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調味料の代替不可能性についての個人的見解
2022年10月27日 (木) 20:40
友人から「酒、醤油、みりん、砂糖ってめんつゆで代用できる?」というDMが届き、数分思案した。代用……つまり代わりに用いることが可能か?という質問だ。一瞬「なぜDMで聞いてくるのか」と頭をよぎったが、いや、今そこはいい。別にDMでいいし。
酒、醤油、みりん、砂糖を麺つゆで代用できるだろうか。一旦「大体できる」と返信し、めんつゆの味について考えた。私はここ2年くらいは広島県竹原にある阿波村醤油の醤油・めんつゆ(ほんとうにおいしいが買える場所が無いので勧めにくい)しか使っていないので、直近の市販めんつゆ事情についてはあまり詳しく知らないが、それ以前はスーパーでヤマキやごんべんのめんつゆを買っていた。原材料を熟読した記憶はない。何が入ってるんだろう。
とは言え酒とみりんが入っていないことは確実だ。めんつゆに限らず「料理酒」は「酒」ではないし、スーパーに並んでいるほとんどは「みりん」ではなく「みりん風調味料」だ。めんつゆにだけ律儀に酒とみりんが入っているはずがない。入っていたとしても酒税がかからない程度のアルコールしか入っていない。酒・みりんは14~15%程度はあるから酒税がかかる。
ちなみに私が使っているみりんはスーパーの調味料売場にはなく、酒屋さんにしか売っていない。ある日「一回試しにちゃんと焼酎で仕込んだみりんを買ってみようかな、大して味が分からんかったら本みりんに戻ればいいや」と思い立ち気軽に買ってみたら、案の定戻れなくなったのだ。お吸い物みたいな、シンプルな味付けのものを作ると違いが如実に出てしまう。まぁ値段は、高いけど、でもそんなにドバドバ使うもんでもないしさ……と誰に対してか分からない言い訳しながら、使っている。
私にはこうやって、開けなくてもいいようなパンドラの箱を次々と開けていく悪癖があり、結果どんどん「こだわりのある人」みたいになっていってしまっている。だから家に味噌が7種類、砂糖が9種類もあるのだ。狂人じみている。33歳でこの感じだと、60歳ぐらいの時にはどうなっているんだろう。考え出すと怖くて眠れなくなる。大らかで朗らかなおばあちゃんになりたいのに、全くなれそうにない。
めんつゆに話を戻す。
醤油は確実に入っているはずだ、ベースになる味なんだから。砂糖も確実に入っている。砂糖が入っていないにしても、ぶどう糖果糖液糖とか、そういう系の甘味料が何か入っているはずだ。あとは塩と、かつおか昆布か、とにかく「出汁」になるものを入れるだろう。さすがに醤油を甘く味付けしただけのものをめんつゆとして売るとは考えにくい。自分で作るにしても出汁になるものは必ず入れるもんな……魚介出汁じゃないにしても、椎茸とか、鶏とか鴨とか。あ、鴨出汁のお蕎麦食べたいな。
問題は「酒、醤油、みりん、砂糖を麺つゆで代用できる」と言い切れるかどうか、という点だ。単に味付けという点であれば、代用できると言ってしまって差し支えないと思う。最近のめんつゆは良く出来ているし、不自然に甘かったり、しょっぱすぎたりすることもなく、うどんやそうめんを食べる本来の用途以外にも煮物やおひたしに使える。炊き込みごはんに使っても良いし、加熱しなくても使えるからサーモンや鮪を漬けたり、ゆで卵を漬けてもいい。万能調味料だと思う。
が、酒とみりんの代わりができるか、と問われたら、これは「できる」とは言い切れない。酒とみりんの仕事は味だけじゃないからだ。
酒・みりんはどちらも米をベースにし、麹で発酵させて作る。どちらも材料、もしくは発酵の過程で発生するアルコールが含まれるので、食材に味が浸透しやすい、肉を柔らかくする、臭みを消す、煮崩れを防ぐ、照りを出す、などの良い効果がたくさんある。味で言うと酒にもみりんにも塩味・甘味があるが、それだけでなくアミノ酸が含まれている。これはうま味、という扱いになると思う。うま味を補う何かはめんつゆにも入れてあるはずだが、アルコールが含まれていない以上「完全に代用できる」とは言い切れない。
ここまできちんと順を追って説明すべきか、と悩んだが、たぶん、求められていない気がする。友人の質問は単に「塩胡椒で肉に味付けする以外の調味料は何かないのか?」ぐらいの温度感だし「酒、醤油、みりん、砂糖をぜんぶ買うのは少し面倒だな」と思っている段階なのだ。ここで酒とみりんの効果について長々と説明することに、なんの意味があるだろう。「なんか知らんけどうるっせぇーな」と思われるだけだ。やめとこう。
私は「めんつゆはメーカーによって味もかなり違うから、好みのを探してみてね」と言うに留め、酒・みりんの長々とした蘊蓄は自分の胸に仕舞った。
ってか自炊しない人の家って醤油と砂糖もないの?酒とみりんは無いだろうと思うけど、醤油と砂糖もない???少なくとも醤油はあると思っていた。逆にマヨネーズ・ケチャップ・ソース、の方がある?自炊しない人、家にある調味料を教えてほしい。とっても気になる。
