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hope on the stage
2025年6月4日 (水) 19:23
j-hopeさんのコンサートへ行ってきた。ファンクラブの先行にハズれて「きょ、京セラドームて5万人ぐらい入れるんちゃうんか……当たりませんか……」と悲しみにくれていたところ、2次先行でどうにかチケットを買うことができた。歌い踊りラップするチョンホソクさんを見ることができるなら、席などもはやどうでもいい。初めて中に入った京セラドームは、天井のデザインがかっこよかった。
案の定スタンド3階席だったので、メインステージに立つホビは親指の先くらいのサイズだった。真ん中くらいにもステージがあり、そこに移動してくると人差し指くらいのサイズに見える。初めて知ったことだが、人差し指サイズになると、ダンスと音とのズレがなくなる。親指の先サイズのときはズレる。
人差し指サイズで見ても、j-hopeさんのダンスは本人のそれと分かるダンスだった。いま、そこで、j-hopeさんが踊っている。j-hopeさんのダンスを見ていると、私は重力の向きというものが分からなくなってしまった。まるで上から何かにツンと引っ張られているように腕が上がる。
私は経験などないのでほとんど知見もないが、ダンスというのは本当に、どんなに上手になっても、どんなにハイレベルになっても、誰かとまったく同じダンスというのは存在しないものなんだなと思う。違う身体を使っているのだから当たり前かもしれないけど、角度がぴったり揃っていても、ジャンプの高さが全く同じでも、人と同じダンスというのは無い。親指サイズで見ても、人差し指サイズで見ても、ドでかモニタで見ても、j-hopeさんのダンスはj-hopeさんのダンスであり続けるのだと知った。そういうのって、めちゃくちゃ希望だなとも思う。自分は自分以外の何者にもなれず、何者も決して自分にはなれないということは、希望だと思った。自分は自分のまま、ただもっと、もっともっと、とパフォーマンスを続けているんだと思う。そういう姿を見せてくれているんだと思った。ありがとうj-hopeさん、かっこいい生き様を見せてくれて。
そういえば、私はこうやってファンが掛け声を叫ぶようなライブに行くことが初めてだった。だいたい曲が出るのと同時くらいに公式から「掛け声はこれです」みたいなのが発表されるものらしい。ファンはライブに行くまでにそれを練習する。カルチャーショックがすごい。
SNSを見ていると「Youtubeに応援動画があるから!これを見て!みんな練習しましょう!」派の人や「集中して見たい人に掛け声を強要するな!静かに見たいファンだっている!」派の人など、いろいろいる。まぁ、どちらの言い分も理解できる。私は行く前までは「それぞれ好きにしたらええやないか」と思っていた。
が、行ってみると「たくさん声を出したほうが良いに決まってる」に変わった。なぜなら推しが嬉しそうだから。自分の声が自分で聞こえなくなるぐらいの声援が客席から届いているときの推し、本当に幸せそうだった。大歓声を浴びている推しの輝くような美しさったらない。耳だけじゃなくて、全身の細胞から吸収しているみたいだと思った。
いつも元気をもらい、人生を支えてもらっている推しが、掛け声くらいであんな良い顔してくれるなら、喉がつぶれるぐらいなんだというのだ。なんぼでもあげたい。掛け声、ちょっとでも練習しといてよかった。
むしろ、もっともっと練習しとけばよかった。推しは当日までに何度もリハーサルを重ね、より良いパフォーマンスをしようと努力し続けているのによ、チケット代払った程度のファンが掛け声すら練習せんて、どないなっとんねん(突然の過激派)。
もしかしたらアーティストが「自分が本当に愛されている」と実感できる場というのは案外、コンサートくらいしかないのかもしれない。生身のファンに会う機会って実はそんなに多くない。もし私がアイドルだったら、移動中に大勢の人にスマホのカメラを向けられたり、空港で待ち構えたりされることが「愛されている証だ」とは思えないだろう。「有名人になったんだなぁ私」とは思うかもしれないけど「愛されてるなぁ私」とは思わなさそう。コンサートで歓声を浴びることが、どれほど実感を伴うかは、想像できるような気がした。
普段はそれが「拍手」だと思っているけど、Kpopの現場は客がみんなペンライトを持っているせいか、あんまり拍手が起こらないみたい。
用意された場に足を運び、実際に声を挙げることの意義を実感することが出来たのもよかったと思う。ありがとうj-hopeさん。
何度トライしてもジンくんのソウルソロコンチケットは取れないので、気を取り直して同じソウルで開催される「ライブプレイ」に行くことにした。ライブプレイというのはいわゆる「ライブビューイング」みたいなもので、コンサートそのものを生中継し、別の場所でみんなで観る、というイベントらしい。1万人ぐらい入る会場でやるみたい。家でオンラインライブを見るのも良いけど、用意された物理的な場があって、時間とか金額とかの折り合いがつくなら行ったほうが良いな、と思い、航空券と借りる家を押さえた。夜中に着く便にしたので初日は空港に泊まることにした。深夜の空港も、空港にあるホテルに泊まるのも初めてでうれしい。推しを理由にして、いろんな経験ができるの幸せだなと思う。
日程が被ったので行けなくなった立川談春独演会のチケットを両親に譲ろうと母に電話したら「また行くん?また韓国?今度はなに、毎月行ってるやん」と言っていた。毎月は行っていない。
背骨
2025年5月26日 (月) 19:53
映画『サブスタンス』を観てきた。大変な映画だった。上映時間(140分)のわりに長いとは感じなかったが、内容が内容なのでじっとりと疲れ、気分が落ち込んだ。妙に尾を引きそうな落ち込み方をしていることは分かるが、既に知っている感情のどれにも該当しそうにないのが疲れる。最近こういうの多いな……ソウルのリウム美術館で観たピエール・ユイグの「liminal」展についても、似た感じがある。
あ、創作物として似てるって話ではなくて、私の受け取り方というか、感じ方に、似たものがあるな、という意味です。創作としての類似点とかはないです。なんかタイミング的なものだろうか。確かに最近あまり体調は良くないけども。それか?
私の「既に知っている感情」ってやつが、少なすぎるんだろうか。でもこういうの人と比較できないし、比較できたとしても別に解決しないもんな。どうしようね。
私は映画を観る前に予告編を見ないので、どういう映画かほとんど知らずに観た。ポスターは観るので、キャッチコピーは読む。本作のキャッチコピーは「かわいいが暴走して、阿鼻叫喚」とのこと。
はたして、暴走したのは「かわいい」だったのだろうか。確かに何かは暴走していたと思うけど、別のものだ。「かわいい」は暴走していない。暴走したのはエリザベスですらないと思った。暴走したのは、若く美しく新しいものにこそ価値があり、そうでないものに価値を見出さない人たち、いや見出せない人たちの、小さい欲求の集合体じゃないか。ひとりずつの欲求は小さく見えるが、数が多くなると怖い。ひとりずつの欲求は小さいせいで、それぞれに自覚がないのも怖い。私もこのうちのひとりであると思う。
そもそも私にはエリザベスが「若返りたい、美しくなりたい」と望んでいるようには見えなかった。結果としてはそれを望んだかもしれないけど、目的はそれじゃないし、手段もそれじゃなくてよかった。ただ長い時間をかけて「若くて美しいことにしか価値がない」という価値観を植え付けられ、その価値観の中でしか生きたことがなく、その価値観の中で生きる以外の選択肢を得られなかっただけのことじゃないのか。
でも、そうじゃない価値観があるってこと自体を、どうやって知ってもらえばいいんだろう。そうじゃない価値観の中で生きることを、どうやって選んでもらえばいいんだろう。めっちゃ時間かかるだろうな、ぐらいしか分からない。めっちゃ時間かけたとして、それで解決できるんだろうか。たったそれだけのことで?
