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蕎麦には/ねぎ/そしてわさび

2021年12月14日 (火) 22:02

音楽のはなし

アナログフィッシュの新しいアルバム、その名も「SNS」が発売された。今そのタイトルなの、今2021年なんだが、今なのか、今なんだね、なるほどわかった。
CDの帯には「たとえば ストレス/ない/生活」とある。ほほぅなるほど。わかった。

アルバムは聴く前から知っていたが、めちゃくちゃ良い。超良い。何周聴いてもずっと良い。
なぜ「聴く前から知っていた」かと言うと、私は前回のアルバムが出た後も可能な限りライブへ足を運び、配信ライブを観て、ファンクラブ会員限定の生配信コンテンツなどを観て、その中で披露されてきたいくつかの新曲を、聴いてきたからだ。彼らの曲は聴くたびにアレンジや歌詞が変わるし、これまでの経験上「そのままレコーディングされることはない」と知っているので、ライブで新曲を演奏されるとやや緊張する。まばたきするのも惜しいくらいだ、ぜったいちゃんと聴きたい。

心斎橋のジャニスで聴いた「うつくしいほし」、同じ日に「U.S.O」を聴いたと思う。佐々木健太郎・下岡晃、両者ともの新曲があまりにかっこいいのでうれしくてお祝いしたくなり、私は帰り道にお寿司屋へ行き、緑茶ハイでひとり乾杯した。しまあじがおいしかった。

「Yakisoba」を聴いたのは配信ライブだ。私は開始直前まで昼寝をしていて、目が覚めたらお腹がすいていて、だから焼きそばを作って食べて、そのあとだった。「うちに帰ったら焼きそばを食べよう 3食入りの食べ慣れたやつを」という歌い出しだったから、びっくりした。私が食べ慣れてる3食入りの焼きそばはマルちゃんのやつなんだが、下岡晃も同じだろうか。
私はこういうミニマルでシンプルな、やさしくて少しさみしい曲が好きだ。私が思う「孤独」の形と似ている気がする。なんでこんな曲が書けるんだろう、私が作った曲ってことにならないかな。だめですか。そこをなんとか。

「Is It Too Late?」を初めて聴いたのはいつだっただろうか。ライブでは4~5回ほど聴いたと思う。徐々に確立されていく彼らのコーラスと、その過程を聴けることは、ファンとしてほんとうに幸せなことだ。

7曲目に収録されている下岡晃の曲「さわらないでいい」をCDで再生し、初めて聴いたとき、臓器が全部一旦止まったような感覚がした。なんだこの曲は。すごい。かんべんしてくれ。え、これどっかのライブでやったのかな?一回聴いたことあるような気もしてきた。いや気のせいかもしれん。
まず、私はこれが何の曲なのかわからない。わからないのが良い。あなたが歌う「毒がある」という「その棘」は、何のことだ、でも私は「さわらなくていい」と言われている。なぜ「毒がある」と知っているの。触ったのか。触った人を見たのか。何の歌だ。全然わからない、でもわからなくて良い。歌詞なんかわからなくて良い。
やさしくされてる、と思う。最近の下岡晃の曲、すごい「まもられてるな」と感じる。理由はわからない。でも「無理にはなさなくていい この沈黙はいやじゃないから 今はしゃべらなくていい」って、すごく、やさしくされていませんか。そんなの人に言われたことないし、人に言ったこともないわ、そうだよ、言ったことない。私は「無理に話さなくて良い、この沈黙は嫌じゃない」と、人に言ったことがありません。思ったことはあるけど、でも言ってみてもいいのかもしれない。なんつー曲だ、うおお、すごい、かんべんしてくれ。

「うつくしいほし」はライブで聴くとかなり切迫感がある。積み重ねるようなリズムのAメロから「とおくからみればうつくしい」と繰り返すサビ。喉元にナイフを突きつけているような切実さ。下岡晃のこういう曲を聴くとき、私はちゃんと聞こえているのに耳が遠くなったような、シーンとした気持ちになる。手も足も全く動かなくなるし、髪の生え際がざわざわ、後頭部のあたりがびりびりする。なんて、かっこいい、きょくだ。
レコーディングされた「うつくしいほし」は、ライブで聴いたよりもずっと、やさしい・やわらかい印象を受けた。でも、どっちも好きだな。
あの喉元ナイフバージョンはまた、ライブでは聴けるんだろうか(※そんなバージョンはない)。

健ちゃんはここ数年の間ずっと、熟成がすすむ赤ワインのようだ。とろりとロマンチックで、ビターに熟している。光に透かすとキラキラする声。私はワインに全く詳しくないのでこの比喩は危険かもしれない。が、文章はこのまま進む。