牛乳を注ぐ
2022年10月26日 (水) 20:39
7月から、またシルクスクリーンをやっている。先月久しぶりに総柄・2色刷りをやったらたいした枚数刷ってないのに、11時に開始して18時までかかった。14時頃におにぎりをひとつ食べたとき以外はずっと立っていたので脚・腰・肩が順に死んだ。夜は友人と焼肉を食べたが「いま酒を飲んだらブッ倒れるかもしれん」という危機感が生まれ、烏龍茶に留めた。焼肉はおいしい。
総柄はしんどい。位置合わせもしんどいが、2色刷りにした場合、1枚の布に計8回刷ることになるので、ミスが怖い。7回目までうまくいっていても、8回目でミスれば全部が台無しになるからだ。今回は布で総柄・2色刷りだったので位置合わせもかなり難しかった。紙に比べて布は引っ張れば伸びるし、緩めたまま刷ることだって出来る。1版目がずれたり歪んだりした場合、2版目はどうやったって合わない。版ズレは個人的にはかわいいと思うしシルクスクリーンの魅力のひとつだけど、限度がある。
作業場がもう少し家から近いと良いのに。工房があると言えばあるけど、そこは半日しか使えないし、料金形態がいまいち分からない。製版の費用も含まれてるならこっちの方が安いし、大きいサイズのものを作りやすいけどなぁ……予約が電話でしか出来ないのと、版下を自分で作らないといけないのもまぁまぁハードルが高い。版下は家で刷れん。キンコーズでやったらええんかな。まぁ一回やってみてもいいか。
数年ぶりにオンラインショップも開けた。売れるとは思っていないし売れても利益は出ないが「刷ったものをどうするか問題」がずっとあって、まぁ売るのが一番、なんというか素直なルートだからだ。私は私の作っているものが本当にかわいいと思っているし、自分でかわいいと思えるように作っているんだから当たり前なんだが、これを「人が買うもの」だとは基本的に思っていない。欲しいと思ってくれる人はいるけど「欲しい」と「買う」は別ものだと思う。というか「かわいい」と「欲しい」と「買う」はどれも全然イコールじゃないと思う。「かわいくて欲しいけど買わないもの」は街に溢れかえっているし「かわいくないし欲しくないけど買ったもの」なんか家に山ほどある。
が、こういうことを言うと卑屈になっている・卑下している、みたいな感じになってしまって、それも違う。こういうの書かんかったらええんやろな。ま、えっかどうでも。
と言っている間に、件の総柄・2色刷りスカーフは残り1点になった。商品を増やさないとなぁ。次はくまちゃん柄の半てぬぐいを作りたい。
文
2022年10月17日 (月) 20:28
甥2はいまだに私に会うと「のんちゃんいや!」「あっちいって!」「いや!」と騒ぐのだが、1時間ほどすると慣れ、平気な顔をして近づいてくるし、膝に乗ってくるし、「のんちゃん、あのさぁ」と親し気に話しかけてくる。最初の拒絶なんやねん。嫌なんちゃうんかい。
甥1も3歳くらいの頃はまだ私に対して人見知りしていたけど、こんなふうにハッキリ「あっちいって!」とは言わなかった。物理的に距離を取り、こちらの様子を伺う程度で、口に出して拒絶することはなかった。
別にどちらが良いとかいうものでもなく、単純に性質の問題なんだろうな、と思う。これから20~30年かけて性格が形成されるとは言え、性質はまた別のものなんだ、と何度も気づく。おもしろいね。
甥たちは従兄弟の子たちや友人の子たちに比べて、めちゃくちゃ関西弁でしゃべるので、それもおもしろい。アニメや動画サイトの影響なのか、最近は標準語で話す子どもが増えたように思うけど、甥たちは私が笑ってしまうくらいゴリゴリの関西弁だ。「こんなんあかんわ」とか言うし。かわいい。
急に寒くなってしまって困っている。布団が無いからだ。ベッドを買い替えたときにシングルサイズの布団はもう要らないので、実家に引き取ってもらったが(つーか元々実家から持ってきた布団だった、私は自分で布団を買ったことが無い)、夏だったので布団を買うのは後回しにしていた。こんな急に寒くなると思ってなかった。今は夏掛けのワッフルケットの上に毛布を重ねて寝ている。毎晩「なにこのへんな寝具」と思うので、早く布団を買ったほうが良い。
ドライヤーも買い替えないといけない。風力が弱まっているからだ。いつ買ったか覚えてないけど、たぶん引越しの時に買ったはずだから、まだ3年くらいしか使ってないはずなのに。風力が弱まっているわりに温度がめちゃくちゃ上がるのはどういう理屈なんだろう。でも安かったしなぁ……次はもうちょっと良いやつを買って10年くらい使いたい。
「水星でも逆行しとんか?」と思うほど、懐かしい友人から立て続けに連絡が来て嬉しい。水星が逆行すると復縁したり、旧友と偶然会ったり、そういう「過去に戻るようなこと」が起きがちらしい。今調べたら今は特に逆行してないようです。ははは、水星のせいにしようと思ったけど違った。