エンターテインメントと共に生きる者として私に何ができるだろう、と思っていたら、推しが何かの音声コンテンツで「最近太ってきたから食事制限しなきゃ」というようなことを言ったらしく、深く落ち込んだ。その場に居合わせたファンの人たちは「ぜんぜん太ってない」「もっとごはんたべて」とコメントしたらしいのだけど、本人は「でも痩せてるほうが好きでしょ?」と言ったのだそうだ。たぶんそんなヘビーなトーンじゃなくて、いつものかわいい言い方で話したんだろうと思う。思うけど、でも落ち込む。息してるだけで好きなのに。まばたきひとつするのを見るだけで泣けるぐらい好きなのによ。
現実の、今を生きる推しに、こんなことを言わせているような私が、フィクションのエリザベスに何を言えるっていうんだろう。不甲斐ない。
観た映画を記録するためにfilmarksを開いたら「やっぱり女性は昔の栄光が忘れられないんですね」だの「スーはきれいだとは思うけど、個人的にはもっと細いほうが好み」だのといったクソレビューを読んでしまって、心底ゲンナリした。同じ映画を観たはずなのに、なんでこういう言葉が出てくるんだろう。こういう気持ちになりたくないから人のレビューを読まないようにしたいのに、つい興味本位で読んでしまう。
何を観て、どんな感想を抱こうが自由だと思う、感想に正も誤もない、本当にそう思う、本当にそう思うのに、私だって自由に観るものを選び好き勝手に感想を書いているのに(今もまさにそうしているのに)まっっったく寛容になれない。「そういう感想もあるのかぁ~」とかすら思えない。まじでレビューサイト向いてないな。
話は変わるが『ひっかかりニーチェ』というバラエティー番組があり、その番組の本編後に流れるVTR『本編とバランスをとる時間』というのがある。『ひっかかりニーチェ』は時に辛辣なことを言ったり議論が白熱したりするトーク番組なのだが、その本編のあとに、松井ケムリさんがサモエドと戯れたり、猫をなでたり、喫茶店で何か食べたりするだけの『本編とバランスをとる時間』と題したローファイな映像が流れる。別にこれといったテーマはなく、シリーズごとの一貫性もない。おそらく台本みたいなものもない。ケムリさんは、たぶん「今日はサモエドと遊んでもらいます」とかしか言われていない。
これが、なんかめちゃくちゃホッとする。「癒される」と言うのが近いかもしれない。いや、というより「私なんか大した人間じゃないのに、何をぐるぐる考えて、答えとかないのに、わはは、風呂入って推し見て寝よ」ぐらいの気持ちを、真ん中に戻してきてくれる感じ。背骨を真ん中に戻してくれる感じ。この感じ、この感じが日常生活にも、本編とバランスをとる時間が、要ると思う。
そんなことを考えながら帰宅し、明日のお弁当を作ろうとしていたところ、下岡晃の配信が始まった。下岡晃は「袖が破れてしまった服をなおそうとミシンを出した」という。下岡晃は服の袖を一生懸命カメラに映しながら「ここが破けてるから、縫いたいんだけど、でもこう、筒状になってるから、こうやって縫うと袖が閉じちゃうでしょ、こういうのってどうやればいいんだろうか」と言っている。特に誰もコメントしない。なんか分からんが、私はこういうときに黙っていられない。ここに聞き手が20人くらいいて、話者が何らか問いかけをしているときに誰も返事をしない、という時間に耐えられない。居心地が悪くなる。優しさや親切心からではなく、居心地が悪いので返事をする。どうなっているかあんまり分からない袖の穴の縫い方をコメントで書くのは難しかった。家が隣だったら私が行ってなおしたほうが早いぐらい難しい。結局袖は直せなかったし、私以外にもコメントをしてくれる人が現れ、破れている箇所によってはミシンよりも手縫いのほうが良いんじゃないか、というような結論に達して配信は終了した。私もそう思う、まつり縫いで直せるんじゃないかと思う。でも、見てる感じちょっと布が厚そう。厚い布を縫うのは大変だ。下岡晃は指ぬきを持っているだろうか。
今のって、今のがまさに、本編とバランスをとる時間だったよな、と思いながら、私はお弁当にもっていくチキンライスに卵をのせた。
おしゃれページ
2025年5月19日 (月) 20:58
寮生活への漠然とした憧れがある。この漠然の出どころを探ってみると、子どものころに図書館で読んでいた児童書によるものだと気づいた。
私は本が好きな子どもだった。父の影響だ。父は本が好きというより活字中毒のような感じ。単純に性分なのだと思う。
母は本を読まない。母が介護福祉士の資格を取ると言って勉強し始めたとき、本を読んでいることにびっくりした。今思えば母はあのとき、今の私と同じ歳くらいだ。子育てが少し落ち着いたタイミングで勉強し、資格を取って働こうと思ったのだろう。わが親ながらめちゃくちゃえらい。
子どもの頃は家族で本屋に行くと「ひとり1冊な、決まったら集合」と父が言い、各々が買う本を選ぶまで自由にさせてくれた。あの時間が好きだった。
私が選んだ本を父がジャッジすることはなかった。「その本はあかん」とか「こっちにしときなさい」みたいなことを、言われたことはない。好きな本は教えてくれたが、「これを読みなさい」と強要されたこともない。私が選んだ本について「なんでこれを選んだのか」などと理由を聞いてきたりもしなかった。父の一番好きなところかもしれない。
父は感想を求めたりもしなかったが、私が小学3年生のころ「リア王」を読んでいたら「シェークスピアかぁ…かっこええの読んでるやんか。お父さんリア王読んだことないわ。これはどういう話なん、王様はどうなるん」と言われ「狂う」と答えたことだけ覚えている。正直「狂う」という状態がどんなものかはっきりとは分かっていなかった。
……今も「狂う」がどういう状態を指すのかはあんまり分からない。え、だって自分が狂っていないことをどうやって説明できる??自分が狂ってないことを説明できないのに、狂ってる状態なんか説明できる?え???
