体すると、当時の時事ネタやお米の価格(物価)、さらには施主の悪口などが書かれていることもあるらしい。えーおもしろいね。

買ってきた味噌はすごくおいしかった、と書きたいが、母が1kg全部持って帰ったので、私はまだ食べていない。

ベッカライ

2022年8月30日 (火) 21:34

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8月はいろんなことがありすぎて、もはや日記みたいなものすら書けない、という状態になっている。何があったか、トピックだけでも記録してみようか。

・ようやくベッドを買い替えた(快適)
・布団を捨てた(大型ごみ300円)
・改装後はじめて市立博物館に行った
・10か月ぶりのタリョラが放送された(号泣)
・久しぶりに新幹線に乗った
・じゃがいも味のお湯を作成してしまった
・弊推しに「息子にしたい感じのかわいさ」という褒めをいただいてうれしかった
・おいしいパン屋さんを見つけた(ライ麦のパン好き)
・友だちの友だちは友だち、みたいな概念を身をもって実感した
・劇団四季「アナと雪の女王」を観劇した
・カーテンコールの間ずっと拍手を送る6歳男子を見てちょっと泣いた
・答え合わせのような占いを受けた #占う男
・崎陽軒のシウマイ弁当を食べた(久しぶりに食べるとすごくおいしい)
・立川談春さんの独演会に行った
・味噌蔵を見せてもらった
・アンティークショップで見つけた伊万里焼の蕎麦猪口を買った(高かったが気に入った)
・2年半ぶりに友人がノルウェーから帰国してうれしかった
・10数年ぶりに会う友人が家に遊びに来てくれてうれしかった
・ズッキーニのナムルとポッサムをマスターした
・ポッサムは400gに塩小さじ1.5、90度で60分がベスト
・手巻きキンパに味を占めた、楽しいしおいしい

私は20代後半ぐらいから、ようやく、大勢のよく知らない人に会っても平気な人間になってきた気がする。よく知らない人にですら「誤解されたくない」と苦しかった20年間は、終わったのだと思う。長かったなぁ。自然に終わったのか、自発的に終わらせたのかは分からんが。今は「誤解されようが、好かれようが嫌われようが、わりとどうでもいい」という感情が強い。どうでもいいし、どっちでもいいし、どうにもできない。他人の感情など、私にコントロールできるわけがないのだから、そんなことを気に病んだってどうしようもないのだ。大体、自分の感情すらコントロールなんかできないくせに、傲慢だよ。が、若さはいつも傲慢を携えているようにも思う。ので許す。

引き続き「ちゃんと話をするときはサシでやりましょうね」と全人類に対して思っているが、ただみんなで一緒に美味しいものを食べて、にぎやかに過ごす、ということが出来るようになったし、楽しめるようになった。よかったな。長く生きると、出来ることが増えるの、とっても良いですね。

「ちゃんと話をするときはサシでやりましょうね」の感じ、書きながらすごい私っぽいな、と思ったけど、ニシーさんが「こういう星の配置の人は、やっぱりチャラい感じでセックス出来ないですよ、“まぁやってもいいけど、やるならガチでやろうな?”みたいな感じになりがち」と言っていたのを思い出した。うーん、確かに「やらない」か「やるならガチ」しか手札を持ってないかもしれない。「試しにやってみる」とか「気が向いたからやる」とかあんまり無いな、持ってない。でもそういう二極な感じがバランス悪くてあまり好きじゃないから抗ってもいる。
いや、べつにセックスに限った話じゃなく。

中華料理はいけるかい

2022年8月8日 (月) 21:41

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先日、家族一同で中華料理を食べに行った。中華料理には思い出がある。祖父が好きだったからだ。