私は高校生のときから携帯電話の番号を一度も変えていないし、SNSもすべて本名でやっているから、比較的見つけやすく連絡を取りやすい生き物だと自覚しているけど、それにしたって10数年会っていない私に不意に連絡をくれるのはありがたいことだ。私は「元気かなぁ~元気にしてるといいなぁ~」と思うのが関の山で、距離的に会うのが難しい人に対しては「まぁまたいつか、縁があれば会えるだろう」ぐらいの感じでやっていて、会える距離にいる人は「ごはん食べん?」とLINEするぐらいの感じでやっている。
友人は私が昔好きだった男がカラオケに行くとよく「熱帯夜(リップスライム)」を歌っていた話をしてくれて、全方位のなつかしさで泣いている。
おやすみマーフィー
2022年10月3日 (月) 20:56
21時前だというのに気絶するほど眠い。昨日あまり深く寝られなかったからだろうか。夢を見たせいだ。夢の中で、私はなぜか社会人オーケストラみたいなところに所属しており、なぜかソロパートのオーディションみたいなことをさせられていた。夢なので楽譜は初見だし、そもそも楽器を持つのだって数年ぶりだ。オケのメンバーは知らない人ばかりだったが全員悪意に満ちており、私の拙い演奏にクスクス笑い、聞こえる声量で「ヘタじゃない?」「わきまえろよ」と口々に意地悪を言った。悔しくて泣きながら目が覚めた。そりゃヘタやろうよ、練習してないもん、音出しぐらいさせてくれても良くない?あと楽譜が初見やねんけど、ってか何あの曲、全然知らん曲やし、転調が多すぎるし、私ソロやりたいなんて言うてへんし、っつーか「わきまえろ」てなんやねん、誰やあいつ、もっぺん言うてみろや。ゆ、夢か……何いまの夢……つらかった……
京都でライブの時は1時間半の距離を帰るのが億劫で、いつも泊まりにしている。時間も遅くなるし寝るだけだから、大抵はカプセルホテルに泊まるけど、たまにはちょっと良いところに泊まろうかと思い、3倍くらいの値段のところを予約した。朝ごはんも付いている。3倍と言ってもカプセルホテルの3倍だし、朝ごはんが付いているのだから全然高くはないけども……ベッドはキングサイズで横幅は200cmもあった。しかもJBLのスピーカーが置いてある。うれしくてCSSの「Music Is My Hot Hot Sex」を爆音でかけた。ミュージックイズマイキングサイズベッド。さすがに爆音すぎるかと思ったけど、元々設定してあったボリュームがこれなんだから、たぶん大丈夫なんだろう。苦情があればフロントから連絡が来るだろうし。
広いベッドがうれしくて、斜めに寝転がって眠くなるまで本を読んだ。今読んでいる本は胸糞悪い感じの小説なので、情緒が無茶苦茶になる。
朝ごはんは離れにある古民家で、まずはお出汁を飲むような和朝食を食べた。羽釜で炊いたごはんがおいしい。おかずは小松菜のもみじ和えに梨が入っていたのがおいしかった。「もみじ和えて何やろ」と思っていたが、たぶんにんじんをすったやつと胡麻をすったやつで和えてあった。梨は食感も良いし、ほんのりした甘さも合うし、季節感もあって良いなぁ。
ただ、だし巻きたまごは姉が作ったやつの方がおいしいと思う。というか私は姉が作っただし巻きたまごが好きすぎるのだ。姉は焼酎バーで働いていたときにマスターに教わっていて、だし巻きたまごがめちゃくちゃおいしい。私はどこでだし巻きたまごを食べても「いや、姉が作ったやつの方がおいしいな」と思っている。もちろん口には出さないが。
京都でだし巻きたまごなら、丸太町の十二段家がおいしい。……姉のと同じくらい。
ライブはアナログフィッシュの企画ライブ「ジョントポール」で、これはボーカルが2人いるアナログフィッシュならではのおもしろい企画だ。通常は2人の曲を合わせてセットリストを構成するところを「ジョントポール」では下岡回・佐々木回に分けて演奏する。下岡回のライブでは下岡晃の曲だけを、佐々木回のライブでは佐々木健太郎の曲だけを演奏するのだ。通し券も売っている。
嘘みたいな話だが「ジョントポール」は16年ぶりらしい。16年。
ライブは下岡バンド・佐々木バンドともに、とても良かった。下岡回は3曲も新曲をやってくれて、うれしくてソワソワした。新曲が出来ていることもうれしいし、それを聴けることもうれしいし、私が初めてこの曲を聴いたのが今なんだ、と思うのもうれしい。州ちゃんがメインボーカルをやってくれる曲もあって、とにかく贅沢な時間だった。佐々木回は終盤に「パワーーーー!!!!」みたいな楽曲を畳み掛けるような構成になっていて、かっこよすぎて笑ってしまった。かっこよすぎると笑ってしまう。
Ryo Hamamotoは演奏中、私にはよく分からないタイミングで膝をつく(膝をつく、って意味わからんけど、他になんて表現したらええねん、膝を折る?)のだけど、あれがよく分からないけどすごくかっこいい。真似したい(出来ない)。
翌日、想定したより気温が高くて暑いし、もう帰ろうかな、と思ったものの、しっかり朝ごはんを食べたから元気が出てきて、アンディ・ウォーホル展を見に行くことにした。