大人になってからは、たまに「これおもしろかったわ」と父から文庫本を渡されたりする。私はそれを読んだり、読まなかったりする。読まない本は本棚に積んでいる。いずれ時期が来れば読むかもしれないし。
私も、出始めのころの森見登美彦を父に渡したりした(たぶん四畳半神話体系、いや太陽の塔かも)。父は「そんな変な名前の作家は読まん」などと不愛想な顔で大変失礼なことを言っていたが、後日「あれおもしろかったわ、こないだくれたやつ」と言っていた。読むんかい。
図書館は実家の団地から歩道橋を渡った先、文化センターの中にあった。鍵を忘れて家に入れないときや、家にいると邪魔なとき、友だちと遊ぶ気分じゃないときなど、しょっちゅう図書館にいた。母もよく「掃除機かけるから図書館行ってき」と言っていた。夏は冷房が効いているし、涼みがてら図書館へ、ということも多かった。
入って左側に、靴を脱いで上がるカーペット敷きの子ども向けコーナーがあった。紙芝居を読んでもらっている小さい子たちの横でゴロゴロ寝転がり、適当な本を読んで過ごした。漫画も置いてあって、そこで「ときめきトゥナイト」を読んだことを覚えている。漫画はどれも、巻数がぜんぶ揃っていないのか、誰かが借りているのか、いつも飛び飛びでしか読めなかった。
児童書の棚の左側においてあった(今思えばあれは)イギリスの作家の小説が好きで、何度も読んだ。シリーズで4~5冊あったと思う。全寮制の学校に通う双子の女の子の話だ。私の寮生活への憧れのルーツはこの本だと思う。「寄宿学校」という耳慣れない言葉の響きにドキドキした。親や先生に反発して、しょうもないいたずらをして、友だちが出来て、夜更かしして、おしゃべりして、という内容だった。イギリスは全寮制の学校が多いんだろうか。私立だとそうなの?ハリーポッターも寮生活をしてるもんな。
部屋でコソコソ開くパジャマパーティーのシーンが好きだった。知らない食べ物が多かったし、部屋でサンドイッチを作ったり、ソーセージを焼く描写があったと記憶している。私は生まれついての食いしんぼうなので、食べ物に関する描写には敏感。寮長みたいな先輩も出てきたような……あとお茶の時間があったよ。授業の終わりに。今なら「まぁイギリスならそうか」と思うけど、当時は「お茶の時間て何、学校でおやつの時間があるってこと?」と不思議だった。
ラクロス、という一切分からない競技もここで知った。いまだにラクロスはどういう競技かわからない。ラケットを持っている高校生はたまに見かけるけどね。あの長いやつ、ラクロスのラケットよね?ラケットで合ってる?なんか別の名前があるんやろうか。
現代の良いところはこのくらいの情報でもGoogleに投げれば、その本のタイトルをきちんと教えてくれるところだ。イーニッド・ブライトン作「おちゃめなふたご」シリーズらしい。ありがとうGoogle。ポプラ社から出ている。私が読んでいたのはペーパーバッグ版だそう。
もう一回読みたい。集めたいけどこういうの大体見つからんよな~でも電子版じゃ味気ないね。
馬の声
2025年5月18日 (日) 19:45
ジンくんのライブに行けることになった。ファンクラブ先行に申し込んだ分が当たったのだ。メールに記載してある「厳正なる抽選を行った結果、お客様はご当選されました」という定型文が、何回読んでも変な文章に見える。特に「お客様はご当選されました」の部分。合ってるのか?合ってるよな。「ご当選されました」が変な感じする。合ってるのか?合ってるよな。「ご」は要るのか?要るのか。
ジンくんの除隊から1年、ありとあらゆる「ジンくんに会う機会」が用意され、私はそのすべてに申し込み、すべてに外れてきたので「ようやく」と思って感慨深い。「機会」だけで言えば、日本はかなり多かったと思う。本国より多かったんじゃないか。
そして「(CDをたくさん買って)積まなきゃイベントには当たらない」というのを、実感しつづける1年だったと思う。冷静に考えればそりゃそうだ、当たり前すぎる。ビジネスなんだから、たくさんお金を使ってくれた人に、会う機会を与えるに決まってる。どれぐらいジンくんを好きかなんか、計りようがない。そんなもんは数値化できない。買ったCDの枚数なら数値化できる。100枚買った人と1枚買った人に、明確に99の差をつけられる。
……数字って便利だな。数字だけ見ていても何にもならないことはもう知っているけど、ただシンプルに便利だと思う。
先日チケッティングに惨敗した韓国公演よりも日本公演のほうが公演数も多いし、しかもキャパも多いので「さすがにこれは当たりたい、単なる確率だけで言えば当たるはず」と思っていた。ライブのチケットは何も積まなくても申し込めるし……でもホビのときは初回の先行で外れたのよな、おんなじ京セラでさ、もう嫌しんどい推し実在するはずやのに画面と紙面から出てきたことない頼む席をください端でいいもう端でいいので、みたいな感じだった。ハハハ。当たってほんとうによかった、これ外れてたら膝から崩れ落ちて道端で泣いたかも。いやそんなドラマチックな性格じゃないけど。
が、どう考えても京セラ2日間に両方行きたいので引き続きやっていきます。アップグレード席も欲しいし韓国公演もまだあきらめていない。私はしつこい。
とはいえ「機会」自体が多いことについては、本当にありがたいことなんだよな、と思った。私がもしブラジルに住むARMYだったら「日本アミはずるい、時差もないし」と言ってたと思う。だいたい「1000人とハイタッチ会って……当たるわけないよ、何万人応募すると思ってんねん」とつい言ってしまうけど、それでも1000人は確実に当たるんだよ、めっちゃすごい。1000人がどのぐらいの数か知っている。ぜんぜん少なくない。
肝心のアルバムは先月発表と同時に予約したのに、まだ発送通知すら来ていない。予約するより今タワレコに買いに行ったほうが早く手に入る。なんだこれ、合ってるのか。おもしろいね。
楽曲は「ジンくんこんなんもできたんや……!」の連続で、聞いてて楽しい。前作より遙かにバラエティー豊か。俳優が音楽活動をやるときみたいな感じがある。アイドルってこういう、ある種一貫性のないことを1枚のアルバムでやれるのが強みなのだなと思う。
しかしまぁ、ジンくんてなんでも出来る人なのは知ってたけど、でも今もまだずっと、こういうのやりたい→やってみる→がんばる→できた→もっと上手にできるようになりたい、をぐるぐるやってんだな、と思って嬉しかった。デビューして12年、と思うと「すごいそんなに長いこと、すごい」と思うのだけど、仕事って10年ぐらいやってようやく「だいぶやりたいことやれるようになってきたな、ようやく仕事おもろなってきたな」ぐらいのペースが普通な気もする。私ちゃんと「仕事たのしい」と思うようになったの27ぐらいやもんな……
ジンくん今仕事たのしいかな。たのしいといいな。
猊下(げいか)
2025年5月14日 (水) 20:33
検索で見つけた韓国人の女の子のnoteがおもしろくて、一気に読んだ。翻訳アプリを使って書いているらしい。記事によると彼女は何回か日本に旅行に来ているのだけど「彼氏が日本のコンバースは日本だけの仕様だ、韓国では買えない、と言って説得されたので、買って帰った」みたいなことが書いてあってちょっとおもしろい。私は「韓国だと日本にはないUS仕様のコンバースが買える!最高!」と盛り上がっているのによ。視点や視座が変わると、物の見え方や価値は簡単にひっくり返る。
週末に映画館へ行ったとき、ものすごく客入りが良さそうで「人気なんだな~」と思っていた『教皇選挙』を観てきた。奇しくも映画の公開期間中に、現実のコンクラーベが行われることになってすごい。こんなの狙っても出来ないでしょう。
ある程度は予備知識が要るだろうと思って、「教皇選挙 予備知識」で検索して出てきた記事を読んでから映画館へ。まぁ何も知らなくても大丈夫だったように思う。