健ちゃんは太陽の人だ。ご本人と面識はないしまともに話したことなど一度もなく、私はただ17年くらいステージの下から彼を見上げているだけのファンだから、あくまで印象論でしかないが、健ちゃんは太陽の人だ。いつも大きい口を開けて少し斜め上を見ながら「希望はある」と歌い、赤いスニーカーを履いて外へ連れ出してくれる。素直で、天真爛漫で、でもシャイで、ストンと健やかな人だ。ま、めちゃくちゃ酒飲みらしいと聞いたこともあるけど。
ベースもギターもキーボードも持たず、ただその声だけでエンターテイメントを成立させられる才能があり、にも拘らず、そのことを自覚していないようにも見える。まぶしい。

健ちゃんはロマンチックだ。現代において、ロマンチックは最も難しいスタンスかもしれない。
ボケよりツッコミがウケる時代になった。もう10年ぐらいずっとそんな感じだ。SNSユーザーはあらゆるものごとに下手なツッコミを入れたがり、その速度を競い合っている(ように見える)。Twitterはまるで“うまいこと言うた奴選手権会場”のようだと思う。世はリアリストで溢れ、軽い気持ちで放り投げたボケにはマジレスとクソリプが来る。マジレスとクソリプって本来別のものなのに、もはや同じ意味に聞こえる。
そんな中で、ただ堂々とロマンチックであること、聴く人をロマンチックにさせられることは大変難しい。今ロマンチックをやるには強度が要る。ちょっとやそっとのロマンチックなんかでは何にも勝てない。誰も酔わない。リアリストの口を塞ぎ、聴く人の目をやさしく塞ぐロマンチックには、強度と深度が要る。健ちゃんはそれができる。

9曲目に収録されている健ちゃんの曲「Can I Talk To You」は間違いなくロマンチックだ。テレもせずど真ん中に、これ以上重くはできないであろうロマンチックを、ズドンと置いていく。このアルバム、最後の曲がこれなの?超かっこいいな。つーか健ちゃんの最近の曲に出てくる女の人って結構バチバチに怒ってて、それも良いな。

前作「Still Life」からもう3年か…あの時も「極まってんなぁ~」と思ったのに、まだ先が、まだ奥が、あるようだ。そうですかそうですか。わかりました。どこまででも一緒に行くよ。

낚아주세요

2021年12月5日 (日) 22:44

uncategorized

私の人生に「推し」ができて半年、12月4日はジンくんの誕生日だった。以前からかわいいかわいいと思っていたが、彼は本当にかわいくて、でもここ1週間くらいは振り幅と高低差で目眩、嘔吐するぐらいかっこいい。完敗だしマジ完全降伏、私はずっとジンくんの事を考えながらお祝いのおやつを作り、公式からの安定供給に乾杯して、実に良い休日を過ごした。
ジンくんはいまロサンゼルスに居るのだが、現地時間はもう深夜2時を過ぎていて、さすがに今日はもうないよな寝てるよな、と思っていたらセンイル(誕生日)vlive(生配信)をやってくれて、準備してあった新曲を聞かせてくれて、ファンがこんなに恵まれていていいのか…?あなたのお誕生日なのに…?とむしろ不安になった。「幸せすぎて怖いの」というのはこの感情のことですか?あと、その曲はまじで最高ですよ、尺が大変に良いし、ビートも90年代っぽくて気が利いてるし、歌詞もかわいい、作為と無作為の間にある線の上にちょうど乗っているようなボーカリゼーションも最高です。いい仕事したなぁ〜推し〜!テレてる君もかわいいよ〜!!!

「そう決めたから、そう成る」という人が好きだ。BTSで言うとJINのことだし、ゲームオブスローンズで言うとブライエニーのことだ。
向いているとか、才能があるとか、チャンスがあるとか、求められているとか、理屈がどうとか、そういう雑多なアレコレをぜんぶ吹っ飛ばした先に「そうあることを決めて、ここにいます」と立っている。美しいな、と思う。気高いな、と思う。でも過程は、実はそんなに理性的でないのだろうな。もっと野生的で感性的なことじゃないかと思うし、もしくは天啓のようにも感じる。
いいなぁ、好きだなぁ。

会ったこともなく、私の存在なんか知らない、今後も知ることのない人の誕生を祝い、健康と幸せをこんなにも強く祈る日が来るとはな〜。
あ、信仰ってこれか。これが信仰か。すげ、めっちゃ理解した。