おいしいものを食べ、おしゃべりをして酒を飲むのが好きだった祖父には、いくつか行きつけの店があった。バス道の通り沿いにある中華料理屋はそのうちのひとつだ。
私たち家族がその店に行く日はたいてい土曜か日曜の夜で、誰かの誕生日でも、記念日でも、お祝いでもない日、ただ祖父の「中華料理食べにいこか」という電話によって決まった。店はいつでも混雑していた。店の前のベンチに並んで座り、お腹をすかせて「7名様でお待ちのタナカ様ぁ~」と家族の名前が呼ばれるのを待った。
回転テーブルが乗っかった円卓の席に通され、私たち姉弟は好きなものを何でも食べてよかった。みんなが好きだったメニューはミンチのレタス包み(ひと玉ぶんあるんじゃないかと思うぐらいのレタスの量)、春巻き(皮がたまごのやつ)、五目やきそば(半熟の目玉焼きがのってる)。
最後の一個になった唐揚げを取り合う私たちに、祖父は瓶ビールを飲みながら、いつも「もうひとつ頼んだらええ」と言ってくれた。
祖父との思い出はほとんどが食べものと紐づいている。私が食いしんぼうだからだ、と思っていたが、祖父がみんなでおいしいものを食べるのが好きな人だったからかもしれない。

と、いうような思い出を聞いた義妹(弟の妻)は、その話を長らく覚えてくれていた。そして、自分の子供たちにもそんな思い出があるといい、祖父や祖母、家族みんなと中華料理を食べる思い出、回転テーブルをぐるぐるさせて、好きなものを何でも食べていいよ、と言われる思い出が、あるといい、と考えたらしい。
発案があれば話は早い。確かにそれは良い案だな、ということで家族一同、揃って中華料理を食べに行った。

甥たちは4歳と2歳だが、ちゃんと椅子に座り、お店が出してくれたプラスチックのフォークとスプーンを使って食事をしたので私は感動した。甥たちと外食したことがなかったからだ。食後もふたりはご機嫌に歌を披露したり、恐竜のおもちゃを回転テーブルに載せたりして、みんなが食べ終わるまで上手に遊んでいた。えらかったね。
こういう場にあまり顔を出さない叔母が来てくれたのも嬉しかった。何を話すわけでもないけど、1年に1回くらいは、一緒にごはんを食べたい。叔母が注いでくれたビールの泡は細かくあまりにきれいな層になったので、弟が大喜びしていた。

しかし、中華料理ほど大勢で食べるのに適した料理はないんじゃないだろうか。
「えっもう水餃子ないの、私食べてないけど」「麺類いこっか、焼きそば?汁そば?」「もう一個頼みなさいよ」「チャーハン食べる人~?」「お皿もらって」「小籠包入れてあげて」「あれ食べたい海老とたまごのあんかけの、ごはんのあれ」「どっち食べる?どっちも?」などと騒ぎ、円卓から取り分けて食べるのは楽しいし、お酒にもごはんにも合うから子どもも大人も満足する。今後もこうやって、みんなで円卓を囲む機会があるといいと思った。祖父の弔いにもなるかな、と思ったけどそれは傲慢だ、と考えたところで、祖父の大きく口を開けて笑う顔が浮かぶ。へへへ。

Hurry to airport

2022年8月1日 (月) 20:47

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場が既にある状態で、自分が臨む姿勢とか、マインドとかにズレがないかどうかを知りたいとき、検索してもどうにもなんないな、ということを急に知った。いや、感覚的には知っていたけど、言語化出来ていなかったと思う。あ、まぁこれも全くもって「言語化」とは言い難いが。
こういうときに欲しいのは情報ではなく対話だからだ。「ホニャララする人は12人くらい居ます」みたいなのだけ知ってもどうもなんない、要るのは数値じゃないからだ。数値はある程度見ておく必要があるが、どこかの一線を越えると(もしくは達せない場合にも)嘘をつき始める。ような気がする。いや、ぜったいにそう。

何かを突然知った(ような気になった)とき、それを文章にして残しておかないとソワソワするのはなぜなんだろうか。数年後か数十年後か知らんが、私がこれを見た時に「あぁあの感じね」と取り出せるかどうかは確信がないが、それでも期待と希望を込めてこれを打っている。諸般の事情により時間がなく、大慌てでこれを打っている。