脚本がおもしろいと同時に、画面がバチバチに決まっていてかっこよかった。メインのキャストはほぼ全員が「枢機卿」の役なので、お揃いの深紅の法服を着ているのだけど、これがまぁめちゃくちゃに決まっている。引きで撮っても寄りで撮っても画面映えしている。あのやや後頭部側に乗っかっている(被っている、というよりは乗っかっている)帽子も深紅で、マントというかケープみたいなのを着ているから、上から撮っても画面映えする。
時代設定が分からなくなるようなクラシカルで重厚な衣装を着て、歴史的建造物の中にいて、おそらく何百年も同じ手筈で行ってきたであろうコンクラーベを行いながらも、スマホを使ったりタブレットを預けたりするシーンがあるのもおもしろかった。そのうえ役者は名優揃い。
「お仕事ムービー」として観ることもできると思う。もちろん現実とは乖離があるだろうけど、リアルな面もあっただろう。
家を買うとき、ローンを組むのに銀行の人と面談みたいなことをする場があった。
銀行員(しかも窓口の人ではなく融資の人)と会ったことはなかったので「きっとお堅い感じの人やろうな」と思っていたけど、担当はにこやかかつ朗らかな男性だった。ローン審査を前にずっと胃が痛かったので、私はだいぶホッとした。
仕事の話になり、Webデザイナーだと話すと「え、Webデザイナーなんですか!僕いまあのドラマ見てるんですよ“わたし、定時で帰ります。”、知ってます?」とおっしゃった。私はドラマは見ていなかったけど、タイトルは知っていた。吉高由里子さんが出ているやつだ。「あんまり定時で帰れないんですか……?」とおっしゃるので「いえ、今の会社はとってもホワイトな会社なので、ほとんど定時で帰れます」と答えた。とはいえIT業界は慢性的な人手不足で、残業!徹夜!みたいな会社もまだ多いだろう。私も以前勤めていた会社は終業時間を誰も守らないし、残業代も一切つかないし、定時で帰りたいときは事前に申請する必要があったので、件のドラマも「完全なフィクションである」とは言い難い。手元に仕事がなくなっても、営業が戻ってくるまでは帰れない、みたいな毎日だった。
彼は「やっぱりドラマはドラマですもんね、現実とは違いますよね」と言っていたが「でも銀行だって毎日“半沢直樹”かって言ったらさすがにそんなことはないけど、たまに“半沢直樹”みたいなこと起きたりするでしょう?」と言ったら「ほんとにそうです、たまにあります“半沢直樹”みたいなこと、しかも“今すごい半沢直樹みたい…!”と思っちゃう」と言っていた。
フィクションを経たあとに発生する「自分の現実とか日常とかがフィクションめいて見える」この感じ、どの業種にもあるんだろうか。
『教皇選挙』を観て今回のコンクラーベに参加することになった枢機卿もいただろうな。「うわ、今のめっちゃ“教皇選挙”みたいやったな」と思うタイミングがあったかどうか聞きたい。
なお、劇中では「コンクレイヴ」と発音していたように思う。英語の発音なのかな。
白黒흑백
2025年5月13日 (火) 19:13
土曜日、ZINEフェスに行ってきた。友人の影響もあり、最近ZINEに興味がある。定義があんまり分からないが、何か紙に印刷したものを綴じればZINEということで良いのだろうか。友人と一緒にZINEが置いてある本屋さんにはいくつか行ったけど、こういうイベントに行くのは初めて。
午後は約束があるので朝のうちに行こうと思っていたけど、約束している友人にその話をしたら「行こうかな」と言ってくれたので、一緒に行ってきた。
体育館くらいの広さの会場で、1ブースは長机の半分くらいのスペース、200くらいの人が出展していて、なかなかボリューミーだった。ビジュアル要素で何か(興味の有無、購入するかどうか、とか)を判断するものではないので、端から1ブースずつ全部回る、という感じになるのがおもしろい。デザインフェスタとかだとビジュアル要素で好みかどうかを瞬時に判断できてしまうので、1ブースずつ全部見るとかはあんまりやらないと思う。あ、やる人もおるやろけど。
来場者も入場料として300円払う。これは良いね、運営費ってことなんだろうけど、出展者だけでなく来場者も少し負担するの、良い仕組みと思う。
こないだ家の取材に来てくれたライターさんも出展していらっしゃったみたいなのに、お見掛けしなかった。くまなく全ブースを見たと思ったのにな……残念。
ブースはジャンルとかで分けられてはいないみたいだったので、まじで端から順番に見た。旅行記・イラスト本・写真集・短歌・句集・エッセイ・体験記・レシピ本、とか、なんでもある。ヴィレヴァンが楽しかった時代の感じがある。なつかしい。あの、ヴィレヴァンてもう楽しくなくなってから15年ぐらい経つと思うけど、今も現役でヴィレヴァンが楽しいと思ってる人の話は聞きたい。いたら連絡してください。いやこれは煽りとかじゃなくて、私はまじでヴィレヴァンの話を真面目にしたいねんけど、機会がなくて…………え、表記としては「ビレバン」か?
私は大阪の本屋さんで見かけた記憶がある団地の本や(4人で作っているらしい、楽しそうすぎる、本にするほど好きなものがあって、共有できる人が3人もいて、こんなふうにアウトプットまでできるってすごすぎる)、グッゲンハイム長屋のレシピ本(長屋に住む人たちのレシピが載っている、たのしい、私は自分の台所も好きだし同じように人の台所も好き)、旅先のごはんを色鉛筆で描いた絵日記本(見たことない食べ物ばっかりで絵がすごくかわいい、ひと目で大好きに……全巻セットを買えばよかったよ、手持ちの現金が少ないせいで日和ちゃった)、望遠洞の本(地図付きのガイドブック的な感じ、望遠洞が好きなのと、本のデザインもすごくセンスがよくて即買いした、望遠洞はソウルの西側にある小さい町、麻浦区にある)、お酒を飲むのが好きと言っていた女の子のエッセイ本(日記ですって言うてたかも、日記を読むのが好きなので楽しみ、1冊ずつペイントしたという表紙もおしゃれでした)などを買いました。
本以外にも雑貨を売ってる人もいて、私は陶器のあひるを買ったり、友人は指輪を買ったりした。3DCGでキャラクターを描いてる人や、地図を描いてる人とか、かっこいい薔薇の絵を描いてる人とか、いろんな人がいて、何も買わないときもみんな話を聞かせてくれた。
楽しかったな。やりたいことやって楽しそうにしてる大人を見るのは健康に良いのだな、と思った。
10数年まえにツイッターだかTumblrだかで流れてきて、一生忘れられない「大人になると、仕事してるぐらいのことでなんか作ってる気になって良くない」みたいな言説があり、そのことを思い出した。誰のツイートか知らんのだけど、ほんとうに一生忘れられない。私はいつでも「なんか作ってる気になってないか?」と自問し、その問いから逃げるために何か作って生きるんだと思う。
おなかがぺっこぺこなのでサブウェイを食べ、家に帰って、ソンピョンを作って食べた。韓国の無印良品で買ってきたキットを使ったけど、成形がいまいち分からず「こんな形じゃないねんけどな…」と思いながら作った。無印のキットが説明不足であることは否めないが、素人なのだから動画かなにかを見てから作るべきだったと思う。味も「確かにこんな味やけど、なんか違う……食感が違う……?」みたいな感じだった。友人はこれが初ソンピョンだったので申し訳ない。
夜はふたりでNetflixの『白と黒のスプーン』を観た。超おもしろい。
原題は『흑백요리사』となっている。お、と思う。日本語だと「白黒」と言うけど韓国語は「흑백」、흑が黒で백が白だから、逆だ。こういうのおもしろい。
日曜日、シルクスクリーンの日。版下が完成したのが深夜だったので、寝たのが2時過ぎ、眠い。最近は22時くらいにはもう布団にいるので、2時はもう……もう…………
ランチョンマットが欲しいので、無印でインド綿のやつを買っておいた。生地に厚みがあり織り地の凹凸があるのでうまく刷れるか不安がある。シルクスクリーンは「水と空気以外にはなんでも刷れる」と言われている汎用性の高い印刷方法だが、別に「手で刷れる」とは言っていないところがポイント。
アトリエのスタッフさんにも相談して、ラバーを入れずに刷ってみることにした。ラバーを入れると布に染料が浸透しなくなるので、上にペタッと乗っかってるみたいな仕上がりになり、逆にラバーを入れないと布に染料がしみ込んで発色するので染物みたいな仕上がりになります。黒のバンドTシャツで白いプリントが入ってるやつとかを想像してほしい、あれはラバー100%!って感じです。