美術館は想定の5倍混んでいて、しかも写真を撮っていいことになっていたから絶えずスマホのシャッター音がしていた。困ったことになった。まず、私は混んでいる美術館が心底嫌いだ。次点で写真を撮っていいことになっている美術館が本当に嫌いだ。昔は美術館で写真を撮るなんて、無かったと思う、いつからこんなことになったんだろう。最悪だ。2200円も払ったのに、もう帰りたい。
とりあえず入場を時間制で分けているようだったし、さして会場も広くないようだったので、ある程度人が捌けるのを待つことにした。とはいえ再入場は出来ないから、館内で待つしかない。どデカい迷彩柄の作品の前にベンチが置いてあったので、そこに座って20分くらいどデカい迷彩柄の作品を眺めた。でかい。どうやって刷ったんだろう。どデカい迷彩柄の作品は、後で確認したら高さが2m、幅が10mだった。でかい。どこで制作したんだろう。ウォーホルは人をたくさん雇ってたみたいだから、本人は刷ってないかもしれない。
ある程度人が捌けたら、空いている作品群を飛び石のように見た。ウォーホルの作品はMoMAで見た以来で久しぶりだ。写真の作品がかわいくて良かった。ドローイングをもっとたくさん見たかったな、というか作品点数が少なかった気がする。プレスリーのはMoMAで見たやつと同じなんだろうか。シルクスクリーン作品だから、同じに見えるけど違うやつかもしれない。
ウォーホルの作品は版さえ上手く似せれば、私もほぼ同じものを作れる(私だけでなく、全人類が作れる)が、それはもう出来ない、というところがウォーホルのすごいところだ。発明だからだ。ウォーホルは「ウォーホルっぽさ」を発明したから、後からこれをやるとみんな「ウォーホルっぽい」ものしか作れない。
ウォーホルは色彩感覚が陰キャっぽくて好きだ。ポップで明るい雰囲気のものを作る人が、ポップで明るい人なわけがない、と思う。
阪急電車に乗って梅田で降り、豆花を食べてから帰宅、帰宅後はオンラインショップの受注分を梱包して発送した。梱包、もうすこし効率よく、見た目よくやりたい。ギフト対応もできるようにしたらいいんじゃないかな、箱探そう。
数年ぶりにオンラインショップを開けましたので、よかったらどうぞ。とは言え今は1商品しかなくて、その在庫も無くなりかけています。が、増やす気でいます。https://tanakanozomi.stores.jp/
ただかわいいだけ
2022年9月30日 (金) 21:27
かわいくて、めちゃくちゃ欲しくて、とは言え生活に必ず要るものでない場合、簡単には買えない。値段が高ければなおのことだ。
アレッシィ(というイタリアのブランド)のケトルを何かのインテリア雑誌で見かけたとき、あまりのかわいさに、ページを千切って持って帰ろうかと思った。場所は通っていた高校から一番近い本屋で、雑誌は売り物だったので、もちろん千切りはしなかった。その時の私は高校生で、雑誌を買うお金すらないのに、インテリア雑誌に載っているケトルなんか、買えるはずもなかった。
数年後、そのケトルのことをふいに思いだし、すぐデザイナーを調べた。デザイナーはアルド・ロッシ、建築家だった。日本にもいくつか設計した建物があるようだ。
雑誌の中ではわりと高齢の女性の家のキッチンに置かれており、長く使い込んだような経年変化も含めて素敵だった。私は基本的に、デザインが良くて丈夫な物・質の良い物を長く使うのが好きだ。ただし「機能的でなくてもべつに良い」とも思っていて、自分ではそのあたりに、私らしさを感じたりもする。理由はわからないが。
が、ケトルは3万円だった。3万円。湯を沸かすだけの道具が。高い。ヤカンに水を入れてコンロにかけ、湯を沸かしてる人間なんて、もはや少数派なんじゃないのか。いまどき電気ケトルだって3万もせずに買えるはずだ。でもかわいい。欲しい。もう高校生じゃないから3万円は「払える金額」だ。でもケトルだぞ、「3万円が払えるかどうか」は今あまり関係ない。
円錐形のすっきりしたデザインは、建築家が設計した建築物と同様に、整然としているように見えるが、全体のバランスや注ぎ口の角度、取っ手の大胆さは感性的でもある。うわーん、超かわいい。超欲しい。私の家のキッチンに、あのケトルを置くさまを想像してみる。リンナイのビルトインコンロにも似合うだろう。欲しい。
でも湯を沸かすだけなら鍋でも良いのだ。「今持っているのが少し小さくてちょっとだけ不便」は、3万円のケトルを買う理由として弱すぎる。一人暮らしを始めるときに母が買ってくれたこの琺瑯のケトルひとつで、もう10年近くやってきたのだから、普通に考えたら今後もこれひとつあればやっていけるはずだ。そもそも3万円あればケトルだけでなく家中の鍋とフライパンを全部買い替えられる。
こうなると毎月「ケトル用貯金」として紙封筒にちまちまと貯金し、数か月経ってもまだ欲しければ買っても良い、という独自ルールを発動するしかない。お店の近くを通ったから、賞与が出たから、などの衝動的な理由で買うことを禁止し、一時的に上がりやすい物欲の、鎮火を待つ作戦だ。ちょっと高いな……と思うものを買うときは大体いつもこの作戦でやってきた。もし鎮火したら「いつもより多く貯金ができたな」で済むし、鎮火しなかった場合は堂々と胸を張って買えばいいのだ、そのために貯金したんだから。