不屈

2021年12月2日 (木) 21:41

uncategorized

「SNSをやっている人はみな、考えていることや感じていることのすべてを言語化し、口から発したり手で打ったりしているもの、オモテに出ているものがすべて」という前提で話を進めないでほしい。そんなわけないだろうが。少なくとも私は違う。
「メリットや意図がなければ人は嘘をついたり、思っていないことを言ったりしない」という前提で接されるのも困る。言葉はおもちゃでもあるだろうが。
「140字以内のツイートにも必ず文脈がある」と信じている人もいるが、あれも怖い。ツイッターに文脈も脈絡も要らんやろ。少なくとも私は要らん。

が、もうこっちが場違いなんだろうな。分かってるけど、なんかな、なんだろうな。こうやってゴチャゴチャ言ってるのも嫌だな。どうすればいいんだ。どこへ行けば。

面倒な案件が発生し、億劫で手を付けたくないのだが、そうは言っても納期は決まっているし、どうしようもない。誰かに押し付けて逃げたいが、そういう訳にもいかない。「そういう訳にもいかない」というか、単に私は「誰かに押し付けて逃げる」が出来ない。別に責任感でも正義感でもない、単純にやり方が分からない。

面倒な案件は、予想を超えて厄介な登場人物が次々と現れ、あなたたちは仕事をしているのか邪魔をしているのか分からないね、といった様相。技術に長けていたり、知識が豊富だったり、そういうことはもちろん重要ではあるがどちらかというと、分からないことを分からない・知らない・出来ない、とちゃんと言うことなんじゃないのか。金をもらっているんだから仕事をしてくれ。勉強なら家でやってくれ。もしくは然るべき教育機関へ行ってくれ。出来ないことに半日も時間をかけて「がんばったけどできなかった」と言われても知らん。私はボスじゃないので1時間程度で気づいて声をかけてあげたりはできないし、私はママじゃないのでできなかったけど半日もよくがんばったね、などと褒めたりできない。
ま、ざっくり言うと「どついたろか」という感じです。

推したちが2年ぶりのオフコン(有観客公演)でロスに居るのだが、毎日供給が多くてありがたい。ありがたいのはありがたい、いや、めっちゃありがたい、んだが、我が推しはアンコールのことをお遊戯会だと勘違いしているのか、初日は頭のてっぺんに大きいお花をつけて登場し「かわいい?」と愛嬌を振りまき、翌日は髪をふたつ結びにして赤いリボンをつけ「イカゲームだよ」などとのたまい、手をピコピコして愛嬌を振りまき、休日は休日で「遊園地に行ったよ」とオーバーオールを着てスーパーマンのマントを付けた写真をアップしている。
私は「かわいい」と「なにやっとんねん」を交互に100回ぐらい言う羽目になり、なぜか異様なほど疲れている。ありがたいし、かわいいし、なにやっとんねん。
いや嘘、うそうそ、君が今日ものびのびと楽しそうで、何よりだよ。感無量です。私はあなたが幸せでいてほしいし、それに「ARMYみんなが喜ぶだろう」と思ってやってんでしょ?分かったよ、分かった分かった。君はかわいいし、すごく良い仕事をしているし、宝物だよ。
年甲斐がどうとか精神状態が心配系のことはもう、言いたくなる気持ちも分からなくはないが考えてもキリがないので私は考えない。少なくともあなたが「みんなが喜ぶだろう」と思ってやってることだけは確かなのだから、私は「かわいい」と「なにやっとんねん」で笑うしかできないし、それで良いのだろうと思う。
もうしばらくこの疲労(疲労?)も続くんだろうな、一種のお祭りなんだから耐えよう。いや、耐えるってネガティブなシーンでしか使わないのか?ま、いいかどうでも。

厚み

2021年11月25日 (木) 21:43

uncategorized

愛しのキム・ナムジュンが「明日グラミーのノミネートだよ、一緒に見ようね」と言うので、私は祝日だというのに酒も飲まずに20時半ごろ布団に入り、深夜2時に起きるための目覚ましをかけた。ロスは朝の9時らしい。時差よ。

グラミー賞がどういう仕組みなのか、そもそも誰が選んだり決めたりしているのか、当事者がどれほど名誉に感じるものなのか、正直なところ私は何も知らないし分からないのだが、それでもあなたたちが「欲しい」と言うなら「じゃああげてよ」と思うし、「一緒に見ようね」と言われれば深夜2時にモソモソ起きてYoutubeのリアルタイム配信を見るよ。あなたたちが、好きだからです。