ラバーを入れない場合はインクの質感がサラサラなので少し扱いが変わる。最近はラバーを入れたインクばかり作っていたので手の感覚が変わり、愉快な気持ちになった。楽しい。私まだシルクスクリーン楽しい。
予想よりかなり良い感じに刷れた。レトロポップなイメージで描いた図柄はインド綿のおかげか、なんだかオリエンタルなムードになったのもおもしろい。東欧っぽさも感じる。来月もランチョンマットを作りたい。
シルクスクリーンの日は、王将でごはんを食べることが多い。会社の近くの王将は閉店したし、行く機会がほとんどないのでうれしい。回鍋肉に炒飯、から揚げ、餃子も食べた。ジャストサイズを企画してくれた王将の人、本当にありがとう。お歳暮贈りたい。ひとりで4品も食べられる、最高です。王将でから揚げ食べるの20年ぶりぐらいな気がする。王将のから揚げは胸肉なので、しつこくないし、上手に揚げてあるのでカチコチにならず、食べ応えもあっておいしい。
炒飯じゃなくてよかったな、とは思う。来月は白飯にしよう。
こっから家まで歩けるかな、と思い調べたら30分くらいだった。余裕で歩ける。こんなに近かったか。坂もなかった。山側に住んでいるので「帰り道はすべて坂」と思いがちだが、意外とそうでもない、というのをここ5年で学んだ。
ご機嫌で帰宅しソファで昼寝。ソファで数十分する昼寝が好き。いや、いそいそとパジャマに着替えてしっかりする昼寝も好き。夜もっかい起きて、何事もなかったようにお風呂に入り、昼寝などしていませんが、の顔でまた寝るのも好き。
夜はNetflixの『隣の国のグルメイト』を観た。私も自国のおいしいものを紹介し合うグルメイトが欲しい。お互いの国を行き来して「おいしいでしょ?」を言い合いたい。
シングルハッピーライフ
2025年5月7日 (水) 21:16
母方の実家が農家なので桜が散り終わったあたりから「田植えの時期ね」と声をかけてもらうことが多い。田植えっつーか、でもまず土入れと種まきがあるので、田植えはそのあと1か月後ぐらいです、と思いつつ、そんなこと一般的じゃないよな、と思い直し、いつも「そうなんです~」とだけ返事をしている。
田植えをするにはまず箱状のケースに土を均一に入れ、均等に種まきをし、小型の温室みたいなのを作って水を張り、そこで20~30日間育てる。15センチくらいまで育ったら、田んぼに移植する。この移植のことを「田植え」と呼ぶ。
「種まき」というかあれはたぶん「籾」を蒔いている。籾(皮が付いた状態の米)を水に付けておいたものを蒔く。つまり、米は米から発芽し米になるのだ。種菌を取っておいて繰り返し発酵させるギリシャヨーグルトみたいね。穀類は全部そうなんだろうか。そういえば、じゃがいももじゃがいもを植えて作るね。
調べてみたら田んぼに直接種まきをする「直播栽培」という栽培法もあるみたいだ。そんなイチかバチかみたいな方法……(だって蒔いた先から鳥に食べられるでしょう)と思うけど、昔はそうするしかなかったんだろうか。
ちなみに稲の苗を買ってくるケースだと、いきなり田植えが出来る。買うとどれぐらいするんだろうな。農家の孫ではあるが、私はほとんど何も知らない。なお、農家の娘であるはずの母も、このへんのことはほとんど知らない。もっぱら食う専門。
土曜日、無事に土入れ・種まきが終わり(まぁ厳密にいえば無事かどうかはまだ分からない、ここから1ヶ月くらい先に結果が出るので)夜は実家で両親とサムギョプサルを食べた。先月韓国で買ってきたマッコリを開けたが、去年買ってきた福順都家ソンマッコリのほうがおいしかったな……また買ってこよう。
韓国料理屋さんでよく出てくる白ネギの甘辛酸っぱいあれが食べたくて、レシピを調べて作ってみた。あれはパジョリ、と言うらしい。が、今調べると「파절이(パジョリ)」は方言で、ソウルだと「파무침(パムチム)」と言う、って書いてあるな……さらに「파재래기(パジェレギ)」と呼ぶ地方もあるそうです。わはは。つまり、全国的に広く食べられている、ということか。「파(パ)」が共通しているのは、파がねぎのことだからです。
翌日、両親は映画を観に行くというので『ウィキッド』を激推しした。映画のあと合流して夕飯を食べることにして、私はいったん帰宅。
家の取材を受けることになっている。「取材て……私が……???」とは思いつつ、こんな機会はなかなかないので、遠慮なく、のびのびと家の話をした。取材なのだから当たり前だが、私ばかり話す。そういえば家の話をまとめてしたことがないので、話しながら自分で「シンプルに話が下手だな」と思った。あと買ったのはだいぶ前の話だし……必要かとおもって事前に時系列をまとめておいたのに、それを見ずに話したのもよくなかった。取材を受け慣れていないことがよく分かる。
とはいえ、家をたくさん褒めてもらってうれしかった。家を褒めてもらうと嬉しいが、私の手柄じゃない部分が非常に大きいので、あまりマゴマゴしないで済むのが良い。100%自分で作ったものを褒められると、どう反応していいか分からんのでマゴマゴするのだが、家は私の断片的なリクエストをきちんと理解し具現化してくれた設計士さんや、ずっと伴走してくれたコンサルさんの力によるものがほとんどなので、彼女たちの仕事ぶりを私も一緒になって賞賛することが出来る。
夜は母が寿司か和食が良い、というので探した店に予約を入れておいた。私の手持ちの札に寿司屋がほとんどなく、地道に開拓していくしかない。飲食店のレビューほどアテにならないものはないと思う。食べログ3.9、とか言われても知らん。最終的には自分の舌しか信用できない、だって私の好みの味は私の舌しか知らない。どんなに熱心にリサーチしても、自分で行ってみる以外に方法がない。
今日の店はラッキーなことに大当たりで「鼻が利くから」と自慢したが、まぁ運が良かっただけのこと。母は「鼻が利く子に育てたから」と、自分の手柄にしていた。お造りや天ぷら、焼きものでかなりおなかいっぱいになっていたが、絶対に締めの寿司が食べたいので、各自3貫ずつを厳選したのが楽しかった。私は鮪のほほ・金目鯛・煮蛤、母は平目こぶ締め・蒸穴子・信州サーモン、父はあおりイカ・勘八・焼穴子。大満足。
母がカードで支払ったので、私は一銭も払わずに解散。母の日も近いし、父の誕生日も近いので、今日は私がごちそうしようと思っていたのに、会計時にお手洗いに行ってしまうという痛恨のミス。ごちそうするにも技術が要る。
帰りに通りがかったスーパーの店先に「煮てくれ」と言わんばかりの苺を見つけたので6パック購入。レモン果汁が切れていたと思って買って帰ったのに、冷蔵庫を開けたら未開封のが1本あった。く、くやしい。
火曜はジンくんが出演したNetflix制作のバラエティ番組『キアンの破天荒ゲストハウス』を観た。キアンさん(漫画家らしい)が構想したゲストハウスで働くスタッフ、という役どころのジンくんは、心底惚れ惚れする仕事っぷりだった。こんなん『キアンの破天荒ゲストハウス』やなくて「キムソクジン惚れ直しコンテンツ全9話」やん。
ジンくんはフィジカル面でも頼りになるし、料理も掃除も運転も出来るし、人が何をやっているか・やろうとしているかを理解した上で自分が何をすべきかを判断できるし、そういえばとってもゲストハウススタッフ向きの人なのだった。ゲストハウススタッフ向きどころか、何か仕事をするときに、絶対いて欲しい人材なのだった。おまけにメンタルが安定していて、いつでも本質を見失わず、与えられた場所で目一杯のパフォーマンスを発揮できる。うーん、惚れ直すわ、ジンくん、かっこいいな。頼もしいよ。
うっかり顔が良いことを忘れそうになるが、激務の島仕事でほとんどの時間を海上の吹きっさらしで過ごし、日にさらされまくって、しかも寝ながら雨に打たれる仕様でほぼ野宿だというのに、ふとしたときの顔が女神かなんかかと思うほど美しい。常に目がきらきらでほっぺがつやもちで唇がぷるぷる。どういうこと?まじでどういうこと???