それから4ヶ月ほどの「ケトル用貯金」を経たが、結局ケトル欲は鎮火しなかった。私はにこにこの顔で堂々と胸を張り、梅田へ行った。アレッシィは阪急の7階にある。お目当てのケトルは商品棚のだいぶ上の方にひとつだけ置かれていた。いかにも「意を決してこれを買いに来ました」という雰囲気が溢れ出ていた自覚があり恥ずかしかったが、意を決してこれを買いに来たのは事実なのだから仕方がない。店員さんが「何かお探しですか?」と声をかけてくれるよりも先に「あれをください」と指をさした。
そのときの店員さんは「こちらはアルド・ロッシのデザインでして……いや、ご存じですよね、失礼いたしました」と言っていて、私の「意を決してこれを買いに来ました」感を、何も言わずとも理解してくれているようだった。私は「ずっと欲しかったんです、うれしいです」と答えておいた。私の言う「ずっと」がまさか10年越えとは思っていないだろうけど、店員さんは「そうでしたか、どうもありがとうございます」と言って箱から出したケトルに指紋が付いたりしないよう、白い手袋をはめて丁寧に梱包してくれた。水を入れて火にかける鉄なんだから指紋なんか気にしないで良いし、すぐ使うから箱はどうせ捨てるのに、と思う一方、「意を決してこれを買いに来ました」の身としては、丁寧に応対されるとうれしい。
そこから2年経った。アルド・ロッシのイルコニコケトルは、今日も私の家のキッチンでかわいい顔をしている。冬はストーブの上に乗っているが、飽きずに今もずっとかわいい。私は「良い物を買ったなぁ」と、にこにこの顔をしている。
先日、家に遊びに来た友人が「おしゃれなヤカンやなぁ~」と言ってくれたので「そうやねん、めっちゃ高かった、3万もした」と答えたら「えー!めっちゃ高い!でも、やっぱ良いん?すぐ沸くとか?」と聞いてきておもしろかった。確かに、ただ湯を沸かすだけのものが3万円もするんだから「かわいい」だけでは済まされない。「異常に早く沸く」とか「お茶が劇的においしくなる」とか、付加価値的な要素が無いと、その値段はおかしい。そういう考え方もある。
残念ながら(?)このケトルは全部がステンレス製で、火にかけると全体が素手で触れないほど熱くなるのでミトンなしでは使えないし、蓋の部分が小さくて手が入らないので洗うのが面倒だし、茶渋が付いたらきちんと洗い落とせないかもしれないと思うと不安でお湯しか沸かせない。サイズもわりと大きいから置き場所を取る。お湯が沸く速度はあまり気にしていないので正確なことは分からないが、CMでやっているティファールの電気ケトルの方が絶対に早いだろう。すぐ沸く?と聞いてくれる友人の期待には沿えるほどの速度ではないと思う。
私は友人に「ううん、ただかわいいだけ」と答え、話題は別のことに移った。
ただかわいいだけのケトルで、私は今日もただ湯を沸かし、良い物を買ったなぁと、にこにこの顔をしている。
確定前夜
2022年9月28日 (水) 21:11
自分の創作、作るものについて何度か文章を書こうと試みているけど、最終的に「誰が読みたいねんこれ」と急に萎えてしまい、下書きが増えていく。投稿した他の文章だって、全部「誰が読みたいねんこれ」のやつしか無いというのに、なぜ創作についてだけ書き終えられないのかが自分でも不思議だ。
とはいえ自分の創作について何かきちんと言い切ったり言い終えたりすることが出来るのは、もっとずっと後なんじゃないかとも思う。だって始めるぞ!と思うことなく、いつのまにか何か作っていたし、努力して続けるぞ!と思ったことも、これで終わりにするぞ!と思ったことも無いのだから、濃淡の差や程度の差こそあれ、今後も勝手に続いていくだろう。続けていけたらいいなぁ~とも思っている。終わっていないものについて書き終えられないのは、当然のことかもしれん。
一方、仕事については始めるぞ!と思って始めたし、自分自身の表現の場・創造の場とは思っていないので、もう少し冷静な視点がある(と思いたい、けど自分のことなので結局は主観でしかないから確証は持てない)。根本的なところに「お金くれるなら何でもやるよ」が敷いてあるし、ひっくり返せば「お金くれないならやらない」ものでもあるのだ。だからいわゆる「好きなことを仕事にする」みたいなこととはちょっと違う。好きか嫌いかで言えば好きだが、苦でない、と言う方が近い。冷たく聞こえる感じもするけど、仕事にも同じように愛着がある。ただ種類が、性質が違う。
あまり仕事だけを自分自身の表現の場・創造の場にしすぎるとしんどいんじゃないだろうか。他の人は知らんし、なかひろ以外とこういう話をしたことがないが、私は多分しんどくなると思う。例えば3案もデザイン案を出したのに「んーどれもイマイチっすねぇ~」などと言われたときに、いちいち「自分自身を否定された」と感じていたら、精神的に参ってしまうと思う。「ほな自分でやれや」ぐらいの精神性でいないとやっていけないし、そもそも万人が好むデザインなんて存在しないのだ。適度に受け流していかないとこんな仕事続けていけない。