賞レースについて、何か思うことを書こうと思ったけど、けっこう難しいな。「どうでもいい」もわりと本音だし、でも自分の気持ちや感情とはまたどこか別の部分で「金賞がほしい、勝ちたい」を夏も冬もやり続けた6年間を私も持っているから、いや、まぁ規模が全く違うので比較にならないけど、でもだから、「欲しい」も分かる。もらったからどうってことでもないし、もらえなかったからどうってことでもないんだよな、そこはそんなに本質的ではなくて、でも「欲しい」の、分かるよ。

初めて見るグラミーのノミネート発表はなんだか機械的で、淡々としていて、思ったより事務作業っぽさがあった。祭典という感じではないし、かと言って厳かな感じもしない。これを毎年やってる?のね?
BTSが関係してなかったら見ることなかったなぁ。国連の総会とかもさ、今まで知らなかったこと、機会がなかったこと、見ようと思わなかったものを、この半年、たくさん見せてくれたね。ありがとうね。おかげさまで毎日楽しいです。

ふいに「まずは何かの賞を取って、売れて、有名になることが一番重要だ、売れればそれが正義になるんだから」と言う人に、さんざん反論した夜のことを、思い出した。私は「無冠だろうが、無名だろうが、自分がやりたいことだけを追求すべきだ、商業的成功なんか知ったこっちゃない、何かの賞?そんなものの威を借りようとする行為自体がダサい」というようなことをまくし立て、話はずっと平行線だった。

あの頃の私は、彼がそう遠くない将来、きっと何者かになれる人だと信じていて、もしかしたら彼以上に深くそれを信じていた。しかも、私だけじゃない、より大勢の人がそのことに気づくだろう、まもなく、と思っていたし、だから「何かの賞ってなんやねん、ダサいこと言うな、お前の好きなロートレックも無冠やん」と本気で思っていた。
「私が好いている」という事実は、あなたを満たすには足りなかっただろう。無理もないな、だって、あなただけでなく、私も何者でもなかったし、今もずっと、何者でもないままだからだ。
あなたは何者かになれましたか。何者にもなれなくても、毎日楽しく暮らしてるといいな、好きなものがあって、おいしいもの食べて、よく寝て、健康だといいな。

……いや嘘、ウソウソ、私は本当は、あなたの健康や幸せなんか、クソどうだっていいの、知ーらん知らん、わはは、だってもう済んだことだから。済んだ日々のことはもういいの。

翌朝起きたら、愛しのキム・ナムジュンがサカナクションの「忘れられないの」を再生している画面キャプチャをweverseにアップしており、萌えのあまり卒倒しそうになった。たまにこういうことをされると、距離感が掴めなくなる。
この萌えの主成分が何なのかは自分でも分からないが、どうにか言語化すると、お慕いしている「誠実さとやさしさとセンスと聡明さと胸板」のおナムが、一方で「サカナクションを聴いている27歳の男の子」でもあるのだ、という“ギャップ萌え”のようなものだと思う。うおぉ~!萌える!ぎゃー!
おナム、「エイリアンズ」をプレイリストに入れてたから、サカナクションにたどり着いててもなんら不思議ではないが、もしかしてスピッツも好きじゃないかな、90年代後期あたりのスピッツが好きそうだなと思う、どうですか。よかったら聴いてみてください。

なんだろうこの絶対に届かない私信。いや、いつものことか。

song of the year

2021年11月24日 (水) 22:35

uncategorized

鋼鉄の武器商人が「これをやるから持ってろ、時が来たらこれで戦え」と言って私に2つの武器をくれたので、ありがたく受け取り、なくさないようにポケットにしまい込んだ。ただ、武器そのものが強すぎるように思う。私が扱うには、武器が強すぎるのだ。一発使うだけで、腕とかが取れるかもしれない。腕が取れるのは怖ろしいので、使う日が来ないことを祈っている。

武器商人は「相手はゾンビだぞ、治そうとするな、何回でも来るし、何人でも来るぞ、人数も増える、治そうとするな、ためらいなく殺せ」とも言った。言っていることは本当によく分かるし、私も実感がある、でも“ためらいなく殺せ”たことは一度もないように思う。私は「物陰に隠れて息をひそめ、通りすぎるのを待つ」ぐらいが関の山で、ひと思いにグサリ、もしくはズドン、が出来ない。いつまでもズルズル、ぐるぐるしている。そしてそれは、結局誰も救わない。相手も救えない。私自身も徐々に疲弊し、「情緒が安定している」ことだけが取り柄なのに心を乱し、比例して部屋が荒れる。そうしていつも、誰も、何も、救えない。