キアンさんは自分で考案した建物のむちゃくちゃさに自分で打ちのめされ(笑)「お客さんに申し訳ない、改装したほうが良いんじゃないかと思えてきた、もう妥協したい」と嘆くのだけど、ジンくんは「あんたが始めたんだから堂々と最後まで貫けよ(意訳)」と冷静に発破をかけ、しかも「僕は楽しいよ、みんなも大変だけどでも助けあってて、協力しあって楽しもうとしてくれてるでしょ、こういうところがこのゲストハウスの良さなんじゃないの?(意訳)」と励ましてもくれる。ジンくんにあんなふうに応援されて、なおかつ真っすぐ目を見て「僕が一緒にやるよ、手伝うよ」と言われて、何かを投げ出せる人間なんかこの世にいる……?キアンさんはジンくんを「精神的支柱」、「仏」と評していた。わかる。
結果的にゲストハウスは最初から最後まで不便極まりなかったが、どの人もみんな自分の身体を使うことや、人を頼ることなんかが上手になって帰っていったように思う。やらざるを得ないからやってみたら、思ってたより出来た、ということって自信になるし、その経験って応用がきくし、いつまでもずっと使えるでしょう。あの時出来たよな、やってみたら出来たよなって。
同じくスタッフとして出演したイェウンさんも、泣き言を言いつつ最後まで一生懸命やっていて良かった。ちゃんと泣き言を言えることだって、立派な長所だよな、と思う。泣き言を言いながらも進む人は強い。イェウンさんと車でふたりきりになったときにすかさず「僕だってほんとはキツいよ」と共感の泣き言を笑いながらシェアしてあげるジンくん、あまりにも「お兄ちゃん」が上手で、グッときてしまった。気にかけてるアピールはしつつも、あくまで甘やかさない感じもジンくんっぽい。
全9話なのであっという間に一気見してしまった。すぐにでも続編を製作してほしい。
苺を煮て、それから卵がたくさんあるのでチョコレートケーキを焼いた。前述のとおり全9話を一気見しながら焼いているので上がちょっと焦げたが、自分で食べる分なので気にしない。泡だて器でぐるぐる混ぜるだけの超かんたんなレシピだったけど、すごくおいしかった。焼き菓子のレシピって理屈が分からないので作ってみるまで味が分からないのがおもしろいと思う。味というよりは食感か。味はまぁチョコレートと卵と小麦粉とバターの味に決まってるけど、でも食感は焼きあがるまで分からんやん。料理はレシピ見ればだいたい味も食感も分かるもんな。知らん調味料とか食材がある場合は別としても。
キアン荘が良すぎたので再視聴しようかな、と思っていたら吹き替え版があるらしい。キムソクジンの吹き替え、超気になる。
スポーツマンシップ
2025年4月30日 (水) 19:37
ベランダで読書をするのに適した季節であるので、休日の午後ほとんどベランダで過ごしている。遅ればせながら『サピエンス全史』の文庫版を読んでいる。日本語訳版が出たのが10年前くらいだと思う。書いてあることはなんというか、誤解を恐れずに言えば「知っていることばかりだな」と思うけど、でも誰かに教わったり、学校で学んだりしたことではなかったので、順序立てて、きちんと言語化してあって、おもしろいな、と思う。いや、もしかしたら学校で学んだりしていたんだろうか、私が寝てただけで……あのころ本当に、なんであんなにずっと寝られたんだろう。
リウム美術館で観たピエール・ユイグの「liminal」展について、喉になにか詰まったときみたいな引っかかりを感じていて、その正体について、たまに考えている。大きくは「あれはなんだったのか」ということと、「私は何を感じたのか」ということの2つだと思うけど、どちらにも答えを見つけられていない。答えどころか、答えらしきものすら見つけられていない。「見つけなければならない」とは思っていない。ただ、何かは見つけて一旦は腑に落とさなないと、つっかえたまま生きることになってしまう、みたいな感じ。
でも何かを見て「やばいこれがつっかかえたまま生きることになってしまう」と思えるなんて、そうそうない体験だ。意図して出来ることでもないし。喜ばしいことなのかもしれない。
ジンくんのソロツアー(正式な分類が分からない、本人は”ファンツアー”と言っていたが)のチケッティングが始まったので、参加してみた。公演のチケットを獲得するための一連を韓国では「チケッティング」と呼ぶらしい。別に複雑なものではないが、日本のそれとは結構違う。日本だとだいたい先行発売があり、これは抽選制で、一般発売になると先着順でチケットを獲得できる、というのが一般的だと思う。場合によっては先行販売が複数回あったり、ファンクラブ会員だけが参加できる先行販売がある、という感じか。
今回の韓国公演の場合、まずはチケッティングに参加するために本人認証とファンクラブ会員認証を済ませておく必要があった。当日は購入ボタンが表示される時間が決まっている。それを押すと、待機列みたいなものに並ぶことになる。時報みたいなので確認してピッタリ20時に押したけど、私の待機列は26,000番台だった。え、これもう無理じゃない?と思ったけど、どうしようもない。さらに、ここから30分くらい待つ。
待機列はきちんと0までカウントされ、次は座席を選択する画面に遷移する。そう、日本と一番違うのは、座席を選択できる、ということみたい。すごいね。確かに飛行機とか新幹線とかは座席を選べるもんね、窓側がいいな~とか。
が、空席そのものがほとんど0に近い。っつーかもう0。空席を見つけても同時に押している人がいる場合はエラーになってしまう。エラーが出たらその席はあきらめてほかの席を選択する、という感じで進む。誰よりも先に空席を見つけてクリックし、決済まで完了する、ここまでを10分で済ませないといけないらしい。10分経つと追い出され、また待機列に並びなおす。
3回並びなおしたけど、結局空席自体がもう無いのでどうにもならない。後日、一般発売にも参加したけど、この時は先行販売ですでに98%席が埋まっているところに8万人並ぶ、という状況になっていてすごかった。これが物理的な椅子取りゲームでなくてよかった、確実に死者が出ていると思う。
先行販売の時間が終わると、さっそく転売チケットに400万ウォンの値がついているのを見かけた。妥当な値段なんだろうか。どうやって決めるんだろう。吹っ掛けて400万ウォンなの?それともこの額なら売れるぞ、の400万ウォン???あと本人確認が必要なモバイルチケットをどうやって転売するんやろう。何も分からない。
ヨーロッパ公演のチケッティングも流れは同じ感じだった。私は日程的にアムステルダム公演ならどうにか行けるかと思い、座席を確保する寸前までいったけど、そもそもお盆の時期に航空券を取ってアムステルダムまで行くだけでもかなりの出費になる。現地に滞在できる時間を考えると、さすがにもったいなさすぎる。アムステルダムやで。せっかく行くなら5泊ぐらいしたい。アムステルダムやで。
ヨーロッパ公演はチケッティングに参加するまでに、航空券を含めて「いくらまでなら出すか」を明確にしておくべき、と思った。「でもジンくんに会いたいもん」みたいなので動こうとすると危ない。後悔する、とかはないけど、でも金額なり、日数なり、とにかくはっきり数値化できる指標を先に持たないと、危ない感じがした。
ライブハウスか本人に直接メールして、当日は受付で名前を言えばOK!みたいなところで育ってきたことを思うと、気が遠くなる。なんか、ずいぶん遠くまで来たな……
韓国公演の席数は11,000程度だったそうだ。厳しい。キャンセル分が出るだろうから引き続きこまめにトライするけど、厳しいだろうな。キャンセルったって1万人がキャンセルするはずないもん。せいぜい1000ぐらいでしょ。8万人が1000席を取り合うさまを想像してほしい。よほどのことがないと厳しい。
とはいえこの自分の手で自分の席を掴み取る感じ、楽しさとかやりがいはあるかもしれんね。抽選制だと良くも悪くも何もできないし、ただお祈りするしかないし、自分の運や徳を信じるとか神頼みとか、そういう感じになるからさ。
同じ日の同じ時間にはASTROの公演もチケッティングがあったようで、Twitterで検索するとみんな手に汗握る感じでトライしていて楽しそうだった。勝手に仲間意識を抱いてしまう。良い席が取れるといいね。
チケッティングに参加するまでは「韓国公演なんだから基本的には韓国の人が、現地の人が行ったほうがいいよな、だって日本公演は4本もあるんやし」と思っていたのだけど、いざチケッティングに参加してみると「……とか言うてる場合か!!!」と思った。野暮なことを言って、本当にすみませんでした。
SPOT
2025年4月28日 (月) 19:34
土曜日、湊川手しごと市に出店。屋外のイベントは初めてだったので、いろんな準備不足を実感した。絶対帽子要る。
あと、本当にひとつも、何一つも売れなかった。まじでひとつも。かなしい!