そりゃあ「3案出したのにどれも刺さらんとなると今後のスケジュールがヤバいな、どこで巻こうかな」とか「予算的にだいぶ厳しくなっちゃうな、赤になったら嫌やな」とかは思うので、もちろん精神的に負荷はかかるけど、でもそれだけのことだ。
このあたりの線引き・区分け・分類について、定期的に文章にし、置いておきたいと思う。今後変化があったとき、もしくは変化を欲したときに、あぁ33歳のときはそう思っていたんですね、と戻ってこられるようにしたいからだ。そのとき共感できなくても、全く違うことを考えていたとしても、少なくとも33歳のこの日は、そんなことを考えていたんだなぁと思いたい。
とはいえ「思いたくない、知りたくもない」に振り切ったらこのサイトはサーバーごと消すと思う。
あらゆるものごとは「暫定」ですね。そんなことより秋が来てくれてうれしい、日によってまだ29度ぐらいあるけど、私は無視して、もう秋が来たことにして生活しています。
それだけが愛のしるし
2022年9月22日 (木) 21:51
婦人科系のアレで、なんかアレなものがあるかもしれん、もし本当にあった場合はちょっとアレなので、とりあえず詳しく検査してこい、と紹介状を書かれた。ずっと貧血気味なのも、そのアレが原因かもしれんらしい。
詳しい検査はたいてい大きい病院で行われる。いつだったか、取引先の人のお見舞いで行ったきりの病院へ行き、検査を受けた。
婦人科系の検査なのだから当然と言えば当然だが、膣に“何か”突っ込まれるタイプの検査が行われた。“何か”が何なのかは私には分からない、唯一分かるのは“指”くらいのものだが、別に「指を入れますよ」とは言われていない。
「ついでだから子宮体癌の検査もしましょう」と言われ、それがいちばん痛かった。細い棒状の硬い器具で、抉られるような感覚がした。体感だと20分くらいそれが続いた。まぁ実際は5分程度だと思う。
「なんの“ついで”なの?」と思ったが、“なんか突っ込んだついで”だろう、多分。
病院での処置が痛いとき「なぜ私がこんな目に……」と思うとなんだかやるせくて涙が出てくる。病院側からするとお前が望んで来たくせになんで被害者ヅラなのか、と思うだろうけど。ごめん。ごめんて。膣に“何か”突っ込まれるタイプの検査は特に、屈辱的な感じがする。こんなことで泣いているのも情けないが、痛いものは痛いし、何をされているのかよく分からないので怖い。33歳にもなって先生と看護師さんに「痛かったね」「頑張ったね」「ごめんね」などと宥められているのも情けなくて泣けてくる。が、痛いものは痛い。細かに何をされるか説明されたとしても、怖いものは怖い。
結局触診ではアレがどうだかは分からないらしく、検査はMRIに持ち越された。まただ。またMRI。造影剤でしょ?まただよ。春ごろに受けたよ。もういいよ。が、診る場所が違うんだろう、たぶん、撮る場所が。全身くまなく撮っといて全お医者見られるように出来ないのかな。知らんけど。何も知らんけど。
結局あと2回は大きい病院に来ないといけないみたいだ。病院はかわいいものをくれたり、おいしいものを食べさせてくれたりしないのに、バカみたいに金がかかる。きちんと勉強した人たちに適切な検査・治療をしてもらうサービスにお金を払っていることはもちろん分かっているけど、精神的・物理的に満ちない(むしろすり減る)ので「なんの金?何に払った金?超痛いのに?」と思えて悲しい。
何かを突っ込まれたあとは血もガンガン抜かれた。貧血なのに血を抜かれているのだ、変な話だ。最後は「よく呑むやつとふたりで晩飯を喰らい私が支払ったぐらいの金」を払った。高いよ。うわぁーーーん。
何か美味しいものを食べて自分を甘やかさないと精神的にキツい、と思い味加味に行ったが定休日だった。もう嫌だ。適当に入ったイタリアンでカルボナーラを食べた。ずっと下腹部が痛い。食欲はあるのでヤケになって、にしむら珈琲でモンブランも食べた。おいしい。モンブランおいしい。
“ついで”だから、眼科にも行くことにした。定期検診をほったらかしにしているからだ。この場合の“ついで”は、会社を休んだ“ついで”、である。どうせ家に帰っても横になっているしか出来そうにないし、眼科は今月行こうと思っていたのだから、ちょうど良い“ついで”だ。
眼科では瞳孔を開く目薬をさしたので、これを書いている今も瞳孔が開いている。世界が眩しくて泣けてくる。素敵な比喩などではなく、本当に眩しいのだ。近くも遠くもボヤボヤして見えにくいので、誤字が分からない。後で直す。
眼科では「そんなに呑まない奴とふたりで軽めの晩飯を喰らい割り勘にした程度の金」を払った。出社していたら、そろそろ退社するくらいの時間になっている。眩しくて目をしかめながら、スピッツのアルバム「花鳥風月」を聴いて家に帰った。
さっき買った文庫本の続きを読みたいが、瞳孔の閉まり待ちで読めない。