でも“ひと思いにグサリ、もしくはズドン”の素質が、私にはある、あるはずだと思う。が、見て見ぬふりをして、そのスキルを得てこなかった。そろそろ思い切りのよさ、踏ん切りのよさ、見切りのよさ、などを得たい。それが必要だと感じるシーンも増えてきたしなぁ。来年の目標にしようと思います。今年はもうやらない、今年はもう、あといくつか残してあるものを片付けたり納めたりしていたら終わるはずだからだ。だってもうあと1ヶ月半もないんだよ。今年もあっという間だったねぇ。

さて、私の来年はどんな感じですか、の占いをニシーさんにやってほしいな、とここ1ヶ月ぐらい思い続けている。でも、もしかしたら年末は同じような考えの人がいっぱい居て、ニシーさんは忙しいのかもしれないな。どうなんだろう。とかをさっさと本人に連絡して聞けばいいのだが、差し迫って相談したいことや悩んでいることがあるわけではないので、どんどん先延ばしになっている。美容院に似ている。
私は美容院に電話して予約して約束の日時に行く、というだけのことがめちゃくちゃ億劫で、ショートカットなのに半年ぐらいほったらかしにしたり、ひどいときは自分で切ったりしているような妖怪ズボラ人間なのだ。行けばサッパリして気持ちいいし、10年以上切ってくれている美容師さんなので気も楽なんだが…
美容院については行ったときに次の予約を取る、という方法で解決できたけど、占いはそうはいかないね……ニシーさん半年後の予約とか取ってくれなさそう。よし、今月中には連絡をするぞ、よし。

GIRLS

2021年11月16日 (火) 22:27

uncategorized

「私、最近女の子無理になってきた」と電話(正確にはLINE通話)で言われ、大いにウケてしまった。ニュアンスは分かる、分かるけども、なんやろう、「女の子無理」って字面がおもろいな。せやし、あんたも私も女やんか、でも「女の子無理」やねんな?わかったわかった。わはは。

いや、ここで彼女が言う「女の子」とは、性別の話ではない。どちらかというと性格や性質の話だ。
「女の子」は同じ話を何度もする、その話は愚痴である。愚痴はあくまで愚痴であり、相談ではない。本人も「どうしたいか」が分かっていないようだし、もしかしたら「どうにもしたくない」可能性もある。ひとたび「じゃあこうしてみたら?」などと口にすると、すぐさま「でもさぁ~」「わかるけど~」の接続詞で遮り、また同じ話をする。その同じ話は愚痴である。

私だって、身に覚えがないとは言い切れない。思い通りになったことのない恋愛の話、辞める気はないけど文句だけは山盛りある会社の話、それらを持ち寄って膝を突き合わせ、延々同じ話をしていた。私も女の子だった。

今はどうだ。今の私がする恋愛の話は、経過報告と感情の整理と言語化の訓練のようで、聞いてくれる友人たちはみな一様に、それらを受け止めてくれる。「わかるよ」「がんばったね」「いいね」とだけ言い、私を否定することはない。なんなら、私自身を否定する私を咎めたりもする。あなたたちは本当に、いつだって私の味方なんだな、と思い、あぁ友だちってそういうものだったよな、と思う。

今の仕事に文句はない。いや、そりゃあゼロではないが、ただもう文句だけを言ってられるような立場ではないと感じている。文句があるなら改善をするし、改善するために何かやることがあるなら、それすらも私の仕事だと思う。そう出来ているとはまだ、思えないけど。

彼女は「私、最近女の子無理になってきた」と言った。「無理やねん、ずっとおんなじ、ぜんぜん楽しくない話ばっかして、幸せそうじゃないのに、みんな解決する気はないねん」と言った。「それ“女の子”って総称すんのあかんやろ、めちゃくちゃ偏見やん」と頭の片隅で考えながら、私は笑った。私も女の子だったし、彼女にもきっと、女の子だった時があったんだよな。

私たちが女の子じゃなくなるのは、いつのことなんだろう。年齢とは関係なさそうだ。「女の子だったことなんて一度もないよ」、という人もいるかもしれない。繰り返すが、ここで言う「女の子」は性別のことではない。

彼女の友人であるその「女の子」たちは、みな仕事や家庭や配偶者や恋人に対する不満があり、繰り返し口にする愚痴があり、ただしそれを解決する気はないのだそうだ。愚痴は聞く人がいてこそ成立するので、彼女はその相手として選ばれ続けているのだろう、とても不憫だが。