ほぼ感覚で生きているが、取り出す人が私自身の場合は、今掴んでいる感覚さえ残しておけば、この先いつの私でも、取り出せると思いたい。思いたいが、そう簡単じゃないことは知っている。それでもなお、の意。

迷ったら赤を着なさい

2022年7月27日 (水) 20:49

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ギリ着られる…いや嘘、たぶん無理そう、でもかわいいもん、などとブツブツ言いながら買ったワンピースが2日で届き、案の定ギリ着られなかった。なんで買うんだよ。
返品するのが面倒だ。いや、あと2~3キロ痩せたら着られるかも。もしかしたら。
こうやってクローゼットに着ない服が溜まっていく。1着買ったら1着手放すことにしているので、3~4年前に買った赤いワンピースを捨てた。これもあんま着なかったな。私細かい柄物の服、全然似合わないんだよな。なんで買うんだよ。でも無地ばっか着るのもなんか……飽きるんだもん。

着たい服と似合う服は違う。着られる服と着たい服は違う。服たのしい。服めんどくさい。服ほしい。服もう要らない。人の服選ぶのは好き。買い物たのしい。買い物疲れる。

戸も壁もないクローゼットスペースを寝室の壁にくっつけたのは予算の都合上だったけど、今となってはこれで良かったと思う。自分の目がすべてに行き届くからだ。衣替えをしていないことに必ず気づく。所有量が目に見える。長いこと着ていない服が、印をつけたように分かる。あれ最後に着たのいつだ、少なくとも今年は一度も着ていない。

夏って何着ればいいの、と言っている間に今年も夏が終わるに違いない。夏って何着ればいいの。夏も嫌いだし、そういえば私はサンダルも嫌いだった。

COOKING for GEEKS

2022年7月22日 (金) 20:59

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もう2022年なのに、未だに年に1度か2度「お知らせテキストが流れるようにしてほしい」「アイコンを点滅させてほしい」「アクセスカウンターを付けてほしい」などの化石のようなご要望がある。すべて「なんで……?」としか言いようがないし単純にダサいのでやりたくないが、どうしても回避できない場合がある。仕方ないので鼻で笑いながら対応する。こういうときに鼻で笑いながらも対応できない性格だったらキツかっただろうな。
つーか全部30年前ぐらいの流行りなんじゃないの……?さすがに30年は経ってないか、20年くらい??Webデザインで20年なんか十分に化石よ。
そういえば「アクアボタン」は全然言われないな、あんなに流行ったのにね。あれなんであんな流行ったんだろう。誰が使ってたの?Appleかな。Appleぽいな。

流行りを追うと古くさく見えるまでの期限が短くなるし、かと言ってWebデザインに「クラシック」みたいな概念はないし、難しいところだな。せいぜい「ベーシック」ぐらいか。あとWebデザインはあんまり、7年で一周する、みたいなのないね。2015年のデザイントレンドを見てみたら引き続きフラットデザインが流行り続けてたし、背景全画面に写真を仕込むとか、パララックスエフェクトが出始めてるとか、まぁ今もやる人はやってる感じで、一周したって感じではないな……フラットデザインなんて、今もう言うまでもなくそうしてるもんなぁ。

料理を「科学」の文脈だけで書いた本読みたい、そういうのある?とTwitterに書いていたら固定ちゃんがわざわざ調べて教えてくれた。なんで調べてくれたんだろう、わからんけど、やさしいね。
料理の「愛情」とか「健康」の話、もともとあんまり興味なかったけど、最近日増しに興味なくなってきて、今は「科学」の話が一番おもしろい。発酵と腐敗の境目の話とか、乳化とか浸透圧とか、メイラード反応とか、そういう話ばっかり書いてある料理の本が読みたい。レシピとかは要らんし「料理上達したい」みたいな気持ちともちょっと軸がズレる。なんというか、極めて冷静かつ無感情にメシの話がしたい、みたいな感じ。
つーか「COOKING for GEEKS」は有名よね、でも私はそこまでじゃないな、ギークじゃないしさ、そもそも全然理系じゃないし…と思っていたら「30度、40〜50度、60度、61度、68度、70度、154度、180度とキーとなる温度帯について、1つの温度帯あたり10ページ以上使って、細かく解説してくれている」本らしく、俄然興味が湧いてきている。温度帯の話、めちゃくちゃ興味あります。