ゴミ袋で受け止めて
2022年9月14日 (水) 20:52
丼のフチにチャーシューがぺろーんと載せられているタイプのラーメンはどうなんだ。なんか見栄えが悪い気がする。たぶんレアチャーシュー的な仕上りになっているから熱いスープに浸けたくないんだろうなとは思うけど、でもなんか、見た目どうなん。あとどうせ熱いスープに浸けて食うよ、こっちは。ごめんな。
貝だしのラーメン屋が出来たので行ってみたら、延々ミスチルだけがかかっていて、しかもなんかちょっと壮大系っつーか、巨大エモ系のミスチル、分かりますかね、そっち系の曲だけがかかってて、アッサリしたいんかドッシリしたいんかどないやねん、という感じだった。ラーメンはアッサリしていておいしかった。私ミスチルはもっと軽くてキャッチーでなおかつ変態ぽい曲が好きやねんよな。店主とは趣味が合わない。ラーメンはおいしかったです。
スピッツのファンクラブイベントに無事当選した。ファンクラブイベントのライブはめずらしい曲を披露してくれたり、アットホームな雰囲気だったりして楽しいが、同時に「なぜか開演から終演までずっと小声でマサムネを呼びながら泣き続けている人」みたいな、自分とは好意の方向性があまりにも違う人を見たりもするので、なかなかカルチャーショックを受ける。
初めてファンクラブイベントに参加した広島では、10数名のファンの方々が「整理番号通りに整列してから入場させてほしい」とライブハウスのスタッフに熱く交渉していて、わりと不穏だった。どうやら5番刻みで呼ばれて入るのが嫌だったらしく「順番通り並ばせるから1人ずつ入場させてほしい、自分たちが指示するからスタッフに迷惑はかけない」みたいなことを言っている。なぜ急に学級委員長みたいなことを言い出すんだ。
私は入場の順番など心底どうでもいいと思ったし今も思っているが、少なくとも10数名はスタッフにかけ合うほど整理番号順通りに入ることに強いこだわりがあるらしい、ということにびっくりした。結局は「ライブハウスのスタッフに従ってください」みたいなことでその場は終わり、当初の予定通り5番刻みで呼ばれて入場した。つまり「自分は16番なのに、20番の人が自分より先に入場するのはおかしい」ということなのだろう。意識高いんか低いんかようわからんな。
スピッツのライブに行くのは2年前の城ホール以来だ。うれしいな。spotifyで「空の飛び方」を聴いている。これは「空も飛べるはず」が収録されている、5番目のアルバムだ。
「空も飛べるはず」はミリオンヒットシングルだが「君と出会った奇跡がこの胸にあふれてる きっと今は自由に空も飛べるはず」はあまり草野マサムネっぽくないな、と思ってニヤニヤしてしまう。マサムネっぽくないというか、スピッツぽくない歌詞だなと思う。これがめちゃくちゃ売れたの、おもしろい。
いや、マサムネさんはめっちゃ素直になるとこういうことを思うタイプなんだろうか、奇跡だなぁ~とか思って、いま空飛べちゃうな~って思うのかな。それはそれでかわいい。もしくはメロディーが先に出来ていて、メロディーが連れてきた歌詞だったりするのかな。
どちらかというとそのあとに続く「ゴミできらめく世界が僕たちを拒んでも ずっとそばで笑っていてほしい」の方に、私は草野マサムネを感じる。奇跡が胸にあふれるより、ゴミがきらめくのが、スピッツっぽいなと思う。
ミミンミョン
2022年9月9日 (金) 21:26
推しが何を言っているのかリアルタイムで理解したい、という思いで韓国語を勉強し始め、1年と少し経つ。どうにかハングルは読めるようになった(読めるだけ、意味は分からない)程度で、相変わらず推しが何を言っているのかは分からない。が、先日ディズニープラスで配信されている「IN THE SOOP フレンドケーション」を観たら、パク・ソジュンさんやPeakboyさんの言っていることはまぁまぁ分かったので「単に推したちが早口すぎるのではないか」という疑惑が浮上している。ま、早口でワーキャーしているところがかわいくて好きだし、全員同時に何かしゃべっていてうるせぇのも好きだから、良いんですけどね。長く続けてきたグループのアイドルって、あのゴチャゴチャわちゃわちゃした感じが良いよね、というか私がそれが好きなだけかもしれんが。とは言えパク・ソジュンさんやPeakboyさんの落ち着いた雰囲気は大人っぽくてキュンとしますね。えへへ。とか言っていたらパク・ソジュンさんとPeakboyさんは1988年生まれで私と同い年なのだ。私、たぶんこんな落ち着いてしゃべってないな……
「韓国語は文頭に濁音が来ない」と友人から借りっぱなしにしているテキストに記載があり、それとiPhoneのアプリしか教材を使っていない私は「へぇ~そうなん」程度の認識で1年近くやってきたが、最近どうもしっくりこない。推したちがしょっちゅう食べている韓国の麺料理「비빔면」が「ビビンミョン」にしか聞こえないのだ。本当に「文頭に濁音が来ない」のだとしたら「비」は「ピ」と発音して「ピビンミョン」になるんじゃないの?