要因はいくつか考えられるけど、まず「日常的に手ぬぐいを使う」ということが、私が思っているよりも一般的でないのかもしれないと思った。手ぬぐいに縫い目がない理由や、ほつれを心配しなくていい理由なんかは、ほとんど知られてないんだと思う。年配の方はご存じだろうと思っていたけど、そういう問題でもなさそう。つまり、もうちょっと解説したり、説明しないといけない。
一方で「私は実用品として、私の手ぬぐいを売りたいのか?」という問題も、ちょっとある。もちろん実用品として買ってもらったらいいし、私も使っているし、不満があるとかじゃ全然ないのだけど、実用品としての手ぬぐいが欲しいのなら、わざわざ私のを買う理由など無いのではないか。手ぬぐいは衛生的で便利で用途も多いから良いものだと思っているけど、でも「手ぬぐいを使いたい」のなら白無地で4枚セットの岡生地手ぬぐいをAmazonで買うのでいいでしょう。わざわざ私の描いた絵が入ったのを買う理由はないよな。
あ、ちょっと書きすぎたな。脳内を書きすぎました。脳から直で書きすぎました。誰も読まないでください。
夜、中国・台湾ツアーから戻ってきた下岡晃がファンクラブ向けに配信をしてくれて、久しぶりに顔が見られてうれしかった。「顔が見られてうれしい」なんて、あんまり思ったことなかったな。なんでやろ。
現地がどんな様子だったか、現地のファンの人たちの様子や、何を食べたか、街がどんなだったか、みたいな話、すごく楽しいしうれしい。私が見る台北と、下岡晃が見る台北は同じではないのだ、同じだと錯覚しているだけで。そのことがうれしい。
別の国にアナログフィッシュのファンがいることや、ライブに行こうと思うファンがいることもうれしい。中国だとライブはサイン会とセットになっていて、終演後は全員にサインをして、少しおしゃべりをしたりするような時間が設けられているらしい。かわいい。
下岡晃は「みんなスマホのメモ帳にさ、なんかメッセージとかを日本語訳したのを書いてきて、見せてくれるんだよ」とスクショを見せてくれた。なんて素敵な話だろうと思った。好きなバンドが好かれていて、しかも歓迎されていて、とてもうれしい。遠い異国の地に、自分の好きなバンドが来てくれることがどのぐらい特別で、夢みたいなことか、よく分かる。分かるから、気持ちが分かって、とてもうれしかった。
配信のときにどのぐらいコメントを書き込むかは結構むずかしい。私は下岡晃に話しかけたくもなければ(緊張するから)、楽曲の感想なども言いたくない(おこがましいから)。とにかく直接何か言いたい気持ちがない。
端的に言って、好き過ぎるのだ。好きが過ぎると何も望まなくなり、言うことが無くなる。もし望むことがあるとすれば、ずっと音楽を続けて、あとは健康で、いつも幸せでいてほしい。もし下岡晃が健康で幸せでいることと、音楽を続けることとが並行できない日が来たら、健康と幸せのほうを優先してほしい。音楽は、これまで作ってくれた音楽があるから、私はそれを一生聴くから、私はそれで、生きていけるから。
一方で私が配信で、ひとりでしゃべる側だった場合、あまりにも無反応だったり、全然コメントがなかったりすると、あれは結構不安だし、どうしていいか分からなくなるので、少し気持ちが分かる。ので、なるべく質問をしたり、ガヤ的なのを入れたり、他の人と被っててもあえて感想を書いたりした。下岡晃はひとりずつ名前を読みあげ、律儀に返事をしてくれて、親切だった。が、そこでの私は友人がつけてくれたラジオネームを名乗っているので、呼ばれるたびに気恥ずかしい。名前は別に、すぐ変更できるけど、でも変更するとしたら本名で、本名で呼ばれるのも、それはそれで気恥ずかしい。
日曜日、ロバート・ゼメキスの映画『HERE』を観に行く。開始10分くらいで「あ、これ画角このままやるのか?ずっと?」と思っていたら、本当にそのまま、ラスト1分くらいまで一度も動かなかった。「試みとしておもしろいでしょ?(ドヤ!)」みたいなのは私は感じなかったし、画角が固定されているぶん集中できるし、「場所としてはここは同じ場所である(=HERE)」というタイトルやコンセプトとも繋がっているし、なかなか良いプランだなと思った。没入感がある一方で、壮大な年月をテーマにしているわりには、さほどドラマチックにはならない、という結構めずらしい映画だったと思う。こういう映画って、ドラマチックにするほうがむしろ簡単なんじゃないだろうか。もちろんドラマチックに捉えることも出来るだろうから、観る人によるよな、それはもちろんそう。ただ私は、そんなにドラマチックな映画だとは感じず、人ひとりの人生は、ほんとうにささやかなものだな、と思った。でも、ささやかで、取るに足らない人生を、みんな懸命にやってるでしょ、人間てかわいいよね。どんなに運が良くてもせいぜい100年くらいの一生をさ、みんな懸命にさ。かわいいし、えらいよ。
あとは「家が数百年持つ国の人ならではの作品だな」と思った。日本だと例えば「築300年の家を買って住む」というのは全く一般的ではないもんね。うらやましいかぎり。私も築100年越えの家に住んでみたいもんだよ。
ただ原作がグラフィックノベル、だそうなので、それも気になる。何グラフィックノベルって。どういうものだ。
映画のあと韓国食品のマートに行ったら、こないだソウルで買いたかったけど荷物の重量制限を気にして買えなかった매실청(メシルチョン)があったので買った。現地で買うのの2倍ぐらいするので悩んだが……高い。高いけど、でも重量制限をオーバーするとこの程度の額では済まない。そういえば今回は気にした甲斐もむなしく、結果は「15.4キロ」だったのだけど、超過料金は取られず見逃された。理由は謎。四捨五入するの???15.5だったらアウトだったの?私は韓国で酒だの皿だの調味料だのと重いものばかり買うので、15キロなんかはすぐなのだ。海苔だけ買ってれば心配しなくていいんだろうけど。そんな人おらんか。
メシルチョンはオリゴ糖の梅シロップみたいな調味料。韓国料理は甘みをつけるときに砂糖を使う以外に、よくオリゴ糖を使っている様子。溶けやすいし、少量でしっかり味が付くからだと思う。メシルチョンはすこし梅の酸味があるので、そのままお水や炭酸水で割って飲んでもおいしいし、甘みだけでなく風味があるのが良い感じ。料理にどうやって使うのかは知らない。これから調べるね。