SS

2022年7月13日 (水) 21:18

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「赤の他人」の「赤」って何なんだろう、とベランダでぼんやりする。なんの色?いや、すぐ調べればいいのに。今スマホ持ってるでしょう。でも色の話じゃないような気がする。いやだから、調べなよ。
ベランダで過ごす夜はまだ日によっては涼しいが、時間の問題だろうな、と思う。夏が来ている。というかもう始まっている。夏、嫌いなんだよな、暑くて。暑い以外言うことなくなってくる感じ、頭悪くて、やなんだよな。馬鹿みたいで。しかし「むしろその感じが良いじゃないか」というご意見の方もいるらしい。ほほーん、なるほど。でも同意はできない。


画像が背景に指定されているかどうかも分からない奴が、技術者なわけないだろうが。2クリックでそこへたどり着けるし、あとは読めば分かる。分からないのは技術者じゃないからだ。こいつ、どういう履歴書書いて、面接でなんて言ったの?そんでなんの職種で採用されたの?
出来ないのを取り繕っていることがありありと伝わる文面に「取り繕うって取り繕えてないときに使う言葉だな」と思いながら、「知らんがな、自分で調べろや」と返信しておいた。敬語で。


プラスチックのストローを作っていた会社は、大丈夫なんだろうか。大丈夫っていうか、最近ほとんどプラスチック素材のストローを見ていないから、その、やっていけてるんか。大きなお世話でしょうけど。その工場で、紙のストローも作れるの?そういうもの?全然違う技術なんじゃないの?大丈夫なんだろうか。
私?私はもともと、ストローをあまり使わない。


歌詞に合わせてチャンネルを左右に振るの、安直な手口(手口?)だな、と思ったが、MVを見ながら聞くと新鮮に、いや、すごく純粋な手法に感じる。ピュアだなぁ、ピュアってかわいいよね。私はピュアだったことが人生で5年くらいしかない気がする。ピュアってもう取りに戻れないアイテムだと思う。「アイテム」って言うてるところがもう全然ピュアじゃないし。


推しとおそろいのパジャマを注文してから約半年が経ち、ようやく届いたので、暑いのに長袖のしっかりした生地のパジャマで寝ている。暑い。しかもサイズがデカい、ミスった。レディースサイズなんだろうと思ってたけど違ったみたいです。でも交換返品とかは出来んねん、とっくに完売してるし。この時期の長袖パジャマ、普通に暑いな、暑いけど、でもせっかく届いたから着たい。毎日「変な柄やな」と思いながら着ている。変な柄。なにこれ。うはは!(褒めています)
朝、自分が脱いだパジャマを見て「ジ、ジンくんが…家におる…!」と思う(おらん、落ち着け、おらんて)。14,000円でこんだけ楽しめるならよかったよ。縫製もしっかりしている。実質無料です。


家でほとんどコーヒーを飲まなくなった。豆を買いに行って、ミルで挽いて、ペーパードリップして、とやっていたのに。理由はよく分からないし、人が淹れてくれたコーヒーや、もらったコーヒーはすごくおいしい。ただ「コーヒー飲みたいな」と思わないのだ。変なの。
そんななのに、道を歩いていて、あぁいいにおい、と思うのはたいていコーヒーのにおい。ねぇ、お店の人が夕方ごろ焙煎してるのって、帰り道で「あぁいいにおい、豆買って帰ろかな」と思わせるため?別に関係ない?