彼女を不憫に思うとともに、まだ「女の子」でいられる、いや、もしかしたら生涯ずっと「女の子」でいられるその人たちのことを、私は少し羨ましくも思う。だってあれはあれで、まぁ楽しいでしょう、そして、あれにずっと付き合ってくれる友人がいることは、とても幸福なことでしょう。

とはいえ、私は彼女の友人であって、その「女の子」たちのことは一切知らない。彼女が「私、最近女の子無理になってきた」と言い、ストレスだ、つらい、と言うのを見過ごせない。私は「もうそんな電話出んのやめとき、放っときよ」と言って、見ず知らずの「女の子」たちを捨て置いた。ごめんよ、女の子たち。

水辺

2021年11月2日 (火) 21:02

uncategorized

ワーッと書いて放ってあるやつをワーッとアップしたらまぁまぁの量になった。書きたいことがあるようなないような…たぶん「ないけど癖で」書いているんだろうと思う。バスが家に着くまでの間、注文したお昼ごはんが出来るまでの間、煮ているプデチゲが出来るまでの間、浴槽にお湯が溜まるまでの間、間に何か書いている。本腰を入れて書きたいものがあるときはパソコンをつけて書くけど、書きながら頭を整理するせいで、書いてみたら大したことなかったり、別におもしろくなかったりする。とは言え、公開しているものと下書きに置いているものとの差は私にも分からない。

10年前ぐらいに書いたものをうっかり見ると「子どもができたら」などとなんの展望もないままの浅い記述があり、自分で自分を怖ろしく思う。…こういうのって「若さ」で片付けていいのだろうか。まぁ他に思いつかないけど。恥ずかしいので消したいんだが、消すのはもっと恥ずかしい。一件ずつ読んで、消すかどうかを決めるのが超恥ずかしい。
10年てあっという間なのに、やっぱり10年は10年なんだなぁ(何を言っているんだ)。43歳の私よ、見ていたら返事をくれよ。調子どうすか。いま何考えてる?私が懐かしいかい??

毎週末、友だちが泊まりに来たり、私が泊まりにいったりしていたらあっという間に10月が終わった。友人が飼い始めた犬は写真で見るよりもっとかわいかった。自分以外の生き物が部屋に居るのはすごくいいことだな、と思う。「なんでも自分の思い通りになったり、すべてをコントロールできちゃうのって、実はあんまりいいことではないと思うんだよ」というような旨のことを友人は言った。「すべてのものごとはバランス」教の狂信的な信者である私はその発言に心の底から同意し、「わかる、めちゃくちゃわかる」と言いながら犬の尻をもぎもぎ撫でた。犬は小首をかしげながらぐるぐる回っていてかわいかった。

10月はBTSのオンコンもあったし、好きなバンド(アナログフィッシュ)のライブに2回行き、折坂悠太さんのライブにも行った。折坂悠太さんのライブは初めてだったんだが、よく手入れしてある木製の楽器みたいな人だな、と思った。ライブは演奏も構成もとても良くて、広い湖をぐるりと一周して戻ってきたような気持ちになった。
アナログフィッシュは最近どんどんソリッドになっている。べつに尖ってはいない。尖ってはいないし、これは感覚的な話なんですけど、本人たちはいつも柔和な空気感だし、でもどんどんソリッドになっている。新譜たのしみです。
BTSについては毎日話ができる人がそばに居てくれて、そのことが毎日新鮮にうれしい。推しが最高であることは私が口に出さなくても変わらないのに、それでも「推しがかっこいい!!!!」を投げていい場があって、誰かが「わかる!!!!」と答えてくれるの、すごくいいものだよ。というかあの人たち否定的なこと絶対に言わないし、いつも海のようにやさしいな、なんなの、女神なのかもしれん。

占う男、ことニシーさんの年賀状を見返したら「今年は政治家みたいな年になりそう、いろんな人に会うし楽しいよ、ただ身近な人をないがしろにしがちかも、気をつけてね」というようなことが書かれていておもしろい。この場合、どこまでを身近な人、とするんだろう。でも確かに、今年はいろんな人に会ったな。そしてその中に、今後「身近な人」になってくれる人もいるんだよな、と思った。

年末みたいなことを書いてしまった。11月はちょっと遠出して牡蠣を食うのを予定しているが、あとは映画とドラマをがさっとまとめて観たい。ドラマ見始めると夜寝られなくなるのが億劫なんだが、冷静に考えるとそこは別に比例してはいない。

みんなとかいない

2021年10月30日 (土) 22:50

映画のはなし

観た映画を「filmarks」というサービスで記録している。他人様のレビューにはさっぱり興味が無いが、私は“私がそのタイミングで何を感じたか”には興味があるので、後から見返したときのキーになるような短文を書いて保存している。あまりに短文すぎてうまくキーとして作動しない場合もあるけど、まぁ自分のせいなので仕方ない。