朝9時半の映画だったので、お昼を食べて、喫茶店で少し本を読んで、八百屋さんで苺を買ってから帰宅してもまだ13時過ぎで嬉しい。「あまクイーン」という品種の苺を買ってみた。すごく大きい苺です。
帰宅してからは洗濯をして、ベランダの柵を掃除し、布団を干した。天気がいいのでベランダに椅子を出して読書。洗濯物を取り込み、毛布を圧縮して仕舞い、夜はお弁当に持っていく炊き込みごはんを作った。舞茸を山ほど入れたのですごくいいにおい。舞茸がいちばん好きなきのこ。僅差でしいたけ。
JULY 8, 1981
2025年4月21日 (月) 20:23
韓国旅行を思い出し、毎日「また行きたいなぁ」と思っている。楽しかった。今回はトイレを借りてミュージアムショップに寄っただけの国立中央博物館に、次回は必ず行きたい。日本語のガイドツアーもあるらしい。現代美術館には毎回行きたい。
でも私は、国立の民族博物館が寄付を募るような国に住んでいるのだ、と思うと、暗い気持ちになるな……日本でももうちょっと頻繁に美術館や博物館に行こうと思う。それぐらいしかできることがない。
寄付を募ることが悪いこととは全く思っていないけど、でも国立の博物館なのだから、つまり「国はあの民族博物館がやろうとする事業に金を出せない(出さない、のかもしれんが、どっちにしてもそんなに変わらん)」ということなんだと思うと、かなり危機感を感じる。文化を守る、文化的な国であってほしい。
美術館や博物館だけでなく、建築物がどんどん取り壊される現実に、どう立ち向かえば良いのだろうな、といつも思う。例えば天命反転住宅は修繕費用が払えなくてクラウドファンディングに頼ったし、山の上ホテルは再開も未定のまま老朽化を理由に閉業(明治大学が買ったみたいなので、どうにかしてくれると期待している、出来ればまた泊まれるようにしてほしい)、千里阪急ホテルは来年取り壊しが決まっている。どれも民間の建築物だから、国がどうにかすべきってことはないのかもしれないけど、歴史的にも価値があることは素人目にも分かるのに、誰にも守ってもらえないのは悲しい。神戸でもあちこちの洋館がボコボコ取り壊されている。「どう立ち向かえば」っつーか、全然どうにも出来ないし、私になんの権利もないのよな。だからただ悲しい気持ちで見ているだけで。悲しいね。
クラウドファンディングに頼ることが悪いとは思ってなくて、私も「取り壊しを決める前に募ってくれてよかった」と思って出せるだけのお金を払うけど、でもあくまで一時的な解決にしかならないというのが気にかかる。だってどんなに好きな建築物でも「維持費がかかるから毎月1万円お願いね」って言われたら厳しいもん、毎月かぁ~毎月は厳しいごめん、ってなるもん。
他の国はどうしてるんだろうな。たとえば韓国は、どうしてるんだろう。シンチョンにある、焼き魚の店で考える。隣の席で鯖の定食を食べるおじさんに聞いてみたかったが、ここまでの説明を韓国語で出来ない私は、ただ自分の分の鰆をもりもり食べるしかなかった。歯がゆい。歯がゆいが、鰆はうまい。
韓国国立現代美術館では「会話」をテーマとしたワークショップメインの展示が行われていた。あんまりちゃんと理解できなかったけど、たぶん「美術作品に触れると、その作品の説明や感想、解釈なんかが言語化されるね!言語もめっちゃアートじゃない!?言語で何ができるか体験してみよう!」みたいな感じだった。良いテーマだなと思う。
ちょうどトークイベントが始まるところだったので参加したかったけど、どう考えても付いていける語学力がないので諦めた。悔しいが、こういうイベントに参加できるようになるほどの語学力はそう簡単には身に付かないだろう。ま、10年単位で考えれば、いつかできるようになるかもしれない。
何か私でも参加できるワークショップがないか見ていたら「本を読んで、ノートに文章を書き写しましょう、感想があれば付箋に書いてね、前の人が書き写した分の続きから始めてね」というものがあった。ほほーん、これなら出来そう。本を読んでも意味は分からないけど、書き写すぐらいなら私も出来る。
が、活字ならまだしも、人間が書いたハングルを読み慣れていない私は「前の人が書き写した分の続き」がどこなのかが分からない。人間が書いたハングルって、めちゃくちゃ読みにくいんやな。当たり前か。봄か봉か봅か、まじで分からない。文章が読めればもちろん区別できるねんよな。前後から推察できるから。言語って何割ぐらい予測で扱ってるんやろ。もしかして、6割ぐらいは予測じゃないのか。
数字やアルファベットを頼りにどうにか「前の人が書き写した分」がどこまでなのかを見つけ、「続き」を書き写した。人名と助詞くらいしか理解できないけど、正直私はハングルを書いているだけで楽しい。
感想を付箋に、か。なるほど。でも感想は書けない。何しろ何が書いてあるか分からないんだから。せめて何の本かは知りたい、と思い表紙をGoogle翻訳にかけたら『他人を聞く時間』というタイトルの本だった。おもしろそうな本ですね。私が書き写していた部分は元素の話をしていたらしい。文脈も分からない。
この展示に限らず、現代美術館は作品展示とその後のワークショップがワンセットになっていることが多いみたいだった。ワークショップといったって、紙と鉛筆がおいてあって「展示を見た感想を残していってね」ぐらいのもんで別に難しいことではないけど、老いも若きも結構みんな積極的に参加していて良いなと思う。好きな作品をリストアップしたり、作品を模写したり、誰と来たか書き残したり、詩みたいなものを書いたりして、置いていくみたいだ。素敵だな、と思うけど、韓国の人たちがそれを素敵な行為だと思っている様子はあまりなかった。それぐらい「なんてことはない」行為なんだろうか。だとしたら、もっと素敵だ。
感想を言ったり、どんな気持ちになったか話したりすることに、なんのハードルもない世の中であってほしい。日本は(私の主観的体感の域を出ないが)「感想の感想」を言ってるだけの人が多いと思う。たしかに作品をつくるより、「感想」を言うより、「感想の感想」を言っているだけのほうが、圧倒的に楽だし、頭も良さそうに見えるし、何より傷つかなくていいもんね。でもそれをやっている以上は外側で、外側にいる限り、そこはずっと外側だよ。
外側にいる人が強いのは、単に数が多いからってだけだと思うけど、この構造自体が、私はあんまり気に入らない。
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