ちょっと、ステーキと一緒に食べるとおいしいんだよ~と言うホビたんも、1.5倍量にしてほしいな…と言うナムちゃんも、僕は2個食べましたよ!と言っているグクも、みんな「비빔면」を読んでみてくれ。どっちなんだ。
こういうとき人間を相手にする勉強をしていないと困る。質問が出来ないからだ。
すっきりしないので、いくつかWeb記事を検索して読んでみたら、ざっくり言うと韓国語に濁音の概念はない・意識していない、みたいなことらしい。極論「どっちでもいい」みたいなことまで書いてある。え、どっちでもいいってことはないやろ、平音と濁音は全然ちゃうやん、ほら「か」と「が」は別もんやろ、と思うけど、よくよく考えたら発音しているときの口の形は「か」も「が」も全く同じである。試しに「ぴ」と「び」をやってみても、口は同じだ(読唇術の人はどうやって見分けるんだろう、文脈か?)。大体、どうやって「か」と「が」を言い分けているのかを、自分で説明できない。意識していない、というのはつまり、こういうことなのだ。
語学に限った話ではないが、理屈でやっていける領域というのは案外狭いのかもしれない。お医者の先生に「摂取カロリーを消費カロリーが上回ったら痩せるんですよね?」と聞いたときのことを思い出した。先生は「…ま、理論上はね」と答えたのだ。医者なんか理論のみで飯食ってんじゃないの!?と思ったが、どうやらコトはそう単純ではないらしい。「発酵」と「腐敗」を分ける科学的な根拠は無い、とも聞いたことがある。医学や科学ですら理論のみではやっていけないのに、人間が寄ってたかって毎日使い続けている言語を理論的にだけ習得しようとするなんて、無理な話だよなぁと思う。「そういうもんやねん」としか言いようがない領域が出て来るのは当然のことのように思う。
私は「なんで?どういう理屈?」と疑問を持ち、それを調べて理解し「ほほーんなるほどなるほど」と言うのが好きだが、それで何もかもやっていける、と思ってはいけないんだな、でももしかしたら、言語学の先生とかにお話を聞いたら、何か論理的な回答が得られるのかも、それにしてもハングルは発音記号がそのまま文字として使えるようになっていて本当によく出来ているなぁ、作った人が分かるなんてロマンがあるし、まぁひらがなもコロンとしててかわいいけどね、などと考えながら晩ごはんに「비빔면」を作った。ツナと千切りにしたきゅうりをよく混ぜて、少しごまをかけて食べる。おいしいねぇ、비빔면。
i guess
2022年9月7日 (水) 22:28
推しが来日し、数日間の滞在ののち、帰国していった。外国に住んでいる人をこんなに好きになったことがないので「推しが来日する」というのは私にとって初めてのことだ。……いや、Weezerがワールドツアーで日本に来てる、とかはこれまでもあったけど、それとはちょっと違うから。
彼はただ仁川から飛行機に乗って日本に着いて、仕事のあとに丸の内でとんかつを食べたり(とんかつチョイスなのかわいい)、中目黒の服屋さんに行ったり、代官山の蔦屋さんで買った服を広げたり、その服を早速着たり(買った服すぐ着るのかわいい)、美術館に行ったりして、自分の家に帰っていっただけ、と言えば「だけ」ではあるし、私を含めたほとんどのファンは彼に会えないし、会うどころか見ることさえ出来ないのに、それでもなんだか幸福な出来事だったな、と思う。私はまだモニタの中か印刷された紙の中でしか見たことがないけど、現実に存在しているんだ、という気持ちになるからだろうか。無事に帰国したようでよかった。日本で楽しく過ごせたなら、なお良いな。そんでまた来てほしい。推しが国内にいると生活や仕事に不思議とやる気が出るので……
「うちの店に来た」とか「○○で見た」みたいな情報がSNSに上がらなかった(私が見なかっただけかもやけど)のも、なんだかうれしい気持ちになる。誰にも気づかれていないわけがないので、きっと「ナムさんに会っちゃった!!!て言いたいけどダメ!!!」となっている自制心のある人たちばかりに目撃されたんだろう。だってもし本当に新大久保に行ったんだとしたら、どんな変装をしていようと、見つからないはずがないと思う。新大久保にナムさんおったら気づくやろ、ディズニーランドでミッキー見つけられへんやつなんかおるか?(比喩がズレている)
公式や本人がアップした写真で知るのはいいけど、第三者からの目撃情報は、ファンであってもやっぱりなんかちょっとモヤっとする。大体は「マナー良かった!感じよかった!かっこよかった!」みたいな目撃情報しかないし、実際にそうなんだろうとは思うけど、それでも「いつどこで誰と何してたか」が自分以外の意志で全世界に共有されるのなんて、あまり気持ちのいいもんじゃないだろうと思うからだ。どんなに有名人になっても、その恩恵をいくらか受けているとしても、そんなのぜんぜん関係ない、プライベートは守られるべきだと思う。
仁川空港での帰国の映像で見たナムさんは車に乗り込んだ後も取材陣のカメラに手を振ったりピースサインを送ったりしている。こういうのって慣れるものなんだろうか。まぁある程度は慣れるか……でも「まじで放っておいてくれよ」っていう日、あるだろうな。空港を出て車に乗るまでのほんの数十秒すら放っておいてもらえないなんて、どういう職業なんだ。と同時に、人が空港から出てきてほんの数十秒歩くのを何時間も待って撮影しなければならないなんて、そっちもどういう職業なんだよ。双方「見る人がいる」から成り立つ職業だということを理解するとともに、この場合の「見る人」はまさに私だ、と気づく。なんかごめん。まぁ社会って大体こんな感じで構成されてるのでしょうね。あと、職種とパーソナリティってあんまり関係ないのかもしれん。いや関係はあるし関連はするけど、あくまで一因でしかないんじゃないの。知らんけど。
……私を含む関西人の多くはこのように「知らんけど」を末尾に言い添えておけば、それまでに言及したすべてに対しての事実確認を放棄することが出来、なんの責も負わずに済むことになっているんですが、すごく便利なので国際語みたいにして使ったらいいんじゃないでしょうか。「KARAOKE」とか「UMAMI」とかと同じ感じで。知らんけど。
つーか関西弁以外の話者である皆さんは「知らんけど」を使わずしてどのように生きているんですか。「知らないけどね!」とか「まじ知らないけどさぁ~」とか言うの?使う??
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