観た映画を記録しているので、結果的に今年何本観たのかが分かる。去年は65本で、今年は今時点で41本だ。減ってるね。
何しろ今年はかなりの時間をBTSに割いた(今も割いている)ので、他が圧迫されているのだ。音楽もほとんどBTSを聞いている。BTSは今日も最高です。

セリーヌ・シアマ監督の「トムボーイ」を観に、映画館へ行った。新作だと思っていたら10年前の作品だったようだ。日本では未公開だったんだろうか。
めちゃくちゃセンシティブな題材を扱った作品だったので個人的には笑うシーンなどひとつもなかったのだが、後ろの席に座っていたおばさんたちがずっとクスクス笑っていて、発狂するかと思った。何がどうおもしろかったのか、どこが笑いのツボだったのか聞きたい。

ホームページを見てみたら「主人公ロール/ミカエルに寄り添った目線とユーモアを以て、ひと夏の挑戦が描かれる」との記載があり、また発狂しそうになっている。あれは「ユーモア」なのか?「ひと夏の挑戦」か?あれが?
私はあれが“子どものやるおもしろいごっこ遊び”だとは思わなかったし、セリーヌ・シアマがあれを「ユーモア」として撮ったとは今も全然思えない。
ベルリン国際映画祭では「思いがけない笑いと涙を誘われる。忘れがたい場面でいっぱい」「アイデンティティーの探求とその落とし穴を描いたエポックな作品」と称賛された、とも記載がある。思いがけない笑い…?どのシーンのことを言っているんだ。さっぱり分からん、いや妹のシーンはほっこり癒されるものがあったけど、それのこと?まじ何を言っているんだベルリン国際映画祭。誰のコメントだ。
私が狂っているのかもしれない。

もしくは10年という年月は価値観や感覚や理解を大きく変えてしまうような、長い時間なのかもしれない。10年前、22歳の私が観たら、あのおばさんと同じようにクスクス笑ったんだろうか。「ユーモアがあるなぁ」とニコニコできただろうか。

私は私が狂っているかどうかを判断できないのだな、と思うと怖ろしい。狂っているかどうかを判断するには常に他者との比較があり、そっちが正常かどうかを決めるのは、どうせ多数決だからだ。規模の大きいものごとを動かすときに多数決が適しているのは何となく感覚で理解できるけど、規模の小さいものごとに、なるべく多数決を持ち込まないようにしたい。他者は知らん、知らんが私は。

làppola

2021年10月29日 (金) 21:49

uncategorized

久しぶりにすきなトラットリアへ行き、魚介と青じそのオイルベースのパスタを食べたらあまりにうまいので顔がバチギレてしまい、その顔が目の前に置いてある感染防止対策用アクリルパネルに映っているのでげんなりした。最近はあまり日常的に「げんなり」することが無いので、「おぉ…これがまさに”げんなり”やん…」と思い、いささか感動もした。
誰かと一緒に食べているときは「おいしいねぇ~!」と言い合ったりするので、そうでもない(と思いたい)のだが、一人で食べているときは本当に顔がバチギレてしまう。脳内は「おいなんや、めちゃくちゃうまいやないか、なんでこんなうまいんや、何入れたんや、ばりうまい、どないなっとんや」みたいな感じになってしまうし、なぜうまいのかを分解し始めるので、どんどん険しい顔になる。

「おいしいものを食べると笑顔になる」というような言説について否定したい気持ちはないものの、「本当に…?ひとりでも…?」とは思っている。私はそろそろ鏡を見ながら、おいしそうにごはんを食べる練習をしたほうがいいかもしれない。

シェフ、もし厨房からこちらを覗いたときに私の顔がバチギレていても、誤解しないでください、シェフ、めちゃくちゃ美味いです、ソースをバゲットに全部吸わせて食べているのはうまいからなんです、少し甘みを感じるのは何ですか、もしかしてナッツ系の何かが入ってます?こんなに贅沢に帆立が入ってて1,150円なのはどういうことなんですか?いやありがたいです超うまいです、顔がバチギレていてすみません、私の顔は無視してください。