どんなに久しぶりでも、近くに行くけど会える?と友人が連絡をくれるのはうれしい。それが電車で1時間ちょっとの距離でも、ヘルシンキで乗り換えて22時間の距離でも、私が会いたいなぁ~元気にしてるかな~と思うのと、一緒なんだろう。健康で、幸せでいてください。


私は漫才を生で見たことがない、と思い立ち、なんばグランド花月へ行ってきた。コンサートも、ミュージカルも、演劇も、落語も、舞台でやってるものは基本的に舞台で見るべきだな、と思った。行ったことないけど、たぶん歌舞伎も能も、同じなんだろう。舞台にサンパチマイクがスッと立ってるの、かっこよかったなぁ。
金属バットが好きなんですけど、出てきて名乗ってネタ入るまでのちょっとの時間(あの時間のことなんていうの?落語やとあそこは枕ですけど、呼びかた一緒??)に「何おもろいこと言うねやろ」という目で見つめながら、みんなでニヤニヤへらへらするの、楽しかった。あと友保さんの「ちがうで」の言い方が好き。

A job that slowly kills you

2022年7月5日 (火) 21:54

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土砂降りの雨の中でレディオヘッドを聞いていたら順調に絶望してきて最高だ。私も一酸化炭素と握手して、静かな人生を送ろうっと。なぜ明確で明瞭な絶望はいつも希望の色をしているのか、とよく考えるけど、でもこれはきっと私が恵まれた、幸せな人間だからだろうな。絶望は絶望の色しかしていない、という局面に居合わせたことがないからだと思う。「探せばけっこう希望はあるよ」と歌いながら生きてきたからな。探せばけっこう希望はあるし、この世のあらゆる邪悪なものを取り除いたら、そこには希望が残っていたと言うじゃないですか。よう知らんけどギリシャ神話。
つーか雨の日にトム・ヨークの絶望をなぞりにいってる時点で私は能天気ハッピー楽観主義野郎。

ようやくベッドを買い替える算段を付けた、ようやくです。従姉妹が無印良品で働いているので、何もかもを無印良品で揃えることにした。散々騒いだあげく結局は無印良品に収まる感じ、ウケる。ウケるし、何より「無印良品とは何か」を分かりやすく体現しているような気持ちになる。やぶさかではないです!
そういえば昔、フライヤーかなんか作ってるときクライアントのおじさんに「もっとシンプルに出来ないかなぁ~何もしないでいいの、デザインとか要らなくて、無印良品みたいにやってほしいんだよね」と言われて殴り掛かりそうになったことがある。人を殴ったことがないのでやり方が分からないし、私はあまり衝動的な人間ではないので「はぁ、そうですか」とかなんとか言って持っていたノートに「無印良品」とメモし、事なきを得たけど「いま普通に手ぇ出そうやったな、人殴るときってこういう感じなんやな」と思った。まぁ今思えば「そない怒らんでもええやん」ぐらいのことですが。
おじさん、デザインは要るとか要らないとかじゃないんですよ、常に在るものなんです、デザインが無いものなんて、世にひとつもありません、デザイナーの名前が出るものと出ないものはあります、調べても分からない場合もありますが、それでもデザインは常に在ります。そのことが分からないのなら黙っていた方がいいし、あまつさえ無印良品を引き合いに出すなんて、あまりにも愚かです。とはいえ、おじさんに「無印良品はデザインしていない」と思わせられていること自体が、無印良品はすごいですね。

友人の誕生日プレゼントにクッキー缶を作るのはどうだろう、と思い立ち、あまりにも名案じゃない!?と大盛り上がりした(ひとりで)が、そもそも私はクッキーをほとんど焼いたことがないし、あと普通に全然時間がない。まぁ当日に届かなくても良いとは思うけど、4種類くらいは入れたいな、どうしようか…と本屋さんへ行き、焼菓子のレシピ本を見ていた。段取りうまくすればやれそうな気もするし、週末の予定をカレンダーで見ていると「そんな時間どこにあんねん」という気もする。あとは勢いだけが要るな……
うまくいったら作ったのを贈って、ぜんぜんダメだったら良いクッキー缶を買って送ろうかな。

言ってね、直すから

2022年7月4日 (月) 21:48

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夏にパーティー(概念)をやることになったので、みんなに渡すソンムル(プレゼント)を作ろうと思って休日にチマチマ進めている。渡す、というより押し付ける、が近いが。合間に友人に使ってもらうバナー(っぽいもの)を作ったりもしている。サイトに載せるわけじゃない、単体で使うバナー作るの久しぶりすぎて、勘が鈍っている感じがする。こんな下手やったっけ、いやもうちょいやれたはず、なんか素人っぽいな、こんなはずでは。開けていない引き出しは開けるのに苦労するし、開けていなさすぎてそこに引き出しがあることも忘れている。たまに使わないと、でも仕事でこの引き出し使うことほぼないよ。なんかちがう、これじゃない、これもイマイチ、あぁかわいくない、と延々やってたらトータル20時間ぐらいかかった。自己満足は時間を食う。

平日はパソコンを触らない日などないので(そういう職種なので)休みの日は出来ればパソコンを触らないでいたいが、こうやって「何か作りたい欲」が出てくると抗えない。結果、時間の感覚がなくなり、あれ?ちょっと低血糖っぽいぞ、ヤバいかも、と気づくまで、ごはんも食べないで机に向かってしまう。慌てて豚肉といんげんを炒め、醤油とレモンをジュワっとやったのを食べた。お、おいしい。ごはんおいしい。

しかし、ソンムル(プレゼント)を作ったら今度はランダムトレカを封入したくなってきたな……トレカ、集めたい気持ちは全然ないけど、作るのは絶対超絶楽しい間違いない。ああいうのどうやって作るんやろ、ちょっと光沢があるほうがそれっぽくていいんちゃうか、あ、ラミネートして切ればいいんか?キンコーズにラミネーターあった気がする。あと角丸パンチで四角を丸めたら結構それっぽくなりそうやな、あぁめっちゃ楽しい……

夜はマーライオンくんのお兄さんである深田隆之さんが監督した映画「ある惑星の散文」を観に十三へ。ねぇ十三って兵庫県なの?大阪府なの?駅から映画館に着くまでの5分くらいの短い間に、道端に寝転がっている人を4人見て、さすがに笑ってしまった。十三なんやねん。
マーくんのお兄さんが映像関係の仕事をしていること(マー曲のMVも監督されている)や、本作が海外の映画祭で上映されたことは聞いていたし、日本で公開されたらぜひ観たいと思っていた。映画は神奈川県横浜市の本牧というエリアで全編撮影されたものらしく、場所や土地が連れてくる物語ってあるよなぁ、と思った。まちが、よそよそしくない。植田陽貴さんが、自身の作品に使う油絵具について「道具に描かされてる、って思う時ある」と言っていたことを、ぼんやり思い出した。
映画はまちを写すシーン、朗読のシーン、ストーリーがあるドラマシーンが交差する構造になっており、主要な登場人物は4人、うち2人は「あぁこれはもう、だめだな、かなしいね、でももうたぶんだめだよ、自分で気づいてるでしょうけど」という関係性、うち2人は「まだ間に合うよ、対話と理解と譲歩でまだやっていけるよ」という関係性、うち2人は「必ず出会う、出会うし、なにかやることがあるはず、ふたりで」という確信めいた関係性だった、くっついたり離れたり、文字通り惑星のようだ。ロマンチックでもあるが、自分の感情や意思の及ばない領域があることが、怖ろしくもある。
音も良かった。音楽はあるがメロディーらしいメロディーはなく、注意深く配置されてるんだろうな、と感じた。バイクが走り去る音、水道の蛇口を閉める音、子どもが遊ぶ声、団地のドアのきしむ音(金属のドアって音良いよね)。椅子を取り払って人がいなくなると映画館はあんな音がするのか、木の音がする、思ったより「舞台」っぽい造りになっているのかもしれない。
上映後は監督と出演者の方の舞台挨拶も観ることができてうれしかった。舞台挨拶とかお芝居のアフタートークとか、おもしろいよね。

帰り道、めちゃくちゃつけ麺が食べたくなるが、知っているつけ麺屋が全然ないし、探すのも面倒になったのでセブンイレブンに寄り、小さいどん兵衛とおにぎりを買った。小さいどん兵衛にはお花の形のかまぼこが入っていてかわいい。

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