そういえばジンくん(推し)はいつもおいしそうに食べる。べつにずっとニコニコしてるってわけじゃないけど、食べてるとき終始ご機嫌にしているし、おかずをごはんにのっけたり、おかずにキムチをはさんだり、楽しそうに食べている。咀嚼しているときの口元もかわいい(口元以外もかわいいが)し、「ん~ましったぁ!(おいしいなぁ!)」としょっちゅう口にする。
自分で作って人に食べてもらうのも好きそうだ。デビュー前のブログとか読んでると「鶏むね肉と玉ねぎとパプリカしかないけどこれでなんとかみんなの晩ごはんを作るぞ」などと書いてあって、そのいじらしさに泣いてしまう。あとその「手持ちの材料と道具でどうにかする、やれることをやる」みたいなスキル、すごい大事なことだよな…私は君のそういうシンプルでミニマムな性格がすごく好きだよ。
あれ、なんかジンくんが好きって話になったな。なんの話やっけ。えーと、ジンくんが好きです。

Young Forever

2021年10月25日 (月) 22:18

音楽のはなし

BTSのオンラインコンサートを見たので、その感想を書きたいと思ったがどうにも難しい。あらゆるものごとは多面的で、多層的で、どこをどう切り取ってどのように食べ、咀嚼し、何として出力するのかは、どこからも誰からも供されない、私が自分でやるのだ、いつだって、というようなことを考えた。人間が作り、人間が見ているのだ、私は本当に音楽が好きだな。

マッコリをほぼ全部ひとりで飲み干したのに頭が冴えていて、帰り道に駅前で借りた自転車に乗ってずっとグルグル考えていた。
持って生まれたもの、自分で捏ねたもの・積んだもの・捨てたもの・持ったままいるもの、人にもらったもの、まだ届かないもの、環境、トラウマ、思い出、欲しいかどうか、誰といるか、どこでやるか、みたいなことをずっとグルグル、断片的な思考がグルグル、引っ越してきてからよく自転車に乗るようになったなぁ、私がキム・ナムジュンです。タルンイは電動じゃないらしい、ソウルは坂がどれぐらいあるんだろう。神戸は坂ばっかだよ、おナム。

ジンくんMCで「音はずしたりしたわ…まじ自分で自分が憎い、ぴえん(※意訳)」みたいなこと言うてたけど、それよりもちょっと、なんかこう、何かを吹っ切ったような、腹が決まったような顔をしていて、よかったな。ジンくんよ、私は最近過去のライブ映像をわりと立て続けに4~5本見たんですけどね、あなたはステージに居るときに所在なげな顔をしていたり、様子をうかがうような顔をしていることが多い気がしていて、でも昨日はなんか、一旦脇に置いておくから、みたいな顔をしていたような気がする。気のせいだったらごめんだよ。でも最近の楽曲のおかげだったり、こないだのバンドとのコラボの影響だったり、もしかしたら本当に何かを吹っ切ったり、あと歳を重ねたせいとかもあるのかもしれない。そうだと良いな。

終盤の「僕がプレゼントだよ」発言については「あーはいはいありがとうございます通常営業やなあんたは、はいはいかわいいかわいい」と言って笑ってたけど、一晩あけたら今は「いやほんま、あんたがプレゼントやわ、もう受け取ってたわ既に、私は何を返したらええんや、返せるもんなんも持ってへん、生まれてきてくれてありがとう、まじで存在がプレゼントや」と大真顔でいる。7人とも、生まれてきてくれてありがとう、宝物やわ。

もし私がBTSだったら(ありえない話はやめてください)「ジョングクが居る」ということが「歌もダンスも何もかもやめてしまう理由」になり得るし、それと同時に「BTSであり続ける理由」にもなり得るだろうな。そして「僕は自分のことはつらくない、ヒョン達がつらそうなのを見ることだけがつらい」と言っていたグクが、今ステージに居るときいちばん安定しているように見えるけど、なんだ、すごいな、感動的だな。なんでこんなことが起こるんだろう、人間がやってることなのに…いや、人間がやってることだからなの?人間おもろすぎんか。

オンコン見ながら何か食べたり飲んだりできないと思う、余韻で寝られないかも、月曜休みにしとけばよかった、などと言っていたが、実際の私はバリエーション豊富な4種のキムチと牛肉をのっけたジャジャン麺、ヒラメのお刺身、チヂミ、蒸し豚、をジョングクもびっくりの勢いでもりもり食べ、ビールとマッコリをジミンちゃん並みにごびごび飲み、感情が高まったので自転車で走り回って程よく疲れ、何はともあれ今日もバンタンは最高!!!!と風呂に入り、日付が変わる前にぐっすりと寝た。
何より、私は私の仕事と生活とをやるぞ!!がんばるぞ!!!という気分になった。睡眠も栄養も足りているし、月曜からやる気に満ちている。
こんなに好影響なライブある?

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